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「ゴジラ」は我々に何を伝えようとしてきたのか(映画『ゴジラ-1.0 』から日本社会を考える)

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ゴジラ生誕70周年を記念して、映画『ゴジラ-1.0(マイナス ワン)』が上映。アカデミー賞・視覚効果賞のノミネート候補作品に日本映画として初めて選出されるなど話題となっている。70年もの間、「ゴジラ」は我々に何を伝えようとしてきたのか。「ゴジラ」と歩んだ日本社会の変化と今を考える。

(『潮』2024年2月号より転載)

「ゴジラ」とは何か――議論を始めた観客


 怪獣映画「ゴジラ」シリーズの第一作が作られたのは1954年、2024年は「ゴジラ」誕生からちょうど70周年です。翌55年に続編の映画『ゴジラの逆襲』が作られ、第三作の『キングコング対ゴジラ』が公開されたのは7年後の62年でした。


 69年からは「東宝チャンピオンまつり」と銘打って、子ども向けに特化した続編が作られていきました。75年に第一五作が作られてから9年間のブランクを経て、84年に再び「ゴジラ」シリーズが復活し、89年公開の『ゴジラVSビオランテ』以降も新作がどんどん作られていきます。


 70年代後半以降、大学生以上のオタクが、ついで評論家や学者も、「『ゴジラ』とは何か」と盛んに語り始めます。第一作の映画では、「ゴジラ」は水爆実験によって棲み処を失い、日本に上陸したという設定でした。出発点における「ゴジラ」は、かなり無節操に現実とつながっているところがあります。「ゴジラ」という器には、「核」とか「戦争」といった要素が融通無碍(ゆうずうむげ)に放りこまれていました。ですから人々が「『ゴジラ』とは何か」と議論しやすかったのです。


 映画の受け手は、「ゴジラ」を何らかの比喩や象徴とみなし、「ゴジラ」の内実を探求して膨大な批評を積み重ねてきました。


「ゴジラ」とソックリな設定のアメリカ映画


「ゴジラ」は世界初の怪獣特撮映画というわけではありません。アメリカで映画『キング・コング』が作られたのは1933年のことです。巨大な生物が捕獲され、どこかに連れてこられて暴れる映画は、海外でもたくさん作られています。


「ゴジラ」のアイディアのもとと思われる作品は、1953年公開のアメリカ映画『原子怪獣現わる』でした。「水爆実験によって北極圏で眠っていた太古の恐竜『リドサウルス』が蘇り、ニューヨークに上陸する」というモチーフは「ゴジラ」とそっくりです。初代『ゴジラ』の企画は、「アメリカでヒットした映画を真似てみよう」という山師じみた発想で成立している部分があります。


『原子怪獣現わる』に出てくる「リドサウルス」は「ゴジラ」ほど巨大ではなく、街を徹底的に破壊しません。血の中に太古の病原菌が潜んでいるため、迂闊に砲撃できず、容易には殺しづらい設定です。逆に言うと、病原菌が拡散してでも、人間が殺そうと思えば確実に「リドサウルス」を仕留められます。「人間の手によって怪獣(水爆実験によって生まれた存在)を馴致(じゅんち)できる」という設定なのです。


「ゴジラ」は東京の街を徹底的に破壊し尽くし、人間の力ではとても倒すことができそうにありません。明らかに放射性物質を帯びており、原水爆の象徴であるかのように描かれる「ゴジラ」は、どうやっても倒せそうもない存在です。「人間の手ではとても馴致できない怪獣」として描かれているのが、日本ならではの特徴ではないでしょうか。

第五福竜丸事件 水爆実験の衝撃


 初代『ゴジラ』が公開されたのは、54年11月のことでした。それから8カ月前の54年3月、ビキニ環礁で第五福竜丸事件が起きます。マグロ漁船に乗船していた23人の乗組員は、アメリカの水爆実験によって被爆しました。被爆から半年後の9月、乗組員の久保山愛吉さんが亡くなります。


 世論は沸騰し、新聞各紙で「広島と長崎の洗礼を浴びた日本で再び被爆者が出た」という怒りの論調が続出しました。当時の日本国民の多くが、反核運動と平和主義への思いを高めたことは間違いありません。初代『ゴジラ』公開当時の日本はかなり政治的であり、原水爆禁止の署名運動が展開されました。初代『ゴジラ』公開の翌55年8月には、広島で第一回の原水爆禁止世界大会が開かれています。


 こうした世相の中、第一作目の『ゴジラ』は「オキシジェン・デストロイヤー」(水中酸素破壊剤)という最終兵器によって葬られました。「ゴジラ」をやっつけるためには、人類を滅ぼしかねない最終兵器を繰り出して対抗するしかない。この兵器は核のメタファー(比喩)として使われています。


 ちなみに初代『ゴジラ』の当初のシナリオは、もっと政治的です。既存の映画人だけでは話がまとまらないと苦慮したプロデューサーは、香山滋(かやま・しげる)という探偵小説家に原作執筆を依頼します。彼はこんな展開の原作をまとめました。


「ゴジラ」を倒すことに成功したとき、臨時ニュースが響き渡った。ワシントンからの特電で「アメリカが水爆実験をすべて完了した」という発表が流れる。日本の「ゴジラ」退治と、世界から原水爆実験が消え去るタイミングが偶然にもシンクロする――。


 政治的、理想主義的な形で核の恐怖を訴えるシナリオは「大衆娯楽にそぐわない」とボツにされたと考えられます。政治性の強い作品を生み出してきたわけではない、一介の探偵小説家がこのような原作を考案した事実は、当時の日本中が今よりもはるかに政治的だったことの証左です。


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