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【鼎談】“田原総一朗”の使い方(後編)―― 固いニュースを面白く伝えるには

ジャーナリスト・田原総一朗氏が毎号、ゲストをお呼びしてさまざまなテーマについて対談する連載「ニッポンの問題点」。
今回は、瀬尾傑氏と高橋弘樹氏をゲストに招き、「田原総一朗にみるメディアのあり方」をテーマに鼎談(ていだん)を行った。
瀬尾氏は講談社勤務などを経て、ノンフィクションや調査報道を扱うスローニュース株式会社を設立。高橋氏は元テレビ東京プロデューサーとして数々の人気番組を手掛け、その後独立。さまざまな形でメディアに携わってきた3人が語る「メディア論」とは――。

本記事では後編として、固いニュースをどう伝えていくかに迫っていく。
(『潮』2023年12月号より転載)

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田原総一朗の好奇心の源泉

高橋 前回、田原さんの取材の基本は「好奇心」とのことでしたが、その源泉には何があるんですか。

田原 戦中戦後の経験ですね。玉音放送があったのは小学校5年生の夏休み。一学期のあいだ先生たちは「この戦争は正義の戦争だ」と教えていた。それが二学期に入ったら180度変わった。「実はあの戦争は絶対にやってはいけない、間違った戦争だった」と。

1回だけならまだよかったんです。それから中学3年生まで「戦争は悪だ」と教わった。しかし、高校に入ったら朝鮮戦争が始まった。そこで「戦争反対!」と言ったら、教師たちに「馬鹿野郎!」と罵倒された。また言うことが変わった。どうも偉い人は信用できない。伝聞推定は信用できないと痛感した。それで一次情報を直接調べられる仕事をやろうと思ってジャーナリストになったんです。

高橋 多感な時期にそんなことが起きたら、「なんでだろう」という好奇心が湧きますよね。

田原 だからジャーナリストは一次情報が重要。政治なら総理大臣から野党の党首まで。経済なら経営者から労働組合、非正規まで直接取材する。だけど、いまは新聞もテレビも取材力が落ちている。

瀬尾 僕がずっと取り組んでいるのはまさにそこなんですね。報道のなかでも取材力が衰えているのは「調査報道」なんです。これは世に知られていない事実――権力が隠蔽している悪事や、人目につかないところで貧困や病や差別に苦しんでいる人たちの話など――を掬(すく)い上げていく報道です。

田原 なぜ弱くなったんですか。

瀬尾 調査報道にはいまも昔もお金と時間がかかります。それを支えることが活字メディアにできなくなっているんですね。

田原 新聞社も取材に使えるお金がなくなっています。かつて朝日新聞の記者なら24時間ハイヤーを回せていた。だからハイヤーに乗って、疑惑の政治家に「夜討ち朝駆け」をすることができた。

瀬尾 人手も足りなくて日々のニュースを報じるだけで精一杯になっています。なかには素晴らしい調査報道も出てくるんだけど、数で言えば確実に減ってきている。

田原 結局お金にならないんだ。

瀬尾 調査報道できちんとお金を稼げるようになる、今風に言えばマネタイズできるノウハウがないというのが一番の課題です。



「伝え方」次第で視聴者に届く

瀬尾 高橋さんの番組ってバラエティなんですが、調査報道においても参考になることが多いと思います。「家、ついて行ってイイですか?」はお金と時間が相当かかっていますよね。

高橋 かかっていますね。タレント出演費なんかを限りなく抑えて、その分、人も時間も予算もロケに傾斜させています。

瀬尾 取材班が張り込んで、いろんな人に声をかけて何日もかけてつかまえた人について行くからすごく面白いものができる。そして、この番組を高橋さんはバラエティとして成功させました。その点がとても参考になると思うんです。つまり、調査報道には「伝え方」の問題があるんじゃないかと。

田原 どういうことですか。

瀬尾 「家、ついて行ってイイですか?」はバラエティなんだけど、貧困世帯やシングルマザー、あるいは家族を亡くした人なんかが登場して、彼らの生活や心情を知ることができるわけです。

そうした事実は固いニュースとして報じてもなかなか多くの視聴者には届きません。だけど、バラエティの形で伝えると普段ニュースを見ない人にも届く。するとこの問題に関心を持っていなかったような人でもいろんな思いを抱く。

田原 逆に言えば、報道にはまだまだ可能性はあるというわけだ。高橋さんは番組をつくるとき、どんなことを考えていましたか。

高橋 面白いことが結構大事だと思っています。社会的に意義があるとか以前に、番組として面白い。その結果、多くの人に見てもらえる。だから、頭からちゃんと面白くするとか、視聴者が飽きるタイミングで雰囲気を変えて興味を引き戻すとか。いろいろ意識します。

田原 「面白さ」と「報道」のバランスをどうとるのかは難しい問題です。たとえば世間にとって一番面白いのはスキャンダルやゴシップですよね。だから週刊誌やテレビはスキャンダルばかりやっている。もちろんそれはいいんだけど、「この国をどうするべきか」という大事なテーマが「面白くない」という理由で後景に追いやられてしまっているのは大問題です。

高橋 僕はスキャンダルが入口でもいいと思っていて、その〝抜け〟に何か感じられるような報道になることが大事ですよね。

田原〝抜け〟ってどういうこと?

高橋 たとえば、事の真偽は本当にわからないんですが、前官房副長官の木原誠二氏について『週刊文春』が報じていますよね。

田原 具体的に言えば、木原氏の妻の元夫がかつて不審死を遂げた。当時は自殺として処理されたけど、近年殺人事件の疑いがあるとして再捜査がされた。元夫の不審死は氏が妻と出会う前に起きていて、再捜査は結婚後に始まった。

高橋 その一連の記事はやっぱり読んでしまいますね。初めは木原氏の女性問題から報じて、続報で不審死の疑惑を追及していった。

田原 結婚相手が昔事件を起こしていたかもしれないという点では木原氏自身に批判される謂れはない。焦点は、再捜査をする警察に対して木原氏が圧力をかけたのかどうかにある。警察幹部が木原氏に忖度してしまった可能性もある。

高橋 そうです。つまり、個人のスキャンダルを入口にしながら、その先に統治機構、警察や検察の組織の問題を示唆している。忖度を生む権力のあり方の問題も孕んでいます。読者の興味をそうした国や社会の大きな問題にまで引っ張れるような書き方、伝え方をすることがスキャンダル報道には大事だし、文春さんはそれをやっていると思います。


「財金分離」とノーパンしゃぶしゃぶ

瀬尾 スキャンダルと言うとプライベートな問題に感じるけど、統治機構となるとパブリックな領域に入ってくる。そこを区分けして意識的に接続させることがポイントですね。僕が『日経ビジネス』にいた1990年代、「財金分離」という極めて重要な問題が議論されていました。大蔵省が一元的に担っていた財政と金融行政を分離させたほうがいいという話です。

田原 なんで分離したほうがよかったの?

瀬尾 バブル崩壊時、大蔵省は銀行の不良債権処理を早く行うべきだったのにできなかった。大蔵省内の銀行局が金融行政を担っていたからです。要するに不良債権を処理するなら銀行に責任を取らせないといけない。すると銀行局も責任を免れない。だから政策を先延ばしにして景気後退が長引いてしまったというわけです。

『日経ビジネス』でこの問題をいくら書いても世の中は変わらなかった。しかしその後、転職して『フライデー』に入ると、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」のスキャンダルが出てきました。大蔵省の官僚たちが銀行から「ノーパンしゃぶしゃぶ」といういかがわしいお店で接待されていたんです。

田原 銀行は大蔵省に権限を握られているから接待をしていた。

瀬尾 この一連のスキャンダルが週刊誌に毎週報じられると、市井の人たちがみんな怒り出したんです。「『ノーパンしゃぶしゃぶ』接待許せん」という世論が大きくなって検察が動き、大蔵官僚が逮捕された。そして最終的に財政と金融が分離して、財務省と金融庁ができるという結果になったんです。

高橋 それめちゃくちゃ面白いですね。『日経ビジネス』がいくら理路整然と報じても何も変わらなかったのに「ノーパンしゃぶしゃぶ」という破壊力のあるフレーズが世の中を動かしていった。

次の「田原さん」を育てるべき

田原 「この国をどうするべきか」といった問題を面白く伝えるにはどうしたらいい?

高橋 次の「田原さん」的な人を育てないといけないかもしれませんね。いまでも現役ですけど、往年の田原さんの勢いって〝ヤバかった〟ですよ。「朝まで生テレビ!」(朝生)でも他局他番組では絶対できないようなテーマを真面目に扱って、しかも面白い。そのうえ脇役もよかった。大島渚さんとか、小林よしのりさんとか。みんなで激しく議論をしていた。いまだと、この人が出ているから政治の番組を見ようとはならないでしょう。

田原 元テレビ朝日で朝生もやっていた方がこう言っていました。かつての朝生は非常に面白かった。いまはちっとも面白くないって。

高橋 田原さんが稀有な存在なのは、ジャーナリストとしての基礎がありながら演出家でもあるところですよね。政治家へのインタビューをしっかりする一方で、わかりにくい発言に対して「それはインチキだ!」とか言えてしまう。

場の支配というか、自分の見せ方も含めてかなり演出家としての側面が強い。これができると大衆に訴えかけられるんですが、だいたいは演出家だけか、ジャーナリストだけかなんです。その両方を掛け持つことが重要。

瀬尾 いま難しいのは、メディアが多様化していることですね。テレビにはテレビの見せ方があって、ネット動画にはネット動画に適した見せ方がある。文字メディアにしても、新聞や雑誌とネットの記事では書き方が違う。とりわけSNSが普及して誰でも発信できる時代になっているのだから、「プロデューサー」や「編集者」を介在させるメディアはここが工夫のしどころです。


メディアが国境を越えられていない

田原 ウクライナ戦争について西側の情報ではプーチンは追い詰められているというが、ロシアはそう簡単に崩れないように見える。

高橋 2023年になってもまだメディアは国境を越えられていないことを痛感しますよね。つまり、日本だと欧米サイドの情報以外にはなかなかアクセスできない。先日、「ReHacQ(リハック)」に鈴木宗男氏が出演したんですが、彼の発言は全部が衝撃的でした。それは鈴木氏の言っていることが真実だというわけでは決してなくて。要するに欧米とは逆サイドの情報や主張は日本にこれほどまでに入ってこないものなのかと驚きました。

瀬尾 メディアの情報源に多様性がないですよね。とりわけ現場の情報が少ない。たとえばベトナム戦争が起きていた当時はたくさんの記者やカメラマンが戦地に取材しに行っていました。

田原 ここでも一次情報を取材する力がなくなっている。

瀬尾 これはコンプライアンスの意識が高まって、危険な取材に会社が許可を出せなくなった面もありますが、やはりお金の問題が大きい。ベトナム戦争の時代は雑誌社が費用を出して開高健さんとかが取材に行けたものですが、調査報道の話と同様、お金もリスクも背負って取材を支援する仕組みがなくなっているんです。

高橋 取材費の話で言うと、いまは過渡期になっていると思います。というのも実はマネタイズしやすい時代なんです。取材してきた内容を発信する場所がユーチューブをはじめいっぱいある。そのうえ昔は自分でスポンサーを集めなくちゃいけなかったのが、いまはユーチューブをはじめプラットフォームが用意してくれます。

田原 どういうことですか。

高橋 簡単に言えばユーチューブが広告代理店の役割も担っているんです。こちらの動画に対して自動的に広告をつけてくれる。それが広告収入につながる。その意味で、昔よりマネタイズがしやすいシステムができていることは間違いありません。メディアの側が適応できていないだけなんです。

ジャーナリストが撮影してきた映像をどういうふうに見せたら多くの視聴者を獲得できるのか、取材に行く際にどうやって安全を確保するのか、それらを実現するのにどのくらいの資金が必要なのかという、取材計画から成果を世に出すところまでトータルでプロデュースするメディアが求められているんです。だから「ReHacQ」の出番だということですね。(笑)

新しいメディアの兆しは出ている

田原 高橋さんはこれからどんなことがしたいんですか。

高橋 この話の流れで思うのは、「ネットの世界から次の開高健を出したい」ということですね。現段階だと「ReHacQ」はスタジオに政治家や専門家を呼んでトークする番組が主で、本格的な取材活動のお金まではまだ捻出できていません。だけど、もう少し頑張れば自社レベルで本格的なドキュメンタリーを制作できるんじゃないかなと。活字メディアだと開高健的なノンフィクションをつくる仕組みは行き詰まっていますが、それをネットの世界で構築し直すことはできると思うんです。

瀬尾 そう。よくネットの報道は質が低いといわれますが、本格的なノンフィクションや調査報道も可能なんですよね。

田原 瀬尾さんはネットの世界でどうしていきたい?

瀬尾 僕の立ち上げた「スローニュース」というメディアから『黒い海 船は突然、深海へ消えた』というノンフィクション書が生まれて「大宅壮一ノンフィクション賞」と「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」を受賞したんです。つまり、ネットの連載をまとめた書籍がノンフィクションの世界で最高峰の賞を受賞した。高橋さんのおっしゃったノンフィクションの仕組みの再構築が、テキストの分野で実現しつつあるんですよね。

田原 高橋さんは映像で、瀬尾さんは文章でやろうとしている。

瀬尾 もしかすると映像と文章をミックスさせたネットならではの新しい報道のあり方もできていくのかもしれない。そこは楽しみだし、いまもう兆しが見えてきているんだと思います。

高橋 最後は僕ら自社媒体の宣伝をして終わりましたね。(笑)

瀬尾 そこはメディア人の怖いところ。(笑)

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【鼎談】“田原総一朗”の使い方(前編)はコチラから。

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