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潮文庫『小説 紫式部』ためし読み

2024年1月7日スタートのNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部。
吉高由里子さんが演じることでも話題を集める、言わずと知れた「源氏物語」の作者。
いたいけな少女はいかにして紫式部へと至ったのかーー。

 

潮文庫『小説 紫式部』の第1章を無料公開します。

わが国最高峰のストーリーテラーが、直木賞作家・三好京三の手によって鮮やかに蘇る。

 

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第一章 乙女心

 

 庭先の楓が紅く色付いている。その下の芝生には、いつもやってくる雀たちが撒き餌をついばんでいた。それをしばし眺め、香子(かおるこ)は筆を執った。

    桃之夭夭 「桃の夭夭(ようよう)たる」
    灼灼其華 「灼灼(しゃくしゃく)たる其の華」
    之子于歸 「之の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ」
    宜其室家 「其の室家(しつか)に宜(よろ)しからん」
    ……

 姉彩子(あやこ)が妻として迎えられたこの春、山荘の入口の部屋に掲げられていた「桃夭(とうよう)」という詩である。それが孔子の編んだ『詩経』の中にある作品であることを香子は知っていた。

 お姉様、あなたは桃の花が若々しくつややかに咲いたように美しい。嫁ぎ先ではどんなにお喜びのことでしょう――。

 この年永観(えいがん)二年(九八四)、彩子は昌子太后(まさこたいこう)の御所に勤める十七歳の乙女であったが、二十七歳の権中納言藤原義懐(ふじわらのよしちか)に見初められ、その鳴滝の山荘に住まわされる妻とされたのである。そこに行くとき、姉彩子は喜びが隠しきれず、しきりに微笑み、見送る香子を何度も振りかえった。香子は手を振り、

「おめでとう、お姉様」

 と声を出して祝福したものである。帝の二人目の皇后は中宮とよばれ、やはり内裏の中にお屋敷をいただくが、姉彩子も中宮並みの妻だから、当時は「すえ」と呼ばれた住処を与えられたのだ。

 ――けれどわたしはまだ十五歳。殿方も気にならないわけではないけれど、とにかく物語や歌が大事――

 父藤原為時(ふじわらのためとき)も、姉弟の中で香子が最も学問好きであることをよく知っている。為時はこの十月に即位したばかりの花山(かざん)帝が、皇太子であった頃から学問の師を務めさせられていた学者にして役人であり、わが子にも幼い頃から手習い、歌、読書をきびしく教えた。今は式部省(しきぶしょう)で大丞(だいじょう)の職にある。弟公麿(きみまろ)はまだ元服前の十三歳で、末っ子の男の子らしく甘えん坊で学問より遊びだ。

 ――それにしてもお姉様は、山荘入りの後は逢うたびに美しさを増す――

 嫁ぐ前から彩子の器量は近隣でも目立っていた。その美しさが、日を追ってまさに桃の花がふくらむようにつややかになりまさっているのである。

 ――殿方の愛を受ければ女は美しくなるのか――

 しかし、香子には心引かれる男性がなかった。ひたすら手習いに歌、読書である。中でも物語の世界に浸るのがこの上なく楽しい。

 書き上げた料紙を姉に上げようか、などと思いながらしまいこんだところへ、弟の公麿が興奮した面持ちでやってきた。

「姉上、年取った貴公子がこれを」

 差し出したのは文である。

「あら、公麿は文使いにされたの」

「わからない。何でもその男の人は、これをそなたのこの上なくお美しい姉君に、と言って去ったよ」

「だったら彩子様でしょう」

「いや香子様と名前も言った」

「どなた?」

 怪しむ気持で文を開いた。仮名文字である。すぐに歌仲間の亮子(とおるこ)の文字とわかった。父が筑前守(ちくぜんのかみ)に任じられたので、この秋向こうに同行することになったのだという。その準備に忙しく、兄にでも文を託したのであろうか。

   西の海を 思ひやりつつ 月みれば
          ただに泣かるる ころにもあるかな

 この亮子もまた裳着(もぎ)を済ませたばかりの乙女で、香子同様まだ殿方との付き合いはない。

 ――あの亮子様が筑紫へ?――

 このような別れは中流の公家社会ではそう珍しいことではない。しかし、付き合いのそう多くない香子にとり、だしぬけに知らされた友との別れはこの上なくつらかった。それですぐさま筆を執って返しの歌を詠む。
 
  西へゆく 月のたよりに 玉づさの
          書き絶えめやは 雲の通ひ路

 いつも西に向かうお月さまに頼んで便りを欠かさない、と詠みながら、香子はさらには菅原道真(すがわらのみちざね)が弟子の紀長谷雄(きのはせお)に贈った『菅家後集(かんけこうしゅう)』の詩も思い出していた。

 ……三千世界一周天 ……唯是西行不左遷

 ひたすらに淋しい。亮子とは物語好きの仲間たちと一緒に、賀茂祭に行ったこともある。夜中に牛車に乗って出かけたのだが、明け方一休みしたところでひとしきり話し合ってから歌を詠んだ。

   ほととぎす 声待つほどは 片岡の
           森の雫に 立ちや濡れまし

 亮子ほかの仲間たちも、山里では都よりも早くに時鳥(ほととぎす)が鳴くことをみな知っていて、車の中で耳をすましていたのである。
 西に行く月のように亮子が去り、更に秋も深まった頃、今度は繁く訪ねてくる男を迎え入れている友から、紅葉の枝に結びつけた歌が送られてきた。それと一緒の文には、東に下る夫についていくかどうか、迷っていると書かれている。香子はこのような相談を受けることがよくあった。

   露深く おく山里の もみぢばに
         通へる袖の 色を見せばや

 その友晃子(あきらこ)に、香子は会ったこともある男の面影を思い浮かべながら返歌を送った。

   嵐吹く 遠山里の もみぢばは
         露もとまらむ ことのかたさよ

 友は迷うが、夫のほうが強気であることを香子は知っている。それから間もなく晃子は夫と共に東に下ることを決めたと伝えて来た。

   もみぢばを 誘ふ嵐は はやけれど
           木のしたならで ゆく心かは

 次々に友に去られるのは淋しいが、去る者も送る者も、みなその人なりの生き方を持っているのだ。

 それにしても、こうして歌や読書に日々を過ごせる境遇は、ありがたいと言わなければならない。父為時が宮中で職に就いていられるのは、花山帝の東宮時代の師であったからだ。しかしこの花山帝は、前帝円融(えんゆう)天皇の重臣たちからは嫌われる存在であった。特に右大臣藤原兼家(かねいえ)などは、自分の孫の懐仁(かねひと)親王を東宮とし、早くに天皇としたいものだから、いつも花山天皇の揚げ足取りを企んでいると言われる。しかし香子はそのような宮廷の内幕については知らされることがないから、ひたすら学問の日々を楽しんでいた。

 一方、時折耳にする下層の者たちの暮しは惨憺たるもので、洛中では飢え死にする者、盗みをはたらく者、やみくもに人を殺す者等が珍しくないという。

 香子の母は弟公麿を生んで間もなく亡くなったので、香子も弟も母の面影を知らない。しかし乳母、女房の手で大事に育てられ、学者でもある父為時の教育を受けて、こうして学問を楽しむ生活をさせてもらっているのだ。仮名文字の手習い、箏(そう)の琴の演奏、古今集二十巻の暗誦などが、当時娘たちの学ぶべきものとされていたが、香子は父の指導により、ほかに『史記』『漢書』『後漢書』『文選(もんぜん)』などの漢籍も学んでいる。香子はさらに興の赴くままに、「長恨歌(ちょうごんか) 」「白氏文集(はくしもんじゅう)」「楽府(がふ)」などの父の蔵書をすべてと言っていいほどに読み、理解していた。それで父は、

「香子が男だったらよかったのに」

 と公麿と比べて言ったものである。

 その為時は時折、現在仕えている花山の帝の話をしてくれた。

「風流者とも言われるお方でな、お若い頃からよく歌会を催された。絵もよくなさるし、庭作りもお上手だ」

「まあ、帝がお庭を作ったりなさるの」

「絵にもできるようなみごとな庭を作るというのも、風流というものだろう」

「父上はそのような帝とご一緒できるのだから幸せね」

「まあそうは言える。けれども帝とて完全無欠のお人柄ではない。女御(にょうご)、更衣の可愛がり方で少しおかしいところがある」

「あら、どのように」

 香子は男と女との睦み合いについて、じっくりと考えたことがまだなかった。物語を読んだり、空想したり、自分の体の変わりように気づいたりはするが、やはりよくはわかっていないのだ。

「女御、更衣がたくさんいらっしゃり、それぞれのお方を万遍なく愛しまれるとよろしいのだが、一人の女御にだけ通いつめては全く見向きもしなくなったり、全く塞ぎこんでどの側近とも話を交わされなかったり……」

「まあ、そんなふうでいらっしゃるの」

「しかし、せめて風流を心得ておられるのがありがたい。香子も彩子のようにすぐれた公達(きんだち)に恵まれるといいが」

「ほんとうにお姉様は幸せ」

 そしてやはり山荘の彩子に思いを馳せる。その姉は義懐がよく通ってきた頃、とてもはずんだ表情で迎えていた。そのような二人の間柄を嬉しく思いながら、しかし香子はひたすら読書に忙しいので、今二人がどのような愛を交わしているかなど、ついぞ考えたことがなかった。

「そろそろ香子にもよき男が来てくれるとありがたいが」

 為時はやさしい笑みを浮かべる。

「あら、わたしは常処女(とこおとめ)。学問を教えて下さる父上がいらっしゃるだけで充分です」

「まあそれでもよいか。彩子の嫁いだ年まではあと二年もある」

「二年が二十年でもわたしは一人で学問の世界に生きます」

 本気でそう思っている。そしてこの頃は、生涯にわたって物語を作り通す女になりたいと願うようにもなっていた。

 その年も暮れ、翌寛和(かんな)元年(九八五)のやはり夏も近づく頃に、為時宅を訪れた男があった。親戚関係の藤原宣孝(のぶたか)で、父と同じ役所に勤めている。祇園の社に詣でたいが、方違(かたたが)えのために泊まりに来たというのだ。当時は目的地に天一神(なかがみ)がいると判断されたときはそこに直には行かず、方角を違えて知り合いの家に泊まり、そこから出直すことを方違えと言った。

「お前も少しは知っているが、宣孝は油断のならない男だから気をつけるように」

 宣孝が来ることを告げてきたとき、為時は香子に注意した。香子も宣孝が犯したさまざまな失態については聞いている。昨年の賀茂の祭の折、蔵人の宣孝は泥酔して馬を引く役を忘れるなどしたのである。今年になってからは、大和の国の小さな村に行ったとき、やはり酔っぱらって里をさまよい歩き、村人たちからさんざんに懲らしめられたとのことだ。

 ――義懐様のような方が見えればいいのに――

 と香子はやはり姉夫婦だけが憧れである。

 そして宣孝が父為時からもてなしを受けて泊まった夜の明け方、香子は枕元に誰かが忍んで来ているのに気づき、思わず声をあげて振り払った。

「どなたです。無体な」

 すると相手はにんまり笑い、

「たわむれ、たわむれ」

 と言って逃げていった。宣孝とわかった。

 ――父上に言いつけようか――

 実に腹立たしい。しかし考えてみれば香子もはや十六歳なのだ。彩子が義懐を迎え入れて楽しんだ年齢である。女としての受け止め方を自分で見つけなければならない年頃なのだ。それで無礼を怒る歌を詠んだ。

   おぼつかな それかあらぬか 明ぐれの
           空おぼれする 朝顔の花

 それを料紙に書き、侍女に持たせて宣孝の部屋に届けさせる。しばらくして侍女は宣孝からの返歌を手に戻ってきた。

   いづれぞと 色分くほどに 朝顔の
           あるかなきかに なるぞわびしき

 読んでみて、色好みの宣孝もいくらか風流を解するのか、と思った。こちらの顔が心もとなくて、どちらに次の便りを寄せたらいいかと空惚(そらとぼ)けているのだ。恋遊びとはこのようなことだったのかと、香子はふと大人びた感慨をもった。

 それにしても宣孝は三十四、五歳のはずである。香子とは二十近くも年の違う、兄というよりは叔父のような年輩なのだ。

 ――そのような大人がなぜにわたしのような乙女に――

 とどうしても腹が立つ。やはり父の言うように、宣孝は近づけてはならない存在なのだ。そして時には宣孝のような中年ならぬ、自分にふさわしい年頃の殿方が言い寄ってほしいと待ち心を抱いたりするようにもなった。

 しかしそのような男は全く現れない。文机に向かうことしか知らない気の強い女、といった噂が立っているのかもしれなかった。

 ――面立ちも姉君と違ってこのようだし――

 鏡を前にしては、自分のどこやらきつい感じの目元が殿方に受けないのだ、と思ったりもする。

 そして秋を迎えた。父為時は役所勤めが済み、京極の邸に戻って夕食を済ませると、よほどのことでもない限り、女たちの家に泊まりに行くのが常だから、香子も公麿も夜は父親のいない邸でその日その日を過ごしている。

 ――幼い頃からこうだった――

 と思いながら、香子は夕暮れの空を見やる。

 ――六歳の頃だったかしら。夏の夕方、白くて長い尾を引いた箒星(ほうきぼし)が、あの空に何日も光っていた――

 しかし女房たちから、縁起の悪い星だから見るなと言われ、簾を降ろされたのだった。実際にその年の暮れには火付け、人殺し、盗みなどがふだんの年より多かったという。その次の年は内裏が焼け落ちた。

 ――あら、どうして箒星のことなど思い出したのでしょう。やはり心待ちする若い殿方が来てくれないから?――

 立って文殿(ふどの)に行こうとしたとき、庭先に狩衣姿の若者が現れた。香子は思わず小袿(こうちき)の袖で顔を隠す。

「 不躾ですが、香子様の物語を読ませて下さい。父君の為時様がよくお出で下さる成子(なりこ)の息子、源正時(みなもとのまさとき)です」

 男の名乗りを聞き、香子は戸惑いながらも、これは招き入れなければならないと思っていた。

「どうぞ中へ」

 咎める目の女房や侍女には構わず、男を招き入れると文殿に案内した。正時はそこにある膨大な書物を見回し、香子をみつめては溜息をつく。

「聞きしにまさる学問好きでいらっしゃいますね。為時様も香子様も」

「読み書きしか知らない気強い女子でございます」

「故にこそ憧れて参りました」

 と香子を抱きしめ、唇を吸った。

「何をなさいます」
 
狼狽して香子は振り払ったが、正時は重ねて襲う。そして言った。

「この上のことはしませぬ。香子様は清らかな常処女にして才女。体ではなく、お心と才のみをお慕い申します」

 実際に正時はすぐに離れ、袿姿(うちぎ)の香子を追って表の部屋に戻った。あらためて向かい合うと、正時は実に気高い面立ちの若者である。その正時はにんまりして、

「香子様と同い年です」

 と言った。年齢のことも為時から聞いたものであろう。

「父君とわが母が馴染みなれば、われらもこれからは清らかに馴染みましょう」

 すでに口吸いをしたではないか、とも思いながら、この正時様こそ日頃思い描いていた若殿なのでは、と思い始めていた。この方を追いかえしたら、またぞろこれまでのように空しく毎日空を眺め、書を読みながら殿方を待つことになる。

 ――しかもこの正時様は、叔父のような宣孝様などとは全く違う貴公子――

 気持を落ちつけると、求められるままに昨年姉彩子を思って書いた「桃夭」の書を見せるなどした。漢書のことも話し合い、そのうちにこの人の読みたいという物語にまだ手はつけていないが、書くならばこの人こそが主人公、とも思ったりする。

 しだいに話がはずみ、夕刻になると、

「これからも毎日、昼にまいります」

 と告げて正時は帰って行った。

 ――かたくななわたしにも、とうとう春が来たのかしら――

 一人になってみると、あらためて嬉しい気持がこみ上げる。

 翌日も正時は訪れ、香子の書を褒めたり学問の話を聞くなどして時を過ごした。香子にしてみれば、やっと訪れた初恋の日々の如くである。

 ――わたしもそろそろお姉様のように正時様の山荘に――

 と夢を描いたりもした。

 ところが夢のような日々を過ごして迎えたその年の暮れも近い頃、正時は険しい面持ちで現れると、やにわに香子を奥の閨(ねや)に引きずりこんだ。

「為時様がわが母を捨てたぞ」

 そして香子の袿を引き剥がそうとする。あわてて胸をおさえながら、

「まさか。どうしてですか」

 と訊ねた。

「わからぬ。しかし母は言う。わたしがそなたの体を愛しまぬからだと」

「それこそが正時様の清いなさりようでしたのに」

「清くはない。愚かでずるいと為時様は言われたそうだ。娘香子のほかの女たちとは毎夜交わりを楽しんで渡り歩いているくせに、とも」

「あら、どれほどの女の方と」

「五人ほどか。それにしても、母が捨てられたら、わたしもそなたからは離れる」

「あら、親は親、子は子ではありませんか」

「いや、親が結ばれたから子のわたしたちも結ばれたのだ。しかし、その親が離れるならば子も離れねばならぬ」

「そのようなことがありましょうか」

 理不尽としか言いようがなかった。この人は初めから好きでもないのにわたしに戯れかかったのか。

「いずれ、そなたとつながる意味は失せた。この上は世の男と女の如くに睦み合って別れるのみ」

 正時はいきなり香子の身ぐるみを剥ぐと、獣の如くに襲いかかり、何度も唇をむさぼっては、さらに胸を腹をといたぶる。そして、思いもしなかったさまざまな形で常処女を汚し尽くした。その正時が去ると、香子はさながら死者の如くに床に伏すばかりである。

 その後の香子は、住まいの西の対に引きこもってばかりいるようになった。丹念に記し続けた日記もすべて焼き捨てる。きつい眼差しで書を読みながら、もうもうこれまでの暮しのどの部分をも、思い出から消してしまいたかった。

 

第一章終わり

 

続きは書籍でお楽しみください。

時は平安時代――。藤原家に生まれた香子は、一人の女性として悩みながら、物書きの才能を開花させていく。
彼女はいかにして「紫式部」となったのか。そして『源氏物語』の執筆の陰にある彼女自身の物語とは……。
時の権力者道長との関わりなど、小説ならではの展開の中に実像を追う。

「紫式部は歴史に残る大作『源氏物語』の作者である。常々彼女はわが国物書きの最高峰の先達と考えていた。それでしがない物書きとしては、いつかは始祖紫式部の生まれ育ち、生き方について書きたい、と思うようになっていたのである」(「あとがき」より)

潮文庫『小説 紫式部』三好京三著、定価:880円(税込)、発行年月:2023年12月、判型/造本:文庫判/200ページ

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作家
三好京三(みよし・きょうぞう)
1931年岩手県前沢町(現・奥州市前沢区)に生まれる。50年岩手県立一関高校を卒業後、県下小学校教員を勤め、71年慶應義塾大学文学部を通信教育で卒業。75年『子育てごっこ』で第41回文学界新人賞、77年単行本となった同作品で第76回直木賞を受賞。主な作品に『子育てごっこ』『分校日記』『女人平泉』『独眼竜政宗』『北上川神楽囃子』『小説 小野小町伝説』など。享年76。

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