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山形県特集・新幹線を降りて吸う故郷の空気がとにかくおいしい!

「山形をさらに盛り上げるためにも、もっともっと良い仕事をして、より多くの人に影響を与えられる人間になりたいと思っています。」と語るのは、子育てに奮闘しながら、テレビのバラエティ番組をはじめ、CM、ドラマ、映画などで幅広く活躍されている橋本マナミさん。大切なお母様への想い、故郷・山形県への郷土愛を伺いました。
(『潮』2024年1月号より転載。写真=富本真之)
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 自然、温泉……何より人が温かい

 私は中学1年のとき「全日本国民的美少女コンテスト」の演技部門賞を受賞し、その後、17歳で上京しました。東京での芸能活動をスタートしたもののなかなか芽が出ず、10年近く下積み生活を続けていました。そんな時代を支えてくれたのも、故郷である山形の存在です。最近は山形の魅力を紹介する仕事にも携われるようになり、嬉しく思っています。

 山形の魅力はたくさんありますが、まずは何といっても自然が豊かなことです。私は子どもの頃から川で泳いだり、山に登ったり、豊かな自然の中をかけ回っていました。樹氷で有名な蔵王が家から近かったので、冬はいつもスキーをしていました。

 私が子どもの頃にやっていた自然との触れ合いは、自分の子どもにも体験してもらいたいと思っています。沼にザリガニを捕りに行ったり、山にカブトムシを捕りに行ったり。私が子どもの頃は当たり前だったことが、東京ではなかなかできないですからね。稲刈りの手伝いもよくしました。自分の子どもにもそのような体験を通して、お米を作ることがどれだけ大変かを知ってほしいですね。
 また子どもの頃、近所のおばさんが畑から採って食べさせてくれた、トマトのおいしさが今でも忘れられません。子どもにも同じ経験をさせたくて、東京で畑を借りて野菜を育てていたこともあります。

 自然と並ぶ山形の大きな魅力が温泉です。すてきな日帰り温泉が県内のあちこちにあり、旅館に泊まるというよりはみなさん普段から車に温泉セットを用意していて、気が向いたときにぶらりと立ち寄ります。
 私も東京に来て初めて、温泉がそこまで日常的なものではないことを知りました。私は山形に帰ると、必ずお気に入りの温泉に行きます。とくに雪を見ながら入る露天風呂は、最高ですね。

訪れる人々の心を癒やす銀山温泉の街並み

 山形は食べ物もとてもおいしいです。芋煮や玉こんにゃくが有名ですが、麺類もおすすめです。私はとくに、冷たいつゆの蕎麦に鶏肉を載せた肉蕎麦が大好きです。

 そして何といっても、山形の最大の魅力は温かい地元の人たちだと思います。みなさんいい人ばかりで、人をもてなすことが大好きです。テレビのスタッフさんと山形に撮影に行くと、うちの母も必ず山形料理をたくさん作ってもてなし、手土産に名産品や漬物などをたくさんもたせてくれます。これは母がというよりは県民性のように私は感じています。普段の暮らしのなかでも、近所の人が農産物や山菜、おかずなどを玄関の前に置いておいてくれるなんてことはしょっちゅうです。

秋の涼風吹く河原で食べる芋煮の味

 楽しいイベントもたくさんありますが、最近は秋の風物詩の芋煮会も全国的に知られるようになりました。私の実家は馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)が近いのですが、秋には河原でいつも芋煮会を行っていました。この秋も、スケジュールの合間を縫って芋煮会に子どもを連れて参加してきました。この時期はヤマザワなど地元のスーパーで芋煮の食材が販売され、材料や鍋、薪、ゴザなどを全部レンタルしてくれるので便利です。

 芋煮は家庭でも作りますが、やっぱり河原でやる芋煮にはかないません。秋の涼しい風が吹く河原で、温かい芋煮を食べることにこそ芋煮会の醍醐味があるんです。最近は東京の山形料理の店でも芋煮を食べられますが、私は山形の自然環境とセットで食べるのがベストだと思っていますので、ぜひ多くの人に山形に来て芋煮会を体験してもらえたら嬉しいです。

 お祭りは8月に開催される花笠まつりが有名です。山形の花「紅花」をあしらった華やかな笠を手にした踊りのパレードで街が賑わいます。団体の踊りの最後に自由参加できるゾーンがあって、私は4歳の頃からそこに参加して踊っていました。毎年、芸能人も参加して、山車(だし)から手を振ってくれるのが楽しみでした。そして同じことをするのが、私の長年の夢だったんです。ありがたいことに今ではその夢が実現し、度々、山車に乗せていただいています。

 山形の良いところはたくさんあるので、もっと全国的に知られていいと思うのですが、山形の人は宣伝することが苦手なんです。昔は東京で芋煮会の話をしても、皆「何それ?」って感じで(笑)。そういう意味では、「秘密のケンミンSHOW極」などのテレビ番組を通して、日本全国の方に山形の魅力を知ってもらえたことはすごく良かったと思います。

雪景色も美しい馬見ヶ崎川

内気を直すため 芸能界を目指す

 山形の人は郷土愛もとても強いですね。東京にいても山形出身というだけでみんな自然と仲良くなって、友達のようにたわいもない話で盛り上がります。芸能界でも渡辺えりさん、テツandトモのトモさん、アナウンサーの武田祐子さんといった方々をはじめとした山形県人会的なつながりがあるんです。

 映画「越年Lovers」で共演した銀杏BOYZの峯田和伸さんも山形出身で、故郷での撮影をご一緒させていただきました。せりふが山形弁だったのですが、私は東京生活が長かったこともあり、山形弁をけっこう忘れてしまっていて……。そこで峯田くんに、ずいぶん方言指導をしてもらいました。(笑)
 私は高校生のとき東京に出てきたので、東北訛りが恥ずかしくて意識的に標準語に直しました。最初の頃は標準語が下手で、ナレーションの仕事などはNGの連発でした。逆に今は、山形の魅力を紹介する仕事も増えてきたので、山形弁をまたきちんと話せるようになりたいと思っています。

 そもそも私は小さい頃、内気で引っ込み思案だったんです。そのコンプレックスを克服したいとの思いが、芸能界に入りたいと思った理由のひとつです。もうひとつ、小学生の時に見たドラマ「ひとつ屋根の下」が大好きで、自分もドラマのなかの兄弟姉妹の一員になりたいと本気で思っていたんです。そのためには芸能界に入って、テレビに出られるようになればいいのではないかと、子ども心に思ったのです。
 何かが降りてきたような感じで、「私にはこの道しかない!」と思い込んでしまいました。ただ親や親戚は大反対でしたね。「落ちたら諦めるだろう」と渋々応募を承知した冒頭のコンテストで私が受賞したため、芸能界入りを認めざるを得なくなったのです。

 上京した私にとって東京は、戦いの場所でした。正直、心が休まることはなく、常に激しい競争のなかでプレッシャーにさらされて、精神的に張り詰めていました。それはあまり仕事がなくて時間があったときも、忙しくなってからも同じです。
 なので、お盆や正月に山形に帰る時間はとても大切なものでしたので、できる限り帰るようにしていました。山形新幹線を降りて、最初に吸う空気がとにかくおいしいんですね。いつも胸いっぱい深呼吸をしていました。山形の空気がこんなにおいしいことを知ったのも、東京で暮らすようになったからこそです。
 さらに母親の手料理が、輪をかけておいしく感じるんです。母は私が帰ってくると、食べきれないほど山形の料理を振る舞ってくれました。それを食べると、疲れていた身も心もすぐに元気になります。そうやって山形でエネルギーをチャージして、また東京に戻って頑張る。その繰り返しでした。

どんな時も支えてくれた母への感謝を忘れません

「あなたは大器晩成型」

 東京では、私は食費を限界まで切り詰めた生活をしていました。それで浮かせたお金を演技やダンスのレッスン、エステなどの自己投資に注ぎ込んでいたのです。自分なりに必死で努力をしていましたが、自分にはなかなか活躍の場が与えられませんでした。そんな状況のなか、まわりの子がどんどん売れていきます。それを見ているのは、やはりつらかったですね。

 でもそこで落ち込む暇があったら、自分を磨いたほうがいい。そう思って、自ら映画監督のワークショップを調べて通ったり、カルチャーセンターで文章を書く練習をしたり、地道に努力を続けました。
 今振り返ると、山形県人ならではの忍耐強さが私にもあったのだと思います。山形県人に限らず、東北の人は厳しい冬の時期をじっと耐えて過ごします。だからどんなにつらくても、大変でも、すぐに諦めない忍耐力をもっているのです。
 今となっては、売れない時期に私が頑張っていたことは、何ひとつ無駄になっていないと感じています。最後まで諦めず、東京で頑張って良かったと心から思います。
 それでも当時は、くじけそうになることもありました。正直、「芸能界の仕事はもうやめて山形に帰ろうかな」と思ったこともあります。でもそんなとき、実家に少し帰ると、また元気が出る。もう一度、頑張ろうという気になるんです。

 私は若い頃、年齢よりも大人びて見られていたので、仕事の上でも中身と外見のバランスが取れなくて苦労しました。でもそのことをむしろ「あなたは大器晩成型なんだよ」と言ってくださる方もいて。その言葉に励まされて「私が売れるのはもうちょっと先なんだ」と根拠のない自信がどこかにありました(笑)。だから結局、完全に故郷の山形に帰ることはなかったのです。
 東京で奮闘する私のもとには、母からしょっちゅう、手作りの食べ物が送られてきました。山形でたくさん採れるイチジクを甘く煮付けたものなど、とてもおいしかったですね。煮物もよく送ってくれました。そんな母の思いがこもった山形の食べ物も、私の大きな支えになりました。

素の自分とは異なるキャラクターで人気に

 その後、私は27歳のときに思いきって事務所を移籍し、再スタートを切りました。そんななか、たまたまお受けしたグラビアの仕事が反響を呼び、「愛人キャラ」でバラエティ番組にも出演させていただくことが増えていきました。それがきっかけで仕事の幅を大きく広げることができたのです。

 ただ、私の素の性格はどちらかというと真面目で大人しいほうなので、高校時代の同級生は、「愛人キャラ」でテレビに出ている私を見てびっくりし、本気で心配してくれました。(笑)
 確かに私は20歳ぐらいの頃から「愛人っぽいね」とよく言われていて、それであのキャラで自分を世に売り出していこうということになったのですが、でも逆に本来の自分とは違うからこそ、うまく演じられていた部分もありました。
 それまで私は、芸能人として自分をどう見せていくべきかずっと悩んでいました。なので私はむしろ、やっと芸能界での自分の立ち位置が見つかったと思って、「愛人キャラ」を楽しんでいたところもあります。

 とはいえ、私が「愛人キャラ」としてテレビに頻繁に出ていたとき、正直なところ両親はちょっと複雑な気持ちだったと思います。それだけにその後、NHKの朝ドラや大河ドラマに出演したときはすごく喜んでくれました。2022年にドラマの「相棒」に、23年に「徹子の部屋」に出たときも、母からすごく嬉しそうなメールが届きました。ようやく少し、親孝行ができたかなと思っています。

子育てをしながらさらなる挑戦を

 今、私は結婚、出産を経て子育てに奮闘しています。家族のためにと、なるべく手料理を心がけていますが、母のあの味はなかなか出せません。
 それでも、山形で夏によく食べる「だし」はしょっちゅう作っています。キュウリとナス、ミョウガとネギを細かく切って、醤油や味醂などの調味料と混ぜ合わせるんです。ご飯にかけてもいいし、そのまま食べてもすごくおいしいです。うちの息子は普段、あまり野菜を食べないのですが、「だし」だけはよく食べてくれます。

 子育てと仕事の両立は大変なときもありますが、私は結婚し、子どもを産んで、本当に良かったと心から思っています。それによって、今までわからなかった妻、母親の感情が理解でき、表現の幅が確実に広がったと思うからです。
 これからはその経験を活かし、この年齢ならではのお芝居をしたいと思っています。どんな現場でも役でも、必ず発見があり、成長があります。ですから仕事は選ばず、幅広く何でも挑戦させていただきたいと思っています。

 もちろん、山形の魅力を発信する仕事も続けていきたいですね。山形をさらに盛り上げるためにも、もっともっと良い仕事をして、より多くの人に影響を与えられる人間になりたいと思っています。
 読者の皆さんも、疲れたと感じたときはぜひ山形を訪れてみてください。身も心も必ず元気になるはずです。

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タレント、女優
橋本マナミ(はしもと・まなみ)
1984年山形県生まれ。97年、第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し、芸能界へ。テレビのバラエティ番組をはじめ、CM、ドラマ、映画などで幅広く活躍中。

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