能登半島地震――被災地復興へ共に歩む公明党議員が見たもの
2024/03/052024年1月1日午後4時10分ころ、石川県能登半島で最大震度7の揺れを観測する地震が発生。現在もなお、多数の被災者が避難生活を余儀なくされている。
発災の翌日に被災地入りした中川宏昌衆議院議員(公明党)が語る支援の道すじと復興への決意。
(『潮』2024年4月号より転載)
石川県かほく市の液状化した道路
道路の寸断と高い高齢化率
元日に発生した能登半島地震には、これまでの大規模地震にはないいくつかの特徴がありました。
まずは半島特有の地形がもたらした被災地の孤立です。半島には急峻な地形が多く、その隙間を縫うように道路が走っています。
金沢から能登に行くためには「能越自動車道」と「のと里山海道」の二本の大動脈があります。この2本の道路に加えて半島を1周する国道249号が、地震による土砂崩れや地面の隆起などによって、寸断されてしまいました。道路が使えませんので、救援部隊や物資を運ぶための車両が通行できず、被災地が“陸の孤島”になってしまったのです。
また、被災地域の高齢化も大きな特徴でした。石川県全体の高齢化率が約30%であるのに対し、被災地域は穴水町が76%、珠洲市が75%、輪島市が61%、能登町が57%、志賀町が50%と、高齢化が顕著だったのです。
能登の人々は郷土愛が強く、先人から引き継いだものを大切に守ってきました。老朽化した木造の建物も多く、高齢社会ゆえ耐震化率がなかなか改善されませんでした。その分、以前から耐震性には不安がありました。そのことも要因となり、想像を超える家屋の倒壊が発生してしまったのです。多くの方々が、倒壊した家屋の下敷になってしまったことは残念でなりません。
また、多くのメディアが報じているように、輪島市の朝市通りでは地震によって発生した大規模火災で、200棟以上が全焼してしまいました。
高齢化も相まって津波警報を受けてから自動車で高台に避難した方が多く交通渋滞が起きてしまったり、元日の災害だったことで避難所に指定されている学校が閉鎖されていたりと、被災者の方々は大変な思いをされたようです。
漁業者も甚大な打撃を受けました。港湾の海底が大きく隆起してしまい、船を出せなくなってしまったのです。最大で4mの隆起があり、約90kmにわたる海岸線の形状が変貌してしまいました。今般の能登半島地震のマグニチュードは7.6。阪神・淡路大震災の7.3を上回っており、エネルギー量は3倍近くに及ぶようです。この数字を見ても、いかに大規模な地震であったかが分かります。
もう一つの特徴は石川県に限らず富山県や新潟県、福井県にまで被害が及んだ液状化現象です。住居が傾いてしまったり、基礎から持ち上がってしまったりと、国土交通省によるとその被害は4県で1万件を超える見込みとのことです。
災害関連死を防ぎ安心と希望を届ける
復旧・復興のフェーズは刻一刻と移り変わります。現時点(発災から1カ月後)で重要なのは、災害関連死を防ぐことと、被災者に安心感と希望を持っていただくことだと思います。
いまなお多くの方々が避難生活を送られています。その方々の生命はなんとしても守り切らなければなりません。そのためにも、被災者の方々に安心感と希望を持っていただけるような支援策を的確に打っていく必要があります。
発災から1カ月が経つと、早く生業を再建したいという声が多く聞こえてくるようになりました。安心感と希望のためにも、生業の再建はとても重要です。
代替地で仕事を再開できるような業種はまだ何とかなる方が多い一方で、大きな困難に直面しているのは漁業や宿泊施設などです。いますぐに生業を再開させられなくとも、どのくらいのスケジュールで再開ができそうかといった見通しだけでも立てたい。そうしたお声をよく聞きますので、私としても国としてどんなことができるのかを、模索しているところです。
ナマコ漁で有数の漁獲高を誇る七尾市の石崎漁港では、すべての網が津波で流されてしまい、甚大な被害を受けました。高齢の漁業者らのなかにはこれを機に引退を考えている方々が少なくないようですが、それを若手の漁業者らが励ましながら説得しているそうです。「とにかく諦めないで頑張ろう。俺たちの故郷だから、俺たちで復興させるんだ」と。
先般、前国交大臣の赤羽一嘉衆議院議員(公明党)とともに、石崎漁港を訪れました。赤羽議員が、その若者たちに対して「公明党ができることは何でもやらせていただきます」と声をかけておられたのが印象的でした。その上で、比例北陸信越ブロック選出の私に対しては「災害時に円滑に支援を進められるよう、しっかりと法整備を進めなければならない」とアドバイスをしてくださいました。
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ネットワークが公明党最大の武器
私は発災の翌日に能登半島に入りました。公明党には、党創立者である池田大作先生が掲げてくださった「大衆とともに」との立党精神があります。いまこそこの精神を体現するときだと思い、まず現場に足を運んだのです。
被災各地をまわり、現場の地方議員の方々と連携しながら復旧・復興のための活動をしていて実感することがいくつもあります。一つは、やはり国会議員と地方議員のネットワークこそが我が党の最大の強みであるということです。
県・市・町のそれぞれの議員の方々は、自らも被災されながら、懸命に被災現場や避難所をまわり、地元の人々のお気持ちや要望を聞いてくださっています。特に、下着や生理用品の不足などは、本当に地域に入り込んでいなければ把握できない情報だと思います。
そうして地方議員が聞き取った声を自治体や国の支援策に反映するため、公明党石川県本部では発災直後から毎日オンライン会議を実施しました。地方議員と国会議員だけでなく、党職員や機関紙記者なども参加し、その都度情報を共有しながら、復旧・復興に必要な手立てを考えたのです。オンライン会議は、1月中は毎日行い、2月以降は2日に1度の頻度で行っています。
もう一つ感じたのは、公明党議員の責任感です。発災直後の各避難所では、道路の寸断などもあって物資の不足が深刻でした。物資がないことを自治体や政府に訴えることは、議員であれば誰でもできます。
重要なのは、その訴えがきちんとしかるべきところに届き、なおかつ物資が届くまで責任を持って見届けることです。公明党は血が通ったネットワークを通じて、物資を届けるところまでを仕事と考えて活動をしてきました。
予算委員会で具体策を要望
地方議員と連携して吸い上げた被災者の方々の声は、1月24日に行われた衆議院予算委員会の集中審議において、以下の通りに政府に要望しました。
一つ目は避難者のニーズに対して確実に物資を届けること。そのための具体策として、各避難所に市町村や県に対して正式に要望できる権限を持った責任者を置くことを提案しました。
二つ目は上下水道の早期復旧です。能登半島では被災自治体のほとんどで長期的な断水が続いています。言うまでもなく、水は人が生きていく上で欠かせないものであり、飲み水だけでなくトイレや洗濯、入浴など、いまなお多くの人々が不便を強いられているのです。ある人は洗濯のために新潟県まで出かけていると言っていました。また、避難所の仮設トイレには和式便器が多いなどの不便もあります。
水道の復旧作業が最も立ち遅れているのは七尾市で、当初は4月末まで復旧できないとの見通しがありましたが、政府による後押しもあって、なんとか2月末には8割程度を復旧できる見込みとお聞きしています。
三つ目は被災者の方々に安心感と希望をもっていただけるようにすることです。具体的には、どんな支援を実施し、いつまでにどこまで復旧・復興を成し遂げるのかという政府としての見解を求めました。1月25日に発表された政府の支援パッケージには具体的なスケジュールが明記されていませんでしたので、この点は引き続き訴えていきたいと思います。
四つ目は液状化現象対策です。先述のとおり、今般の地震では県をまたいで広範囲に液状化の被害が出ているので、国としてこれへの対応をしっかり進めるように要望しました。
以上の4点に加えて、今後はコミュニティの維持や再構築にも力を入れていかなければならないと感じています。被災者の方々は将来的に自分たちの地域をどのように復興していきたいのか。そのことを丁寧に聞き取り、地元の人々の要望に沿った地域づくりを進めていくことが大切だと思います。
これはある避難所で生活する被災者の方から聞いた話です。
公明党の山口那津男代表は、その避難所を訪れた際に避難者の方々が使っているトイレを視察しました。先述のとおり、場所によってはトイレに不便を感じるような避難所もあります。代表はそれを理解して、自らの目で確認をしたかったのでしょう。その被災者の方は「他党の責任ある立場の方も来てくださったけど、トイレまで視察していったのは山口代表だけだ」とおっしゃっていました。
また別の避難所では、一人の高齢女性が山口代表の姿を見つけた途端に「こんなところまで来てくれて嬉しい」と言って泣き始めました。与党の代表が訪問したことを心強く思ってくださったのでしょう。
被災者の皆さんに対する山口代表の振る舞いを見て、私は政治家として大切なことを学びました。政治家である以上、的確な政策を推し進めることは大切なのですが、それ以前にまずはしっかりと人々に寄り添うこと。「大衆とともに」との立党精神を掲げる公明党にとって、最も大切なことを学ばせていただいたように思います。
立党精神に立ち返り被災地のために働く
私は2011年に長野県議会議員選挙に初当選し、県議を3期務めたのち、2021年に衆議院議員に選出していただきました。思えば、私の議員生活は災害とともにあったと言えます。この間、2011年6月の長野県中部地震や、2014年の御嶽山の噴火、2019年10月に発生した台風19号による大規模水害など、大きな自然災害が起きなかったのは県議を務めた11年間のうち1年だけだったと記憶しています。
能登半島地震の規模を考えれば、復興支援は長い道のりになるはずです。比例北陸信越ブロックで選出していただいている身として、これまでの経験も生かしながら、誰よりも被災地のために働いていく決意をしています。
公明党は本年11月に創立60年の節目を迎えます。今回の災害を受けて、いま一度、私どもの原点である「大衆とともに」との立党精神に立ち返らなければならないと強く実感しています。復旧・復興を強力に進め、被災者に喜んでいただける最大の武器が、公明党のネットワークだと思っています。今後も諸先輩たちが長年かけて培ってこられたチーム3000のネットワークを最大限に駆使して、地元の能登半島のために働いてまいります。
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公明党衆議院議員
中川宏昌(なかがわ・ひろまさ)
1970年長野県生まれ。創価大学文学部卒業。長野銀行、長野県議会議員(3期11年)を経て、2021年10月衆議院議員(北陸信越ブロック)初当選。公明党地方議会局次長、同・北陸信越方面本部長。