プレビューモード

緑閃光 第1話 ためし読み

月刊『潮』2024年7月号より始まった新連載小説「緑閃光」(りょくせんこう)。
第1話を潮プラスで無料公開します。

******

〈第一部 トンガリキ編〉

第Ⅰ章 ヒヴァの凶星
――西暦一七七〇年四月、ポイケ半島・最後の森

 未知の孤島に吹く生暖かい荒れ風には、まだ嵐の余韻があった。黒雲は去って、終わりかけの夏の夜空に、大きな月の虹が架かっている。

 ラーは漂着した岸辺から、ごつごつする岩場をよじ登った。さらに展望を求め、草原の坂をぐんぐん上がってゆく。

 荒れ地の赤い裂け目を越えた時、視界がにわかに開けた。

「爺! 何だ? あの白い巨人は……」

 一〇体ばかりの石像群が低い台座の上に立っている。

 月明かりの下で、半身像の背後には小丘が白々と輝いていた。

 ラーは夢中で巨像に駆け寄った。

 真ん中の白き巨人は、人の倍近い高さだ。故郷ヒヴァ王国にあるティキ像の三つ分もあり、左右の石像たちを従えるように君臨していた。像はいずれも尖ったあごを突き出し、見開かれた双眼は、遠くを見つめるように天へ向けられている。目玉は赤石、白目は珊瑚だ。

 荒削りの半身像は、奇妙な顔立ちをしていた。耳が異様に長く、太い鼻っ柱の孔(あな)も大きい。真一文字に閉じられた口元は微笑か冷嗤(れいし)か、見る者の気持ち次第で、いかようにも捉えうる。だがまぎれもなく、人の造りし物だ。

「この島には人間がいる。文明があるんだ。ついにラパヌイを見つけたぞ!」

 ラーは、握り拳を雄々しく天へ突き上げた。

「見ろよ、爺。やっぱりあったじゃねぇか。最果ての海に、輝ける島が」

 はちきれんばかりの期待に、ラーの全身が躍動する。

「いやはやこいつは参りましたな。まさか本当にラパヌイがあったとは」

 パプアニがへっぴり腰で、おそるおそる隣へやってきた。

 しなびたタロ芋を思わせる老人の顔には、驚嘆と不安が入り混じっていた。難破の苦難もすっかり忘れた様子で、不可思議な人造物を見上げている。島はヒヴァよりも涼しく、吹き続ける風のせいで、二人の樹皮布(タパ)の服はもうほとんど乾いていた。

「あの長い海路を戻れるか心配じゃが、こいつは大発見ですぞ。これでわしも、皆に自慢できますわい。やんちゃな若様を苦労してお育てした甲斐が……」

 老人の目がきらりと光った。

「これまでさんざん世話をかけたな、爺」

 痩せた肩に手を置くと、老人は皺だらけの手の甲で涙を拭った。

 出生の日から二〇年、ラーの傅役(もりやく)を務めてきたパプアニは、「荒唐無稽なラパヌイ伝説に王子が取り憑かれたのは、養育が悪かったせいだ」と、ことあるごとに批判された。それでも、自分はともかく、ラーを悪しざまに言う者あらば、パプアニはタロ芋顔を真っ赤にして怒り、年甲斐もなく掴みかかったものだ。若様の夢だからと、何度も冒険の旅に付き合ってくれた。

「双胴船(カタマラン)がぶっ壊れてひっくり返った時は、さすがにもう駄目かと思ったけど、俺たちはとことんついてるぜ」

 これまでの冒険は失敗続きだったが、今回は幸運にも恵まれた。

 遠目の利くラーには、十字星のほかに見慣れぬ銀色の光が夜空の一点に見えたのだ。そのおかげで、まるで運命に導かれるように方角を掴めた。この島に何か月滞在するかは知れぬが、ヒヴァへ戻る時の標(しるべ)ともなろう。

 物言わぬ白き巨像を見上げていると、自然に笑みがこぼれてきた。

 伝説の島にはどんな人々が住まうのか。何もかも楽しみだ。

「若様、こいつは文字のようですぞ!」

「何だと?!」

 白像の台座には、人か魚か動物か、不思議な形の印が幾つも並んで彫られていた。ヒヴァでは歴史も物語も口承で受け継がれてきたが、白人との邂逅により、言葉を「文字」なる印で表せるのだと、初めて知った。

「ますます凄ぇぜ、爺。この島には、ヒヴァよりも進んだ文明があるんだ」

 興奮のあまりラーは両手を広げ、天に向かって全身で雄叫びを上げた。

「おお、妖魔草(エホペオペ)が生えとるわい。こいつの根には猛毒があるんじゃ。ヒヴァよりも葉が少し大きいですな。どれどれ」

 パプアニは物知りで、薬草の調合にも秀でている。巨像の脇に座り込み、毒草の星形の葉を裏返し始めた。見た目は何の変哲もない地味な野草ながら、ヒヴァ王国の政争の歴史では、しばしば暗殺に用いられてきた。摂取すれば体がひどく痙攣し、吐血して死ぬ。恐るべき毒草で、ラーも毒の製法を教わった。

「毒なんて、輝ける島に必要ねぇだろうけどな」

「わ、若様! あれは何じゃ?」

 突然パプアニは悲鳴を上げ、みっともなく尻もちをついた。巨像の背後にある白い小丘を指差し、がたがた震えている。

「この像を伐り出した小山じゃねぇのか?」

 ラーの言葉は、妖魔草の群落へ吸い込まれるように消え入った。

 頭のてっぺんから足の裏まで、怖気がゾゾッと駆け下りる。

 内心の動揺を抑えながら、ラーは小丘へ近づいてゆく。

 確かめて、戦慄した。

「嘘……だろ?」

 人間の骨、だ。心臓が空回りでもするように、激しく鼓動を打っていた。

 鈍器で砕かれたと思しき髑髏(どくろ)の残った片目の穴が、間近でラーを恨めしげに見上げている。

 白い丘に見えたのは、月光に輝く白骨の山だった。

©井上晴空


 うずたかく積み上げられた無数の白枝(はくし)は、獣骨の類ではない。人骨は風化もしておらず、まだ新しかった。池ほどもある大きな穴に埋められたようだが、深さも不明だ。見えているだけで、優に数百人分はあろう。

 体格に恵まれ、勇猛果敢で知られるヒヴァの男たちの中でも、ラーは一、二を争う勇者だと自負してきた。それでも、この禍々しさには身が竦(すく)む。

 眩いばかりにきらめく白丘を前に、パプアニはへたり込んだままだ。

(ここは本当に、輝ける島なのか……)

 伝説の島を目指した冒険者たちがことごとく消息を絶ってきたのは、もしやこの島に辿り着いたものの、生きて戻れなかったせいなのか。

「わしらはとんでもない島へ来てしもうたようじゃ。若様、明るうならんうちに、どこかで船を失敬して、早くヒヴァへ戻りますぞ!」

 正直に言えば、ラーも怖かった。だが、ずっと夢見てきた謎の島へせっかく辿り着いたのに、探検もせず、伝説の真偽も確かめぬまま逃げ帰ったとなれば、暴れん坊王子こと、ラーの名がすたる。

 冒険には、恐怖も危険もつきものだ。

「この島なりの埋葬なんじゃねぇか?」

 ラーの気休めの当て推量に、パプアニは力なくかぶりを振る。

「早うこの呪われた島を出んと、わしらも殺されますぞ」

 確かに、丘になるまで乱雑に積み上げられた無数の白骨の山には、人間と死者への敬意が微塵も感じられなかった。

「理由もなく人が人を殺すはずがねぇ。きっと何か事情があるんだ。死病が蔓延して、ねんごろに弔えなかったとかな」

「だったら、なおさら逃げませんと」

「たとえばの話さ。脱出するったって、俺たちの船は粉々になっちまったじゃねぇか。水も食料も要る」

「武器も手に入れませんとな」

 見かけによらずパプアニは投石の名手だが、ラー自慢の佩剣(サーベル)は海の底だった。

「俺たちは戦うために来たんじゃねぇ。この島が何かに困ってんなら、力になってやろうぜ」

 がばりと地に身を伏せてから、パプアニは天を仰いだ。

「天にまします創造神タンガロアよ、マウイ神よ。どうかラー王子をお助けくだされ。やんちゃ者ではございますが、わしが一生懸命にお育てした、勇敢で優しく、賢い若君にございます。必ずや民を幸せにする立派な王となられましょうほどに」

「気を落とすな、爺。あの嵐なら、死んでもおかしくはなかった。俺たちは運がいい」

 この島でも、ヒヴァで太古の昔から崇拝される同じ神が信じられているなら、この石の巨人はタンガロアを象(かたど)った神像なのか。あるいは、もしや――

 ラーは老人の痩せた二の腕をそっと掴んだ。小柄な体を助け起こしながら、努めて明るく続ける。

「爺、この真ん中の巨像はきっと、あの伝説の王だ」

 ラーは白骨の山から目を背け、改めて巨像を見上げた。

 一千数百年前ともされる大昔、予言者ハウマカは、時のヒヴァ王ホツマツアに告げたとされる。

 ――霊夢の中で巡った島々のうち、八番目に訪れた島が最高でありました。三角形をしたその島は、豊かな椰子や桃花心木(マコイ=マホガニー)の木で覆われ、青き大海に緑の光を放ち、それはそれは美しく輝いておりました。まさしく地上の楽園でございます……。

 運命の王は、南海のはるか彼方に浮かぶというその楽園を「ラパヌイ」と名付けた。「大いなる島」あるいは「輝ける島」の意だ。

 古の伝承によれば、遠からずヒヴァの島々は海底へ沈む。その前に、移り住むべき陸地を探さねばならなかった。歴代の王は果てしなく広がる大海原へ家来たちを遣わしたものの、すべて失敗していた。

 名君の誉れ高きホツマツア王は、長雨と甚大な水害に見舞われたある年、ヒヴァの行く末を憂え、自らラパヌイを探し出すと宣言した。信頼する王弟に政(まつりごと)を任せ、数十名の男女を連れ、自ら絶海の孤島を目指したのである。

 出航から半年が経ち、二年目を迎え、やがて五年が過ぎ、一〇年、二〇年、さらに何十年も、人々は王の帰還を待ち続けたが、ついに誰も戻らなかった。

 それでも王を慕う民は、王がラパヌイに到達し、永遠の楽園を築いたのだと信じた。

 いつしか人々の想像は膨らみ、勇気ある者しか辿り着けぬ海の彼方に桃源郷があるという〈ラパヌイ伝説〉は、ヒヴァの誰もが知る語り草となった。

 以来、幻の島を目指して大海原へ繰り出した者は数知れず、名のある冒険者たちだけでも百名余に上った。だが、まことしやかな嘘を並べる法螺吹きはいても、本当にラパヌイを発見して帰島した者は、ただの一人もいなかった。ゆえに今では、伝説はお伽話であり、〈輝ける島〉などどこにもなく、王も海の藻屑と消えたのだと、多くが考えていた。

 だが、ホツマツア王はラパヌイに到達しており、その末裔たちがこの巨像を作り上げたのだ。

「この島の人々と親しくなって交易すりゃ、ヒヴァも富む。父上も喜ばれる。楽しみじゃねぇか、爺」

 先祖を同じくする同胞(マオヒ)なら言葉も通じ、生活習慣も似通っていよう。輝ける島にいかなる文明が築き上げられたのか。この石像は何か、そして白骨の山は……。

 不安のほうが先に立つが、それでもラーの胸は再び躍り始めた。これぞ冒険の醍醐味だ。

「最初に墓場へ着いちまって面食らったけど、ともかく俺たちは冒険に成功したんだ」

「いいや。無事に帰るまで成功とは言えませんぞ」

「固い事を言うな、爺。ひとまず人家を探そうぜ。腹も減ってきた」

 辺りにはなさそうだが、頂上まで登れば、島の様子がわかるだろう。

 光を感じて空を見上げると、いつしか月虹(げっこう)は消え去り、月が高く昇っていた。

 二人は荒れた山肌を登りつめ、ほどなく頂に立った。

 名も知らぬ山は、三方を海に囲まれた半島にあり、西方へ陸地がなだらかに続いている。

「見晴らしがよくて、気持ちいいな」

 大きく伸びをするラーの隣で、パプアニが首を傾げた。

「変ですな。北と西に灌木の小さい林があるくらいで、この山には木らしい木がどこにもありませんぞ。気味が悪いくらいじゃ」

 人の背丈より高い木は見当たらなかった。ところどころ地肌が剥き出しの山腹にまばらに生えているのは、せいぜい痩せ細った低木くらいだ。山がちなヒヴァでは、重い実の生る麺麭(ぱん)の木や椰子などの高木が多いが、ラパヌイは草原の島なのか。

「だけど、天気のいい日にこの草っ原で昼寝をしたら、最高だろうぜ。行くぞ、爺」

 ひ弱な灌木の間を抜けて西へ下るうち、まるで半島を切り離すように、黒々とした長大な堀が横切り、行く手を遮っているのが見えた。

「よかった。誰かいるぞ」

 堀端には、カヌーを裏返したような茅葺きの小さな建物があり、そのそばで歩哨らしき者が二人、何やら話していた。腰に樹皮布(タパ)をまとっただけの半裸だ。さっそく声を掛けようとすると、パプアニがあわててラーの腕を掴んだ。

「待たれい、若様。まずは様子見じゃ」

 言われるまま、草むらに腰を落とす。

 目を凝らすと、大人と童の二人組だ。ヒヴァでも、遠い隣国のタヒチでも、同胞にはラーのような筋骨隆々の男が多いが、大人のほうはがりがりに痩せ細っている。十歳になるかならぬかの童も小柄だが、長い髪を後ろでくくっただんご髪で、整った顔立ちをしていた。腕の太さほどの木筒を腰の回しに付けている。二人とも、日に焼けて浅黒い肌だ。

「何か、妙ちきりんな武器を持ってやがるぞ」

「あれは……黒曜槍(マタァ)のようですな」

 黒曜石を削って穂先にした短い素槍で、相当古い時代の武器だという。ヒヴァでは二〇〇年近く前、海を渡ってきた白人たちから鉄が伝わり、ラーを始め王族の戦士たちは白人から買った佩剣を腰に佩(は)いていた。

「とにかく話してみようぜ。でなきゃ、何も始まらねぇ」

「お待ちなされ。大人のほうは、やけに面相が悪い」

 三十絡みだろうか、骨と皮のような男はちりちり頭で、ぎょろりとした目ばかりが月光で妖しく輝き、そのまま髑髏になれそうな顔つきをしていた。

「顔で人を決めるなって、お前から教わったぞ。何事も出だしがかんじんだ」

 ラーは立ち上がって草むらから出た。しぶしぶの様子で、パプアニも従う。

「よう(イアオラナ)、そこの二人! 俺たちは、海の向こうのヒヴァって国から来た。怪しい者じゃねぇ」

 気安く呼びかけるや、二人は跳び上がらんばかりに驚いた。

 髑髏はラーをじろじろ見ながら腰を屈め、黒曜槍を構える。童のほうは腰の木筒を細枝で必死に打ち鳴らし始めた。意外に音が響く。打楽器だったのか。

「いかん、逃げましょうぞ、若様!」

 腕を引っ張るパプアニの手を振り払った。

「どこへ逃げるってんだよ? 逃げ隠れなんか無用だ。俺たちは敵じゃねぇ」

 ラーはゆったりと残りの坂を下ってゆく。「俺たちは遠い島からやってきた。なあ、お前ら。もともとは同胞だろ?」

 髑髏の隣で、童が両手に石を握り締めている。

 ラーは笑顔で両手を広げた。

「俺の名はラー。太陽って意味だ。俺の言葉がわかるか?」

「てめぇら、何しに来やがった?」

 うさん臭そうな顔で、髑髏が黒曜槍を手に反問してきた。

「言葉が通じたぞ、パプアニ!」

 ラーは一人はしゃいだ。

「苦労して海を渡ってきたのに、嵐で船が難破しちまってな。こっちで肩を怒らせてるのは俺の世話係だ。口は悪いが、いたって善良な爺さんだよ」

 傍らを示しながら話しかけるが、パプアニは怖い顔で、拳大の石を一つずつ両の手に握り締めていた。どこかでこっそり拾っていたらしい。

「石を捨てろ、パプアニ。敵と間違われる」

 はっきり聞こえるように大声で命じてから、改めて二人組に向き直った。

「俺たちは冒険をしてるんだ。話を聞かせてくれ。まず、この島は何と呼ばれてるんだ? ラパヌイだったら、とびきり嬉しいんだがな」

 髑髏は目玉をぎょろつかせながら、何日も水を飲んでいないようなかすれ声で応じた。

「ラパヌイに決まってるだろう。それがどうした?」

「やったぞ、爺! 見ろ、伝説は本物だ。俺たちは海の果ての楽園へ来たんだ!」

 千数百年の時を超えて、ついに二つの文明が交わり合う時が来たのだ。

 興奮するラーをしり目に、髑髏が面倒くさそうに続けた。

「楽園だぁ? 笑わせるね。ここは地獄の島さ。こんな島に、何の用があるってんだ?」

「地獄……ってのは、どういう意味だ?」

 ラパヌイが実在しても、確かにそれが楽園であるとは限らなかった。

「瘦せっぽちでも、こう見えて黒曜槍を取らせりゃ筋がいいって、親分に褒められたこともある。この二人組は意外に強ぇんだぜ。覚悟しな」

「待て。俺たちは敵じゃ――」

 ラーの言葉も終わらぬうち、童が石を投げつけてきた。

 とっさに避ける。

 パプアニが悲鳴をあげた。胸に命中したらしい。

 そこへ、髑髏が黒曜槍を突き出してきた。

 右へかわしながら、槍の柄を左手で掴む。片手で力を込めて、ふんと払うと、痩せこけた体が向こうへ吹っ飛んで、尻もちをついた。弱い。

 王子として様々な武術を学んだが、中でもラーは体術と佩剣が得意だ。

「ピロピロ、おめぇはプオヒロへ走って、アリンガ様に知らせろ! 間違いねぇ。予言の通り、ヒヴァの凶星が現れたんだ!」

 童が一目散に右手へ駆け出した。

「予言」とは、「凶星」とは、いったい何なのだ?

 武器は手に入ったが、必要ない。ラーは黒曜槍を後ろへ放った。

「けがはねぇか? 手荒な真似をしてすまん」

 ラーが手を差し出しても、髑髏は地に突いた両手で後ずさりしてゆく。

 左手から、ざわざわと人の声が聞こえてきた。さっきの木筒の音に気づいたのだろう。

 今度は体格のいい男たちが、それぞれ黒曜槍を手にしていた。一〇人はいるか。

 先頭に立つ若者は二十代の後半か、ラーよりも年長に見えた。細身でも、固く引き締まった首と腕の筋肉をひと目見れば、鍛え抜かれたとわかる。丸顔で短髪に刈り込んだラーと違って面長の長髪で、物憂げだが精悍な顔立ちの美男だ。鬱金(うこん)色の樹皮布の服を着ていた。

「お助けくだされ、ヌガアラ様! こいつに、殺されそうになりやした」

 髑髏にすがりつかれた長髪の若者は、切れ長の目でラーを凝視した。

「誤解だよ。俺はヒヴァの王子で、ラーってんだ。次男坊だから、甘やかされて好き放題やって育ったんだけど、よくできた兄貴が病気で亡くなっちまって、後継ぎになったんだ。みんな内心じゃ、ひやひやしてるだろうけどよ」

 航海の目的と、難破して辿り着いた経緯をラーが熱心に語る間も、ヌガアラは眉宇(びう)ひとつ動かさなかった。

「俺はヒヴァで一番喧嘩が強い。何かと役に立つぜ」

「そなたはこれまで、幾人殺めた?」

 言い回しが少し古風で、発音や声の調子にも違いはあるが、ヒヴァの言葉と大きくは違わない。

「だしぬけに物騒な話だな。人は殺しちゃいけねぇ。この島でもそうだろ?」

 ヌガアラが鼻を鳴らして、嘲笑を浮かべた。

「そなたは役に立つまいな。私たちがこの島でやっているのは、喧嘩ではない。戦争だ」

 ラーは唖然として、若者の整った顔を見つめた。

 今は戦争と無縁のヒヴァと違って、ラパヌイでは戦乱が続いているのか。さっき見た白骨の丘が脳裏をよぎる。

「難破船の破片が岸辺に上がったと、プオヒロから急な報せが入ったが、テピトクラの神託通り、大彗星が現れる前に、凶星のお出ましってわけか」

「さっぱりわからねぇぜ。いったい、何の話だ?」

「そなたたちの漂着は、われらにとって、大いなる不幸の先触れだという意味さ。わざわざ海の彼方から、争いと悲しみに満ちた絶望の島へ来るとは、つくづくご苦労様だな。数百年に一度くらい、ヒヴァからの冒険者が間違ってこの島へやってくる。だが、ラパヌイに滅びをもたらす凶星ゆえ、故郷へ戻れぬまま処刑されるか、あるいは奴隷とされ、絶望の果てに死んでいった」

(つづく)

******

作家
赤神 諒(あかがみ・りょう)
1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。上智大学教授、法学博士、弁護士。2017年、『大友二階崩れ』で第9回日経小説大賞を受賞し(当時の題名は「義と愛と」)、作家デビュー。以来、『酔象の流儀』(第25回中山義秀賞候補)『『空貝』(第9回日本歴史時代作家協会賞候補)『立花三将伝』『太陽の門』『仁王の本願』『友よ』『誾』『火山に馳す』『佐渡絢爛』など著書多数。2023年、『はぐれ鴉』で第25回大藪春彦賞受賞。