プレビューモード

緑閃光 第2話

第Ⅰ章 ヒヴァの凶星
―西暦一七七〇年四月、ポイケ半島・最後の森

2(承前)

 想像していた島とは、まるで違う。

 傍らで黙って聞いていたパプアニが、ヌガアラに向かって身を乗り出した。

「船をお借りできれば、わしらは今すぐ帰りまする。どうかお見逃しくだされ」

「無理な相談だな。太陽の西、月の東に浮かぶこの島にはもう、海を渡れる船など一隻も残っていない。漁師の小舟さえ数えるほどだ。沖へ出ることさえ、できんのだからな」

 隣で絶句するパプアニに代わって、ラーが尋ねる。

「船がなきゃ、作ればいいじゃねぇか。俺たちに任せりゃ作ってやるぜ」

 冒険者はたいていの物を作れるし、直せる。

「木がないのに、いかにして作るのだ? 森はすでに伐り尽くされて、今やまとまった木があるのは、この禁足地の奥のみとなった。〈最後の森〉と呼ばれている」

 ラーは愕然とした。さっきの灌木が森なのか。あの貧弱な木で船は作れない。木がなければ、家を、農具を、燃料を、衣服をどうしているのだ? いや、王なら自分の船を持っているのではないか。

「この島を治める王に会わせてくれ。俺たちにはこれっぽっちの悪意もねぇ。何か困りごとがあるんなら、ヒヴァとして何か手助けもできる」

 言ってから気づいた。一生、故郷には戻れず、両親や友にも会えないのだ。

 ラーは激しい焦りと強い後悔を覚えた。

「大王に拝謁を許されるのは、ごく限られた者だけだ」

 ヌガアラは黒曜槍(マタァ)の柄で自分の左の掌をぱしりと軽く打った。持ち手は滑らかで、見るからに使い込んである。貴重な木材でも、武器には使うわけか。

「大海によって隔絶されたラパヌイの人間は、長年のうちに過去を忘れ、世界には自分たちしかいないと思い込んだ。ヒヴァなる〈始まりの国〉から海を渡ってきた始祖王の伝説も作り話で、王は天から降りてきたのだとされた。だが五十年ほど前、途方もない巨船に乗り、恐るべき武器を手にした白人たちが現れた時、海の向こうに恐ろしい人種がいるのだと思い知らされた。火を噴く鉄砲と、黒曜石をも寸断する佩剣(サーベル)で、いともたやすく十三人を殺されてから、われらは気づいた。強くあらねば、次に白人たちが襲来した時、滅ぼされ、奴隷とされる運命にな」

 ヒヴァにも、白人の脅威に警鐘を鳴らす者たちがいた。

「古き言い伝えによれば、ラパヌイはヒヴァより来たりし者によって興り、滅ぶ。ゆえにわがトンガリキ部族には掟があるのだ。ヒヴァの凶星には死か、あるいは、死するまで奴隷の境涯を与うべしと。答えよ、そなたたちは、いずれを選ぶ?」

 やはりラーたちは、この島に歓迎されていないらしい。

「どっちも嫌だよ。祖先を同じくする同胞(マオヒ)じゃねぇか。仲良くしようぜ」

「それは贅沢すぎる望みだ。始祖王の末裔たちの間でさえ、長年血を流し合ってきたのだからな」

 自嘲めいた笑みを浮かべてから、ヌガアラは問うてきた。

「プアカティキの山頂を越えて来たようだが、そなたたちは森の中に立つ白きモアイを見たか?」

 モアイとは、あの巨人の半身像を指すのだろう。人気がなく、人家もなかったのは、立ち入りの禁じられる聖域だったせいだ。

「ああ、見たさ。だけど漂着しちまって、禁足地だって知らなかったんだ。堪忍してくれ」

 ラーはぺこりと頭を下げたが、戦士たちが黒曜槍を構える物々しい音がした。

「何人も許可なく長堀の向こう、ポイケ半島の禁足地に立ち入ることは許されぬ。なかんずく神聖にして不可侵の〈最後の森〉に足を踏み入れた者は、死罪と定められている。戦士長(マタ・トア)の私でさえ入れぬのだ。されば、大王テトカンガの名において、そなたたちの命をもらう」

 ヌガアラが手で合図すると、背後に控えていた屈強な男たちがざっと動き、たちまちラーたちを半円状に取り囲んだ。

 この間、ラーは会話をしながら、男たちの武器や動きを注視してきた。相手は九人、いかにも戦い慣れした兵たちの動きは、見事に統率が取れている。

「考えてみれば気の毒な連中だ。せめて苦しませず、ひと思いに死なせてやれ」

 喊声(かんせい)を上げながら、男たちが一挙に迫ってくる。

「爺、下がってろ!」

 ラーは正面を避け、左へ跳んだ。

 突き出された黒曜槍を素早くかわす。柄を掴むなり、急所を蹴り上げた。

 呻く男に体当たりして、別の男にぶつける。

 手の黒曜槍を左へ投げつけ、やってくる敵を足止めした。

 相手を死なせれば、話もできなくなる。そのためには、慣れぬ武器より、自慢の体術だ。

 右から飛び込んできた男の黒曜槍を握り込むと、柄を使って背負った。

 やってくる敵に向かって、投げ飛ばす。

 男が一人、背後へ回り込むのに気づいた。

 振り返りざま、手に残っていた黒曜槍の柄で、迫ってくる男のみぞおちをしたたかに突いた。

 すぐ脇まで迫っていた男がギャッと悲鳴を上げた。黒曜槍を取り落とし、頭を抱えている。

 パプアニの投石は抜群の腕前だ。

 ラーは手の黒曜槍を放り捨てると、ヌガアラに向かって丸腰で両手を開いた。

「もういいだろう。喧嘩は得意だが、別に好きでもねぇんだ」

「親分、こいつ、相当手ごわいですぜ」

 髑髏が告げ口するように、ヌガアラの後ろから言う。

「ハンガロア連合との決戦を前に、けが人を出したくはない」

 急所を押さえてうずくまる男の肩へ、労うように手を置くと、ヌガアラが前へ出てきた。

「強い男は嫌いでないが、出会いが悪すぎた。私が始末してやる。そなたたちは手を出すな」

 部下想いの将らしい。

 ラーも、こういう男は好きなほうだ。

©橋本愛梛

「待ってくれよ、ヌガ。俺は戦うために、苦労して海を渡って来たんじゃねぇ。この島には、ホツマツア王が築いた理想の国があるはずだ。そこへ連れて行ってほしいだけさ」

 ヌガアラは黒曜槍を中段に構えた。隙がない。

「優に千年を超える歳月は、すべてを無効にするのに十分な時の流れであろう。この地こそまさしく、その伝説の王が作った国のなれの果てだ」

 黒曜槍が突き出された。速い。

 とっさに体を開く――が、避けられぬ。

 左胸に刺さる寸前、穂先はさっと真横へ動き、石礫を払った。

 パプアニの投石がなければ、串刺しにされていただろう。

 ラーは後ろへ跳びすさり、さっき捨てた黒曜槍を拾い上げた。

 腰を落として身構えるが、貧弱な短槍の扱いには慣れていない。

「もうひとつ、教えてやる。この地獄の島で奴隷として生きるくらいなら、今ここで死んだほうが、まだしも幸せだ」

 素早い踏み込みだ。突き出された黒曜槍をかろうじて払う。

 さっきの男たちとは、ぜんぜん動きが違った。

 じわじわとヌガアラが間合いを詰めてくる。

 激しい気迫が伝わってきた。次の一撃で決着を付ける気だ。

 黒曜槍の穂先から逃げるので精一杯だが、不慣れな武器でどう戦えばいいのだ?

 右目の視界の端に、さっき童の投げた拳大の石がひとつ、落ちているのが見えた。

 相手が動いた瞬間、ラーは右足を伸ばし、指先で石を掬うように蹴り上げた。

 顔面へ飛び出してきた石に、ヌガアラが一瞬怯む。

 すでにラーは前へ出ている。

 とっさに石をよけた相手の首筋めがけて、黒曜槍を振り下ろす――。

 両手に強い衝撃が走った。

 すぐに体勢を立て直したヌガアラが、黒曜槍の柄で受け止めたのだ。ラーはあえて柄の部分で打とうとしたために、攻めがわずかに遅れた。

 黒曜槍の柄同士で押し合う。

「私はトンガリキ最強を自負する戦士だ。殺す気で来ぬと、命を落とすぞ」

 力量は同等だ。けがをさせずに倒すなど、不可能に近い。

「確かにお前が相手じゃ、苦労するぜ」

 ラー自慢の腕力でも互角か、押されていた。

 互いに鍛え上げた戦士の体だ。容易に決着はつくまい。

 さっと脱力し、押し出してくるヌガアラの力を利用して、後ろへ跳んだ。

「逃がさぬ!」

 すかさず黒曜槍を突き入れてきた。正面から受ける。

 数十合も打ち合うと、ヌガアラに疲れが見え始めた。

 がぜんラーは攻めに転じる。

 戦ううち、黒曜槍の扱いにも慣れてきた。長きにわたる船旅に備えて鍛え続けた体は、疲れを知らない。ラーの強みだ。

 さらに十数合も打ち合った後、今度はヌガアラが跳びすさった。

「なるほど大した戦士だ。そなたの国も戦争に強いのか」

「ヒヴァの国はひとつだ。今はさいわい戦争もない」

 祖父の代に名君が出て、父王が引き継ぎ、ヒヴァをよく治めていた。

「海の彼方には、さような楽園も本当にあるのだな」

 ヌガアラが寂しげな笑みを浮かべている。身近な幸せには気づかないものだと、母の王妃がよく言っていた。

「教えてくれ。ラパヌイでは今、何がどうなってるんだ? 俺たちが力になれることはねぇのか?」

「ない。人の力など、しょせん星屑の輝きにすぎぬ。最高神マケマケでさえ、無力なのだからな」

 横からのだしぬけの投石を、ヌガアラが右前腕で防いだ。皮膚が切れた。

「やめろ、爺!」

「今じゃ、若様。逃げますぞ!」 

 パプアニに腕を引っ張られた時、周囲の殺気を感じた。

 身を屈めながら、黒曜槍で石礫を払う。ヌガアラの兵たちが投石を始めた。

「よくも親分を!」

 髑髏が騒ぐと、十人ばかりが一斉に迫ってくる。

 礫の一つが、パプアニの肩に当たり、鈍い音を立てた。

 やむなく逃げ出した。

 地の割れ目のような深い長堀は、飛び越せない。

 左手に続く堀沿いを、北へ駆け続ける。

 石を見つけるたび、パプアニが投石で背後を牽制し、悲鳴が上がった。

(何てこったい……。話をして、わかり合えねぇもんか)

 やがて、また幾人かの人影が行く手に見えた。

 今度はピロピロという童が連れてきた大人たちだ。五、六人ほどの中に、天を衝くような巨漢が交じっていた。

「このままじゃ、前後から挟み撃ちにされますぞ」

 パプアニに促され、もと来た禁足地のほうへ逃げる。

 懸命に登り続け、痩せた灌木の中へ駆け込んだ。

 茂みの陰に二人で身を潜める。老躯に鞭打って走り続けたパプアニは、肩でぜいぜい息をしていた。

 この先は山頂で、その向こうに白きモアイがあり、周りは海だ。

(逃げ場はねぇ、か……)

 いや、トンガリキなる部族と敵対する側へ逃げれば、助かるかも知れない。

「いつも危ない目に遭あわせてすまねぇな、爺」

 まだ荒い息が収まらないパプアニに語りかけた。

 本当なら隠居して、今ごろタフアタ島の岸辺でティキ像の木彫りでもしているか、ウアポウ島の黒砂の浜辺で昼寝していたろうと思うと、申し訳なかった。

「何のこれしき。全部終わってみれば、きっと懐かしい思い出話になりますわい」

 これまでの冒険はそうだった。

 だが、今度ばかりは……。

「ヌガの言ったことが本当なら、もうヒヴァへは帰れねぇ」

 退屈だった故郷が、今では限りなく愛おしく、懐かしく思えてきた。だが、白人たちの船が来るなら、希望も皆無ではない。今はまず、この場を生き延びることだ。

 このままでは二人とも殺される。生きられる道があるとすれば、一つだけか。

「爺、二手に分かれよう。奴隷と、海だ」

「わしはどこまでも若様にお伴しますぞ!」

 多勢に無勢だ。手強いヌガアラにあの巨漢が加われば、まず勝ち目はない。ならば助命の交渉をした上で投降し、奴隷の境涯に身を落として、生き延びられまいか。パプアニの齢と体では無理だ。ラーがその道を試すほかなかった。

「俺が奴らを引きつける。その間に、爺は海へ飛び込め。トンガリキと戦ってる敵の部族に助けを求めて、俺を救い出してくれ」

 ヌガアラは確か〈ハンガロア連合〉と呼んでいた。

「若様は殺されますぞ」

「俺たちはまだ一人も殺してねぇ。戦ってみて、あいつは信じていい人間だと思った」

 あの若者は手下に投石を許さず、見知らぬラーを相手に正々堂々と対し、その戦いぶりを讃えた。話が通じるのではないか。

「やっぱり若様は甘い」

 若さもあって、ヒヴァでは甘いとよくたしなめられたものだが、この島では命取りか。

「だけど、他に道はねぇだろ? もしも俺が死んで、お前がヒヴァへ戻れたら、一部始終を語ってくれ。ラパヌイは本当にあった。だけど……楽園じゃなかった、と」

 声を落として話す間も、男たちが辺りをしらみ潰しに探しながら近づいていた。

「行け、パプアニ! 必ず、生きて会おうぜ」

 痩せた背を押し出すと、老人は神妙な顔でこくりと頷き、背を丸めながら北の海へ向かって駆け出した。

 ラーはゆらりと灌木から姿を現した。

 黒曜槍を手に、胸を張って立つ。

「あそこにおるぞ!」

 兵たちが走り寄るや、石を投げてきた。

 右へ左へ、跳んでかわす。

 十数人の追っ手を自分に引きつけるのが目的だ。

 ラーは〈最後の森〉の端まで辿り着き、大きめの岩に身を隠した。

「アリンガさま、あの岩陰だい!」

 岩の後ろから覗くと、ピロピロが目ざとくラーの姿を見つけ、指し示している。

 巨漢の顔は〈モアイ〉なる石像にも似て長く、月光に浮かび上がる全身の筋肉は、岩石で出来ているかのようだった。丸太のような腕で締め上げられたら、首の骨を折られよう。丸腰だが、その巨躯こそ武器というわけか。

©橋本愛梛

 ラーは岩陰から出て、正面から訴えた。

「信じてくれ。俺は敵じゃねぇ。荒っぽいけど、いちおうヒヴァの王子なんだ。仲良くしたいと思って、はるばるこの島へやってきたんだよ」

 懸命に経緯を語っても、山のごとき巨漢は黙したまま、どっしりと腰を落として両手を構えている。

 殺気が迸(ほとばし)っていた。この男も、相当戦い慣れしている。

「はるか一千数百年の昔、伝説のホツマツア王は――」

 語り続けるラーに向かって、太い腕が突き出された。やむなく跳びすさる。

「問答無用ってわけかい。仕方ねぇな」

 ラーは黒曜槍を構え、二人は正面から対峙した。

 動きを封じるだけなら、足を狙えばいい。この巨漢を殺さずに倒せれば、話し合いの糸口を掴めまいか。

 聞こえるのは、丘に吹く強風のざわめきと、獣にも似た巨漢の鼻息だけだ。

 相手が動く――と見るや、機先を制した。

 巨体だけに動きが鈍い。太もも目がけて穂先を突き出す。

 岩塊のごとき太い左腕が、すかさず黒曜槍の柄をはじく。

 思った通りだ。

 その力を利用して跳び、相手の左側へ回り込む。身を屈めながら、今度は脛を狙う。

 が、穂先近くの柄をむんずと掴まれた。槍が動かせない。

 力を込めると、巨漢の掴んだ所で、柄がぼきりと折れた。

「凄すさまじい力だな。素手で岩を砕けそうだぜ」

 巨漢は黒曜石の穂先を後ろへ放り捨てると、両手を構え直した。

 この怪物を相手に丸腰で勝てる気はしないが、人間なら必ず弱点はある。

 だが、どこにも隙はなかった。ないなら、作ればいい。

 ラーはあえて両手を広げたまま、前へ出た。

「俺はめっぽう運がいいんだ。味方に付けりゃ――」

 お構いなしに丸太のような両腕が伸びてくるや、一気に懐へ飛び込んだ。

 相手の両前腕を左右の脇で抱え込むなり、勢いよく地を蹴った。

 両足で思い切りあごを蹴り上げる。見事に決まった。

 一回転して着地するや、今度は拳でみぞおちを力の限り乱打した。

 岩壁のような筋肉に拳を打ち込むうち、脇腹を片手で掴まれた。

「おいおい。まさか、ぜんぜん効いてねぇのかよ」

 片腕で体を持ち上げられて、足が宙に浮く。

 突き出された岩塊のような拳を両前腕で受け止める。

 後ろへ吹っ飛ばされた。

 地面で思い切り背を打った。すぐには起き上がれない。 

 ゆらりと向かってくる巨漢の姿が、眼の端に映った。

 このままでは、殺される。

 勝機があるとすれば、目潰しか。

 ぱっと起き上がるや、飛びかかった。

 右手の指を、アリンガの両眼めがけて突き出す。

 が、簡単に払われた。大きな手がラーの首を前から掴む。そのまま片手で宙へ吊り上げられた。

 だめだ、息もできない。縊(くび)り殺す気か。

「待て、アリンガ! その者の命を奪うな」

 ヌガアラの声がすると、首を絞めていた手が止まった。

 巨漢が肩ごしに振り返る刹那、顔を回し蹴りにした。

 大きな手が緩むや、体を捻りながら着地した。

 辺りに石を探す。ない。

 すでに後ろにも兵たちが回り込んでいた。さっき戦ったヌガアラの配下だ。

 ラーはそのまま、低い姿勢で構える。

「やめておけ。素手の勝負なら、たとえラパヌイ第一の戦士といえども、アリンガには勝てまい」

 ヌガアラが前へ出てきた。

 黒曜槍の穂先は降ろされている。

「ラーとやら。そなたの漂着により、この島の運命が動き始める。ならば、あえて〈ヒヴァの凶星〉を武器とするも、面白かろうと考え直した。わがトンガリキのために戦うと誓うなら、そなたを戦士として取り立てるよう、大王に願い出てみてもよい。どうか?」

 ラーが答える前に、アリンガが鼻を押さえながら、ヌガアラの脇に立った。

「主殿、許可なくこの地へ足を踏み入れし者は、見つけ次第死を与うべしとの掟のはずじゃ」

 低い割れ声だが、アリンガもちゃんと口をきけるらしい。

「わかっている。だが、この者を追って、私たちも禁を犯したではないか。この者も入れて三人がかりなら、奴を倒せよう」

 トンガリキの敵には相当の強者がいるらしい。

「始祖王の伝説は真であった。神託の通り凶星が現れた以上、まもなく滅びの大彗星が襲来するであろう。神官たちの中には、もう光が見えると言う者さえいる。われらには、時がないのだ」

 パプアニは見えないと首を傾げていたが、長い航海を導いてくれたあの一点の銀光が、その大彗星なのか。

 アリンガはモアイのような表情を緩めぬまま、しかしこくりと頷いた。

「主殿のご随意に」

 ヌガアラは傍らのピロピロに黒曜槍を手渡し、ラーに歩み寄ってきた。

「異邦人よ、手荒な歓迎を赦せ。わがトンガリキでは、強き者は相応の扱いを受けられる。手を貸してくれぬか」

「心得た。もう一人、俺の連れは投石にかけちゃ――」

「あの老人は忘れろ。大王に二人も助命を嘆願すれば、一人は必ず殺される」

 ヌガアラが鋭く遮ってきた。

「プオヒロの向こうまで探しやしたが、年寄りのほうは見つかりやせんでした」

 いつの間にか、アリンガの隣に髑髏が現れていた。

「海へ逃れたのであろうが、この強風と時化(しけ)では、まず助かるまい。溺れ死ぬか、鮫に食われるかは知れぬがな」(無事でいてくれ、爺……)

 祈りながら北の海の方角を見やった時、悲鳴がかすかに聞こえた気がした。

 まさか、パプアニが……。いや、鳥の鳴き声か。

 声のする方へ目をやると、遠く〈最後の森〉の向こうに赤岩で作られた石造りの建物が目に入った。高さはないが、かなり大きそうだ。大岩と灌木と起伏を使い、うまく隠されている。

(何だい、ありゃ……)

 森の奥へ目を凝らした時、視線の先をアリンガの巨体が遮った。

 ラーが見上げると、寡黙な巨漢は岩のように硬い顔で、ゆっくりと首を横に振った。

(つづく)

 

◆あわせて読みたい◆ 緑閃光をもっと知る

******
作家
赤神 諒(あかがみ・りょう)
1972年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。上智大学教授、法学博士、弁護士。2017年、『大友二階崩れ』で第9回日経小説大賞を受賞し(当時の題名は「義と愛と」)、作家デビュー。以来、『酔象の流儀』(第25回中山義秀賞候補)『『空貝』(第9回日本歴史時代作家協会賞候補)『立花三将伝』『太陽の門』『仁王の本願』『友よ』『誾』『火山に馳す』『佐渡絢爛』など著書多数。2023年、『はぐれ鴉』で第25回大藪春彦賞受賞。

こちらの記事も読まれています