「希望の未来」の実現へ、日本の柱・公明党の使命と責任
2024/11/182024年11月に結党60年を迎えた公明党。
創立者の原点に立脚しながら、これからも政治の世界に人間主義を打ち立てていく。公明党幹事長西田まことさんに伺った。
(月刊『潮』2024年12月号から転載)
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一人のご婦人の命懸けの支援
公明党は本年11月に結党60年の節目を迎えます。長きにわたって必死に公明党を支えてくださった党員・支持者、なかんずく創価学会の皆さま方には感謝してもしきれぬ思いでいっぱいです。
公明党は、誇り高き庶民の思いが詰まった政党です。私がいまも鮮明に思い出すのは、2010年7月に行われた参議院議員選挙のときのことです。民主党政権下の苦しい時期の選挙でしたが、党員・支持者の皆さまが、応援のために全国から私の選挙区である埼玉に駆け付けてくださいました。
私の当確が出たのは、深夜零時を過ぎてから。必死に応援してくださった皆さまにお応えしたいとの思いで今日まで必死に働いてまいりました。
そのなかで、とある支持者のご婦人との出来事が私の心に深く刻まれております。その方は、2010年の選挙が終わるとまもなくお亡くなりになりました。ご自宅に弔問に伺うと、ご主人が私に次のように話してくださったのです。
「妻は最後まで西田実仁の名前を呼んで、『応援に行かなくちゃ』と話していた」と。言葉の表現ではなく、本当に命を懸けて私のことを応援してくださっていたのです。私ども公明党の議員に投じられる1票には、そのご婦人のような懸命な思いが詰まっています。私たちは政治家として、そのことを絶対に忘れてはなりません。
また、公明党は1999年に自民党と連立を組み、そこから25年が経過しました。連立を組み始めたころは「下駄の雪」と揶揄もされましたが、この4半世紀のあいだに公明党の存在感は増し続けてきたと自負しています。いまでは、「自民党は自民党、公明党は公明党」というスタンスが確固たるものになっています。
日本社会党や新党さきがけ、自由党など過去に自民党と連立を組んだ政党は、政治の荒波にもまれ結果としてすべて分裂や解散をしています。そうしたことを思えば、公明党を現在も堂々とそびえたつ政党に育て上げてくださったのは、まぎれもない党員・支持者の皆さまです。
60年という歳月は、人間で言えば還暦。暦が戻るという意味で言えば、もう一度、新しい公明党を一からつくり上げる覚悟が必要です。斉藤新代表を先頭に公明党議員一人一人がその決意で、立ち上がるときだと思っています。
庶民の衆望を受けて誕生した
私は東京都田無市(現西東京市)で、町工場の息子として生まれ育ちました。父親が経営する町工場の従業員は5、6人。当時、そんな零細企業にとって政治は、縁遠いものでした。大企業に支えられた自民党と労働組合を中心とした社会党が対峙し、中小零細企業の経営者や市井の労働者は政治の狭間に置かれ、その声を代弁してくれる政党はありませんでした。
そうした庶民の衆望を受けて結党されたのが公明党です。以来60年間、公明党は常に庶民の小さな声を聴き、数多の実績のもとで日本の政治を変えてきました。
そのなかで、現下の物価高を受けて見直されているのが「軽減税率」です。背景には2019年に行われた8㌫から10㌫への消費税引き上げがありました。そもそも消費税は医療・介護・子育て支援といった社会保障費に充てられています。
少子高齢化によってその需要が高まっているいま、国民の税負担が大きくなるのは当然だとの考え方がある一方で、消費税はやめるべきだ、税率を引き下げるべきだとの意見も根強く、議論は平行線を辿っていました。
消費税には所得の低い世帯ほど負担が増す逆進性の問題があり、買い物のたびに感じる痛税感があるのは事実です。しかし一方で、増え続ける社会保障費の財源を確保することも必要です。そこで公明党は、生活に必須な食料品などはせめて税率を据え置く軽減税率を導入すべきだと主張しました。
当初は、自民党は消極的で、財務省の猛烈な反対にもあいましたが、粘り強く議論し実現することができました。現在では事業者の皆さまのご協力もあり、社会に定着しています。
2015年に成立した「平和安全法制」もまた、公明党がその役割を果たした一例です。日本を取り巻く安全保障環境が厳しい現下の国際情勢において、集団的自衛権を全面的に認めることによる抑止力の強化を主張する勢力もありました。他方、野党は戦争に巻き込まれかねないとして反対している。
そこで公明党はあくまで憲法に定める専守防衛の枠内で抑止力を強化する限定的な集団的自衛権の行使を主張し、それが平和安全法制として結実したのです。
中道主義の真の体現者
私どもとして強く訴えていきたいのは、軽減税率にせよ平和安全法制にせよ、公明党の存在がなければこのような決着には至らなかったということです。ただ強行するでも、ただ反対するでもなく、中道を行く。
中道とは単に双方の主張の間ということではありません。現実をしっかりと踏まえながらも理想を目指し、そして最終的な解をどう見出していくかということです。それこそが中道主義の真骨頂であり、そしてそれを体現しているのが公明党です。
加えると、これまでは税も安全保障も自民党の専売特許のようになっていました。しかし、公明党が与党に入って様々鍛えられていくなかで、今までの日本政治になかった第3の道、第3の答えを見出す力がついてきました。これこそが、現在の公明党の政治的使命の一つだと思っています。
公明党の力は先の国会における政治資金規正法の改正でも発揮されました。公明党は、罰則の強化と政治資金の透明性の確保を掲げ、いわゆる連座制の導入や政治資金パーティー券の購入者の公開基準の引き下げなどを主張し、実現しました。さらに、法の抜け穴を徹底して塞ぐために公明党が強く主張して法律に明記させたのが第三者機関の設置です。
第三者機関の設置について、公明党は改正法成立後にも積極的に党内で議論を進め、10月はじめには公正取引委員会のような独立した三条機関として設置することを求める中間取りまとめを発表しました。現時点で具体案を出している政党は公明党のみです。
政党から議員に支給される政策活動費のあり方も今後のポイントの一つです。使途を報告する義務のない政策活動費は、自民党のみならず、立憲民主党も国民民主党も日本維新の会なども支出を行ってきました。公明党は一度も支出を行ったことはありません。
9月30日に自民党と公明党とで新たな連立政権合意を交わし、私は新幹事長としてその場に臨みました。その際に第1に明記したのは、国民の信頼回復のための不断の「政治改革」です。
政策活動費については、合意文書では「透明性の確保」と記されておりますが、私たちは自民党に対し「与党として政策活動費は廃止と打ち出すべきだ」と強く迫りました。自民党は、先の国会での議論では政策活動費は必要だと強く主張していましたが、自民党総裁選では複数の立候補者が政策活動費廃止を訴えており、党としての立場が揺らいでいました。
公明党が自民党にその廃止を促した結果、先般の衆議院議員選挙では、公明党の公約に政策活動費の廃止を明記したことはもちろんとして、自民党の公約にも「将来的な廃止も念頭に、政策活動費の在り方を検討」(趣旨)と盛り込まれたのです。
自民党も党内でかなり呻吟したようですが、正式な文書のなかで与党が足並みを揃えて「廃止」と明記できたことは政治的に大きな意味があります。政治不信の払しょくも、公明党が引き続き議論をリードしていきます。
7年の歳月を要したひとり親控除の創設
党税制調査会会長として税制を長く担当してきた私にとって、2020年度税制改正で実現した「ひとり親控除」の創設も強く印象に残っています。
かつては、離婚や死別などの婚姻歴のあるひとり親であれば、所得から一定額を控除して税額を計算する「寡婦(寡夫)控除」で税負担が軽くなっていました。しかし、親が未婚の場合は適用外となっていたのです。未婚のひとり親は全国に約10万人いるとされています。同じひとり親で生活が困窮しているケースが多いにもかかわらず、税金が異なるのはおかしい。そんな思いから、公明党としてはかねて税制の改正を主張してきました。
立ちはだかった壁は、一部の保守派の人々が大切にする"伝統的な家族観"でした。「未婚の親にも優遇措置を講じれば、結婚しない親が増え、伝統的な家族観が崩壊する」という価値観を前に、議論がまったく進みませんでした。
そこで私たちは親ではなく、困窮している子どもに焦点を当てることではどうか、子どもの生活困窮に着目し、それを解消する方向は一致できるのではないかと提案しました。控除を受けられず大変な思いをするのは、親だけではなく、その子どもたちも同じです。自ら親を選ぶことができない子どもたちに、苦労をかけてよいのか。保守の方々も、そうした意見には耳を傾けてくださり、2020年度税制改正において、我が党の主張が実現したのです。
政治学者のマックス・ウェーバーは、こんな言葉を残しています。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である」と。
政策は一朝一夕に実現できるものではありません。「ひとり親控除」も創設には約7年もの歳月を要しました。私は自分がやらなければならないと思っている政治課題を手帳に付箋に書き貼っています。やり残した課題は、手帳を毎年買い替えるたびに宿題として貼り直すのですが、ひとり親控除の付箋は7年かけてようやくはがすことができました。そうした姿勢で取り組んでいるのは私だけではありません。公明党のすべての議員が、粘り強く自らが掲げた政策の実現に向けて日々、全力で取り組んでいるのです。
創立者からの3つの指針
公明党の原点は、前身となる公明政治連盟の第1回全国大会での創立者・池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の挨拶にあります。大会が行われたのは、結党の2年前にあたる1962年9月13日。池田会長は、そこで議員のあるべき姿として「団結第一」「大衆直結」「たゆまざる自己研鑽」の3つの指針を示してくださいました。
日本の権力の中枢である永田町はやはり特殊な世界です。そうした環境に身を置いていると、なかには権威主義に蝕まれて自分を見失ってしまう人がいます。非常に残念なことではありますが、公明党の議員のなかにもおりました。
だからこそ、すべての公明党議員、とりわけ国会議員は、ことあるごとに創立者が示してくださった原点に立ち返らなければなりません。原点を見失ってしまえば、環境に流されてしまいます。そうした原点に立脚しながら、公明党は生命・生活・生存を尊重する人間主義を、これからも政治の世界に打ち立ててまいります。
公明党は現在、中長期的な方向性を示すために2つのビジョンの策定を進めています。1つは「2040ビジョン」であり、もう1つは「平和創出ビジョン」です。
2040年には、すべての団塊ジュニア世代が高齢者となります。そうした人口構成が大きく変わる状況のなかで、「2040ビジョン」では「創造的福祉社会」というキーワードを掲げたいと考えています。
具体的には、5つの改革構想を提唱します。①「教育のための社会・こどもまんなか社会を築く」、②「単身者が生きがいを持って人生を全うできる社会を実現する」、③「若者、高齢者、女性、障がい者 全ての人が輝ける社会を確立する」、④「全国どこでも命と健康が守られる社会をつくる」、⑤「地域のつながり・支え合いで人口減少を克服する社会を構築する」――です。
イメージとしては、「ベーシック・サービス」を念頭に置いています。つまり、弱者を助ける社会ではなく、そもそも弱者を生み出さない社会を目指す。もちろん、一足飛びにすべてを実現しようとするのではなく、まずは子育てや教育に所得制限をなくすところから着実に進めていきたいと思います。
平和のための対話メカニズム
「平和創出ビジョン」については、戦後80年と被爆80年、国連創設80年の節目となる来年に発表する予定です。
柱の1つとなるのは、唯一の戦争被爆国としての核兵器廃絶への取り組みです。そして、多国間の安全保障対話枠組み「欧州安保協力機構(OSCE)」のアジア版の創設や、日中の与党交流メカニズムの再開など、対話メカニズムの構築も大きな柱となります。
なかでも私が個人的に力を入れたいのは、日中の与党交流メカニズムの再起動です。様々な問題によって、現在、日本の対中感情は悪化しています。しかし、好き嫌いを超えて中国を抜きに国際情勢を考えることはできません。だからこそ、政治の世界でも対話の回路をきちんと持ち、問題が起きたときにはお互いに率直に意見をぶつけ合える関係を構築しなければなりません。
日本も世界も大きな変化のときを迎えています。政治改革は政治家改革です。政治家自らが変わらなければいかなる政治改革も成し遂げられません。公明党は創立者から頂いた大事な原点を今一度刻み込み、日本社会の「希望の未来」を見据えた改革を断固として進めていく決意です。
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公明党幹事長
西田実仁(にしだ・まこと)
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業(在学中、中国・北京語言大学へ留学)。86年に東洋経済新報社に入社。2004年に参議院議員に初当選。現在4期目。公明党参議院会長、公明党税制調査会会長などを経て現職。