【一条ゆかり】私は、自分を好きになるために闘ってきた
2025/06/25先輩のように、友人のように、ライバルのように──。
人生に寄り添い、知らない世界や大切なことを教えてくれた一条ゆかり先生の作品たち。「少女漫画の女王」が語る、幸福になるための人生の「戦略」とは。
(月刊『パンプキン』2025年6月号より転載。撮影=後藤さくら 取材・文=小山田桐子)
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16歳でデビューして以来、常に第一線を走り続け、少女漫画の女王としての地位を築いてきた一条ゆかり先生。画業60周年の今年、ファン待望の金言集第二弾『男で受けた傷を食で癒すとデブだけが残る たるんだ心に一喝‼ 一条ゆかりの金言集2』と初の塗り絵本『一条ゆかりポストカードBOOK 塗り絵倶楽部』が同時発売された。
金言集にはその人生から紡ぎ出された、赤裸々でパワフルな言葉が詰まっているが、なかでも「策略なくして成功なし」という言葉が印象的。本書を読むと、一条先生が漫画の才能を磨いてきただけでなく、才能が世に出るため、徹底して自己分析し、戦略を立ててきたことがよくわかる。そうした考え方の基礎はなんと幼少期にはすでにあったという。
「母は師範学校をトップで卒業するぐらい優秀な人。私も成績はよかったから、しっかり勉強すれば一番になれるって期待したみたい。なのに、私が漫画ばかりに執念を燃やしているものだから、漫画を読んでるとばかになるとか、常に迫害されてましたね。どうやったら渋々でも許してもらえるか戦略を考えて、母がちょっと自慢できるような子になればギリセーフだろう、と。とにかく、いい成績を取って、家の手伝いをして、なんとか漫画を描く時間を確保していましたね」
漫画に執着していたというが、そのきっかけは孤独にあった。生まれてすぐに家が破産し、物心ついたときには貧乏だったという一条先生。六人兄弟の末っ子として生まれたが、生活に余裕がなかったこともあり、褒められた経験がほとんどないまま育った。
「すごい大家族の中で育ったんだけど、脳内がいつも孤独だったの。保育園からだれもいない家に帰るのが嫌で、道路に蝋石でお人形さんとか描いたりして遊んでたんだけど、だんだんギャラリーが増えてきたのね。お姫様描いてとかリクエストに応えていたら、やたらと褒めてくれるの。褒められるとこんなにうれしいんだ、と。調子に乗って努力してたら、どんどん絵がうまくなっていったのね」
人生で一番悩んだ選択
中学生のときには漫画家になると固く心に決めていた一条先生。高校に上がる際には、大きな人生の選択をした。面接で「母も承知している」と噓をつき、進学校から近所の商業高校にこっそり進路を変更したのだ。
「進学校が毎日3時間は勉強しないとついていけないところだって面接前に知ったんです。漫画描く時間ないじゃん! と。どっちに進むべきか、人生で一番悩んだ。だってさ、商業高校=漫画を選んだら、貧乏だし、何の将来の保証もないのに、よりよい学歴まで捨てることになるから。でも、まあ自分の人生好きに使おうって思ったのね。もし、漫画家になるのを失敗したとしても、学歴だったら頑張れば後からでも手に入るな、と」
一条先生は高校在学中に貸本屋の単行本で漫画家デビュー。その後、第一回りぼん新人漫画賞に準入選し、メジャーデビューも果たす。たちまち多くのファンがついたが、一生漫画家を続けるためにはどうすべきかを必死に考え続けていたという。作者には非公開だった読者アンケートを何とか見せてもらい、読者の好みの把握や自己分析に役立てた。
「幼少期は6畳と2畳2間で8人が生活していたんです。その状況だと、みんなの機嫌をちゃんと把握していないと痛い目に遭うのね。顔色をうかがって、空気を読むという"バーのママのテクニック"を、小学校低学年で会得してました。アンケートも空気を読む点では同じ。よく見ると傾向が見えてくる。" 普通の女の子"が何を好きか研究できたのは大きい。読者にへつらう必要もないけど、読者の興味とこちらの興味の接点を探せば、自分が描きたいものをプレゼンしやすくなるの。自分のわがままを通すために必要なテクです」

絶対に汚したくない聖域
そうして、本当に自分が描きたいものを描こうと挑んだ『デザイナー』は、女性の自立がテーマ。ファッションモデルからデザイナーに転身した18歳の亜美と、彼女の母親であり、トップデザイナーの鳳麗華(おおとりれいか)、互いのプライドを賭けた戦いを描いた作品だ。
「『デザイナー』は、仕事をする女のプライドを描きたかったの。どこにプライドをもって仕事をするかという。少女漫画だから、一応亜美が主役になっているけど、私の中では鳳さんが主役なんです。当時は女性解放運動の動きが出てきたばかりで、女性の地位が本当に低かった。そんな世の中でデザイナーとして世に出るために、鳳さんはスポンサーの男をだまして懇ろになったりとか、そんなことは平気でやるのね。だけど、彼女の中の聖域というのがあって、人のデザインを盗むなんて絶対にしない。人は絶対に汚したくない聖域をもっている。それを描きたかったの」
当初は「プライド」というタイトルを考えていたという。しかし、読者層も考え、わかりやすいようにと「デザイナー」に決めた。
「これは人が人をデザインする話でもあるの」と一条先生は言う。
「鳳麗華は自分で自分をデザインする人。だから、私の中では、彼女が主役だったの。自分の娘が台頭してきて自分と並んだとき、彼女はすべてを捨ててフランスに修業に行く。
まだ横並びという状態で、それをやったから、彼女はかっこいいと思っているの。このままでは間違いなく自分はだんだん落ちて、娘に抜かされていく。だから、一生女王でいたいためにフランスに行ったのね。彼女は何も諦めてない。むしろ、先を見ているのよ」

人を落とさず、自分が上がる
その29年後、一条先生は『プライド』を発表。恵まれて育った史緒と毒親に育てられた萌。境遇も性格も正反対の二人が、オペラ歌手という夢を追いながらぶつかり合う、壮大なスケールの人間ドラマだ。多くの名台詞が記憶に残るが、なかでも「ちゃんと自分と戦いなさいな。人とばかり戦ってるとつぶれるわよ」という銀座の菜都子ママのセリフには、一条先生自身深い思い入れがあるという。
「いつも不思議だったの、上に上がろうとするときに、なんでみんな人を落とそうとするんだろうって。全力で人を落とすよりも、全力で自分が上がった方が安全圏に行けるのにって。他人と戦うと、どうしたらその人に勝てるかって考えるから、目先のことしか考えなくなる。だからね、いつも私が思っているのは、遠くの目標と近くの目標、両方が必要だってこと。途中で、ブレるのはしかたがないの。ただ、ブレたということをちゃんとわからないと駄目。軌道修正ができないから」
他者評価より自己評価が大事という自分マニアな史緒と、愛されることで自分の価値を確認しようとするタイプの萌。一条先生は日本の女性の多くは萌タイプだと思っていたが、「史緒ちゃんの気持ちがわかります」という人が想像以上に多くて驚いたという。
「自分のことがわかってない!それじゃ不幸になるぞ!」と一条先生は警鐘を鳴らす。
「幸せになりたいなら、まず自分が本当に望んでいるものを知る必要があるの。それなのに、知らない人がとても多い。何をしているときに自分がうれしいかをまず観察するんです。思わずくふふって笑みがこぼれたのは、自分が何をしていたときなのか。人にうらやましがられた瞬間が幸せって人も多いんじゃないかな。でも、それって自分の幸せを他人に委ねてるってこと。激しいリスクをともなうというのはわかっていた方がいい。結局自分を幸せにできるのは自分しかいないのよ」
いい女は自分をうまく転がす
金言集には、決して人に押し付けたり、相手のせいにしたりせず、自分の責任でやるのがいい女のスタートラインだとある。一条先生自身、その言葉を常に体現してきた。
「皆が他人に頼るところを、私は自分を二つに分けて全部自分でやってた。だから、私は女優であると同時に、マネージャーであり、ディレクターだったの。いかに自分をうまく転がして、目標の方向に向かわせるかを考えてきた。私は自分の欲望にとても素直に生きてきたの。だけど欲望のためには努力も惜しまなかった。欲望って目先の快楽におぼれたらよくないけど、プライドをもって生きていきたいと思うのも欲望。いい女というのは、欲望をしっかりコントロールして、いろんなシーンに応用することができてこそなのよ」
「私は私を好きになりたいために闘ってきただけだ」と語る一条先生。「私の推しは私」という彼女も、最初から自分を好きだったわけではないのだ。自分とはどうしたって別れられない。そう悟り、徹底して自分を研究した結果、今の一条先生がある。だからこそ、その言葉は本気で自分自身と向き合いたいと思わせてくれるのだ。

一条ゆかり式人生アドバイス
その日の問題は、その日に解決するのが一番。サッサと謝ってやり直せば、痛手も少ないんだけど、たいていの人は、プライドが高くて、何日も抱え込む。何事もこじらせることのないように、失敗したと思ったら、いかに早く軌道修正するかが大事です。

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漫画家
一条ゆかり
1949年岡山県生まれ。67年第1回りぼん新人漫画賞準入選、68年『雪のセレナーデ』で雑誌デビュー。代表作に『デザイナー』『砂の城』など多数。86年『有閑倶楽部』が第10回講談社漫画賞少女部門受賞。2007年『プライド』で第11回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。エッセーも好評。