【潮8月号の読みどころ】民衆こそ王者――池田大作とその時代

忘れられぬ一日 佐渡に行くことが決まったのは突然だった。1958年7月19日、池田大作は新潟駅に降り立つ。そこで初めて「明日の夜、佐渡島で会合がある」ことを知った。19日の日記に〈明日は、新潟支部の初の運動会〉とある。 翌20日――〈雨。残念。皆も。／午前中、再度、寺院にて指導会。／結局、運動会中止を宣言〉。 雨の中、池田たちは新潟港に向かった。「おけさ丸」は500トンに満たない小さな船だった。時化がひどかった。新潟支部の初代婦人部長を務めた長谷川はま江は「船の端から端まで物が転がり、まるでジェットコースターに乗っているようでした」と語り残している。〈大波のなか、12時発の汽船にて、佐渡島に渡る。多数にて。船揺れ、気持ち悪くなる人続出。4時間以上、波しぶきを船体にうけつつ、佐渡に着く。われわれの船のあとは、全船欠航のよし。忘れられぬ一日〉 山口巳之吉（みのきち）は、池田たちより一つ早い船で新潟から佐渡に戻っていた。「父は居ても立ってもいられなかったと思います。とにかく池田先生が来られることを佐渡の皆に知らせないといけませんから。両親は連絡に走り回ってから、両津港で先生を出迎えました」（息子の山口豊吉）。 佐渡出身で初めて創価学会に入ったのは山口キヨミである。4番目の子を産んだ時、産後の肥立ちが悪かったのがきっかけだった。東京の下石神井（しもしゃくじい）に住み、夫の巳之吉は池袋の鉄工所で働いていた。キヨミが御書（日蓮の遺文集）を買ってきた時、巳之吉と大げんかになったが、その巳之吉もやがてキヨミに続いた。〈ものごころつく頃より、両親の不和に、小さな胸を痛めながら、円満な幸せな家庭を築くことを、夢見て成長しました。しかし現実はどうすることもできず悩みは益々深く、世を恨み、人を憎んで、惰性の中にすごした私も、遂に島を飛び出し、東京で折伏をうけ入信を決意いたしました〉（山口巳之吉の手記）「父は毎週金曜の夜、仕事帰りに御書を抱えて豊島公会堂に通っていました。戸田先生（戸田城聖・創価学会第二代会長）の一般講義です。池袋の駅で降りたら走り出す人がたくさんいて、金曜講義の参加者なんですね。本当に楽しみにしていて、『戸田先生に的外れな質問をして叱られる人もいたなあ』と言っていました」（山口豊吉） 目の当たりにするさまざまな現証。十界互具をはじめとする生命論。心のありようが変わり、人生を見つめる目そのものが変わっていく――。巳之吉は佐渡が嫌で、出て行った。しかし創価学会との出合いが、故郷に戻る理由になった。「父は"佐渡にも学会員がいる"ことを聖教新聞で知ったようです。自分も生まれ故郷の佐渡でこの仏法を弘めると腹を決めて、家族で佐渡に引っ越しました。両津に学会員がいる、と思い込んでいましたが、その時はまだ誰もいません。佐渡で最初に信心した石見まつさんは相川に住んでおられたので、見つけるまで数カ月かかりました」（同） 石見まつは佐渡支部の初代婦人部長を務めた。幼い時から病弱で、寺参り、神社への百度参りを繰り返していた。心臓も痛んだ。嫁いでからは腎臓結核を患い、新潟医大で左の腎臓を摘出。しかし右の腎臓も悪くなる。〈……もはや生きた心地もない時、悪いことは重なるもので主人が建築現場の事故がもとで、私と三人の子供を残して（昭和）27年、他界してしまいました。打ち続く不幸に親子心中をはかりましたが、頰に涙のあとを残して寝入っている子供たちの姿を見てついに果すことができませんでした〉（石見まつの手記） 2年後、学会の夏季折伏の一行が佐渡を訪れた。題目を唱え始めると、不思議なことに心臓の苦しみも、カリエスの痛みも消えていった。それまで17年間、敷きっぱなしだった布団を床上げできた。〈しかし周囲の魔はものすごく退転するひともあり、つぎつぎと問題がおきても指導を受けるところを知らず、入信した時にいただいた聖教新聞と大白蓮華をたよりに、ちぎれるまで活用し組員を激励しました〉（同） その年の秋、佐渡海峡を渡り、戸田城聖に会った。戸田は優しい眼差しで、しみじみと「佐渡にも御本尊様が渡ったのか。しっかりがんばるんだよ」と言ってくれた。〈勇気百倍して佐渡に帰り同志に伝えてまわりました〉（同）。 いっぽう、東京から戻った山口巳之吉は、佐渡の両津で小さな鉄工場を開いた。池田が佐渡を訪れたのは〈数少ない同志と、歯を喰いしばって、信心している時〉（山口巳之吉の手記）だった。（P.150-153） ｢ぼくの妹だよ｣ 前日に決まった佐渡行きだったが、女子部の有志が歓迎の「佐渡おけさ」を披露した。その一人が松本妙子だった。人前で踊る。10年前には考えもしないことだった。 19歳の時、妙子は最初の結婚をした。〈まったく突然に、病因不明の下痢に襲われたのだ。やがて、全身がみるみるうちにはれ上がった。腹部は鉄の板のように硬直し、髪は日々抜け落ちていく。さらに視力も急速に衰え、全身が、ロウ人形のようになってしまったのだ〉〈離婚――。周囲のあわれみの声や、冷たい視線に囲まれて実家へ帰る。傷心をかかえ、闘病生活に耐えねばならなかった。あとになって、医師から次々と病名が告げられた。「慢性腹膜炎」「心臓衝心」「慢性気管支炎」と……。 一つの病院だけでは心もとないといって、母に連れられ島の病院を次々と回った。しかし、決定的な治療法もなく、あとに残ったものはただ絶望だけであった。 妙子さんが入信したのは、離婚9年後、32年の真冬である。病の回復と宿命の転換を願って唱題する日々が続く。当時、まだ学会員は少なく、島には無認識な学会批判の嵐が吹き荒れていた。 だが、そうした風評や中傷に妙子さんはくじけなかった。病の回復がめざましかったのだ。やがて母と一緒に‶座談会″を求めて島内を歩くようになる。身につけていた‶編物″を生活の糧として、また、数少ない同志とともに仏法対話や学会活動に励むようになった。 病を克服したものの、村の心ない人たちの非難や中傷が途絶えたわけではない。「信心したら幸せになる？……しかし、あなた自身お嫁の行き先もないじゃないの」 面と向かって、仏法対話の最中に何度も浴びせられた。くじけそうな気持ちをこらえてきた〉（1975年10月10日付「聖教新聞」） 松本妙子は「佐渡での池田先生との出会いで、私の人生は一変したっちゃ」と語り残している。八幡館で「佐渡おけさ」を踊った。〈右の方を向けば右の人の真似をして、左の方を向けば左の人の真似をして、夢中で踊りました〉〈思い出すだけで冷や汗が出ます〉（松本妙子の手記）。〈女子部員の踊りは、どこかぎごちなく、決してうまいとはいえなかったが、一生懸命であった。／伸一（山本伸一、池田をモデルにした人物）には、何よりもその真心が嬉しかった〉〈……途中から踊りを見た派遣幹部の一人が、伸一に言った。「旅館のショーですか。従業員が踊っていたんですかね。あまり上手くなかったな」 その言葉には、女子部員の真心を踏みにじる、横柄な響きがあった。 伸一は、憮然とした顔で答えた。「何を言っているんだ。旅館の方も踊ってくださったが、あとの3人は、ぼくの妹だよ」「妹さんが、佐渡にいらっしゃったんですか！」 そのやりとりを聞いていた女子部員は、胸を詰まらせた。「妹」という言葉に、彼の優しさと期待を感じとったのである〉（小説『新・人間革命』第11巻「躍進」の章） 妙子は、このとき胸を詰まらせた‶妹″の一人である。その後の歩みが聖教新聞に綴られている。再婚し、柿野の浦という村の漁師の家に嫁いだ。〈独り身から一転、嫁として、妻として、母として家を守らなくてはならなかった。不慣れなことばかりが続く。しかし、耐え抜いた〉（前掲「聖教新聞」） 記事には、妙子と対話を重ね、学会に入った婦人部員も声を寄せた。「松本さんの三軒隣に住んでいて、小さい頃からの知り合いだったんです。病に倒れ、離婚され……でも、人から何といわれようと仏法対話に励まれました。私も、その松本さんの紹介で入信して……どこにいくにも一緒に学会活動に励んできました。雪の山道をはうようにしてのぼったり、おりたり……歩いてばかりで靴が1カ月ももたなくて、靴底に穴があいてボール紙でふさいで歩く松本さんの執念には本当に驚きましたよ」 村人たちは妙子を「カアさん」と呼び、日常茶飯の相談事を持ち込むようになった。〈車の免許を取り、学会活動で町に出るときは村人の買い物まで引き受けた。やがて、村に病人が出ると真っ先に連絡を受けるようになる。過疎地域でもあり、男手が足りない。真夜中でも飛び起きて、車で急病患者を診療所に連れていく〉 ある時、妙子は気づいた。〈かつては病に苦しんだ自分が、週に一度、二度と他人の病を思いやり、病院に連れていくようになった〉――。 聖教新聞の記者は妙子を知る人々を取材し、多くの人が「あの人がいたから、今日の私があるんです」と異口同音に語ったことを記している。（P.161-164） 信仰の真髄は「一人立つ」覚悟 島々に言及する時、池田の論調は熱い。かつてカリブ海に浮かぶバハマを訪れた時の思いを、次のように綴っている（2003年7月6日付「聖教新聞」）。〈カリブ海は列強の闘技場となった。世界中で、島は国家の利己主義の犠牲になってきたのだ。武力と金力によって翻弄され、国の矛盾は島に、しわ寄せされた。小さくとも、島は鏡のように、国の素顔を、くっきりと映し出している。 わざわいは、たいてい、いつも島の外から来た。20世紀だけでも、どれほど多くの島が残虐なる戦争の悲劇に哭（な）いたことか。 だからこそ私は島から始めた。 世界への旅の第一歩は、日米開戦の地・ハワイを選んだ。 SGIの結成は、太平洋の激戦地・グアム島でおこなった。「戦争ほど、残酷なものはない」と小説『人間革命』を書き始める地は、思索の末に沖縄に決めた。 島よ、長き忍従の荒れ地から、歓喜の舞の舞台に変われ！ 島よ、押し寄せる戦乱の怒涛の被災地から、今、平和の万波の発信基地となれ！ 島よ、弱肉強食の人類史の悪循環を断ち切る金剛の剣になれ！ 島は「小さな一国」であり「小さな地球」であり「小宇宙」である。島々が幸福に輝くとき、国全体が幸福になる〉 海外で初めての創価学会の地区はハワイのホノルルに誕生した。仏法西還――アジアへ広がる足がかりは香港だった。〈島に生きる苦労は、なみたいていではない。交通の不便。職場の少なさ。人間関係の難しさ。 その他、言うに言われぬ有形無形の苦労に耐えて、わが日本の離島の友も生きてこられた。「島の人をみんな幸せにしてから、私は死にたい！」。そう決めた壮年がいる。「自分のことだけじゃない、島全体の栄えを祈るんだ」。その一念で尽くし抜いた青年がいる。 何が起ころうと「なーに、どん底を見たから、仏法のすごさも、人間のすごさもわかったんだから」と笑みを絶やさぬ婦人がいる。 だれもが灯台──地域に光を送る塔として輝いておられる。 一人から始まる。いわんや島では、一人が千人である。 驚いたことに、バハマにもSGIの友がいた。男女2人のメンバーが出迎えてくださったのである。そして7年後の今年、「地区」へと発展した。地区部長は、一流レストランのシェフ。地区婦人部長は、バハマ政府の国連大使。 太陽が昇れば、一切が明るくなるように、一人が立ち上がれば、島に夜明けが始まる。 そこが《宝島》なのである〉 このエッセーの末尾に、池田は「佐渡」の意義を記した。〈日蓮大聖人も、佐渡という「島」で、万年の未来のために大闘争をなされた。佐渡の年輩者が大聖人に尋ねた。「法華経に出現する巨大なる宝の塔は、いったい何を意味するのでしょうか」 大聖人のお答えは、全人類の指標である。「宝塔とは、あなたの生命のことですよ！ あなたこそが宝の塔なのですよ！」 ならば、塔のごとく、そびえ立たねばならぬ。 信仰の真髄は「一人立つ」覚悟にある。一人の人間が本気で立ち上がるとき、どれほどの歴史を創れるか、不可能という名の扉を見事、いくつ開けてみせられるか。そこに挑戦し続けるのが法華経の生き方なのである〉（P.174-176）

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