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「創造的復興」の理念を兵庫からウクライナ、そして世界へ

公明党の高橋光男参議院議員が、兵庫県の震災復興経験をもとに、日本ならではの支援の形を提案。現場主義の支援と国際協調の重要性を説く。平和と再生のための挑戦とは。
(月刊『潮』2025年4月号より転載)

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現場主義に基づくウクライナ支援

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって3年が経ちました。停戦に関しては、いまなお予断を許さない状況が続いています。

 侵攻の勃発から約半年が経った2022年9月、私は「公明党ウクライナ避難民支援・東欧3カ国調査団」(団長:谷合正明参議院議員)の一員として、ポーランド・モルドバ・ルーマニアの3カ国を訪問しました。現地では政府高官との会談をはじめ、ウクライナからの避難民の状況の視察や、日本のNGO関係者との懇談も行い、現場の課題の把握に努めました。

 日本の主要政党で、ウクライナ周辺3カ国に調査団を派遣したのは、公明党だけです。帰国後は、すぐに現地での調査をもとに、岸田文雄首相(当時)に人道支援強化などを柱とする提言を申し入れました。それが9月末のことです。

 特に強調したのは、住宅や暖房インフラが破壊されたウクライナ国内の寒さ対策と、避難民を受け入れる周辺国が直面していた住宅・医療・教育に関する課題への対策の必要性でした。それらを実現するために、政府が翌10月中に策定するとしていた総合経済対策にウクライナへの人道支援や復旧・復興、避難民を受け入れる近隣国に対する支援を盛り込むことを要請しました。また、10月下旬には、林芳正外務大臣(当時)にも同様の申し入れを行いました。

 その結果、同年の第2次補正予算に、ウクライナと周辺国に対する人道支援や復旧・復興支援の外務省予算として、600億円が盛り込まれました。この予算によって、越冬支援や食糧などの生活物資の提供、医療・精神的ケアの提供、女性・子どもの保護、家族の再会支援、農業・職業訓練などの生計支援、復旧・復興の支援などの事業が実施されました。

 私ども調査団の提言が補正予算に反映されたことを受けて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のナッケン鯉都駐日代表代行(当時。現在は駐日代表)は公明新聞に次のようなコメントを寄せてくださいました。

「公明党は、主要政党の中で唯一、ウクライナ周辺3カ国に調査団を派遣し、現場の課題を把握してくれました。その現場主義に基づいた行動力は素晴らしい。だから政府は、提言を真剣に受け止めたのだと思います」

例外要件を示しODA供与を実現

 周辺国に対する人道支援に関して、私が特にこだわったのは、政府開発援助(ODA)をすでに卒業した避難民最大の受け入れ国・ポーランドへの支援でした。

 ポーランドを訪問した際のことです。現地の政府高官から、ウクライナ避難民の児童に対する教育関係の無償資金協力の要望を受けました。ところが、すでにODA卒業国であり、経済協力開発機構(OECD)加盟国となっていたポーランドには、途上国支援が原則であるODAは供与できません。それでも支援の必要性を感じた私は、首相に提言し、外務大臣にも国際ルールにある例外要件の存在を示して直談判しました。

 そして、翌2023年3月の予算委員会で改めて首相に要望したところ、その場で支援の表明を引き出すことができました。結果として、使途をウクライナ避難民への支援に限定した上で最大5年間、日本からポーランドへの2国間の人道支援が可能となりました。ODA卒業国かつ先進国(OECD加盟国)に対して、再び2国間ODAの供与が行われたのは、これが史上初の事例です。

 この人道支援の中の一つに「ウクライナ避難民児童のための輸送用バス整備計画」があります。ポーランドの学校2校に対して、大型バス1台を供与したもので、両校に通うウクライナ避難民の児童・生徒の通学や、ポーランド国内での安全で円滑な移動に活用されました。何より嬉しかったのは、この支援に対して避難民生徒から感謝の声が届いたことでした。ある15歳の生徒はこんなコメントを寄せてくれました。

「こんな小さな町で、親も車もなく学校に通うのは本当に悪夢だと知ってほしいです。乗り換え、時には長い待ち時間、バスの時刻変更はアナウンスがないので、バス停で30分も待つのです。時間通りに到着し、安全に学校に着き、勉強する時間が増えるのは幸せなことです。快適さが全く違います!」

子どもたちからのヒマワリの絵

 他に現地の人々に喜んでいただけたことに、日本の子どもたちからの心温まる支援があります。神戸の絵画教室「アトリエ太陽の子」主宰の中嶋洋子代表が推進していた「命のヒマワリプロジェクト」です。

 ウクライナの国花であるヒマワリは、阪神淡路大震災の復興のシンボルの花でもあります。神戸の子どもたちが描いた"命のヒマワリ"を、ウクライナの子どもたちに届ける――というのが、同プロジェクトの趣旨です。

 プロジェクトに賛同した私はすぐ、宮島昭夫在ポーランド大使(当時)や、ミレフスキ駐日ポーランド大使、摺河祐彦(するがまさひこ)在神戸ポーランド名誉総領事に協力を要請しました。摺河氏は、姫路女学院中学校・高等学校の校長もされており、2023年5月、同校の生徒によって姉妹校であるポーランド・ワルシャワのナザレ校に、日本の子どもたちが描いた絵が届けられました。ウクライナから避難している現地の生徒たちが笑顔に包まれた様子を知り、大変嬉しく思いました。

地雷除去は復興の第一歩

 冒頭でも述べたとおり、ロシアのウクライナ侵攻については、いまなお予断を許さない状況が続いています。そうした状況下において、日本の私たちにできることはまだまだあります。特に期待されているのは、停戦後の復旧・復興です。

 なかでも私が特に注目しているのは地雷除去です。ウクライナの領土には、すでに相当な数の地雷が埋められてしまっています。そこで日本政府は2023年11月に、国際協力機構(JICA)を通じて、最先端の地雷探知機である「ALIS」を50台、ウクライナに供与しました。

 昨年7月、公明党東南アジア諸国連合(ASEAN)訪問団(団長:山口那津男常任顧問)がカンボジアを訪問した折に、同国政府に対してウクライナ支援に関する協力を打診しました。

 カンボジアには内戦時代に多くの地雷が埋められました。公明党はかねて同国の地雷除去を強力に支援し、同国ではノウハウが積み重ねられてきました。ノウハウがあるのであれば、今度はそれをウクライナの地でも生かしてほしい――。一政治家として地雷除去をライフワークとしてきた山口常任顧問が、カンボジアの政府関係者に打診したのです。

 ウクライナの基幹産業は農業です。私も農林水産大臣政務官を務めていた時期に、日本の民間企業に協力していただき、農業に関する機械や技術を同国に提供する事業などを推進しました。そんなウクライナの基幹産業を復興するためにも、地雷除去は最初の一歩となります。地雷があると農地を耕すこともできなければ、農道を整備することもできないからです。

 地雷対策としては他に、地元住民が地雷を避けて生活できるような教育や、被害を受けてしまった方に対する義肢装具などの支援も必要です。こうした取り組みはとても重要であり、日本ならではの支援だと思います。

国の支援を補完する兵庫県の取り組み

 実は、ウクライナにおける地雷対策としての義肢装具に関する支援は、私の地元・兵庫県がいち早く着手しています。

 兵庫県は、阪神淡路大震災のときに国内外から多くの支援をいただきました。その恩返しの意味を含めて、世界に貢献することは被災地・兵庫の責務だと認識しています。ウクライナ紛争も決して対岸の火事ではなく、現に燃料や食糧などの価格高騰といったかたちで県民生活に影響が及んでいるため"自分事"として向き合う必要があります。

 そこで兵庫県は、阪神淡路大震災からの復興過程で生まれた「創造的復興」の理念をウクライナに伝えるための検討会を発足。同国の復興や地域社会の再生などに生かしてもらうことにしたのです。具体的には、ウクライナのミコライウ州とイヴァーノフランキーウシク州の2州と覚書を締結して支援を行っており、私自身も検討会座長である岡部芳彦(おかべよしひこ)神戸学院大学教授と密に連携してきました。

 地雷対策については、義肢装具リハビリテーションの専門人材の日本での受入研修を行っています。研修期間は3カ月ほどで、日本で言う作業療法士(OT)や理学療法士(PT)などが対象です。研修参加者は、ウクライナへの帰国後すぐに現場で一定程度のリハビリ訓練ができるよう、義肢装具リハビリの具体的な手順と技術を実践形式で学びます。

 ウクライナの人々には、心のケアも必要不可欠です。兵庫県の支援では、心のケアの専門人材に対しても受入研修を行っています。こちらは約2週間程度の研修で、精神科医や臨床心理士などが対象です。研修では、避難民・戦争遺族の心のケアや、子どもの自殺・うつ病への対応を学びます。

 国の国に対する支援に加えて、補完的に都道府県レベルで被災州に対し、カウンターパート方式による支援も行う。そうした取り組みを、全国でも本格的に行っているのは兵庫県だけです。私も地元・兵庫県と心を合わせて、しっかりと復旧・復興の支援を推進していきたいと思っています。

アフリカの自立を国際社会の協力で

 ウクライナ支援に加え、日本外交が大きく貢献できるのが、本年8月に神奈川県横浜市で開催される「第9回アフリカ開発会議(TICAD9)」です。

 私は外務省に勤務していたとき、TICADを担当していました。同会議がスタートしたのは1993年。私が外交官として携ったのは2013年の第5回会合でした。そのときの会合は、TICADプロセスにおいてターニングポイントとなりました。

 アフリカが日本に求めているのは、ODAだけではありません。公的な支援のみならず、民間企業の投資に期待を寄せているのです。一方の日本企業も、投資先として人口が増えているアフリカに注目しており、官民一体となってともに手と手を携える「協力」が初めて全面的に打ち出されました。

 つまり、以前のドナー国対被援助国との関係を超えたパートナーシップの重要性が確認され、会議の頻度も以降、5年に1度から3年に1度の開催となりました。

 アフリカとの協力は政治的にもとても重要です。アフリカの54カ国は、国連加盟国の約4分の1に匹敵します。また、TICADは日本とアフリカ連合だけの会議ではなく、国連開発計画(UNDP)や世界銀行なども共催者になっています。アフリカとの協力に力を入れることは、日本の国際社会における地位を向上・維持させることにつながるのです。

 SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも、アフリカとの協力は重要です。貧困や飢餓、教育、保健など、アフリカには課題が山積しています。SDGsは2030年までの開発目標です。残り5年、国際社会が経済的・社会的に最も協力の輪を広げなければならないのはアフリカなのです。

 アフリカの情勢は決して安定していません。スーダンやエチオピア、ソマリア、サヘル地域、ナイジェリア、コンゴ共和国、リビアなど、現在も紛争が続いている地域が数多くあります。その背景には、権力闘争や宗教的・民族的な対立、資源の争奪などが複雑に絡み合っています。だからこそ、「平和と安定」のための支援も継続する必要があります。

 大事なことはさまざまな国や機関と協力関係を築くだけでなく、アフリカ各国の自立も促していくことです。日本はそこでリーダーシップを発揮していくべきだと私は考えています。

自国中心主義ではなく国際協調主義を貫く

 私はアフリカの地で外交官としてのキャリアをスタートしました。最初の任務はアンゴラでの日本大使館の立ち上げです。ショッキングだったのは、地雷によって手足を失った子どもたちが、街中を徘徊している姿でした。

 また、地方の学校を視察した際には、地雷除去を行っているNGOの方から衝撃的なマップを見せられました。なんと、それは学校の周囲が地雷で埋め尽くされていることを示していたのです。非人道的な兵器に囲まれた学校に集まる女性や子どもを目の当たりにし、底知れぬ憤りを覚えました。そのときに国際協力に力を入れようと決意したのです。

 日本が国際協力を始めたのは1954年です。戦後に最も早く開発途上国の援助を目的に設立された国際機関「コロンボ・プラン」に、日本も参画したのです。したがって、ちょうど昨年が日本の国際協力から70年の節目でした。

 自国だけでは決して平和や繁栄は実現できません。どこまでも国際協調主義が重要なのですが、近年はロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領による自国中心主義が国際社会に蔓延しつつあることを非常に危惧しています。

 日本国内に目を向けても、ウクライナやアフリカに支援するくらいなら、自国民に対する手当を厚くするべきだという意見が一部で見られます。しかし、外国に対する「支援」は「協力」を通じて、国際社会の平和や繁栄につながり、それは巡り巡って自国の利益となります。ゆえに「外国への支援」は「投資」でもあり、それと「自国民への手当」を天秤にかけるべきではありません。

 もちろん、政府にはなぜ支援を行うのか、その支援によってどのように自国にも裨益(ひえき)するのか、常に透明性のある説明責任を果たす必要もあります。そして、自国・他国双方ともに大切であるからこそ、国民への理解を求め、両立をなんとしても実現する。それが政治の役割であり、使命です。

 他国が自国中心主義に傾いていったとしても、日本はどこまでも国際協調主義を貫く。70年かけて培ってきた国際社会からの信頼は、かけがえのない日本の価値です。信頼を失うのは一瞬です。そうではなく、むしろその価値を大いに発揮し、国際社会における名誉ある地位を確固たるものにすることが憲法上の要請でもあると考えます。

 公明党はこれまで、連立与党として政党外交にも力を入れてきました。政党外交は政府間外交の厚みを増すものです。仮に関係悪化で政府間の対話が滞っても、政府当局とは異なる立場から、率直な意見交換を行うなど、政党外交で補完することができます。実際に公明党は対中外交をはじめ、そのような役割を果たしてきました。

 その上で、元外交官の立場から強調したいことは、外交の本質は国家や政党の看板を超えてどこまでも相手との一対一の関係性であり、またその関係性のもと対話を続けていくということです。どこかの時点やなんらかの成果によって完結するのではなく、車輪を回すように地道に対話を続けていく。そして、議員一人ひとりがその営みを実践していることが公明党の伝統であり、強みだと思います。

 公明党は政権の一翼を担う立場として、これからも国際社会の平和と安定のために力を尽くしてまいります。

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公明党参議院議員
高橋光男(たかはし・みつお)
1977年兵庫県生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学)在学中に外務省専門職試験に合格し中退。2001年外務省入省。在ブラジル日本大使館一等書記官など歴任。ポルトガル語通訳担当官として首脳外交の一翼を担う。19年の参議院議員選挙兵庫選挙区で初当選。中央大学法学部卒。党学生局長、国際局次長。座右の銘は「建設は死闘、破壊は一瞬」。