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月刊『潮』が見た60年 1986-1990

富良野塾 夫婦でつくった卒業証書
倉本聰(シナリオライター)

うちにきている子は、実にいい子が多くて、情熱やなんかはものすごくあるんですがね、ものを学ぶということの姿勢を教わってないんじゃないかな。ここは義務教育じゃないからと僕はいうんだけど、自分で試行錯誤してみて、その上でわからないところを教わるという態度であれば、これは吸収できますよね。だけど、その授業になって、ただ坐っていれば何か教えてくれるだろうという態度でくるから、ダメですね。(『潮』1986年8月号より抜粋)

※シナリオライター・山田太一氏との対談のなかで。

 

貧困なる精神
本多勝一(新聞記者)

この「貧困なる精神」も、本号ですでに129回をかぞえ、途中で短期休載したことはありましたが、十数年の長きにわたって実に勝手気ままなことを書かせていただきました。これは同僚の石川真澄記者からのまた聞きですが、ある政治学者の指摘するように、日本の主要月刊誌で本誌ほど幅広くて自由な誌面を提供している総合雑誌は、少なくとも現状ではないようです。月刊誌の数こそ多いけれど、その大部分は似たりよったりの体制順応路線、反対のリベラル路線(リベラルが反体制ということ自体が問題ですが)はまた同人雑誌的な狭さでゆきづまっています。そんななかで本誌の自由さは、その背景のいかんにかかわらず、たいへん貴重なものに思われるのです。これは私などに「場」を提供してくれたことに対する提灯持ちということではなく、かなりの程度に科学的事実ではないかと思われます。私の「激論」に対しても、反論があれば必ずのせる方針もまたその一端を示すものでしょう。(『潮』1988年1月号より抜粋)

 

美空ひばり東京ドームの熱唱
小西良太郎(スポニチテレビニュース社プロデューサー)

「体の病気と、心の病気を一ぺんにやったみたいなもんでしょ。勇気を持ちつづけるのが大変だったわ」。そんな状況を、ひばりは3カ月で突破、ほとんど奇跡的に退院し、東京へ戻って来る。延々と続く〝面会謝絶〟の状態が憶測を呼んで、一部にひばり重体説、危機説がふくらんでいったが、ひばりはそれも無視した。「どんなことがあっても、体を治す。そのためには、どんな犠牲も払う。そしてもう1度、ステージに立つ。ファンの前で歌う。それだけが、唯一無二の目標。美空ひばりはこのまま、病み衰えてしまったり、朽ち果ててしまうわけには、絶対にいかない!」(『潮』1988年5月号より抜粋)

 

新しい時代に期待すること
鶴見俊輔(評論家)

あの戦争は天皇個人の責任ではない。天皇個人はむしろ、ほかの指導者に比べれば、戦争を避けたいと思っていたでしょう。もっと広い規模で戦争をやりたいという勢力があって、国民の中でもそれを支持する声があった。だから、敗戦と占領にもかかわらず、その機運は今も残っている。それが何度も自民党の内部に力を伸ばしてきている。(『潮』1989年3月号より抜粋)

 

Mの悲劇
保坂展人(ルポライター)

M(注・宮﨑勤死刑囚)をめぐるおびただしい量の新聞報道、雑誌記事をめくっていて気がついたことがある。短大を卒業し、2年間都内の印刷会社に勤めたMは、3年前から「家業」を継いで「地元新聞」で働き始めた。彼の生活が、そして心象が急変したのはこの時からではないか。6500本という膨大なビデオテープは、ほぼこの3年間に集められたものだという。その中には未使用の生テープや、短時間しか録画されてないものも含まれているだろうから、120分テープが仮に平均1時間録画されていたとする。来る日も来る日も1日10時間、ビデオを見続けたとしても、全部を見終わるのに2年間はかかるという分量だ。テープが1本500円だとしても、その代金は300万円を超えている。しかも、3年間という限られた期間に、これだけ集めたとすれば「爆発的コレクター」だ。(『潮』1989年10月号より抜粋)

 

ドイツ統一とポスト冷戦の構図
高橋 進(東京大学法学部教授)

初めにドイツ統一の歴史的意味について指摘してみたい。第1は、冷戦を崩壊させたことである。正確には、去年の秋に東欧革命が起こり冷戦の崩壊が始まったが、それを決定的にしたということだ。/第2は、ドイツ統一がヨーロッパでのポスト冷戦の構造をつくる大きなきっかけ、あるいは触媒になっていることである。/第三は、民主ヨーロッパを生み出したことである。ドイツばかりでなくヨーロッパの東西分断もこれで解消されてしまった。日本ではよく大ヨーロッパという表現が使われるが、それこそ本来のヨーロッパであって、分断されたヨーロッパは長いヨーロッパの歴史から見れば極めて例外的である。(『潮』1990年11月号より抜粋)

 

 

月刊『潮』が見た60年 1981-1985を読む

月刊『潮』が見た60年 1991-1995を読む

 

 

・肩書は基本的に掲載当時のものです。また、一部敬称を略しています。
・一部、現在では不適切な表現がありますが、時代背景を尊重し、そのまま引用しています。
・一部、中略した箇所は/で表記しています。
・表記については、編集部で現在の基準に変更、ルビを適宜振り、句読点を補った箇所があります。

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