月刊『潮』が見た60年 1991-1995
2023/03/31「新連邦条約」をめざすソ連のゆくえ
山内昌之(東京大学助教授)
ゴルバチョフはいい意味でも悪い意味でもプラグマティックな政治家である。彼を今日の権力の座につかせた最大の根拠もそこにある。85年にペレストロイカを進めるべく登場したのも、彼の思想と行動が相互に修正を伴いながら往き来できるという「プラグマティスト」としての面に根拠を求めることができるだろう。つまり、思想と行動のいずれかによって他方が律せられることなく往復運動ができるわけで、こうした希有な資質が彼の最大の利点といっても過言ではない。(『潮』1991年5月号より抜粋)
夫はユダヤ人6000人の命を救った
杉原幸子(歌人)
「幸子、私は外務省に背いて、領事の権限でビザを出すことにする、いいだろう?」。もとより、私の心も夫と一つでした。/このとき、夫は外務省を辞めさせられることも覚悟していたのですが、その顔にはいつもの優しい微笑が戻っていました。「みなさんに、ビザを発行します!」。表に出た夫が、鉄柵越しに告げたとき、人々の表情には電流が走ったようでした。一瞬の沈黙と、その後のどよめき、抱きあってキスしあう姿、天に向かって両手を広げ感謝の祈りを捧げる人……窓から見ている私にも彼らの喜びが伝わってきました。(『潮』1991年12月号より抜粋)
「ソ連」消滅についての個人的感想
杉森康二(日本対外文化協会専務理事)
旧ソ連は、ひじょうに完成されたパッケージの国家であった。/したがって、一カ所が崩れれば全体が崩壊する。ゴルバチョフが言論統制という一カ所を外したことによって、全体が崩れざるをえない運命にあった。もちろん、ゴルバチョフはソ連を崩壊させようとしてペレストロイカを推進したのではない。彼は、あくまでもなんとか改良を加えていけば、あるいは少し民主化を進めれば、市場経済化を部分的に取り入れれば、社会を建て直すことができるのではないかと思っていたであろう。しかしソ連は国民に100か0かの選択をせまっていた社会であり、したがってその社会の崩壊にあたっても、100が0にならざるをえない宿命をもっていた。(『潮』1992年3月号より抜粋)
自滅する自民党政治の構造
内田健三(東海大学教授)
今回、世論が沸騰したのは、金丸という派閥のボスが5億円の不正なカネを受け取っていながら、20万円の罰金ですんでしまったということに対してであった。これは実は法の不備なのだが、政治家はでたらめにカネを握るのに、その懲罰は受けないということが、ひじょうにわかりやすい形で国民の前に示された。そのことが庶民にアピールし、全国的に猛然と政治不信が起きた。(『潮』1993年1月号より抜粋)
メディアの時代の「皇太子妃」
猪瀬直樹(作家)
ミッチーブームから35年たって、新しい皇太子妃が担わなければならない物語もまた、国民の潜在意識をなぞるものであるはずだ。小和田雅子さんはどういう新しいニーズを背負って登場したのだろうか。ハーバード大学を出て東大法学部に学士入学した才媛。英・仏・独語を話す語学力。40倍の難関の外交官試験をパスしたこと。小和田さんというパーソナリティーは、その輝かしい経歴と29歳という年齢によって、男女雇用機会均等法の時代と、国際化の時代の二つを、うまく表現している。(『潮』1993年3月号より抜粋)
炎と泥流の762日
鐘ヶ江管一(前・島原市長)
あの日は、私は午後3時40分に市役所を出て、山の上のほうに行くつもりでした。ちょうど上に向かう国道と下の島原半島に通じる道とが交わるあたりで、どうにも疲れていたもので、ちょっと鍼を打ってもらってからと方向転換したわけです。それからすぐに火砕流がきた。だから、あのとき上に行ってたら、もう命はなかったわけです。/あのときの犠牲者の方々には、報道関係の方が多かったのです。事前に「ものすごく危険だ」と申し上げてはいたのですが……。(『潮』1993年3月号より抜粋)
「十二日戦争」は必ず再燃する
岩見隆夫(政治評論家)
政争は幕を閉じる時のほうがドラマチックである。細川護熙前首相の辞任表明(4月8日)に端を発した後継をめぐる「十二日戦争」は、主役の一人、渡辺美智雄元副総理・外相が、河野洋平自民党総裁との三回目の会談(19日)で、「自民党にとどまり、党改革に取り組む。離党も新党をつくることも断念した」と撤収宣言をした瞬間にピリオドを打った。後継に羽田孜新首相が最終確定したのである。政界再編の険しい道のりのなかで、天王山の一つになるかとみられたポスト細川の政争は、ほとんど不発に終わり、表向きは細川・羽田のスイッチにとどまった。(『潮』1994年6月号より抜粋)
現状維持か、改革か「連立政権」の座標軸
佐々木毅(東京大学法学部教授) 蒲島郁夫(筑波大学教授)
佐々木 日本の政治全体を変えるということは、自民党を変えることから始まらなければならないわけですが、その点では社会党とさきがけの戦略は見えてきません。
蒲島 細川政権以後の政権の歴史的課題は二つあると思うんです。38年間に及ぶ自民党体制のさまざまな病理現象が出てきたというのが最近の問題ですよね。ロッキード事件であり、リクルート事件であり、佐川急便事件です。それに対してどうするかということが一つ。また、自民党政権の腐敗にもかかわらず政権交代がなかったのは、野党の政権担当能力が著しく欠如していたからです。その意味でもう一つの課題は非自民勢力の政権担当能力の向上です。村山政権ができたときにぼくがショックだったのは、非自民勢力の中で最もこの課題にこたえなければならない社会党が、容易に自民党についたことです。(『潮』1994年9号より抜粋)
二十一世紀の「日本の顔」
岡本行夫(国際コンサルタント)
国際貢献を主張するのであれば、世界中の危険なことはすべて他人にやらせて「我々だけは危険なところへは行きません」というわけにはいかない。カネだけで済ませることも、もちろん一つの選択肢だ。ただしその場合は、「国際社会において名誉ある地位を占める」という標語は一時お休みすべきだ。とにかく、論理的に一貫してほしい。そうでないと、21世紀になったって、日本に複数の政策軸はできない。国民に異なる選択肢が提示されないということは、近代の民主主義ではないということだ。いつまでたっても、「誰にでも向けるいい顔」しかできないということだ。(『潮』1995年2月号より抜粋)
阪神大震災を報じるワイドショー
野村 進(ノンフィクションライター)
ここTBS社会情報局情報二部の「モーニングEye」のスタッフ・ルームには14台のテレビがあるが、すべてが地震の特別番組だ。30数人のスタッフたちは、ひっきりなしにかかってくる電話を受けたり、逆にあちこちに電話をかけたり、テレビに見入ったりしている。私のそばのデスクでは、地震学者の誰と誰をおさえ、何時から何時までスタジオに確保できるかといった打ち合わせが行われている。TBS局内向けの放送が流れてきた。「警察庁によりますと、71時30分現在で、地震による死者は1042人になりました」。死者がとうとう1000人を超えたという発表に、スタッフのあいだから何とも言えないため息が洩れた。(『潮』1995年3月号より抜粋)
「化学テロ」を企てる閉鎖集団の深層
野田正彰(評論家)
阪神大震災から2カ月、都市文明の無残に人々がやるせなくなっているとき、/地下鉄サリン事件が起こった。事件直後に6人が神経毒によって死亡(今原稿を書いている3月23日の時点で10人)、数十人の重傷者を含む約5500人が病院で治療を受けている。/もともと、人はすべての災厄に意味を求める。地震のような自然災害に対してさえ、天の意志や天罰を読みとろうとするくらいだから、ましてや人間の行う犯罪について意味不明では困る。だが、ナチス・ドイツのホロコーストが起こり、原爆が投下され、スターリンによる収容所列島などなどを体験して以降、人は「人間がなぜこんなことを行うのか」と問う力は弱くなっている。それでもなお、私たちは目的不明にみえる犯罪に、「なぜ」を問い続ける。(『潮』1995年5月号より抜粋)
・肩書は基本的に掲載当時のものです。また、一部敬称を略しています。
・一部、現在では不適切な表現がありますが、時代背景を尊重し、そのまま引用しています。
・一部、中略した箇所は/で表記しています。
・表記については、編集部で現在の基準に変更、ルビを適宜振り、句読点を補った箇所があります。