月刊『潮』が見た60年 2016-2020
2023/03/31地震のメカニズムと今後の備え
古村孝志(東京大学地震研究所教授)
熊本地震が起きた別府―島原地溝帯には、多数の断層が並んでおり、地震危険度の高い〝歪み集中帯〟と言われてきました。中でも今回震の震源となった布田川断層と日奈久断層は、マグニチュード(=M)7クラスの地震が発生する可能性が以前から指摘されており、国の地震本部も詳しく調査していた地域でした。日本には分かっているだけで約2000もの活断層がありますが、その中でも布田川・日奈久の二つは地震危険度の高い最重要の活断層だったのです。ですが、活断層は1000年や1万年という長い周期で動き、しかも間隔のばらつきが大きいので、いつ、そこで地震が発生するかを直前に予測するのは非常に難しいのです。/地震国日本に住む私たちは、地震の原因と怖さをよく知っています。けれども、なかなか備えの行動には結びつきません。熊本地震の報道を見て、「自分の地域で起きたならば」と、我がことのように考えるべきです。地震が起きるのは、活断層の存在が知られている地域だけではありません。M6クラスの地震は、日本中どこでも起きうるのです。(『潮』2016年6月号より抜粋)
鶴見俊輔さんのこと
重松 清(作家)
鶴見俊輔さんが亡くなられて一年(2015年7月20日逝去、享年93)というタイミングで、二人の対談が文庫となってふたたび刊行されたわけですが、僕は「対談」なんて言うのはおこがましいと考えています。対話自体は2007年から09年にかけて5回行われましたけど、1回目はとにかく「あの鶴見俊輔に会えるんだ」という思いが強くて、だから僕としては「鶴見さんから講義をうかがった」と言ったほうがしっくりくるんです。/5回目の講義のときは、オバマ大統領の就任式直後でした。「私はオバマ大統領の就任演説を聞いたとき、涙が止まらなかったね」と鶴見さんはおっしゃった。その話をする鶴見さんの目は本当に赤く潤んでいたし、声を詰まらせてもいた。鶴見さんにとってアメリカは、愛憎半ばするものがあったはずです。そのアメリカで、アフリカ系初の大統領が誕生した。感慨深そうに遠い目をしている鶴見さんを見ながら、僕は無言で、でも温かいものを感じていました。あれから七年が経過し、今回の文庫化の話が出たあとに、オバマが現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問することが決まりました。2016年5月27日。オバマの広島訪問の中継を見終えた僕は、あの日の鶴見さんを思い浮かべながら、「文庫版のための後記」を書き始めました。どこか運命めいたものを感じながら。(『潮』2016年8月号より抜粋)
ポピュリズムの時代を迎えたアメリカと世界
船橋洋一(ジャーナリスト)
2016年11月8日(アメリカ時間)投開票のアメリカ大統領選挙で、共和党のドナルド・トランプが民主党のヒラリー・クリントンを下して当選しました。両党の予備選挙を含め、それはひどい選挙でした。相手をけなすだけのネガティブ・キャンペーンの極致とも言うべき惨状でした。まるでアメリカが〝内戦〟状態にあるような図でした。奴隷解放を実現したエイブラハム・リンカーンは、1861年にアメリカ大統領に就任しました。その直後に南北戦争が起き、61年から65年まで内戦が続きます。そのさなかの64年にアメリカは大統領選挙をやりました。そして大統領二期目就任直後の65年4月、リンカーンは暗殺されてしまいます。内戦中も、アメリカでは民主主義が機能していました。今回の大統領選挙に見られたアメリカ社会の分断は、あの内戦のときに比べてもはるかに深刻な状況にあり、そのときよりはるかに民主主義が機能不全を起こしているのではないかと思うほどです。(『潮』2017年1月号より抜粋)
天皇は宗教とどう向き合ってきたか
原 武史(放送大学教授)
昭和天皇は、皇室の長い歴史のなかでは神道よりも仏教の影響のほうがむしろ強かったこと、出家した天皇も多かったことを、当然知っていただろう。昭和天皇に近い事例を一つ挙げれば、昭憲皇太后(明治天皇の皇后美子)は熱心な法華経の信仰者であり、生涯にわたって法華経信仰を捨てることはなかったとされる(ただし公的な記録である『昭憲皇太后実録』には、そのことは記載されていない)。だからこそ、神道にことさら固執する必要性を、昭和天皇は感じていなかったはずだ。むしろ、それ以外の宗教に接近し、そのよい部分を取り入れることで、天皇家の存続をより確固たるものにしようという思いがあったのではないか。(『潮』2018年5月号より抜粋)
両陛下の決意と優しさが新たな時代を切り拓いた
山根基世(アナウンサー)
お二人が行く先々で交わされた会話をみると、まず相手の言葉を聴いて、それに対して受け答えされているのがわかります。あらかじめ決められたセリフを投げかけるのではありません。相手の心に共鳴し、そこから自ずと出てくる思いを言葉にされている。/「おつらかったでしょうね」「大変でしたね」「よく生きていてくださいましたね」。こういった一見ありふれた言葉も、それが本当に心の底から発せられたときには相手の心にまっすぐ届いていきます。人々の声を真剣に聴き、その心に寄り添う。この「共感」を実践されてきたのが上皇、上皇后のお二人なのです。(『潮』2019年6月号より抜粋)
豊饒なる孤独」を語る
中西 進(国文学者) 磯田道史(歴史学者) 岸 惠子(女優・作家)
岸 私は孤独でなければとても生きていけません。内側に自分という存在をしっかりもっていれば、寂びる孤独もたいへんけっこうです。
磯田 ただポツンと寂しい孤独感ではなく、そこには豊饒な孤独がある。中国の『詩経』には「哀此鰥寡」という記述があって、妻や夫がない独り者や身寄りがない人(鰥寡)を哀れみます。江戸時代には荻生徂徠が「鰥寡孤独を愍れみ」と書きました。近世日本でも孤独は哀れむべき対象として教えられてきたのです。
中西 政府も学校教育も、一人で生きる孤独を哀れんできた。ですが、哀れみではない「豊饒な孤独」もあることを知るべきです。(『潮』2019年11月号より抜粋)
・肩書は基本的に掲載当時のものです。また、一部敬称を略しています。
・一部、現在では不適切な表現がありますが、時代背景を尊重し、そのまま引用しています。
・一部、中略した箇所は/で表記しています。
・表記については、編集部で現在の基準に変更、ルビを適宜振り、句読点を補った箇所があります。