「民衆こそ王者」〈識者の声〉篇　茂木健一郎氏

一般論ではない親身な言葉 今回、月刊『潮』の連載「民衆こそ王者」を読んで、「一期一会」と言いますが、やはり人間は一つの出会いを大切にしなくてはいけないんだなと、改めて感じました。 1950年の夏に、若き日の池田SGI（創価学会インタナショナル）会長が横浜の鶴見の会員宅を激励に訪ねられたエピソードが、2020年5月号にありました。 強く励まされた会員さんは、大変貧しいなかでせめてもの感謝の気持ちから、飼っていた鶏の卵を差し上げます。会長は「新鮮だからおいしいですね」と召し上がります。 会長が帰ったあと、座布団の下には、そっと代金が置かれていたそうです。そしてずっと後年に、会長はこれまでで一番おいしかったものとして“横浜の一婦人がくださった産みたての温かい卵”の話をされる。 池田会長は青年時代から、毎日のように何十、何百、何千という人にお会いになる生活だったでしょう。けれども、どの人との出会いも蔑ろにせず、誰に対しても「一人の人間」としてちゃんと向き合って話されてきたのだと、この話を読んで感じました。 脳の研究をしていると「過去は育つ」という言い方をします。その後の人生のなかで過去の記憶が育っていく。たった一日のことでも、歳月とともに心のなかで大切な思い出として育っていきます。 「民衆こそ王者」は、そのあたりを非常に丹念に取材されていて、大変興味深いです。 たとえば『論語』は、孔子が亡くなって数百年も経ってから、私たちが知っているような形にまとまります。その間、孔子という人は弟子に対してこんなことを言っていたと、人から人へと伝えられていたわけです。 このような人間の記憶を通した伝達は、ビデオやレコーダーを用いた物理的な記録とは異なり、人間性が込められたものになります。記憶の継承によって『論語』は成立していくのです。 ほかにも、池田会長が一人ひとりの悩みに、その人の立場に立って、親身に話をされていることが印象に残りました。 僕の学生時代のことを思い出しても、あるいはいま、若者と接していても感じるのは、悩んでいる青年は一般論を求めているわけではないということです。 ところが、学者や教員のなかには、一般論の理屈ばかりを話してしまう人がいます。相談する側からすれば、いま抱えている問題、自分の悩みや苦しみを受け止めてくれたうえで、親身に言葉をかけてほしいのです。 会長は恩師・戸田第二代会長から薫陶を受けた「戸田大学」で、非常に深い教学のみならず、物理や化学まで勉強されていたわけですから、当然、学問的な知識や理論をもっています。 しかし、やはり優れた指導者というのは、そういうものを全部取っ払って、目の前の青年の苦しみや大変さに寄り添って言葉を発する。 他人ではあるものの、自分事として考えてくれる。これは本当に若い人にとってありがたいことだと思います。 若き日の望ましい困難 僕は、池田会長や戸田会長のスピーチの録音を聞いたことがあります。そこではさまざまな人に向け、広い視野に立って、思想やビジョンを話されています。それは一人の人間と膝詰めで向き合い、至近距離で寄り添って話すときの話し方とは、異なります。この両方を兼ね備えている人はなかなかいません。 単に一人に寄り添って話を聞くだけであれば、広いビジョンや未来図は見えてこない。近いものも大事にするし、遠くのものも見据える。指導者は、この両方ができることが大事だと思うのです。 評論家の小林秀雄も嘆いていたことですが、生きる意味や、どう生きるのかを教えてくれる学問が日本にはありません。 2020年4月号に、悩みを抱えた青年が、青年時代の池田会長のご自宅を訪ねる話がありました。 会長は「必ず来ると思って、待っていた」と話し、そのまま一緒に銭湯に行かれる。そして、湯船で彼の話に耳を傾け、「広宣流布は青年部がやるんだよ」「一緒になって悩もうじゃないか。苦労しようよ」と励まします。自宅に戻ると、レコードを一緒に聴きながら、リーダーとしての要諦を懇切丁寧に教えられました。 脳にとっては、理屈ではなく、このように一緒の場を共有する「身体性」が重要になります。これは狭い意味での西洋流の「学び」というよりは日本の伝統的な「道」に近い。「師弟」「修行」などはすべてそうです。 若き日の池田会長は、学業を断念してまでも戸田会長の苦境を支えられました。生きる意味や人の道というのは、合理的に割り切れるものではなく、運命を共にして一緒にさまざまなことをやってみるなかでしか学べないのです。 また、脳科学では「望ましい困難」という考え方があります。子どもの頃のアインシュタインは、言葉の発達が遅かった。何かしらの困難があるからこそ、常人にはないような能力が発達することがあるのです。 戸田会長の事業が苦しいとき、合理的に考える秀才であれば逃げたはずです。しかし、池田会長はあえて火中の栗を拾うように師匠を支え続けました。それが結局、会長にとっては「望ましい困難」になったのではないでしょうか。 リーダーシップ論、組織論では、トップがどこを指し示すかが重要だと言われます。アメリカの実業家であるイーロン・マスクさんは、火星移住計画という「無謀」とも思える目標を掲げています。しかし、そこに向かってトップ自身が走り続けていると、働いているみんなもやる気になって頑張るわけです。 2020年4月号には、学会がまだ数万世帯だった頃、池田会長が自分のアパートに集まった青年たちに「これからはあらゆる勉強をしないといけない。仏法は世界宗教になっていくだろう」と語られたエピソードがありました。 同年5月号には、貧しくてタクシーにさえ乗れない会員の方に対して、「いつか一緒にハワイに行こう」と励まされる。その方は途方もない話だと思っていたものの、結果的には14年後にハワイ指導に赴く会長に同行されている。 楽天的で、みんなに高い目標を指し示し、しかも自分で実践している。組織としては一番やる気が出るトップの姿です。同時に、池田会長は“地ベタ”のことを忘れない。どんなに無名で、生活が苦しくて、教育も受けられていないような人にも、「あなたは大事な人なんです」ということを、一人ひとりに伝えている。 僕のような立場から読むと、ある種の成長する企業の物語にも読めます。ダメな企業というのは、会社の成長や利益ばかりに夢中になって、社員の人間性を尊重せず道具として使ってしまう。 草創期の学会を企業にたとえれば、ものすごい急成長を遂げたわけです。でも、その過程で決して人間を手段として使っていない。 どんな人も価値ある大切な存在なんだと一貫してきたことが、今日につながっているのでしょう。 人間を大事にしない組織は続かない いま、さかんに言われる「持続可能性」という視点から考えれば、人間を大事にしない組織は続きません。学会の方と話していていつも感じるのは、おおらかさというか、ゆったりしている点です。それはやはりＤＮＡなのだろうと思います。 たとえばイギリスから日本に来た僕の知り合いは、親しくつき合うようになって3年ほど経って「実はＳＧＩのメンバーで、家族もみんなそうなんだ」と教えてくれたことがあります。 いまや、学会はグローバルな組織だからかもしれませんが、“無理をしていない”感じがあります。そして、これは草創期の様子にすごく表れているなと興味深く拝読しました。 教学の大切さを強調されているのも印象的でした。学会は御書（日蓮の遺文集）の整備も初期にしています。御書をはじめ、日蓮の思想や仏教哲学が記された「教学」こそが学会の基礎だと思います。そうした基礎を、世代を超えて学び続けるということはとても重要なことです。 日蓮のような天才が書き遺したものは、一通り読めば終わりではなく、時代を越え、読み手を取り巻く環境が変わるたびに、また新しい意味を見いだしていけるからです。 ましてや、今回のパンデミックのように、予測不能な世界規模の変化も起こります。だからこそ、若者から高齢者まで一緒に学び続けるという姿勢がすごく大切なのです。 熱帯雨林に多くの生きものがいるのは、熱帯雨林がずっと続いてきたからです。それと同じように、人の集まりも長く続いていると、多様性が育まれていく。 以前、お誘いを受けて創価大学で授業をしたときに、強くそう感じました。お世辞で言っているのではありません。僕はいろいろなところで授業をしていますが、創価大学には一番素晴らしい学生がいました。 みんな前向きだし、価値観や人間を大切にする姿勢がしっかりしている。留学生もたくさんいて、すごくインターナショナルです。人を肌の色や出身地、言葉や宗教で判断してはいけないということが徹底されていました。『潮』はこの7月（※2020年7月）で創刊60周年を迎えると伺いました。組織も雑誌も“続ける”ことで多様性が育まれる。気が早いですが、ぜひ次の60年をめざして頑張っていただきたいと思います。 ※編集部注本記事に登場する2020年4月号「民衆こそ王者」の内容は、単行本「民衆こそ王者17」に収録されています。また、2020年5月号「民衆こそ王者」の内容は、単行本「民衆こそ王者18」に収録されています。 ☆大好評連載「民衆こそ王者――池田大作とその時代」に寄せられた〈識者の声〉を一部無料公開中。記事はコチラから。＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊脳科学者茂木健一郎（もぎ・けんいちろう）1962年東京都生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」（感覚の持つ質感）をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、文藝評論、美術評論などにも取り組んでいる。2006年1月から10年3月までNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」キャスターを務める。『脳と仮想』『今、ここからすべての場所へ』『脳とクオリア』など著書多数。

「民衆こそ王者」〈識者の声〉篇 茂木健一郎氏

「民衆こそ王者」〈識者の声〉篇　茂木健一郎氏