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クローズアップ 樋口恵子 「老いの大冒険に挑む日本の高齢者よ、胸を張れ!」

介護保険制度の成立に尽力し、評論家としても知られる樋口恵子さん。未曽有の高齢化が進む日本について樋口さんは、「高齢化率世界一の国の国民として、世界に情報を提供する義務がある」「胸を張っていきましょう!」と人々を鼓舞する。その明るき気概に迫る。
(『潮』2023年8月号より転載。撮影=富本真之、取材・文=中島久美子)
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世の老後不安に応え ベストセラーを連発

 65歳以上の高齢者が人口の3割に迫る日本。心身に老いはどう訪れるのか、老後の人生設計をどうすればいいのか――。そんな長寿社会の老後不安に応えて、ここ数年ベストセラーを連発しているのが、今年で91歳を迎えた評論家の樋口恵子さんだ。

 樋口さんは1983年に「高齢社会をよくする女性の会」を立ち上げ、介護保険制度の成立にも尽力するなど、長年にわたり女性の地位向上や教育・福祉、高齢者問題のオピニオン・リーダーとして社会運動を続けてきた。

 『老~い、どん! あなたにも「ヨタヘロ期」がやってくる』『老いの福袋 あっぱれ! ころばぬ先の知恵88』などの著作では、自身の老いのリアルを、ウイットに富んだ文章で表現。お金や働き方、人づきあいや介護について老いの暮らしに役立つ知恵や情報、高齢社会への具体的な提案までを綴っている。まさしく人生100年時代のトップランナーだ。そのメッセージは、高齢者だけでなく、幅広い世代に共感を呼んでいる。

 長年交流がある、社会学者であり日本のフェミニズム研究の第一人者でもある上野千鶴子さんは、樋口さんのことをこう評する。

「この人に頼まれたら何を差し置いても駆かけつける私のグレート・レディーズのひとりであり、ロールモデルです。長い年月、女の人を束ねてきた組織力、そして高齢社会を介護保険で変えた実行力の素晴らしさは言うまでもありません。年を重ねても、時代にちゃんとキャッチアップし、柔軟に対応しているうえ、エネルギーにあふれ、貪欲であり続けているところも魅力的です」(『ゆうゆう』20229月号)

 樋口さんは稀代のコピーライターでもある。「介護嫁は絶滅危惧種」「同時多発介護」「介護離職ゼロ作戦」「BB―貧乏ばあさんから、HB― 働くハッピーばあさんへ」ほか、そのユーモラスで印象的な言葉のセンスによって、社会の見え方を変え、社会の実態までも変えてきた。

 近年では、加齢による心身の活力低下を示す「フレイル」と、筋肉量が減少する「サルコペニア」という専門用語を一緒にまとめて、「ヨタヨタヘロヘロするからヨタヘロ期」と命名。老いのイメージが一気に具体的になった。

 雑誌や対談、4月には人気番組『徹子の部屋』に出演するなど、今なお活発な言論活動を続けている樋口さん。ヨタヘロ期を明るく豊かに過ごす秘訣を知りたくて、ご自宅に伺った。

 

長寿は平和の賜物

 閑静な住宅街のなかに佇む、庭の赤いバラが印象的な一軒家。室内では真っ白に輝く大型の猫がゆったりと寝そべっている。樋口さんが〝心のリハビリ介護士〟とかわいがる愛猫だ。お目にかかった樋口さんは、顔がバラ色でつやつやとした肌が美しい。まずはこの5月に91歳を迎えた率直な心境を聞いた。

「人並みにうろたえ、人並みに落胆し、そしてまた人並みに気を取り直して、これからも生きていこうと思います」

 意外なことに、樋口さんは子どもの頃は病弱だったそうだ。

「子どもの頃は腎臓やら体のあちこちが悪くて、主治医の先生から『このお嬢さんはお産の時に妊娠中毒で死んじゃうかもしれないよ』と脅かされたとか。親はハラハラしていたと思いますよ」

 樋口さんが生まれたのは1932(昭和7)年。父は考古学者として大学で教え、専業主婦の母と姉と兄がいた。前年満州事変が勃発。姉は7歳のとき疫痢(幼児の赤痢)で亡くなり、眉目秀麗な文学少年だった兄は、工場に勤労動員され、過酷な仕事のなか、15歳で急性結核性脳膜炎によって亡くなっている。

「世代的特徴として、我々の世代から戦争で死んだ者は大変少ないのです。もちろん戦時中ですから、空襲で一家生き埋めになった遊び友達もいましたし、栄養失調で亡くなった子もいました。そして親御さんを亡くした人も大勢いました。それでも最後の徴兵検査が昭和2年と3年早生まれまでなので、私たち世代は戦場で戦死をした人は少なかった。平和が到来したおかげです。東京大空襲でも私たちは集団疎開していたので助かった子どもが多かったんです」

 樋口さんは静かに語る。

「私の最初の連れ合いは昭和2年生まれで、大変民主的でいい男でしたけれど、召集直前に終戦となり、あそこで徴兵検査が終わってくれたおかげで生き残ることができました。だからこそ強く申し上げたいのは、これから本格的な高齢を迎えていく私たち世代がここまで生きてこられたのは、平和の賜物であり、贈り物だということをゆめゆめ忘れてはいけないだろうということです」

 話を聞きながら、生きることへの憧れを抱えたまま戦死した当時の若者たちを思った。1935年の国勢調査では平均寿命は、約50歳だった。戦後の経済復興や医療制度充実などで日本人の人生は倍近くに延びたのだ。

 

本物の老いは「ふわーっと」転ぶ

 常々「60代はまだまだ若い。70代は働き盛りの老いの華」と語っていた樋口さんだが、現在の老いは、これまでと違う「本物の老い」と感じているという。どのように違うのだろうか。

60代の頃、私が著名な高齢者に健康の秘訣を聞くテレビ番組があって、そのなかで当時90代の加藤シヅエ(元国会議員)先生に取材する機会がありました。そのときは取材前に加藤先生が自宅で転んで骨折し、手術される事態になったので一度延期したんですね。

 退院後、自宅に伺うと敷物の端まできれいに転倒防止策がされていて、『こんな行き届いたお住まいなのに、なぜ転んだんですか?』と聞いたんです。そしたら加藤先生は『どこにも掴まらずふわーっと立っていたら、ふわーっと転んだの』と。そのときは、ふわーっという言葉が面白いなとは思ったけれど、よくわからなかった。それが去年90歳になりまして、あのときの意味が実感としてわかります(笑)」

 それは、樋口さんと同居している娘さんが、仕事で出かけた昼間に起きたという。

「玄関の上がり框(がまち)の傍に立っていたら、ふわーっと倒れたんです。しばらく立ち上がれなかった。それからゆっくり立って、隣のご夫婦のところへ行って、娘や秘書に電話をかけてもらいました。まさかのときは遠くの親戚より近くの他人。同居の家族がいても昼間は老人ひとりのことが、いかに多いかと思いました。この頃は強盗が白昼堂々入ってくる事件もありましたから、高齢者の安全確保という点からいうと、『昼間ひとり老人』と新しい言葉を作って流行らせなきゃいけないですね」

 樋口さんは、自らの経験を社会にどう生かすかを常に考えているようだ。

「そうですね。先日も『徹子の部屋』に出演する機会をいただいたので、そのときも『遠くの親戚より近くの他人で、何かあったときに駆け込める近所の人間関係が大事だ』と話しました。あと、年寄りは転んでもしょげない図々しさが大事ではないでしょうか。私もそのときは10秒くらい気絶したかもしれないし、少し悲観的になりましたが、まあこの歳になればこんなこともあるわな、って(笑)」

 東京都監察医務院発表によると、転倒・転落による高齢者の死亡者数は、交通事故やお風呂の事故より多いという。「恋に溺れるのは18歳、お風呂で溺れるのが81歳、ふわっと倒れる90歳」と、以前観た笑点の大喜利をもじって樋口さんは言う。

24時間警戒しなければいけないのが高齢者なの。要介護要因の原因別でみると、男は脳出血、脳梗塞、心臓麻痺などの循環器系が多く、要介護要因の3割。女は手足の骨折、転倒、骨粗しょう症という運動器の障害によるものが3割。男女別ではっきりしていて、男性が女性よりも寿命が短い要因の一つですね」

文化系から運動系へ

 樋口さんは10年ほど前から、自宅にトレーナーを招き、パーソナルトレーニングを始めているという。「ご近所で歳の近い、健康状態も似た方から勧められて始めたら、自分に合っていたので月に23回お願いしています。1時間くらいストレッチとスクワット、体を動かして。終わると顔色が良くなりますね」

 大学時代は合唱部と新聞部に所属していた。体を動かすことは嫌いで、決して体育会系ではなかったという。

「さっき触れた運動器とは、骨や筋肉、関節、神経など人間の体の動きを担うもの。要は手足のことですが、考えてみたら足があるおかげで行きたいところに行ける、手があるおかげで何かできる。私たちは頭で考え口でしゃべり、手足がその他の臓器を運んでくれるからこそ生きられる。運動器というのは命を載せて運ぶから〝器〟なんだなと合点が行きました。運動が嫌いな私でも、体は歳を取ったら運動器さまさまなので、やっぱり運動は大事です。人生の後半を迎えた皆さまも、ご趣味の中へどうぞ運動系をお入れください」

 もともと音楽や演劇が好きで、オペラに夢中になった時期もあるそうだ。

「友達と歓声を上げながらスターを追うのは無上の喜びです。幕間のお喋りも。だけどだんだんそれができなくなるんですよ。私より年上の世話役だった素敵な方も、あるとき『私行かれない、もう』と。オペラは一幕1時間かかりますからトイレがもたないそうです。そうやって仲間とのつきあいがだんだんなくなるんですよね。そうした意味でも、どこかに出かけるわけでなく、自分一人でできる趣味は最後まで続けられます」

90歳での乳がん手術

 2年前の20216月、89歳のとき、乳がんが見つかった。違和感を覚えて、医師である娘に相談し、検査を勧められて発見された。

「乳がんとわかったときは卒寿目前。『めでたき身にもがんぞ棲む』です。切るほうが無難な選択だと先生に言われ『90歳のがん手術ですか?』と言ったら、『100歳の人も切りましたよ』と返されて何も言えなくなりました(笑)」

 だが仕事が忙しく1年近く延期して、昨年4月に手術した。高齢での手術だけに、麻酔量ほか細心の注意を払って施術され、術後の痛みは、ほぼなかったという。

「乳がんと言われたときに、死ぬのも嫌だけれど、じゃあこのまま生き続けると思ったら、お金がいつまであるかとか、下手に長生きしたらどうしようとか色々考え出して、一時すべてが嫌になりました。それがしばらくたったときに、有難い人生だったという気持ちがシャワーで浴びるほどの勢いで湧いてきたんです。

 生まれた時代を考えると、皆さんのご厚意に恵まれて、いろんなことをやらせてもらって。仕事もそれなりに評価していただいて。部屋中が私の感謝でいっぱいになるような感覚でした。一緒にやってきてくださった方、ものを書かせてくださった方、委員に任命してくださった方、すべてに感謝の気持ちが湧いて」

 心理学でいうところのレジリエンス(精神的回復力)だろうか。樋口さんによれば、それは誰にでもある感覚だという。

「人間は楽天的にできているんですよ。すべての人に運のよい面も悪い面もあって、その人がどこか際立って社会に生きることができるとしたら、必ず誰かのおかげ様があることは紛れもない事実。病気を通して、そういうチャンスを与えてくださった方々に広く感謝し、その思いを裏切らないように生きようと思いましたが、日々裏切って生きていますね(笑)。やっぱり聖人君子にはなれません(笑)」

 高齢になると心身ともにつらいことが増えてくる。だからこそユーモア感覚が大事だと樋口さんはエッセイで書いている。嫌なことやつらいことも俯瞰して眺めて笑いに変えると、気分が新たになる。

 樋口さんのユーモアの原点は、子どもの頃、父親と一緒にラジオで聴いていた「落語」だ。言葉の面白さと、つらいことがあっても笑いにしてしまえばいいことを感じた。落ち込んだり腹が立ったりは山ほどあったけれど、忙しさと笑いがあれば乗り越えられるという。

どんな社会にも理解者がいる

 樋口さんが女性の地位向上のために果してきた功績は様々あるが、なかでも女性が担うのが当然とされていた介護を、「介護は社会が担う」とした介護保険制度の実現への尽力は大きい。それは、樋口さん自身の切迫した経験がもとにあった。娘が4歳のとき夫が病気で突然亡くなり、樋口さんは、同居していた母に娘を預け、そのサポートでシングルマザーとして必死で働いた。40代でその母は介護が必要な状態になった……。

 父は他界し、きょうだいもいない。何とか仕事を続け、生活を支えるためにも、安心して預けられる病院を探した。だがそれしか方法がない樋口さんに、「親を人手に預けて」と心ない声が飛んだ。当時197080年代は女性の介護離職が当たり前と見なされ、介護の担い手は嫁が多数。女性ゆえに人生の夢を諦めた人が多かった。

 そんな社会を変えて、男性も女性も同じように自分の人生を生き、そして高齢者が幸福に老いることができる社会にしたい――その思いが活動の原点にあるという。

「かつて評論家の秋山ちえ子さんに社会を変えていくことについて、こう言われたんです。『ことは50年単位で見てごらんなさい。世の中は変わっていきますよ。ときに焦ることも大切だけど、一面では必ず歴史は正義のほうに味方してくれるという自信を持って、50年単位で見ていくことも大事なのよ』と。そういうことを言ってくれる先輩がいることは有難いことだなと思いましたね。必ずどんな社会にも理解者がいる。その理解者は、時代を追うごとにきっと増えていく。その歴史的事実に自信を持って臨もうと」

 

日本の高齢者よ胸を張れ!

 樋口さんは、7090代のヨタヘロ年齢の活性化のために何をしたらよいかを考えている。その一つは、地域社会で高齢者に必要な「食」「職」「触」が叶えられる「じじばば食堂(高齢者カフェ)」。これは近隣の廃校の小学校に作れば孤食で低栄養になることを避け、開かれた交流の場になる、という。心躍るアイデアだ。

「これからの時代、人生100年という単位で一人ひとりが自分の人生を見つめ直すことが大切だと思います。高齢化率世界一の国の国民として、世界に情報を提供する義務があると思っております。これはとてもワクワクすること。だから威張っていいんです。他の先進国も同じように頭を抱える高齢社会をどう構築していくか、知恵を交換しなければならないときに、その知恵の材料が日本ほど豊かな国はないですから。先進国のトップバッターが私たち日本の高齢者ですから、胸を張っていきましょう!」

 尽きせぬ好奇心と、社会をより良いものにという志をエネルギーに、ファーストペンギンとして老いの大冒険に挑む樋口さんは、こちらの不安や懸念が吹き飛ぶような笑顔を見せた。

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評論家
樋口恵子(ひぐち・けいこ)
1932年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。時事通信社などを経て評論活動に入る。NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。東京家政大学名誉教授。著書に『90歳、老いてますます日々新た』ほか多数。

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