こども家庭庁の施策のズレはなぜ起こる?
2023/09/05(『潮』2023年10月号より転載)
********************
国民の期待とズレた施策
こども家庭庁に批判の声が集まっている。子育てや少子化、児童虐待、いじめなど子どもを取り巻く社会問題に対して、省庁の縦割りを超えて取り組むために設置されたこども家庭庁。しかし、商業施設などで妊婦や子ども連れを優先する「こどもファスト・トラック」、Jリーグとのコラボやタレントを招いたイベント、子育て中の家庭を若者が訪問する「家族留学」への支援、「家族の日」写真コンクール主催といった施策を発表するたびに、ネット上は大炎上する騒ぎになっている。
中には正しく情報が伝わっておらず、誤情報が拡散されているケースも散見されるが、ここまで炎上が続くのは政府に問題があると考えたほうが妥当だろう。なぜここまで国民からの期待とズレた施策ばかりが出てくるのか。ここをきちんと整理しなければ、他の省庁も含め、国民と政府・政治家の「ズレ」はいつまで経っても解消されないだろう。
そもそも、国民はこども家庭庁に何を求めているのだろうか。日本財団が2023年3月に実施した1万人女性意識調査「少子化と子育て」によると、「こども家庭庁に特に期待すること」は、1番目が「子どもの貧困の改善」(20.3パーセント)、2番目が「少子化の改善」(18.4パーセント)、3番目が「児童虐待対策」(16.9パーセント)と続く。
これらの国民からの「期待」に対し、こども家庭庁は十分に応えられているのだろうか。施策を考えた職員らがどう思っているかはわからないが、「それじゃない感」は否めない。実際、それぞれの施策に対し、「もっと困窮している家庭を救うのがこども家庭庁の仕事なのでは?」「施策が的外れ」といった批判の声が連なっている。
なぜピントがズレた施策が続くのか。結論から言えば、①短期的な成果を求めすぎている、②意思決定層の偏り、③科学的な意思決定になっていない、④子どもの権利(人権)からのアプローチになっていない、からである。
まず1つ目の「短期的な成果を求めすぎている」。これまで十分な少子化対策が取られてこなかった最大の理由でもあるが、投資の観点が弱く、小手先の施策が多い。子ども・子育て施策を本気で進めようとすれば、予算規模も大きく、施策の幅を広くしなければならない。
例えば「子どもの貧困の改善」であれば、賃金の上昇、子育て費用の軽減、社会保障の拡充などの施策が考えられる。実際、直近で最も子どもの貧困率の高かった2012年(16.3パーセント)から21年は11.5パーセントと5ポイント程度改善されており、その理由は、人手不足を大きな背景として、所得の低い層の賃金上昇、共働き世帯が増加したことが多い。さらに改善を進めるには、教育費の大幅な負担減や家賃補助などの施策が求められるが、これは多額の予算を必要とするためなかなか進まない。
他方、こども家庭庁が7月に開いた「こどもまんなかアクション」の本格スタートを記念するイベントの広告制作会社に対する委託費は1350万円と、「やった感」を演出するために無駄に予算を費やしている。
これだけの予算があれば、欧州と同じ高水準の「こども国会」などを国主催で開くことも可能だが、実際にやっているのはアンケートなどの表層的な取り組みで、本気度が伝わってこない。自民党女性局のフランス研修も同じような構造だが、本当に必要な部分にお金が行き渡らず、意義があると思えないところにお金や時間が費やされている。この「矛盾」に対し、国民は苛立ちを覚えている。
次に、「意思決定層の偏り」だ。性的少数者に対する首相秘書官(当時)の差別発言が記憶に新しいが、一言でいえば、普通の人々の暮らしをわかっていない。今国民が何に苦しみ、何を求めているのか。これまでは業界団体を通して意見を集約していたが、今や業界団体に属している人のほうが少数派であり、特権階級ですらある。
これを解消していくためには官僚の流動性を高め、中途採用や民間人材を積極的に活用していくこと、現状意思決定に参画できていない層を巻き込んでいくことが必要だ。例えば台湾では、若者や最先端の動向を取り入れるため、各大臣に対し20名ほどの若手の社会起業家がリバースメンター(年長者や上の立場の人に助言する役割)としてアドバイスをしている。
フランスでマクロン大統領が開催を決めた気候市民会議では、150名の市民を無作為抽出で集めたが、その際、社会の縮図(ミニ・パブリックス)になるように男女比や年代、地域、年収などの基準から選び、普段政治参加できていないホームレスも2名参加した。政府が特定の層を選ぶ車座対話のような形ではなく、国民各層の声を取り入れる施策をもっと積極的に行うべきである。
人権の観点から子ども・家族政策を
次が「科学的な意思決定になっていない」。いわゆるEBPⅯ(エビデンスに基づく政策立案)だが、これは施策の精度だけでなく、国民に納得してもらうためにも重要である。炎上している施策は、どれも感覚的なもので科学的な根拠を持って意思決定しているようには見えない。
これも批判の声が集まっている、自民党の森まさこ参議院議員が推進中のブライダル業界への補助金事業「ブライダル補助金」に関して、森議員はブログで「アンケートによると未婚の方たちが結婚したいと思うきっかけは『友人知人の結婚式に出たとき』が多い」と書いているが、出典を見ると、業界の身内である「リクルートブライダル総研」であり、これをエビデンスと見るのは非常に危うい。ここら辺のリテラシーを強化するためにも、官僚に修士・博士課程を修了した学生を積極的に採用していくべきだろう。
最後が、「子どもの権利(人権)からのアプローチになっていない」。これは少子化対策の議論でずっと気になっている部分だが、日本以外の国々で子育て施策を議論する時に最も重視されている視点は、少子化ではなく、人権である。人々がその属性にかかわらず可能性や選択肢を広げられるように、誰もが使いやすい社会制度を政府が整備するのである。
スウェーデン大使館の子育て・家族政策の勉強会で、日本政府の関係者が少子化対策のための施策を紹介した後に、ノルウェー・デンマークの登壇者は、「まずはじめに、我が国は出生率ということではなく、人権の観点から子ども・家族政策を進めてきて、保育所の整備や育休なども個人が当然受けられるべき権利保障として整備されてきた」と発言していた。
これに対し、日本では出生率を上げるためにどういう施策が必要か? と議論される。だからこそ、政府が求める家族像や生き方を押し付ける形となり、そこに国民(特に、多様性が当たり前の時代に育った最近の若い世代)は嫌悪感を覚えるのである。
政府が特定の方向に誘導するのではなく、個々人が希望する方向にいきやすくするための環境を整備する。それが人権保障である。これが欠如しているため、国民の感覚に鈍感であり、積極的に声を集めようともしない。つまり、人権保障の観点が弱いことと、日本が民主主義国家として未熟なことは密接に繋がっている。子どもの意見反映事業の問題点については別稿にするが、これに問題が多い理由も人権保障の観点が弱いからである。
国民の期待と政府の施策のズレに国民が敏感になってきたのは、それだけ生活に余裕がなくなってきていることの裏返しである。これまでは多少ズレていても〝問題はなかった〟かもしれないが、政府や政治家はこの変化を重く受け止めなければ、国民の失望はさらに広がるだろう。
***********
日本若者協議会代表理事
室橋祐貴(むろはし・ゆうき)
1988年神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。在学中からIT起業家として活動を開始。2015年11月、若者の声を政治に反映させる「日本若者協議会」を立ち上げる。