【鼎談】“田原総一朗”の使い方(前編)――「危ない好奇心」が面白い!
2023/11/06ジャーナリスト・田原総一朗氏が毎号、ゲストをお呼びしてさまざまなテーマについて対談する連載「ニッポンの問題点」。
今回は、瀬尾傑氏と高橋弘樹氏をゲストに招き、「田原総一朗にみるメディアのあり方」をテーマに鼎談(ていだん)を行った。
瀬尾氏は講談社勤務などを経て、ノンフィクションや調査報道を扱うスローニュース株式会社を設立。高橋氏は元テレビ東京プロデューサーとして数々の人気番組を手掛け、その後独立。さまざまな形でメディアに携わってきた3人が語る「メディア論」とは――。
(『潮』2023年11月号より転載)
※鼎談の後編は『潮』12月号に掲載されています。
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「島」の話でいいんですか⁉
田原 今回はメディアをテーマに、対談ではなく鼎談でお送りします。僕がずっと一緒に仕事をしている瀬尾さんと、元テレビ東京プロデューサーの高橋さんに来ていただきました。
瀬尾さんは『日経ビジネス』の記者から講談社に転職して、その後ノンフィクションや調査報道を扱うスローニュースという会社を立ち上げた。
高橋さんは、テレ東でテレビ番組の「家、ついて行ってイイですか?」、ユーチューブの「日経テレ東大学」など面白い番組をたくさんつくってきて、今年独立しました。
高橋 田原さんと仕事をしたのは「日経テレ東大学」のゲストとしてお呼びしたのが最初ですけど、お会いしたのはもっと前。テレ東で講演をされたときがあって、僕も何か質問をしたことがあったんですよね。
田原 全然覚えてない。(笑)
高橋 僕も何を質問したのか覚えていないです。ただ、「朝まで生テレビ!」(朝生)をはじめ、田原さんの番組を見ながら勝手に私淑というかリスペクトしていましたね。
田原 瀬尾さんは高橋さんに興味をもっていた?
瀬尾 もともと高橋さんがつくった番組をそうと知らずに好きで見ていましたね。強く意識したのは、高橋さんのエッセイを読んでからです。東京23区にある「島」を訪れるという企画で、内容も面白かったんですが、多忙な高橋さんがわざわざ取材して執筆しているところに興味をそそられました。
田原 「島」ってどういうこと?
瀬尾 あまり知られていないですが23区には川の中や東京湾の沿岸に中州や人工島があるんです。
高橋 たとえば北区の荒川には中之島があって「草刈の碑」なんてものが建っている。戦時中に農民が「全日本草刈選手権」とかいう大会を開いていたとか、調べてみると結構発見があるんです。
田原 僕もこのあいだ、鹿児島県の長島という島にいって、地方創世の取り組みを取材してきた。そこは島の取り組みが面白かったんだけど、高橋さんは何が面白くて島をめぐっていたんですか。
高橋 妙見島とか佃島って距離的には陸地とほとんど離れていないはずなのに、ちょっと入っただけで街の空気というか雰囲気がガラッと変わるんですよね。急に静かになったり車通りがなくなったり。日常のすぐ隣にある非日常性が感じられて好きなんですよね……これ島の話でいいんですか⁉
ヒット作の原点は「覗き見」の欲求
瀬尾 高橋さんの代表的な番組である「家、ついて行ってイイですか?」って、ジャンルとしてはバラエティなんだけど、ドキュメンタリーの作り方が色濃く反映されていますよね。
田原 説明すると、終電を逃して駅でうろうろしている一般の人に声をかけて、タクシー代を出す代わりに家まで取材させてもらう番組ですね。
瀬尾 普通、一般人の自宅を取材する場合は事前にアポを取っていたり、映してはいけないものにモザイクをかけたりするものです。でも高橋さんはアポなしで部屋まであがって撮影し、モザイクなしで放送する。もちろん本人の許可はもらっているけれど、急にお願いするわけだから部屋の中は何の準備もしていない、無加工の状態ですよね。それで取材をしてみると、実は壮絶な人生だったり、悲しい過去をもっていたりする。
田原 どうして一般人の家を訪ねるのが面白いと思ったんですか。
高橋 昔安アパートに住んでいたことがあって、壁一枚を隔てて隣人の生活音がうっすら聞こえていたんです。そんなときに「覗き見してみたいな」という好奇心が湧いた。普通、他人の生活に踏み込むことなんてできません。そうした他者に見せないところを覗いてみたいという変態っぽい意識があったんです。それが原型ですかね。
瀬尾 「覗き見」って人間の好奇心の典型的な表れじゃないですか。もちろん、それで他人様に迷惑をかけるのはいけないけれど、「覗き見」の面白さを認めることはすごく大事だと思うんです。僕はジャーナリズムとか編集の仕事をつづけていて、なぜそれが好きなのかというとやっぱり基本は好奇心なんです。この好奇心が多くの人を惹きつける番組や記事の源泉になるんですよね。
田原 高橋さんのは「危ない好奇心」だよね。
瀬尾 「危ない好奇心」というのはなかなかバカにできません。かつて写真週刊誌が300万部以上売れた時代があった。その筆頭である『FOCUS(フォーカス)』は「人殺しの顔を見たくはないのか」といって立ち上げられたんです。
田原 犯人の顔や「なぜ殺人を犯してしまったのか」という理由に僕らは興味をもちますよね。なかには「死刑になりたかったから罪を犯した」という犯人もいた。
高橋 とはいえ人間の頭は自分にとって都合のいいストーリーをつくってしまうから丹念な取材が必要です。警察発表では「死刑になりたかった」と証言しているようだけど、犯人が本当はどう思っているかはまだわからない。警察発表だけに依拠するのではなく、関係者を取材して、さらにその関係者の過去の付き合いや家族までも調べてみる。そうやって追いかけてみると、見えてこなかった全体像が浮かび上がってきます。
田原 そんな風に調べ直してみると、世間で言われていたことがひっくり返るということはない?
瀬尾 僕が『月刊現代』で編集者をしていたとき、「日本の戦後 私たちは間違っていたか」という戦後史を検証する連載を田原さんとやったんです。そのなかで、通説とされているものが実は違ったという例がいくつも出てきました。
わかりやすいのが、池田勇人の答弁とされる「貧乏人は麦を食え」という暴言。この発言は教科書にも載っているんですが、あくまで経済合理性を説明する文脈の言葉だった。実際の答弁は「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそったほうへ持っていきたい」です。
田原 つまり、戦時中からつづく経済統制を止める流れのなかで、食料価格の統制も止めようとしただけなんだ。それまで米をはじめ農産物は、政府が農家から強制的に安価で買い取って配給していた。それを止めれば米の価格は上がり、相対的に麦の価格は低くなる。池田はそうした自由経済、自由市場を志向していて、首相になってからは「所得倍増」を掲げた。
瀬尾 通説が噓だったんです。
どうしてテレ東を辞めたんですか
田原 ところで、高橋さんはどうしてテレ東を辞めたんですか?
高橋 「日経テレ東大学」が今年の3月に終了することになったんですが、僕としてはまだやりたいことが残っていた。だから会社を離れてでも企画をつづけていこうと思ったんです。それで、退社した後、ユーチューブで「ReHacQ(リハック)」というチャンネルを立ち上げました。
田原 テレ東としては、高橋さんを絶対辞めさせたくなかったでしょう。「日経テレ東大学」は日本経済新聞とテレビ東京の共同事業ですよね。日経のほうが何か言ってきたんじゃないですか。
高橋 いやぁ、概ねそうなんじゃないですかね(笑)。ただ、会社とか大組織のことなので本当のところの理由はわからないんです。
田原 僕も高橋さんと同じくらいの年齢でテレ東を辞めた。当時は東京12チャンネルだった。
高橋 どうして辞めたんですか。
田原 1970年代には原子力発電所への反対運動が盛り上がっていた一方で、原発推進運動も存在した。それに興味をもって調べてみたら、電通がバックにいたことがわかった。その内容を筑摩書房の雑誌で連載をしていたら電通が怒って、東京12チャンネルのスポンサーを降りると言ってきた。そこで僕は、連載を止めるか、会社を辞めるか選んでくれと命じられた。それで辞めたんです。
瀬尾 でも田原さんはその後、電通と良好な関係をつくって、内部取材もされますよね。
田原 電通のことで辞めたから、電通のことを書かないといけないと思っていた。それで『週刊朝日』の連載を始めたんですが、第1回の原稿を入れた後、編集部から全面改稿の依頼がきた。要は電通からのクレーム。そこで僕は人脈を辿って電通の幹部に直談判した。それで自由に書くことができた。
瀬尾 僕は田原さんの『電通』を読んで電通の就職試験を受けたんです。面接で「田原総一朗の『電通』を読んで、政治を裏からこんなに動かせるなら自分もやってみたい」と言ったら案の定落ちましたね。
政治家に「鎧」を脱いでもらう
田原 高橋さんの「日経テレ東大学」は有名番組だったけど、読者のなかには知らない人もいます。どんな番組だったんですか。
高橋 僕は制作局というバラエティ番組をつくる部門の出身です。通常、政治というと報道局が担当することが多いので、報道局がやらないようなことをやりたいと思っていたんです。それは何かというと、危険なことなんですが、「政治家の魅力を描く」ことです。当たり前ですが、権力批判は大切な仕事ですし、政治家の言っていることを鵜呑みにしてはいけません。ただ、それが強く教育されすぎて、メディアの政治報道の弊害が出てきている気がしたんです。
田原 弊害ってどういうこと?
高橋 政治家や官僚はみんな汚職をしているって思う人が増えてしまったのではないかなと。結果として、優秀な人材が政治家や官僚を目指さなくなった。それではもったいないと思ったんです。
田原 政治家を呼んで、その魅力をどうやって描いたんですか。
高橋 大事にしたのは、「鎧」を脱いでもらうことでした。政治家には言葉を巧みに操って民衆を扇動する力がある。一皮むけばデマゴーグになる素質のある人たちです。だから、魅力を伝える前に、ご自身を取り繕っていた部分をすべて脱いで赤裸々になっていただきたかった。
田原 いわゆる司会はタレントのひろゆきさんと経済学者の成田悠輔さんが務めていますよね。
高橋 その二人はゲストに遠慮なく厳しい批判を向けるので、鎧を脱いでもらうのに効果的なんです。鎧を取り払った後で「じゃあ政治家として核にあるのはどんな信念なんですか」という話をしてもらっていました。ただ、そこに辿り着く前に放送事故並みにボロボロになってしまうこともありましたが、それも面白いかどうかといえば、面白いですよね。
「普通の言葉」は民主主義の本質
瀬尾 いま田原さんはユーチューブの企画にも積極的に取り組んでいますが、田原さんをネットの世界に誘ったのは実は僕なんです。「現代ビジネス」という講談社で初めてのデジタルビジネスメディアを立ち上げたときから、いろんな企画を一緒にやってきました。
田原 いまでも瀬尾さんにはいろいろお世話になってます。
瀬尾 そのときの目的は、田原さんに新しいオピニオンリーダーを育てるプラットフォームになってもらうことです。それで当時、ネットでは有名でもマスメディアには知られていなかった津田大介さんやイケダハヤトさんたちと対談や座談会をしてもらった。
そのなかで、SNSをテーマにした座談会をやった。田原さんはSNSの仕組みなどは詳しくなかったと思うんですが、議論が盛り上がっているときに突然、「SNSが個人を支える力になるとか言っているけれど、それはあなたたちが発信力のある強者だから言えるんでしょう」と問いかけた。ここっていまもある本質的な課題だと思うんです。仕組みを理解していなくても、そうした核心部分を見つけてわかりやすく問題提起できるところが凄い。
高橋 そこはまさに僕が田原さんをリスペクトする点で、根がテレビマンだなと思いますね。テレビプロデューサーが番組をつくるとき、どこに意識を置くべきかというと「お茶の間」なんです。やっぱり5歳の子どもから80歳のご年配の方にも通じる番組になっているかが大事です。
田原 政治家や経営者、大学教授はモノを説明するときに専門用語を使うんです。そういうとき、僕は「それじゃわからない。普通の言葉で言え!」と訴える。
高橋 話がわかっていないのに「言え」って上から言えるのが凄いですよね(笑)。それがエンターテインメントとしても面白くて、同時に民主主義の根幹でもあると思うんです。要するに、政治家に対して権力を授けているのは主権者たる国民です。政治家に対して「あなたの言っていることがわからない。わかるようにちゃんと説明しろ!」と要求するのは民主主義の本質かもしれない。
「 あれが面白いんじゃないか」
瀬尾 誰が相手でも臆さず議論するのは田原さんの魅力ですよね。東日本大震災のとき、田原さんを誘って、国会を包囲して盛り上がる反原発デモの中を取材しにいったんですね。そのうち田原さんに気がつく人が出てきてヤジも飛んできた。僕は「事件とかにならなきゃいいな」と思っていたんですが、田原さんは一番うるさくヤジっていた人のほうに歩いていった。その人に「お前は原発推進派だろ」と罵声をぶつけられたら、田原さんは「僕は原発推進派じゃない」「あなたはどうなんだ」「どうして反対しているんだ?」としつこく聞いて議論をするんです。
すると相手は段々口ごもってきて、最後には黙ってしまった。その場を離れた後、「危ないから放っておいたらいいじゃないですか」と僕が言ったら、田原さんは「何を言っているんだ。あれが面白いんじゃないか」と。
高橋 まさしく「危ない好奇心」ですね。冒頭で島の話にめちゃくちゃ食いついたじゃないですか。本来スルーしてもいい話だと思うんですが、ナチュラルに凄い好奇心をお持ちなんですよね。
田原 僕の取材をする基本はやはり好奇心ですよ。
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