”陰で闘う”ことの大切さを教わった 【書籍セレクション】
2024/02/22開学準備が進む創価大学にあって、池田先生は準備にあたる職員たちに「"陰で闘う"ことの大切さ」を語られます。
それは仕事だけでなく人生万般に通じる励ましでした。
『民衆こそ王者 池田大作とその時代』19巻から一部を抜粋してご紹介します。
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創価大学が開学する3年前、幾人かの学生が「創大の図書館で働きたい」と申し出る。
池田大作はその志に応じ、戦争中から"わが子"のように大切にしてきた本の思い出を語り始めた。
読書こそ人生の最大の武器――この池田の心を形にするために奮闘した人々のドラマを追う。
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もうすぐ創価大学の文系校舎が出来上がる、という時だった。地上8階、地下1階。塗り上がったばかりのクリーム色の壁が、午後の光に照らされていた。
「非常に鮮やかな色ですね。久しぶりに新鮮な空気も吸ったし、じつに気持ちがいい」
校舎を見上げて池田大作は笑顔になった。 屋上に上り、建設用地を一望した。工事関係者たちに「一つ一つが誠意を込めて作られています」と声をかけた。1970年(昭和45年)の11月28日。 八王子は都心と比べて冬の訪れが早い。しかし、まだ秋の気配が残っていた。
"陰で闘う"ことの大切さを教わった
開学に向けて、どの部門でもハードな仕事が続いていた。図書館の蔵書整理に携わっていた平田幸也は、開学前後のキャンパスについて「周りはまだまだ雑木林と畑が多かった。私は方向音痴なので、最初のころは理科実験棟の建物を出て少し歩いたら、どっちが東か西かわからなくなりました」と笑う。
創価大学を選んだ学生を迎え入れるために、何ができるか。当時の努力の一端をうかがえる証言がある。
家具メーカーの天童木工は、日本で初めて「成形合板」の技術を取り入れたことで知られる。社長の加藤昌宏は、創価大学の人気講座「トップが語る現代経営」に招かれた折、次のように語った (2017年11月)。
「実を言いますと、私が、創価大学に来たのは、今度が初めてではないのです。大学が開学した1971年当時、私は、東京支店の仕事で、創価大学に納品に来たことがあるんですよ。図書館の閲覧机とか、各教室の演台などを搬入するためでした。
それから何年か後にも納品のために訪問したのですが、その時、お会いした先生から、私は、素晴らしい言葉を聞いたんです。
『私ども創価大学で、素晴らしい什器備品・家具を使うのは、学生時代から、一流品とはこういう物だよということを、しっかりと経験・体験させたい。そのために御社、「天童木工」の製品にしたんです』と。
いやぁ、それを聞いた時に、何と素晴らしい大学だろう、と感動しました」(『トップが語る現代経営41』創価大学出版会)
大学の備品の場合、 若い学生がどんな使い方をするかわからないから、壊れてもいい物を納めることが少なくないという。創価大学が開学した昭和40年代は、大学紛争でキャンパスが荒れた時代だった。
「それをあえて良い物を使って、若いうちから良い物に触れさせ、そして、目を養っていく。そういうことが、一つの大きな将来への力になるんですね。そういう面で、創価大学の学生の皆さんは、素晴らしい環境の中で勉強できるんだな、ということを、その先生から教えられました」(同)
著作者:jcomp/出典:Freepik
新しい本と古い本の匂いがまざり合う"仮設図書館"で、池田は「八王子は、いいところだ」と語った。
「八王子の『八』は『開く』義であり、『王』は『師子王』の王であり、『子』は『師子王の子』という意味です。 師子王の子が、四方八方に散っていくんだ」。そして「なんでも最初は大変なんだ。だから、やりがいがある」と続けた。
桑原千恵子は「あの日、池田先生が本棚を見渡して『いい本がそろっているなあ』としみじみと言われたことが何よりの励みになりました」と語る。「準備に携わっていた私たちに『あなた方は生々世々、大学者に生まれるよ』『生涯、本に困らないよ』と励まされ、"陰で闘う"ことの大切さを教わりました」。
当時、真新しい大学で学生に尽くす喜びを千恵子は〈森と空と雲と……武蔵野を吹く緑の風が、今、私の胸を大きくふくらませている。こんなにも幸福でいいのだろうか? ふと思ってしまう〉と手記に綴っている。まだ大学の敷地に建物ができる前、図書館に収める本の一部は小平市に創立されたばかりの創価高校に保管されていた。
「一時期、私たちの出勤先は創価高校でした。創価高校も、まだ1年生から3年生までそろっておらず、空いている教室があり、4万冊弱の本を置かせていただきました」(桑原千恵子)
千恵子が母とともに創価学会に入ったのは1951年(昭和26年)の秋。病弱だった自分の体が元気になっていくのがうれしかった。
「高校3年の冬、たまたま池田先生にお目にかかる機会がありました。先生は、そばにいた父に対して"娘さんが大学に行きたいなら行かせてあげればどうか"と声をかけてくださり、それまで私の進学希望に反対していた父の心が変わりました」
千恵子は法政大学の2部に進み、働きながら学んだ。2年生の時、1部に転入。図書館の司書の資格をとる。在学中、法政大学の学生部員たちが池田と懇談する機会があった(1968年12月15日)。
学生からはさまざまな質問が出た。"大胆に生きたいという気持ちはあるのだが、一歩退いてしまう"という声に対し、池田は「それでいいんだよ」と答えた。「それが正常だよ。『大胆にして細心』だ。あなたはあなたらしくいきなさい。それで調和がとれているんですよ。ただ大胆なだけの人がいるが、どこか危なっかしい」。
また「スランプになる時期がある」という悩みには「誰だってスランプはある」と応じた。
「芸術、政治、学業などにしても、生活、夫婦の仲、個人の人生、信心においても、(スランプが)あってはいけないが、あるんだ。それが自分のリズムなんだ。"スランプになっているから、やめてしまう"ではいけない。誰でもあるんだよ。私だってある」
「誰だって調子の悪い時は多々ある。決して自分の信心が悪いとか考えてはいけない。このことは、(学会活動で)部員さんを指導する時に大事だから覚えておきなさい。 激励が必要なんだ」
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※当記事は『民衆こそ王者 池田大作とその時代』19巻から抜粋をしたものです。
続きが気になった方はこちらもご覧ください。
ユゴー、トルストイ、ホイットマン――。
青春時代を文学とともに歩んだ池田SGI会長。
次の時代を担う若き人々に、「読む」ことを通し「希望」を見出し、「知る」ことを通し「生き抜く力」を湧き出すよう訴え続けてきた。
「読書」を通し青年を薫陶する池田SGI会長の信念は、やがて創価大学の「中央図書館」へと結実していく。
『民衆こそ王者 池田大作とその時代19 治世の武器庫――図書館篇』「池田大作とその時代」編纂委員会著、定価:1100円、発行年月:2024年1月、判型/造本:四六並製/290ページ
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【目次】
第1章 いじめられている側に立つ――中央図書館①
第2章 大学は庶民のオアシスたれ――中央図書館②
第3章 「人間之王者」を育てよ――中央図書館③
第4章 君たちが喜ぶためなら――大学の日々①
第5章 アラブとともに、川崎寅雄――大学の日々②
第6章 国家悪との死闘、大熊信行――大学の日々③
第7章 占領下に灯した核廃絶の炎――少年雑誌①
第8章 “マンガの神様”も憧れた――少年雑誌②
第9章 いっさいの名聞名利なく――少年雑誌③
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