「ゴジラ」は我々に何を伝えようとしてきたのか(映画『ゴジラ-1.0 』から日本社会を考える)
2024/02/11ゴジラ生誕70周年を記念して、映画『ゴジラ-1.0(マイナス ワン)』が上映。アカデミー賞・視覚効果賞のノミネート候補作品に日本映画として初めて選出されるなど話題となっている。70年もの間、「ゴジラ」は我々に何を伝えようとしてきたのか。「ゴジラ」と歩んだ日本社会の変化と今を考える。
(『潮』2024年2月号より転載)
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「『ゴジラ』とは何か」議論を始めた観客
怪獣映画「ゴジラ」シリーズの第一作が作られたのは1954年、2024年は「ゴジラ」誕生からちょうど70周年です。翌55年に続編の映画『ゴジラの逆襲』が作られ、第三作の『キングコング対ゴジラ』が公開されたのは7年後の62年でした。
69年からは「東宝チャンピオンまつり」と銘打って、子ども向けに特化した続編が作られていきました。75年に第一五作が作られてから9年間のブランクを経て、84年に再び「ゴジラ」シリーズが復活し、89年公開の『ゴジラVSビオランテ』以降も新作がどんどん作られていきます。
70年代後半以降、大学生以上のオタクが、ついで評論家や学者も、「『ゴジラ』とは何か」と盛んに語り始めます。第一作の映画では、「ゴジラ」は水爆実験によって棲み処を失い、日本に上陸したという設定でした。出発点における「ゴジラ」は、かなり無節操に現実とつながっているところがあります。「ゴジラ」という器には、「核」とか「戦争」といった要素が融通無碍(ゆうずうむげ)に放りこまれていました。ですから人々が「『ゴジラ』とは何か」と議論しやすかったのです。
映画の受け手は、「ゴジラ」を何らかの比喩や象徴とみなし、「ゴジラ」の内実を探求して膨大な批評を積み重ねてきました。
「ゴジラ」とソックリな設定のアメリカ映画
「ゴジラ」は世界初の怪獣特撮映画というわけではありません。アメリカで映画『キング・コング』が作られたのは1933年のことです。巨大な生物が捕獲され、どこかに連れてこられて暴れる映画は、海外でもたくさん作られています。
「ゴジラ」のアイディアのもとと思われる作品は、1953年公開のアメリカ映画『原子怪獣現わる』でした。「水爆実験によって北極圏で眠っていた太古の恐竜『リドサウルス』が蘇り、ニューヨークに上陸する」というモチーフは「ゴジラ」とそっくりです。初代『ゴジラ』の企画は、「アメリカでヒットした映画を真似てみよう」という山師じみた発想で成立している部分があります。
『原子怪獣現わる』に出てくる「リドサウルス」は「ゴジラ」ほど巨大ではなく、街を徹底的に破壊しません。血の中に太古の病原菌が潜んでいるため、迂闊に砲撃できず、容易には殺しづらい設定です。逆に言うと、病原菌が拡散してでも、人間が殺そうと思えば確実に「リドサウルス」を仕留められます。「人間の手によって怪獣(水爆実験によって生まれた存在)を馴致(じゅんち)できる」という設定なのです。
「ゴジラ」は東京の街を徹底的に破壊し尽くし、人間の力ではとても倒すことができそうにありません。明らかに放射性物質を帯びており、原水爆の象徴であるかのように描かれる「ゴジラ」は、どうやっても倒せそうもない存在です。「人間の手ではとても馴致できない怪獣」として描かれているのが、日本ならではの特徴ではないでしょうか。
第五福竜丸事件 水爆実験の衝撃
初代『ゴジラ』が公開されたのは、54年11月のことでした。それから8カ月前の54年3月、ビキニ環礁で第五福竜丸事件が起きます。マグロ漁船に乗船していた23人の乗組員は、アメリカの水爆実験によって被爆しました。被爆から半年後の9月、乗組員の久保山愛吉さんが亡くなります。
世論は沸騰し、新聞各紙で「広島と長崎の洗礼を浴びた日本で再び被爆者が出た」という怒りの論調が続出しました。当時の日本国民の多くが、反核運動と平和主義への思いを高めたことは間違いありません。初代『ゴジラ』公開当時の日本はかなり政治的であり、原水爆禁止の署名運動が展開されました。初代『ゴジラ』公開の翌55年8月には、広島で第一回の原水爆禁止世界大会が開かれています。
こうした世相の中、第一作目の『ゴジラ』は「オキシジェン・デストロイヤー」(水中酸素破壊剤)という最終兵器によって葬られました。「ゴジラ」をやっつけるためには、人類を滅ぼしかねない最終兵器を繰り出して対抗するしかない。この兵器は核のメタファー(比喩)として使われています。
ちなみに初代『ゴジラ』の当初のシナリオは、もっと政治的です。既存の映画人だけでは話がまとまらないと苦慮したプロデューサーは、香山滋(かやま・しげる)という探偵小説家に原作執筆を依頼します。彼はこんな展開の原作をまとめました。
「ゴジラ」を倒すことに成功したとき、臨時ニュースが響き渡った。ワシントンからの特電で「アメリカが水爆実験をすべて完了した」という発表が流れる。日本の「ゴジラ」退治と、世界から原水爆実験が消え去るタイミングが偶然にもシンクロする――。
政治的、理想主義的な形で核の恐怖を訴えるシナリオは「大衆娯楽にそぐわない」とボツにされたと考えられます。政治性の強い作品を生み出してきたわけではない、一介の探偵小説家がこのような原作を考案した事実は、当時の日本中が今よりもはるかに政治的だったことの証左です。
「ゴジラ」と遭遇した特攻隊の生き残り
11月3日公開の新作映画『ゴジラ−1.0(マイナス ワン)』は、太平洋戦争末期から終戦直後を舞台に描く作品です。特攻隊員である主人公・敷島浩一が乗った零戦(ゼロせん)は、大戸島の基地に緊急着陸します。その基地を「ゴジラ」が襲撃し、敷島以外の日本兵は皆殺しにされてしまいました。(ネタバレになるので、ストーリー紹介は最小限にとどめます)
「日本兵が島で『ゴジラ』と遭遇する」という筋書きは、今回が初めてではありません。91年公開の『ゴジラVSキングギドラ』でも類似した場面があります。アメリカ軍の攻撃を受け、新堂靖明が率いる日本軍は玉砕寸前。そこに「ゴジラザウルス」という恐竜が出現し、米軍を攻撃してくれたおかげで日本兵は助かります。
太平洋戦争を生き延びた新堂靖明は「帝洋グループ」という財閥を急成長させ、戦後の日本経済復活の立役者になりました。「キングギドラ」に襲撃された日本を救うため、新堂は「ゴジラザウルス」を復活させて対抗しようとします。最終的に新堂は帝洋グループの本社ビルの高層階で「ゴジラ」と対面し、本社ビルごと破壊され、死んでしまいました。
この映画が公開されたのが91年であることが重要です。当時の映画制作者はバブル経済に酔い痴れる日本を批判し、「今の日本の繁栄は虚妄ではないか」「アジア太平洋戦争の段階で、すでに日本は終わっていたのではないか」と問いかけたのではないでしょうか。
80年代、90年代、2000年代に作られた「ゴジラ」シリーズは、同時代の受け手の動きにも似て、しばしば「ゴジラ」を何かの象徴として描き、「ゴジラ」とは何か、という読み解きが可能です。しかし、最新作『ゴジラ−1・0』では、何かの象徴としての「ゴジラ」という側面は薄まっているように思えます。
核や戦争といった政治性や社会性を旧作ほどはっきりと出さないところは、2024年の今の時代ならではの特徴かもしれません。かつての「ゴジラ」と今の「ゴジラ」の違いを細かく読み解けるところも、映画を観る楽しみです。
西部劇の演出と現代映画の演出
70年代後半以降、「ゴジラ」ファンは「『ゴジラ』とは何か」というテーマで延々と議論を続けてきました。「ゴジラ」に限らず、映画の演出手法は時代によって大きく変わるものです。時代とともに「ゴジラ」がどう変遷してきたか、新作が出るたびにファンは激論してきました。
昔盛んだった西部劇は、銃を一発撃つだけで勝負に決着がついたものです。何が善で何が悪か。なぜ相手を倒さなければいけないのかを説明するために大半の時間をかけ、振る舞われる暴力は銃弾一発だけでかまいませんでした。
シルベスター・スタローンやシュワルツェネッガーが活躍した80年代のアクション映画は、銃弾をすべて撃ち尽くすまでに20〜30分もかかりました。西部劇の時代に比べて、観衆をスカッとさせるスペクタクル(壮観なシーン)の部分がグンと肥大化したのです。日本映画の歴代興行収入最高記録を更新した劇場版『鬼滅の刃』無限列車編に至っては、後半のほとんどすべてが戦闘シーンの連続でした。
VFX(Visual Effects=視覚効果)やコンピュータ・グラフィックスの技術がめざましく進歩したことによって、「ゴジラ」をはじめとする映画は昔とは演出手法がずいぶん変化しています。
映像技術が発達した結果、ストーリー展開が単純で物語の内容がさほど深くなくても、観衆は退屈しなくなったとも言えます。「物語文化は必要なくなりつつある」と言っても過言ではありません。これから映画を観る読者のために詳細は控えますが、こうした時代の変化は『ゴジラ−1・0』の演出の各所にもあらわれていると思います。
「一億総白痴化」か「一億総博知化」か
映画批評のプラットフォーム(共通の空間)が変化したことも現代的な特徴です。70〜90年代までの「ゴジラ」ファンは、雑誌の投稿欄に「『ゴジラ』が通ったあとは誰一人生き残らず焼け野原になるべきだ」「今回の『ゴジラ』からは核の恐怖が感じられない」などとさんざん批判を書き、ファン同士で論戦を繰り広げたものです。
近年の映画ファンは、自分とは意見が異なる観衆と共通のプラットフォームで議論しようとはしません。似通った意見の人たちとネットやSNSでクラスタ(集団)を作り、タコツボ化しがちです。社会学で言うところの「つながりの共同体」に心地良さを覚え、さまざまな意見をもつ人々と幅広く交流することを好みません。
メディア学者の佐藤卓己さん(京都大学大学院教授)が『テレビ的教養 一億総博知化への系譜』(岩波現代文庫)という本を出版しています。1950年代末、大宅壮一は「一億総白痴化※」と言ってテレビを痛烈に批判しました。(編集注※社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語。「テレビばかり見ていると思考力などを低下させる」という警句)
この言い方を逆手に取り、佐藤さんはメディアが「博知化」をもたらしたと肯定的に評価しています。誰もが幅広い情報を受け取れるメディアは、大衆にとってのセーフティネットだというわけです。
謙虚で敬虔な気持ちで物語やキャラクターと向き合ったとき、「すぐには理解できないな」と思っていた部分から何かを引き出し、映画の制作者が言わんとしたことを理解できるようになるかもしれません。サプリメントを飲むように作品をどんどん消費するのではなく、作品をじっくり味わってみる。
何が善で何が悪なのか。人間は善であり、「ゴジラ」は悪と言えるのか。自分と似通った考え方の人とばかり接してタコツボ化することなく、自分とは異なる考え方の人にも思いをめぐらせてみる。「ゴジラ」が多様性を認め合う議論のきっかけになれば何よりです。
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創価大学文学部准教授
森下 達(もりした・ひろし)
1986年奈良県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門はポピュラー・カルチャー研究。著書に『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー 特撮映画・SFジャンル形成史』など。