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大好きな栃木のためなら何でもお手伝いさせていただきます!

 

 

 現在、「大田原ふるさと大使」「ふたりの未来応援アンバサダー」として県外&県内に地元・栃木の魅力を発信されている、大島美幸さん。幼い頃、ご家族で親しんだ恵み豊かな味覚や心温まる思い出をはじめ、「大好きな栃木の未来のためにできることがあれば、私はなんでもお手伝いさせていただきたいと思っています」との郷土への想いを語っていただきました。(月刊『潮』2024年3月号より転載。撮影=富本真之)

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好物だった乳茸と父が釣った鮎

 私は栃木県の北東部にある大田原市(旧黒羽町)で生まれ育ちました。栃木県は自然豊かで食べ物もおいしく、とても良いところですが、残念ながら海がありません。だから私は子どもの頃から、海への憧れがすごく強かったんです。夏休みには、家族で大洗(茨城県)に海水浴に行くのが何よりの楽しみでした。

 ただ海はなくても、家から自転車で20分くらいの場所に、那珂川というきれいな川がありました。夏休みには父によく遊びに連れて行ってもらいましたね。この川は昔から、天然鮎が釣れることで有名なんです。シーズンには遠方からも、多くの釣り人が訪れます。私の父も、この川でよく鮎釣りをしていました。家では父が釣ってきた鮎を、七輪で焼いて食べたことをよく覚えています。

 栃木では鮎はよく、日持ちする甘露煮にします。これを贈りものにすると、すごく喜ばれるんです。ご飯のおともとしてすごく合い、何杯でもおかわりできます。一般的に栃木の煮物は甘めです。なんでも甘じょっぱく煮ることが、食文化のようです。うちの母は煮物をつくるとき、砂糖ではなく必ずザラメを使っていました。「ザラメのほうが味が染みるし、表面がテカっとして見た目もきれいに仕上がるよ」。母からそう教わって以来、いまでも私は煮物には必ずザラメを使うようにしています。

 いまから考えると、子どもの頃は毎日、本当に新鮮でおいしいものばかり食べていました。とくに実家は山に囲まれていたので、山菜がご馳走でした。祖母がしょっちゅう山に入り、山菜やキノコを採ってきてくれたんです。私がとくに大好きだったのが、乳茸(ちちたけ)。割るとお乳のような白い液が出てくることから、そう呼ばれるようです。このキノコとナスを油炒めにすると、最高においしい!

 旧黒羽町では、同級生の家のほとんどが兼業農家でした。自分たちが普段食べるお米や野菜は、自分たちでつくるのが当たり前。うちの父も、自分でお米をつくっていて、私が東京に出てからも、毎年新米を送ってくれました。栃木県には人気の高いコシヒカリだけでなく、「なすひかり」「とちぎの星」「あさひの夢」など、おいしいブランド米がたくさんあるんですよ。

 

「栃木の天使」と呼ばれた母

 私の母は地元の病院で長年、看護師として働いていました。いつも笑顔で、超ポジティブ。落ち込んだところなんて、見たことがありません。

 人の面倒を見ることが大好きで、休みの日にも、外出できない高齢の患者さんの自宅に薬を届けたり、注射を打ちに行ったり、血圧を測りに行ったりしていました。お年寄りから頼みごとをされても、嫌な顔一つせず引き受けていました。むしろ人のために何かをすることが、自分の喜びだったようですね。

 そんな母は患者さんたちから、「栃木の天使」と呼ばれていました。実家にはよく母を慕う地元のおじいちゃん、おばあちゃんが遊びに来ていました。母は美代子という名前でしたが、2021年に亡くなったときには、「美代ちゃんのおかげで元気になれた」「美代ちゃんは本当にいい人だった」と、多くの方が涙ながらに母との思い出を語ってくださいました。

 これだけ多くの人の心のなかに生き続けている母はすごい! 心からそう思いました。いまでもロケで地元を歩いていると、「美代ちゃんの娘だ」と声をかけてくださる方がいます。私、地元では「森三中の大島」より、「美代ちゃんの娘」として有名なんです。(笑)

 いっぽう私の父は消防士をしていました。真面目で寡黙。昔からとても優しかったですね。そんなところは典型的な栃木の男、という感じがします。たとえば私が東京から車で実家に帰ると、いつの間にか私の車を洗い、黙ってガソリンを入れてくれていたりするんですよ。

 また子どもの頃、教科書をなくしてしまったことに、夜気づいたことがあります。そのことを父に伝えたら、翌朝起きたときには、近所の上級生の教科書をコピーして、ホッチキスで留めたものを用意してくれていました。何も言わず、そういうことをよくしてくれる父でした。でもたまに怒ると、すごく怖かったですね。表面は穏やかだけど、内に秘めた情熱や、熱い思いを持っている人だったのだと思います。

 そんな父と比べ、母や祖母はほんとうに対照的でした。いつもよく喋っていて、とても賑やか。行動力があって、家のなかで静かに落ち着いているなんてことがありません。アクティブな女性を寡黙な男性が支える――むかしの栃木の夫婦には、そんなタイプが多い気がしますね。

 

家族をもって気づいた栃木のすばらしさ

  このような両親に育てられた私自身も、夫(放送作家の鈴木おさむさん)と結婚してはや22年。長男は8歳です。子どもが生まれると、プライベートでも栃木に帰る機会が増えました。独身のときと家庭や子どもをもってからとでは、故郷に対する見方が大きく変わった気がします。若い頃には気づかなかった栃木の魅力を、しみじみ感じるようになりました。

 私には小中高とクラスが一緒で、地元に帰れば必ず会う仲のいい同級生がいます。その子は東京で20年ほど暮らした後、40歳のときに結婚を機に故郷に帰り、地元で子育てをしています。その同級生と会うたびに「昔は栃木には何もないと思って東京に出たけれど、実はここにはなんでもあるんだね」なんて話をします。若い頃は、ものがよく見えていなかったのだと思います。

 故郷の良さに気づくと、その魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと自然に思うようになるものです。同級生には栃木の魅力を紹介するテレビに一緒に出てもらったりしています。そのたびに、「栃木には全国に紹介できるものがヤバイくらいいっぱいあるよね」なんて話で盛り上がっています。同級生の夫は今、地域おこし協力隊をやっていて、栃木の魅力を発信しています。

 そんな同級生の暮らしぶりを見ていても、栃木はとても子育てがしやすい環境だと思います。近くにコンビニはなくても、裏山で山菜が採れ、自分たちでつくったお米や野菜を毎日食べられます。子どもの頃は当たり前すぎて何も感じていませんでしたが、それがいかに豊かで贅沢なことか。都会生活を長年経験してきたからこそ、そう痛感するんです。

  また、ずっと都会で暮らしたからこそ、その良さをますます感じるようになったのが、地元の人たちの温かさです。栃木の人は、人になにかをあげることが大好きです。だから日常的に、もらいものがすごく多いんです。

  たとえば栃木では、煮物のことを「お煮しめ」といいます。そして近所のおばさんがしょっちゅう「お煮しめをたくさんつくったよ」と、鍋ごと持ってきてくれます。すると「うちはかぼちゃの煮物をつくったから持っていきな」とお返しする鍋にかぼちゃを入れて返す。そんなすてきな文化が、いまも根付いています。私の母に限らず皆さん、楽しみやおいしいものを独り占めせず、誰かと共有したいという思いが強いんです。私は東京でもよく、同じマンションの仲のいい友達に、お味噌汁をお裾分けで持っていったりしています。

 栃木ではほとんどの人が顔馴染みで、外で会えば必ず「おはよう」「こんにちは」と挨拶します。東京でも、私はなるべく近所で会った人とは挨拶するようにしています。やはり何かあったときは、地域での助け合いが必要です。そのためには都会といえども、日頃の交流こそ大事だと思うんです。

 そういえば子どもの頃、お月見泥棒という行事がありました。お月見の日に、子どもが民家の軒先に置かれたりんごや団子を盗んで歩くんです。子ども心に、不思議な風習だなと思っていました。もちろん本当に泥棒をしているわけではありません。ちゃんと子どもへのプレゼントとして、各家庭が軒先に置いておくんです(ちょっとハロウィンに似ていますね)。必ずしも栃木に限った行事ではないようですが、こんな行事が成立するのも、地域での家庭の交流や信頼関係があるからだと思います。

 芭蕉がもっとも長く滞在した地

 いまの私があるのは栃木の自然や食べ物、温かい人々の存在があったからこそです。その恩返しとして、地域振興のための仕事もいろいろさせていただいています。その一つが大田原市の魅力を発信する、「大田原ふるさと大使」です。清流と肥沃な土地に恵まれた大田原市は、農業や畜産が盛んです。お米やアスパラガス、ネギやナシ、和牛など、なんでもおいしいですが、とくに唐辛子が有名で、かつては日本一の生産量を誇ったこともあります。

 また大田原市は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅のなかで14日間と、もっとも長く滞在したことで知られています。その理由はお酒がおいしかったからだといわれていますが、この地に知り合いも多かったようです。芭蕉はこの地の自然を愛し、自然に触発されて、たくさんの句を読んだようです。

 そのため大田原市には、芭蕉の句碑がある神社がたくさんあります。以前、栃木のローカル番組でそんな芭蕉の石碑を巡らせていただきました。芭蕉ファンの間ではよく知られていたことだったのかもしれませんが、私はこの時、初めて田んぼの真ん中に石碑があることを知り、びっくりしましたね。芭蕉に関する資料を展示した「黒羽芭蕉の館」という施設もあるので、興味のある方はぜひ訪れてみて下さい。館長さんは群馬から移住された芭蕉の専門家で、芭蕉について聞けば、なんでも熱心に教えて下さいますよ。

 もう一つ、栃木県内の独身の方に結婚の良さを伝える「ふたりの未来応援アンバサダー」も務めさせていただいています。引っ込み思案で奥ゆかしい栃木の若者たちに出会いの場を作ったり、結婚も人生の選択の一つだよとお伝えする取り組み――ようは婚活の応援隊ですね。座談会やトークショーを開いたり、ウェディングドレス姿の撮影体験を実施したり、さまざまな取り組みを行っています。大好きな栃木の未来のためにできることがあれば、私はなんでもお手伝いさせていただきたいと思っています。

移住に最適!宇都宮、益子町

 ところでみなさんは栃木県の県庁所在地はどこか、もちろんご存じですよね。そう、栃木市ではなく、餃子で有名な宇都宮市です。私は子どもの頃は宇都宮に遊びに行くことはほとんどありませんでしたが、お笑い芸人になって、仕事でよく行くようになりました。宇都宮駅、とくに東口は再開発によって、昔からは考えられないくらい発展しています。

 20238月には、次世代型路面電車「ライトライン」が運行をスタートしました。環境に優しく、バリアフリー化が徹底され、しかもデザインもすごくカッコいいということで、全国的に注目が集まっています。私はまだ乗車できていませんが、近いうちにぜひ乗りたいと思っています。宇都宮は東京から新幹線で50分程度ととても近い。それでいて自然が豊かで、家賃や物価も安い。だから最近は、東京から移住する人が増えています。これからもっともっと発展していくと思います。

 最近は若い頃、東京に出たけれど、結婚したりして、栃木に戻ってくる人が増えています。東京との二拠点生活をする人も多いようです。とくに焼き物で有名な益子町は、東京からの移住者に人気があるそうですね。焼き物をするために、他県から移住してくる人もたくさんいます。春と秋に2回開催される陶器市には、全国から何十万人もの人が集まります。東京からセンスのいい人がどんどん移住していることもあり、益子は年々おしゃれな街になっています。

オール北関東で魅力を発信!

 このように栃木には、数えきれないほどの魅力があります。いい温泉も多いし、食べ物も本当においしいです。とくに50年以上生産量全国1位のイチゴをはじめ、ナシやブドウ、リンゴなどの果物がおいしいフルーツ王国です。

 東照宮などの世界遺産がある日光や、ファミリー向けのレジャー施設が多い那須など、観光地にも恵まれています。こんなに魅力いっぱいなのに、2023年の「都道府県魅力度ランキング」ではなんと……39位でした。20年には最下位になったこともあり、さすがに心配になりました。

 でも私はこの手のランキングは、そんなに気にする必要はないと思っています。評価軸次第でいかようにも変わるからです。むしろ最下位になれば注目も集まるので、逆手にとってアピールするチャンスだと考えたほうがいい。(笑)

 最近はテレビ番組でも、魅力度ランキングで最下位を争うことが多い茨城県と対決するなどし、一緒に盛り上げています。そもそも今の県境は明治維新後につくられたものです。江戸時代には藩という、いまとは異なるエリア分けがされていました。だったら北関東は一致団結して、みんなで魅力を発信し、盛り上げていくほうがいいかもしれません。

 私と同じ栃木出身のU字工事さんの活躍もあり、栃木ネタが全国区のテレビで取り上げられることも増えています。私自身、栃木の魅力をさらに発信するためにも、芸人としての活動をさらに頑張っていきたいと思っています。

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お笑いトリオ・森三中、女優
大島美幸(おおしま・みゆき)
1980年栃木県大田原市(旧黒羽町)生まれ。98年黒沢かずこ、村上知子とともにお笑いトリオ「森三中」を結成。現在、バラエティー番組を中心に活躍中。2022年には個人の公式YouTubeチャンネル「大島本気チャンネル」を開設し、動画を配信している。

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