「横審の魔女」内館牧子が、嵐山光三郎、南伸坊と大相撲の魅力を語り尽くす!【スペシャルてい談】
2024/03/28内館牧子さん、嵐山光三郎さん、南伸坊さんが昨今の相撲界やその魅力をがっぷり四つで語り尽くす特別てい談!
笑いあり、美学あり、毒あり、三者三様の相撲談義!
(潮新書『大相撲の不思議3』所収「新書特別企画」から抜粋。)
左から南伸坊さん・内館牧子さん・嵐山光三郎さん
イタコが降ろした伝説の大横綱
南 ワッ! 〝白星〟柄の着物ですね。いいですね。
嵐山 帯には庄之助の軍配があしらわれていて、お太鼓の力士は双葉山?
内館 はい。相撲絵師の木下大門さんに描いていただきました。
嵐山 双葉山って、右目が見えてなかったみたいですね。
内館 子ども時代の事故とか。
南 69連勝で止めた安藝ノ海は、その目のこと、見破ってたらしいですね。子どもの頃に雑誌で読みました。
嵐山 あの頃は年に二場所だったよね。
内館 そうです。
嵐山 だから、白鵬が双葉山の69連勝を超える可能性が出てきたときに、昔からの相撲通は「年間六場所と二場所を一緒にするな」って怒った。
内館 私、双葉山をナマで見ていないんですが、私にとっては「神」でして、東北大学大学院で相撲の研究をしていたころに、青森のイタコに双葉山の霊を降ろしてもらったことがあるんです。
南 エーッ!? 双葉山、出てきたんですか?
内館 そうなんです。私はあえて「知り合いの男性を降ろして」と言って、知らんぷりして双葉山の命日を伝えました。
嵐山 面白い。降りてきた?
内館 降りてきて、第一声が「見も知らぬあなたが私を呼んでくれて嬉しい。ありがとう」って。これは、知り合いのセリフではありませんよ。「本当に双葉山だ!」と思いました。
そこで私、双葉山に聞いたんです。「69連勝でストップした原因はなんだったんでしょうか」って。そしたら「腰も悪かったが、気の問題だった」と。ホントにこう言ったんですよ、ホントに。「うっちゃり双葉」でしたから腰は悪いにせよ、「気の問題」って言ったんです。
嵐山 すごいな。面白い。
「双葉山に会って話しました」
内館 当時、私は横綱審議委員会の委員で、横綱の品格をめぐって朝青龍とバトルを展開していました。なので、双葉山に相談したんです。
嵐山・南 双葉山の霊に相談!(爆笑)
内館 はい。「私は朝青龍の天敵と言われていますので、もう少し手加減したほうがいいでしょうか」って。そしたら、天下の双葉山が答えたんです。
嵐山・南 え? 何て!?
内館 「思った通りにやりなさい。私が後ろについておる」って。
嵐山・南 ほぉーッ!
内館 がっぷり四つでやってやると思いましたよ(笑)。それで東京に戻るなり時津風理事長(当時)に電話したんです。「双葉山に会って話しました」って。理事長は双葉山の弟子ですから、「は?」ですよ。それで双葉山とのやり取りを伝えて「私はこれからも思った通りにやります」と宣言しました。理事長は「任命したときから、あなたには覚悟してる。思うようにやりなさい」って。
南 イヤァ、いい話ですね。
嵐山 僕は琴ヶ濱が好きだった。
内館 内掛けの琴ヶ濱! 真っ先に琴ヶ濱が好きと言う人に会ったのは初めてです。
嵐山 関脇くらいになる力士は必ず左の内掛けなんですよ。僕は小学校のころに内掛けを研究したけれど、あれが決まると気持ちがいい。上手出し投げとかもやった。
南 上手出し投げはやりましたね。「土俵の鬼」若乃花がけっこうやってた。
嵐山 大起も好きだった。
南 大起は閂(かんぬき)しか技がないのかって思うくらいに、いつも閂でしたね。最初から双差しさせる。脇、ガーッて開けて立ってる。ボーッとしてて、大起好きでしたね。
嵐山 いまの照ノ富士みたいだ。
南 ぶちかましの松登もよかったですね。松登もぶちかまし専門。
内館 松登! 気が弱くて、大関落ちた時にポロポロ泣いて。
南 でも、ぶちかまし一本で大関までいったんですよね。相手がひよって変化したら土俵下まで一直線なんですから。強かったんですね。
内館 なのに、顔はおばさんっぽいんですよね。
南 あはは、そう。まん丸で。
内館 お二人とも変わった趣味ですね(笑)。大起や松登が好きというのも初めてです。
嵐山 松登は純朴な性格で、おばさんというより、まるで哲学者みたいな表情をする。(笑)
内館 私、初恋は鏡里なんです。第42代横綱。
嵐山 初恋が鏡里なんて、それもかなり変わってる。年がバレちゃうね(笑)。1950年代の横綱ですよ。
内館 初恋、4歳でした。(笑)
嵐山 僕は初めて連れていってもらった花相撲(本場所以外の興行)で鏡里を見ました。色白でポッチャリしてるんだけど、仕切りのときになるとグーッと顔や体がピンク色になるんですよ。
南 あー、そうなんですか。鏡里なら現役で知ってます。
嵐山 そう。あの当時はテレビ放送なんてやってないから、NHKラジオで聴くんですよ。で、次の日の新聞に分解写真が出る。
内館 分解写真! 何十年ぶりかで聞きました。若い人は絶対に分からない。
南 コマ送りの写真ですね。分解写真はテレビでもやってましたよ。スローモーションになる前ですね。鏡里のころは、たしか千代の山と吉葉山と栃錦の四横綱でしたよね。そのあとに若乃花が横綱になる。子どものころは、鏡里はそんなに人気ないと思ってましたけど、メンコには相当なってるんですよね。今、見ると。
嵐山 そうそう。当時は力士の顔をメンコで覚えたんだよ。
内館 メンコには、「気は優しくて力持ち」の、昔ながらの力士像が合うんです。私、稀勢の里が横綱になったときに「久しぶりにメンコみたいなお相撲さんが現れた」って新聞に書いたんです。ずいぶん長い文章だったのに、その一行だけが大絶賛されました。(笑)
嵐山 吉葉山はすぐ投げられてお腹に砂がつく。だから、漫画に〝横砂〟なんて書かれてね。
南 学校の音楽室に作曲家の肖像画が張ってあったじゃないですか。ヘンデル(バロック時代の作曲家)が吉葉山にそっくりなんですよ。なかなか賛同してくれる人がいないんだけど。(笑)
内館 ヘンデルと吉葉山……。画家が見る目は、違う。
南 いやいや、ホントに似てるの。僕は四横綱のなかだと千代の山と栃錦が好きでした。友だちの家で飼っていた2匹の土佐犬の名前が「千代の山」と「栃錦」だったんです(笑)。最初はお相撲さんの名前なんて知らなかったんですが、四股名を先に覚えてて、ヒイキになった。
嵐山 みんなはその後の〝栃若〟が好きなんだよ。栃錦と若乃花。
南 そう。だけど僕は千代の山と栃錦だった。
嵐山 土佐犬のおかげで。(笑)
栃錦のお尻と出羽錦の塩まき
嵐山 世の女性の話題は栃錦のお尻でしたね。稽古のせいでお尻がザラザラで、「世の中で一番汚いものは栃錦のお尻だ」なんて言われてましたから。子どもが悪さをすると「栃錦のお尻をくっつけるぞ」なんて脅されて。(笑)
内館 でも、絆創膏を花びらの形にしてお尻に貼ってました。だから気を使っていたんですよ。
南 子ども向けの雑誌にも栃錦のお尻がアップで載ってましたね。人気のお尻でしたよ。(笑)
内館 でも、栃若の相撲はやっぱりファンの血がたぎりました。
嵐山 ああいうライバルがいる時代は面白いですよ。
内館 最近だと、大の里と伯桜鵬が強くなってくれると、いまのスー女(相撲ファンの女性)たちが私くらいの年齢になったときに、懐かしい話として盛り上がれるでしょう。元祖スー女の私としては、力士と大相撲の魅力が生活の中に入ってほしいんです。
南 盛り上がると思いますよ。誰でも、子ども時代や若い時代の思い出は懐かしいじゃないですか。特に、子どものころに知ったことはしっかり覚えてますから。じつは下っぱの頃、栃錦が出羽錦と組んで初っ切り(しょっきり/相撲の禁じ手を面白おかしく紹介する見世物)やってたらしいです。初っ切りをやった相撲取りは大成しないって言われてたらしいんですけど、出羽錦は関脇になったし、栃錦は横綱になった。例外中の例外ですね。
内館 出羽錦は私が書いたNHKの連続テレビ小説「ひらり」に出演してくれたんです。とぼけたアドリブには噴き出しました。
南 大量の塩を、ブワーッとまく若秩父に対して、出羽錦は指先でつまんだ塩をかくし味にするみたいにチリチリとやるんですよ。
内館 若秩父はもっと偉くなると思いましたけどね。若秩父と熱海富士って似てないですか。
南 ああ、笑うと可愛いとことかね。
内館 熱海富士には最近のスー女がしっかりついてますから。
個性豊かな力士たち
内館 こうやって話してみると、昔のお相撲さんにはそれぞれに強烈な個性がありましたね。嵐山さんのご本(『大放談! 大相撲打ちあけ話』、北の富士勝昭氏との共著)にも書かれてましたけど、昔の力士には愛称があるんですよね。
南 「大相撲カルタ」っての持ってたんですけど、さっきの吉葉山は「錦絵見るよな吉葉山」。たいがいは得意技からつく。
内館 そうです! 吊り出しが得意の「人間起重機・明武谷」とか、相手の懐に低い姿勢で潜って出てこない「潜航艇・岩風」とか。
嵐山 「褐色の弾丸・房錦」もいた。褐色の肌と速攻で。房錦は関脇までいった?
内館 いきました。お父さんは若松部屋の行司の9代・式守与太夫でしたよね。
南 すごいナ、それは知らなかった。
内館 いまは愛称がつかなくなっている。最後は千代の富士の「ウルフ」でしょうか。
南 益荒雄が「白いウルフ」とも言われてましたね。
内館 そうでした。色白の狼。愛称がつくというのは、取り口に個性があったということですよね。白鵬のエルボーは誰も愛称にしない。プロレス技ですから。
嵐山 相撲には柔術的な要素の技もある。ただ、それを横綱は使っちゃいけないんだ。
内館 使うことは恥です。まして、繰り返していた。
嵐山 横綱はあくまで正統な技で戦う。昔はそれぞれの力士に技のパターンがあって、だから愛称もつくし、メンコのキャラクターにもなったんですよ。
変化相撲はアリかナシか
内館 「正統な技」といえば、九月場所千秋楽の優勝決定戦はどう思われましたか? 大関貴景勝が平幕の熱海富士に変化(立ち合いで、正面から相手とぶつかり合わず、左か右に体を避けること)して勝った。それで優勝したことには八角理事長をはじめ、否定的な意見が目立ちました。貴景勝は、優勝インタビューでは「絶対に負けられない」という胸の内を語っていましたが。
南 貴景勝、そんなにギリギリなんだぁ、と思っちゃいますよね。うちの妻も変化相撲にはプリプリしてましたね。
内館 私、北の湖さんが理事長のときに聞いたことがあるんです。「変化して勝つことをどう思われますか」って。そしたら理事長は、ニコリともしないで「変化はいけません。でも勝たなければいけない。そのせめぎあいの中でも、変化で勝って褒める親方は一人もいない。私も叱ってきました。真正面から当たらないと絶対に強くなれないんですよ。同時に、番付が上の力士は相手をちゃんと受け止めることが、勝つのと同じくらい大事なことです」と。
嵐山 白鵬が立ち合いでエルボーやはたき込みをすると、場内からため息が聞こえたんですよ。他のスポーツなら、勝ちを優先するべきなんでしょうが、相撲はね。
内館 朝青龍が「勝てば文句ねぇだろう」って言ったそうで、それは外国の伝統文化をなめてる。今度の貴景勝のときも、表彰式を見ずに席を立ったお客さんは多かったと聞きました。
南 やっぱりファンは、大関や横綱にはそれらしい相撲を見せてほしいと思いますよね。貴景勝は無理してる感じありますよ。いつも呼吸苦しそうだし。
内館 九月場所の優勝インタビューで、貴景勝は若い熱海富士のことをすごく褒めたでしょ。「将来必ず強くなると思います。そのために、自分はなんとか壁になれるように強くなるだけです」とか。私が知る限り、負かした相手について、土俵下インタビューであそこまで褒めた優勝力士は記憶にありません。
それは変化で勝ったことに対して忸怩たる思いがあるからでしょう。貴景勝は本来、ガチンコ相撲ですから。
嵐山 そうそう。ガチンコですよ。
南 ところで、朝青龍とは最終的にどうなったんですか。
内館 2008年に私が心臓の病気で倒れて、翌年に復帰したときの横綱審議委員の稽古総見で、彼から私に近づいてきて抱きついたんです。
「心配しましたよ。大丈夫ですか。元気になってよかったです」って。稽古のあとにスポーツ紙の記者から「和解しましたね」って言われて、私も「おかげさまで」って言っておけばよいものを、照れもあったんでしょうね。「秀吉のように人たらしね」なんて言ったら、そのまま書かれちゃって(笑)。朝青龍のほうがずっと立派でした。
嵐山 僕は最近、2階席を買って見るんだよ。椅子だから。
南 桝席は狭すぎて、あそこに大人4人はつらい。
内館 大相撲は、保守する部分と変革する部分を、うまく共存させてきたと思います。ただ、席の問題、四股名の乱れ、公傷制度等々をどうするか。この後、存分に伺えればと思っております。
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脚本家
内館牧子(うちだて・まきこ)
1948年秋田県生まれ。三菱重工業勤務を経て、88年脚本家デビュー。テレビドラマの脚本に「ひらり」「私の青空」など多数。2000年から10年間、女性初の横綱審議委員を務める。『終わった人』、『大相撲の不思議1・2』(小社刊)など著書多数。
作家
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)
1942年静岡県生まれ。雑誌編集者を経て、作家に。『素人包丁記』(講談社エッセイ賞受賞)、『芭蕉の誘惑』(のち『芭蕉紀行』と改題、JTB紀行文学大賞受賞)など著書多数。
イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト
南伸坊(みなみ・しんぼう)
1947年東京都生まれ。漫画雑誌「ガロ」の編集長を経て、フリーに。『装丁/南伸坊』、『私のイラストレーション史 1960-1980』、『いい絵だな』(伊野孝行氏との共著)、『あっという間』など著書多数。