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世界の識者が語る 師の精神を受け継ぐ弟子の覚悟に心から共鳴

2023年12月13日。東京・八王子の創価大学で、南米パラグアイのイベロアメリカ大学から池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長への名誉博士号の授与式が行われた。授与の決定は2023年3月、式典はSGI会長の逝去後となった。

サーニエ・ロメロ総長は、「池田博士が残された精神を継承する使命と責任の大きさを、より深く感じます」と語るのだった。
(『パンプキン』2024年3月号から転載。取材・文=鳥飼新市 撮影=雨宮薫)

 

池田博士の生涯は智慧の道を進むための灯台

 池田SGI会長への名誉博士号の授与の辞に、ロメロ総長はこう述べた。
「池田博士のご生涯は、私たちの道を照らす光として、また、ほかの人々が私たちの後に続き智慧の道を進むための灯台として、私たち一人ひとりが手にすることができる最高のレガシー(遺産)です」

 イベロアメリカ大学があるパラグアイは、日本から最も遠い国のひとつ。南米の海をもたない内陸国で、日本より少し大きな国土に約700万人が暮らしている。国の中央を満々と水を湛(たた)えたパラグアイ川が南北に流れ、緑の沃野(よくや)には色とりどりの花が一年中咲き誇る。

 かつて池田会長は、そんなパラグアイを「澄みわたる青空、豊かな緑の大地、平和に流れゆく大河、そして世界一、心清らかな人々」と書いた。

 ロメロ総長も「我が国の最も素晴らしいところは、人間です。おもてなしの気持ちが強く、心が温かい。人への思いが深いんです」と語る。

 イベロアメリカ大学は、パラグアイの首都アスンシオン市にメインキャンパスを置き、約3500人の学生が学ぶ同国を代表する私立大学である。「より良い世界のための新しい考え方」をモットーに、社会の変革と発展をリードする人材を多数輩出している。

 今回の授与の理由を総長は、「池田博士の思想は人間教育を目指す本学のミッションとビジョンに一致しているからです」と述べる。

 同大学の淵源は、総長の母ニディア・サナブリア・デ・ロメロさんが自宅を開放して設立した「文芸工房」に遡(さかのぼ)る。くしくも創価大学の開学と同じ1971年のことだ。

 その後、工房は幼児教育と初等教育部門を備えたイベロアメリカ学園へ、さらに2001年にイベロアメリカ大学へと発展。ロメロ総長は、母のニディアさんと共に大学建設へ奔走してきたのだった。感慨を込めて、言う。

「母と池田博士は同時代を生き、共に教育に人生を捧げました」

 名誉博士号授与の決定は23年3月のこと。授与式の1か月前に池田会長の訃報に接した。それは、パラグアイSGIと「核兵器廃絶への挑戦展」を学内で開催している最中のことだった。

「池田博士のご訃報に接して、博士の精神を受け継ぐ責任を強く感じています。私だけではなく、博士の思いと精神を今後は本学の学生、そして教職員と共に引き継いでいきたい。その意味でも今回の展示には〝池田博士に我が大学へご来学いただいたのだ〞という幾重にも深い意義を感じました」

 ロメロ総長が池田会長の存在を知ったのは、93年の会長のパラグアイ訪問の際だった。総長は当時、教育大臣の首席補佐官を務めていた。直接、池田会長と言葉を交わす機会はなかったが、その卓越した人格と思想に感銘を受けた、と話す。

 当時、パラグアイは長期独裁政権が倒れ、民政移管の真っただ中にあった。
「政治的にも、価値観や思想的にも、国が大きな混乱状態にあったなかで、池田博士は、新しい思想を爽やかに、素晴らしい人格をもって我が国に届けてくださいました。教育大臣をはじめ多くの政府高官や要人たちが、敬意と尊敬の念を抱く印象的な出会いであったと、非常に好意的に語っていたことを今でも鮮明に覚えています」

 その後、総長は池田会長の著作を読むなかで、人間に対する最大の尊敬の念や生命の尊厳など、人生や生命について母の考えと多くの共通項があることに大きな驚きを感じたという。

「私はクリスチャンですが、池田博士は人間主義を根底にしたまったく新しいパラダイム(規範となる物の見方)、普遍的な価値を示されています。それは宗教を超えて共感できるものです。まさに宇宙大ともいえる思想だと思います」

 その思いは、創価大学での名誉博士号の授与式で大学首脳や学生たちの姿にふれ、さらに深まったと語る。
「単に創立者の事業を引き継ぐのではなく、弟子として師の精神を受け継ぐ強い思いに深く共感したからです」

 それは、そのまま総長の思いでもあった。母のニディアさんも、昨年1月、96歳で亡くなったのだ。

 

使命感と負けじ魂こそが困難を乗り越こえさせた

ニディアさんは演劇家で詩人でもあった。父も芸術家で、一家の自宅は文化人たちが集まる交流の場でもあった。総長は4人きょうだいである。

「母は、とても愛情深い人で、相次ぐ悲しみにも決して負けませんでした」

 ニディアさんが学園建設を志したのは、長姉の死がきっかけだった。さらに、より多くの青年たちが存分に学べる環境をつくりたいと大学の創立を決意したのは、次姉の交通事故死が契機になったという。

「母は人間の無限の可能性を信じ、芸術こそが人間を成長させ、自由を広げるものであると、従来の教育の枠にとらわれない革新的な教育法を実践しました。また、長姉が病で重い障がいを負ったことから、国に先がけて障がい児も共に育てるという統合教育にも取り組みました。そこには常に母としての深い愛情がありました」

 革新的な統合教育は、やがて国を動かし、全国の学校で採用されるようになったという。まさにニディアさん自身が、大学のモットーである「より良い世界のための新しい考え方」を体現する生き方を貫いたのだった。

 総長は弁護士の資格をもつ。だが、母の姿を間近で見るなかで、いつしか教育こそが祖国にとってより多くの貢献ができる道だと考えるようになったそうだ。そうして母と二人三脚で大学建設に奔走し始めた。

「母は、その背中でいろいろなことを教えてくれました」

 それは「使命感」と「負けじ魂」だという。大学をつくるには、多くの困難が立ちふさがった。ニディアさんは一歩も引かずに、その困難と向き合った。

「大学を創立できれば社会の大きな力になっていくという信念、使命感が、母にはありました。そして、困難こそが自分たちの成長と学びにつながるという確信もあったのです。それは創価大学に流れる〝負けじ魂〞と同じです」

 さらに総長は次のように続ける。

「母が亡くなったとき、私は教育事業だけでなく、その哲学と思いをそのまま受け継ごうと決意しました。創立者である母の価値観、指針と理想を未来に伝えていくという使命を深く心に刻んだのです。すると不思議にも、まったく別の視野、観点から世界を見ることができました。母のおかげで、これまでにない深い人生を知り、素晴らしい人生を拓くことができたのです。これはSGIの皆様の〝師弟の精神〞にも通じるのではないでしょうか」

 

相違を乗り越え、手を携える努力が重要

家庭では、総長はどんな母なのだろう。聞くと恥ずかしそうに言った。
「母親業というのは、本当に大変です。自分自身として最大の努力をしてきたつもりですが、やはり仕事との両立はとても難しいことでした。ありがたいことに建築家の夫が家庭のこともよく見てくれたので、2人の息子たちと深い絆が築けたのだと思っています」

 総長は、決して自分は満点の親ではなかったかもしれないと語りながらも、何か失敗したときは親子で素直に謝り合うことができる、そういう関係だけはつくってきたという。

 授与式に同行した長男のエドゥアルド・ベラスケスさんは、そんな両親についてこう語る。

「両親はとても勤勉です。一生懸命に仕事をする姿をずっと見てきました。しかし、どんなに忙しいなかでも、映画や旅行のことなど、本当に何でも話し合える関係をつくってくれました。そういう普段の会話を通して、他人を尊重すること、責任を果たしていくことの大切さを教えてもらいました」

 そして、「私は母がつくるフルーツケーキが、今でも大好きです」と笑った。

 ベラスケスさんは、イベロアメリカ大学大学院教務部長として、母を支え共に大学建設に励んでいる。

 ロメロ総長は、パラグアイの女性教育にも尽力してきた。最後に平和構築における女性の役割について聞いた。

 総長は、考えを整理するために少し間を置き、こう答えてくれた。

「世界平和へ、山積する複雑な諸問題を解決するためには、やはり女性ならではの温かく慈悲深い視点で社会を包み込む努力が必要だと感じています。

 同じ女性でも子どもの有無など、背景は実に多様です。大切なのは、だれとでも協力し合うこと。互いに足を引っ張り合うのではなく、助け合う。意見の相違を乗り越え、手を携えていく努力が何より重要なのです。こうした女性同士の連帯と助け合いこそが、平和な社会を築くための最も重要な要件である、と私は思っています」



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パラグアイ・イベロアメリカ大学総長
サーニエ・アンパロ・ロメロ・デ・ベラスケス
Dr. Sanie Amparo ROMERO DE VELÁZQUEZ
教育者、弁護士。教育大臣主席補佐官を務めたのち、イベロアメリカ大学創立者である母ニディア・サナブリア・デ・ロメロ氏と共に大学創設に奔走し、2011年より現職。パラグアイ総長会議会長やパラグアイ私立大学連盟会長など数々の要職を歴任するほか、女性の地位向上のための活動にも取り組む。