【対談】川嶋伸次×榎木和貴 学生駅伝における「強さの証明」とは
2024/04/012024年4月1日付で創価大学駅伝部総監督に川嶋伸次氏が就任した。
川嶋氏は、2000年シドニー五輪のマラソン日本代表として活躍し、翌年に引退。2002年から東洋大の監督として指導にあたり、黄金時代の土台を築いた。その後2009年4月から旭化成陸上部のコーチに就任。手腕を発揮し、全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)でチームを4連覇に導いている。
榎木和貴監督は第一報が出た2月21日、X(旧Twitter)で「現役時代を含め人生の岐路において様々な相談に乗っていただいた師が、総監督として共に進めることは本当に心強い。」とつづった。
創価大学駅伝部の「Next Stage」にさらに期待が高まる。
2022年に刊行された書籍「創価大学駅伝部 獅子奮迅2023」より、川嶋伸次氏と榎木和貴氏の対談を特別公開。
本文中の表現は2022年刊行当時のままとなります。
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初の学生三大駅伝をいかに戦うか
強豪チーム・旭化成で共に鍛錬の日々を送った川嶋伸次氏と榎木和貴氏が学生駅伝における「強さの証明」を語る。
実業団チームの過酷な競争
ーーお二人は旭化成のチームメイトです。川嶋さんが8歳年上ですが、当時はどのような存在でしたか?
榎木 職場では同じ総務部に所属し、席も向かいでしたので、競技だけでなく、仕事の面でもたいへんお世話になりました。川嶋さんは本当に頼れる存在で、折あるごとに相談していました。私は入社当初、環境の変化に対応できず、貧血もありましたので、食事のとり方や練習の強弱のつけ方などを教えていただいた思い出があります。
川嶋 私は、入社直後は全然ダメだったんですけど、榎木くんが入ってきたときは、自分自身がいちばん乗っていた時期でした。
ーー当時の旭化成は高卒選手が中心で、大卒ランナーがやっていく難しさもあったと思います。
川嶋 そうですね。あのころは練習でもライバルを蹴落としていくような雰囲気がありました。榎木くんは箱根駅伝で活躍して、鳴り物入りで入ってきたので、まわりはやっつける気満々でした(笑)。ですから、その洗礼を受けて大変だったと思います。
ーー榎木さんはニューイヤー駅伝のメンバーに一度も入ることができませんでした。一方、川嶋さんは「駅伝男」との異名をとるくらい、ニューイヤー駅伝でも活躍されましたね。
榎木 旭化成にはマラソンで2時間10分を切る選手が6~7人いて、世界大会の代表、ニューイヤー駅伝の優勝は当たり前という感じでした。そのなかでふるいにかけられるわけです。「どこでパフォーマンスを発揮すればメンバー入りできるのか」というノウハウがなかったので、毎日、がむしゃらに頑張るしかありませんでした。でも、大事なところで外してメンバー入りを逃していました。
川嶋 榎木くんは、スピードはあったんだけど、小細工するタイプじゃなかった。惜しいところまでいったことが何回かあったと記憶しています。チーム内ではニューイヤー駅伝の「7人」の争いが本当に激しかったんですよ。元日に好走するより、メンバーに入るほうが難しい。とにかく7番目までに入るために、私自身も必死でした。
ーー1990年代は6連覇の後、1秒差の2位、その後は3連覇でした。当時の旭化成は本当に強かったと記憶しています。そうしたなかで川嶋さんはマラソンでも結果を残しました。
榎木 川嶋さんは目標とするレースが決まったら、そこに向けてのアプローチが凄まじかったんです。マラソンではお腹を下すことが多かったので、水分を一切、摂らないようにするなど、練習のときから本番をシミュレートして準備されていました。駅伝でもバッチリとピークを合わせられる。本番が近づいてくると、独特のオーラを放って「勝てないな」と感じさせるほどでした。
ーー川嶋さんは現役引退後、2002年に東洋大学の監督に就任。榎木さんも04年から指導者の道に進みました。
榎木 川嶋さんが大学でどんな選手を育てるのか、興味深く見させてもらっていました。就任当時の東洋大学は箱根駅伝で予選落ちしたチームでしたけど、久保田満主将(現・創価大学駅伝部ヘッドコーチ)らが育ち、数年で優勝を狙えるチームに変わっていったんです。その過程で川嶋さんが選手にどういうアプローチをされたのか。いろいろと学ばせていただいています。
ーー旭化成のような最強チームの選手から、学生を指導する立場になって、難しさもあったことと思います。
川嶋 実業団は個々人が「自分で決めて、自分でやる」という部分が大きいんですけど、学生の場合は競技以外の悩みで力を発揮できなくなることもありますから、本当に細かいところまでケアしないといけません。まずは、学生を「やる気にさせる」ことが大切だと気づきました。
監督と選手が一緒に成長するチームに
ーー榎木さんは現役引退後、実業団チームで指導され、トヨタ紡織では監督も務めました。創価大学の監督に就任する際には、川嶋さんが背中を押してくれたそうですね。
榎木 私は実業団の監督時代、結果が出せなくて行き詰まっていたんです。どうしようか考えているときに大学からオファーがあり、最初はお断りするつもりでした。指導に対して自信が持てなかったのが大きな理由です。「明日、断ろう」というタイミングで川嶋さんから連絡をいただき、気持ちが変わりました。
ーーどんな言葉が榎木さんの心を動かしたのですか?
榎木 実業団はある程度、完成された人間が集まるけど、学生はまだまだ成長過程で吸収力がある。最初から100%を求めるのではなく、「監督自身も一緒に成長していく」というスタンスで指導すればいいのではないか。「箱根駅伝で結果を出さなきゃいけない」と、最初からゴールを考えるのではなく、やっていくなかで自分もどれだけ成長できるのかと楽しみながらやれば、肩の荷が下りて楽にできるんじゃないか、と話していただいたことで気持ちが一気に変わりました。
ーー川嶋さんは、榎木さんのどういう部分が学生の指導に向いていると思われたのですか?
川嶋 榎木くんは指導が丁寧ですし、雑な言葉も使わない。個別対応も面倒がらずにやるタイプでしたから、成長過程の大学生を指導したほうが絶対に能力を発揮できると思ったんです。
ーー榎木さんは就任1年目に創価大学を3年ぶりに箱根駅伝に導くと、本戦でも総合9位に入り、チーム初のシード権を獲得しました。
川嶋 「勧誘した選手が4年生になるまでは5年かかるので、チームのかたちができるまでには何年もかかるよ」という話をしていたのですが、いきなり躍進しましたからね。選手一人ひとりに目が行き届いているという印象を受けました。
榎木 初年度は、自分が経験したことのない箱根駅伝予選会に臨むのがいちばん不安でしたので、監督時代に予選会を経験された川嶋さんに何度かアドバイスをいただきました。
ーー榎木さんにとって予選会はまったく未知の挑戦だったんですね。
榎木 はい。瀬上雄然総監督からも、過去2回通過したときの成功例や失敗例などを聞き、足りていないところをどう補うのかを考えました。何よりも、選手たちの「絶対に通過するぞ」という気持ちが強く、真剣に取り組んでくれたことが大きかったですね。素直な選手ばかりだったので、先入観を持たずに純粋に努力してくれたのがよかったと思います。
ーーそして就任2年目の箱根駅伝では往路優勝。復路も終盤までトップを独走して、総合2位に入りました。
川嶋 あのレースはびっくりしましたし、興奮しましたね。榎木くんには、シード権を獲得したとき、「ここからトップスリーまで持っていくのが大変だぞ!」という話をしていたんですけど、アドバイスすることがなくなっちゃいました(笑)。
ーー具体的にどこが勝因でしたか?
川嶋 うまく流れをつかみましたね。往路で流れに乗って、復路も余裕を持たせるなかで快走。箱根駅伝で勝つパターンでした。流れをつかむのが大変なんですけど、それをサラッとやった感じがして、ちょっと悔しい気持ちもありました(笑)。
ーーこの快進撃はチームにとって大きな自信になったと思いますが、一方でプレッシャーになった部分もあったのではないでしょうか?
榎木 それまでは上を目指すなかでのチームづくりをしてきたんですけど、総合2位になってからは周囲の目も変わってきましたし、選手たちにも「準優勝したチームなんだ」という意識が出てきました。そこは就任当初と大きく変わったところです。
川嶋 箱根駅伝直後は、にぎやかにやっていましたけれども、いつまでも勝利の余韻に浸っているような雰囲気はありませんでした。浮き足立つこともなく、堅実に進んでいる様子を見て、感心しました。
ーーしかし、その年(21年)の6月、全日本大学駅伝関東地区選考会(全日本予選)では14位に沈みました。
榎木 全日本予選の敗退がターニングポイントになりました。川嶋さんがおっしゃるように、私も「5年かけてじっくりとチームづくりをしていけばいい」との青写真を描いていたのですが、思いがけず就任2年目で結果が先に出てしまった。「準優勝のチームだから、次は優勝だろう」と思われがちなんですけど、「通過は確実」と言われていた全日本予選で惨敗して「自分たちの実力はこんなもんなんだ」との厳しい現実を突きつけられました。そこから選手たちの取り組みが変わっていったのです。
ーー今年(22年)4月の日本学生個人選手権1万mでは葛西潤選手と嶋津雄大選手がワン・ツーを飾り、チーム初となるワールドユニバーシティゲームズ代表に内定しました(※大会はコロナウイルス感染拡大のため延期)。
榎木 今季はようやく、いろんなことが少しずつ噛み合ってきたと感じています。二人がユニバ代表を決めたときは、もうひとつ上のレベルに成長できたかなと思いました。
ーーそして、同年6月の全日本予選は、学生駅伝経験者の4年生(葛西潤、緒方貴典、濱野将基、新家裕太郎、松田爽汰)を外した中で、見事に本戦出場を勝ち取りました。
榎木 全日本予選は葛西、嶋津のどちらかがいなくてもトップ通過を目標にやってきましたので、3位という結果は課題も残ったと思います。
学生三大駅伝すべてに出走
ーー創価大学は今季初めて学生三大駅伝にフル出場します。まずは出雲駅伝(10月10日)ですが、初出場した昨年(21年)は3区のフィリップ・ムルワ選手が区間賞の快走で2位に浮上しました。
川嶋 出雲駅伝は6区間(45.1km)しかないので、先手必勝ですね。戦力を考えると、前半はトップ争いができるでしょう。
榎木 今年も前半は先頭付近で行けると思うので、あとは4~5区をどうしのぐのか。アンカーにもう一人、大砲を置けるような布陣が組めれば、トップスリーは狙えると思っています。駅伝で先頭を走るほど気持ちいいものはないので、多くの選手に味わってほしいですね。
川嶋 たしかにそこは大事なところだし、優勝争いをすることでチームの勢いが変わってきますからね。
ーー初出場となる全日本大学駅伝(11月6日)は、どんな戦い方がいいのでしょうか?
川嶋 駅伝は先手必勝がセオリーですけど、全日本(8区間=106.8km)は終盤に長い区間があるので、区間配置が難しい。監督の力の見せどころです。
榎木 全日本は初挑戦なので、まだイメージできていないんですけど、前半の4区までに主力を二人ぐらいは使わないといけないかなと感じています。前回は留学生を入れた3区でトップに立った東京国際大学がそのまま行くかと思いきや、駒澤大学と青山学院大学が後半に上がってきて1位、2位でした。私も区間配置がいちばん難しい駅伝だと思います。
川嶋 本当に難しいですね。終盤に残しておくよりも前半に使ったほうが流れには乗りやすいけれども、迷うところですね。いずれにしても、全日本の経験が箱根につながる。監督も区間配置と、その結果に対しての反省が出てくると思います。
ーー少し先になりますが、箱根駅伝についてはどうでしょうか?
川嶋 戦力を考えると前回王者の青山学院大学が少し抜きん出ている感じはします。ただ山がどうなるのか。近年は実力が拮抗しているので、観ているほうはおもしろいですし、戦い方も以前とはちょっと違う感じがしますね。力のある大学がたくさんあるので、どうなるかわかりません。
ーー前々回の5区を区間2位と快走した三上雄太選手が卒業した現在、山上りの候補は出てきていますか?
榎木 候補はいますが、本番でしっかりと力を発揮できるのかを見極めないといけません。「山の神」と呼ばれるようなスペシャリストが出てきてくれるといいのですが……。夏合宿で適性をチェックして、早い段階からシミュレートしながら選手強化をしていきたいと思っています。
ーー川嶋さんは東洋大学の監督時代に柏原竜二選手を育成しました。どのように指導されたんですか?
川嶋 柏原くんは上りが別格で、走力も1年のときから学生トップレベルでした。当時は5区が最長区間だったんですけど、不安はまったくなく、前回の区間賞に匹敵する走りが期待できるような感じだったんです。彼が1年生で大活躍した後、「どう対策しますか? 」と尋ねられた他大学の監督が「卒業を待つしかありません」と答えたくらい強かったですよ。
榎木 柏原くんみたいな選手がいるといいですよね(笑)。あれだけ強い選手が5区に控えていれば、1~4区の選手も攻めきれると思います。そういう安心感がチームにあると大きいですよね。
選手との対話を重視し最高のチームづくりを
ーー箱根駅伝では総合優勝を狙っているんですよね?
榎木 はい。総合優勝を目標にしています。就任当初は、私がこんなことを言うと、「この人は何を言っているんだろう?」と思われたはずですが、いまはそういう発言を堂々とできますし、選手たちも覚悟を持ってチャレンジしています。
ーーチームの現状はいかがですか?
榎木 タイムは上がってきているんですけど、駅伝で単独走になったときに一人でも攻めきれるのか。そういった強さを求めていきたいです。毎年、夏ごろから現状での区間配置を考えるんですけど、総合2位のときは、夏合宿終了時にシミュレートした区間配置が10区以外はハマッたんです。こうしたイメージがバチッと合ってくれば、優勝争いができると思っています。
ーー6月下旬には新しく「白馬寮」が完成しましたね。
榎木 すばらしい環境を整えていただき、ありがたく思っています。
ーー川嶋さんは寮をご覧になってどんな感想をお持ちですか?
川嶋 寮内の多目的室には充実したトレーニング機器があって、高圧高酸素ルームと低圧低酸素ルームまで完備している。競技者としては幸せな環境です。選手は、これを当たり前だと思ってはいけませんね。期待されているわけですから、しっかり結果で返していくことが大切だと思います。
ーー創価大学は「入学してからの伸びしろが大きい」と、育成力にも注目が集まっています。指導するときに心がけていることはありますか?
榎木 就任当初は学生を初めて指導するということもあり、どちらかというと彼らの話を聞くことを重視してきました。でも、どんどん結果が出てきて、選手たちの目標が上がってくると、こちらの求めるものも高くなってきます。ですから、「選手に厳しい言葉で接していないか」と、気をつけています。今後、チームが強くなっていくために指導方法も変えていく必要があるのでしょうか。
川嶋 学生は指導者の言葉に敏感です。言葉の使い方ひとつでスイッチが入ることもあるし、ちょっとした言い回しで印象が変わってきます。ただ、結果が出ないときにいちばん悔しいのは選手だから、「監督は自分のことを信じてくれている」ということが伝わればいいんじゃないのかな。選手をどう成長させるのか。大学の指導者は選手との対話を大切にして、そこから生まれるものを大事にしてほしい。それが選手のモチベーションになり、チームの雰囲気になっていくわけですから……。
榎木 ありがとうございます。川嶋さんのアドバイスを参考にさせていただき、選手たちの目標である箱根駅伝の総合優勝に向けて、チャレンジしていきたいと思います。
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創価大学駅伝部 総監督
川嶋伸次(かわしま・しんじ)
1966年生まれ。埼玉県出身。日本体育大学在学中の89年に箱根駅伝復路6区の山下りで区間賞を獲得。大学卒業後、旭化成に入社。2000年のシドニー五輪男子マラソン代表となる。01年に現役引退。02年から08年まで東洋大学陸上競技部監督を務め、09年から24年3月まで旭化成陸上部コーチ。24年4月より現職。
創価大学駅伝部 監督
榎木和貴(えのき・かずたか)
1974年生まれ。宮崎県出身。中央大学在学中は箱根駅伝で4年連続区間賞を獲得。大学卒業後は旭化成に入社し、2000年の別府大分毎日マラソンで優勝。沖電気陸上競技部、トヨタ紡織陸上部でコーチ・監督を務めた後、19年から現職。