国際刑事裁判所所長が若者と女性に伝えたいこと
2024/05/152024年3月に、日本人として初めて国際刑事裁判所所長に就任した赤根智子さんに女性の社会進出や日本の役割、今後の抱負について伺った。
(『潮』2024年6月号より転載。)
日本人として初のICC所長に就任
私は今年の3月に、オランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(以下、ICC)の所長に選出されました。ICCの所長は、ICCの裁判官の投票によって選ばれます。仲間の裁判官から選出されたことを、とても光栄に思っています。
日本人がICCの所長に就任するのは初めてということもあり、新聞をはじめとしたメディアが多数とりあげてくださいました。多くの方から応援やお祝いの言葉もいただき、心から感謝しております。
みなさんご承知のように、現在、国際社会は大きな危機を抱えています。このような状況下でのICC所長の職務には、大変困難な舵取りが求められるでしょう。その責任の重大さをひしひしと感じています。
ただこのような時期だからこそ、前例がないからやらないといった態度ではなく、何とか知恵を絞り、新しい活路を切り開いていきたい。法の支配を広めていくことにより、世界の平和を実現したい。そんな強い気持ちで、職務に取り組んでまいります。
戦争犯罪などの個人の責任を追及
ICCは、国連全権外交使節会議で採択された「ローマ規程」に基づき、この条約の加盟国によって2002年に創設されました。現在、ICCの加盟国は124カ国。日本は2007年に加盟しています。
ただアメリカや中国、ロシア、インドといった大国はICCに加盟していません。そのような状況のなか、外交政策の柱として国際社会における法の支配の強化を掲げる日本は、ICCを強力に支援しています。現在、世界でもっとも多くの拠出金を負担しています。
ICCが対象とするのは国際的に極めて重大な犯罪です。具体的に言うとジェノサイド(集団殺害犯罪)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4つです。中核犯罪(コア・クライム)とも呼ばれるこれらの犯罪を対象に、個人の刑事責任を追及するところが、ICCの大きな特徴です。
よく国際司法裁判所(ICJ)と混同されますが、ICJは国家間の紛争解決を目指す国連の機関です。いっぽうICCは国連とは独立した機関で、あくまで個人の刑事責任を追及することで、同様の犯罪の抑止を目指しています。
ICCは各国の裁判所の上位的存在ではありません。各国の裁判所を代替する機関でもありません。本来は中核犯罪も国家が裁くべきなのですが、それができない場合にICCが補完して裁くのです。
ICCは加盟国および非加盟国の協力を前提として成り立っています。今回のロシアによるウクライナ侵攻に関連して、プーチン大統領らが占領地域からの子供連れ去りに関与したとして、ICCは逮捕状を出しました。とはいえICCは、被疑者の身柄を拘束できる警察のような法執行機関は、持っていません。ただICC加盟国は、ICCが逮捕状を出した人間が国内に入れば、逮捕状を執行し、逮捕する義務があります。
ICCの判事という立場から、特定の捜査や事件に関して、踏み込んだ発言はできません。ただし、一般論として述べるのであれば、一度出された逮捕状には有効期限はありません。
加盟国・非加盟国との対話を重ねながら、任務の遂行に向けて最後まで努力していきたいと考えています。
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中核犯罪に対応できない日本
ところで現在の日本の法制度にはジェノサイド、人道に対する犯罪、重要な戦争犯罪等に対する処罰規定がありません。これらの犯罪も、基本的には日本国内の刑法で裁けるとの考えからでしょう。
ところが現実には、日本の現行法ではカバーできない中核犯罪は存在します。例えばA国とB国が戦争状態となり、B国の人を殺したA国の人が何らかの理由で日本に入国した場合、その人物を日本の司法は裁くことができません。
そもそも戦争犯罪を、通常の殺人と同じように考え、処理することには無理があります。戦争犯罪は、戦時下の社会全体を視野に入れて考えなくてはなりません。刑法では適切に対処できず、捜査や訴追ができない可能性も大きいのです。
このような状況では今後、近隣諸国で中核犯罪が起きたり、その犯人が日本に逃げ込んできたりしても、日本の国内法では適切な対応ができません。そのような状況は、日本の安全保障上の大きな問題になり得ます。
国際的に重要な犯罪に適切に対応できないことは、日本が国際社会での責任をきちんと果たせないことを意味し、日本の国際的な地位の低下にもつながります。
そういった意味で、この問題は深刻であり、一刻も早く改善すべきです。私は日本が世界規模の中核犯罪の処罰に積極的に協力できるよう、国内の法制度をすみやかに改革すべきだと考えています。
少なくとも加盟国にジェノサイドの防止と処罰を義務付けた、ジェノサイド条約には一刻も早く加盟すべきです。
自由と責任の関係を学んだ高校時代
私は名古屋市で生まれ育ち、県立旭丘高校で学びました。この学校は先進的な考えで運営されており、とても自由な校風でした。制服はありましたが、好きな服装で通うことが許されていました。
生徒を校則で縛らないのは、自由には責任が伴うとの考えからです。生徒は自由を与えられている分、何事も自分たちで考え、自分の行動に責任をもたなくてはなりませんでした。私はそのような学校で、民主主義や法による支配につながる感性を培ったように思います。
実は高校時代、文系科目より、化学や生物などの理系科目が好きでした。そこで大学は、理系への進学を考えていた時期もあります。でも当時は、今より女性が大学に進むことが珍しかった時代です。女性が理科系分野に進むことなど、一般的ではありませんでした。
両親からも「女性が理系の大学に進んでも、仕事への道は開かれていないよ。それより法曹資格を取ったほうがいいんじゃないか」と言われました。そんな親の助言もあり、東大の法学部に進学しました。
法律をもとに社会正義を実現する法曹の仕事に魅力を感じ、大学3年生くらいから司法試験の勉強を始め、在学中に合格することができました。
法曹の仕事の責任と限界を知る
そして大学卒業後の1982年に、検事に任官しました。それから長年検察庁で働き、印象深い多くの事件に携わらせていただきました。法律の実務家の仕事は、相手やその関係者の人生を大きく左右します。その責任の重さをひしひしと感じるとともに、法曹界の人間ができることの限界も、まざまざと痛感させられる日々でした。
そんな私のキャリアで大きな転機となったのが、検事7年目に入った32歳のとき。休職してアメリカに2年間、自費留学をさせていただいたのです。前例のない挑戦を受け入れ、さまざまな調整をしてくださった当時の上司には、今でも心から感謝しています。
アメリカ留学をしようと決意した背景には、さまざまな形でサポートしてくださっていた検察事務官の方の言葉があります。
「これからの時代を開くには、女性検察官に頑張ってもらわないと困る。そのためには他の人にはできないことをやらなくてはならない。何か得意なことをつくったほうがよい」
この言葉が後押しとなり、アメリカへの留学を決意したのです。
その後、日本で検事に復帰し、東京や札幌、名古屋の検察庁で働きました。名古屋大学法科大学院法学研究科や中京大学法科大学院での教授職も務めさせていただきました。
さらに2009年1月からは、法務省法務総合研究所の国際協力部長として、アジアでの法整備支援に携わらせていただきました。日本はベトナムやカンボジア、ラオス、ミャンマー、インドネシアなど、アジアの国々の法律を整備する支援プロジェクトに長年、力を入れてきたのです。
ここでの仕事を通し、民主主義や法の支配が確立され、法曹の質も高い日本が、司法や法律の分野でアジアの国々に貢献できることは大きいと強く感じました。
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困難の連続だったICCでの仕事
その後、2018年3月に、日本人で3人目となるICCの裁判官に就任しました。覚悟はしていたものの、ここでの仕事は想像以上にハードなものでした。毎日が困難の連続です。金曜日の夜に家に帰ると、「なんとか今週も無事、家に帰ることができた」とほっとするような日々でした。
裁判官の仕事は公平性や公正さが求められ、誰もが納得する判断を下さなくてはなりません。ところが「ローマ規程」の体系は、まだ新しいこともあり、きちんと確立されていない部分があります。手探りで試行錯誤せざるを得ないことが多いのです。しかもそれを、日本人がほとんどいない環境で、外国語で行わなくてはなりません。
ICCの業務は、公用語である英語とフランス語で行われます。私は帰国子女ではなく、英語でさえもネイティブといえるレベルではないので、大変な苦労をしました。そのうえアグレッシブで自己主張の激しい欧米の人々と、対等に渡りあわなくてはならないのですから大変です。
このように苦労は多いものの、世界の平和と安定のために、世界中の法曹のプロフェッショナルと力を合わせて仕事をすることのやりがいは大きく、とてもエキサイティングでした。
三淵嘉子のようなロールモデルが重要
いずれにしろ今、このようなやりがいある仕事をさせていただけるのは、これまで応援してくださった多くの方がいたからです。まずは大学や法曹の分野へ進むことを後押ししてくれた両親に、心から感謝しています。中学高校の先生方からも、たくさんの励ましや応援をいただきました。先生方には、社会で活躍することが、その後に続く女性たちの励みになるとの思いがあったのでしょう。
人生において「自分もこの人のように生きたい」と思えるロールモデルの存在はとても重要です。
私にとっては小学校の頃に偉人伝で読んだ、キュリー夫人やヘレン・ケラーがそのような存在です。2人はさまざまな困難を抱え、苦労しながらも、決して夢をあきらめませんでした。努力を積み重ね、社会に大きな影響を与える偉業を成し遂げました。小学生の私は、そんな2人の生き方に感動し、自分も彼女たちのような生き方をしたいと思ったのです。
現在、放送されているNHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルとなった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんも、法曹界で働く女性のすばらしいロールモデルです。彼女は今よりもっと男尊女卑の風潮が強かった時代に、日本初の女性弁護士となり、女性として初の家庭裁判所所長を務めました。そのご苦労は並大抵ではなかったでしょう。三淵さんのような先輩がさまざまな困難を乗り越え、道を切り開いてくださったからこそ、今日の私たちもあるのだと思います。
また今後は私自身が、次の世代の模範となるような仕事をしていかなくてはならないと考えております。
日本のリーダーシップで平和な世界の実現を
ICCの職員は現在、1000人ほどですが、そのうち日本人は10人前後。主要なポストのほとんどは、ヨーロッパの人々が占めています。ICCにもっと日本人の職員が増えることが、日本のためにも、世界のためにもなると考えています。
日本は明治時代に海外から近代的な法制度を学んで取り入れました。さらに戦後、アメリカから新しい法律的な考え方も取り入れました。大陸法と英米法の異なる考え方を上手に咀嚼し、日本の歴史や文化、社会に合う形の法制度を構築し、実践してきました。
その経験は、多くの国々の支援に活かせます。またそのようなことを実践してきた日本の法曹関係者は、世界的に見ても非常にレベルが高いと思っています。
ですから今後、日本から、国際刑事司法の分野に挑戦してくれる若者が、続々と現れることを期待しています。そのためには日本の大学で、戦争犯罪や人道に対する犯罪、国際刑事司法について学ぶ機会をもっと増やす必要もあるでしょう。
ICCでは政治や会計、マネジメント、ITなど法律家以外のプロフェッショナルもたくさん働いています。そのような多様な人々が活躍する国際機関で働く経験は、キャリア上での大きな力となり、日本のためにも大いに役立てることができるはずです。
ICCの課題は、アジアに加盟国が少ないことです。アジアの加盟国を増やすには、ICCの存在やその意義を、アジアの人々にもっと知ってもらう必要があります。そのうえでも、日本が大きな役割を果たせるでしょう。
ちなみに現在、ICCではアジアでの活動拠点として、事務所を設立する計画も進んでおり、東京も有力な候補の1つとなっています。
日本は今後、アジア各国と力を合わせながら、国際刑事司法の分野で強いリーダーシップを発揮していくべきです。いずれはICCが、世界の刑事裁判所のようなものに発展し、世界の平和と安定に大きく貢献する。
そんな日を夢みて、所長としての責務に全身全霊で取り組んでまいります。
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国際刑事裁判所所長
赤根智子(あかね・ともこ)
愛知県名古屋市出身。東京大学法学部を卒業後、1982年に検事任官。横浜、名古屋、仙台、東京各地方検察庁等で勤務。名古屋大学法科大学院法学研究科教授、法務省法務総合研究所国際協力部長、国際連合アジア極東犯罪防止研修所所長、法務総合研究所所長、最高検察庁検事など歴任。国際刑事裁判所(ICC)判事に就任。2024年3月、国際刑事裁判所所長に就任。