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ヒバクシャの声なき声を聴く ――ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸

40年以上、ヒバクシャを取材し続けたフォトジャーナリスト豊﨑博光氏が語る、
核兵器・核実験の放射能の影響と、私たちがとるべき行動とは――
(月刊『潮』2024年7月号より転載。)

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ビキニ環礁水爆実験第五福竜丸のヒバク

 1978年から2006年にかけて、私は太平洋のマーシャル諸島へ約20回取材に出かけました。

 マーシャル諸島にあるビキニ環礁ではアメリカが、1954年3月1日に水爆実験を実施しています(通称「ブラボー実験」)。この実験によって、広島に落とされた原爆の1000倍以上ものメガトン級の大爆発が起きました。ビキニ環礁だけでなく、実験場から180㌔離れたロンゲラップ環礁、さらに離れたウトリック環礁にも放射能が降り注いでいます。

 ビキニ環礁の近海にいた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」(乗組員は23人)もヒバクに巻きこまれ、急性ヒバクによって半年後に1人が死亡しました。

【※なお本稿では「被爆」(原爆や水爆の爆発による被害)と「被曝」(放射能による被害)を敢えて分けず「ヒバク」、「ヒバク」した被害者を「ヒバクシャ」と表記します】

 マーシャル諸島で行なわれた核実験は1回だけではありません。1946年から58年にかけて、ビキニ環礁で23回の核実験が実行されました。エニウェトク環礁では44回も行なわれています。

 核実験が始まる直前の1946年、アメリカ軍はビキニ環礁の島民を強制的に疎開させました。実験の終了後、米軍は68年から69年にかけて土壌の除染作業を進め、アメリカ政府はビキニ環礁に「安全宣言」を発出します。島民は故郷に戻り始めたものの、ヤシの実や地下水から放射性物質が見つかり、島民は再び強制疎開させられました。

 1954年3月1日の水爆実験によって、ロンゲラップ環礁には放射性物質が3センチも降り積もったそうです。当然のことながら島民はヒバクし、次々と病気になっていきました。85年、ロンゲラップ環礁の島民はヒバクから逃れるために疎開しました。

主食はヤシの実 島民を蝕む放射能

 ヤシの実はマーシャル諸島の島民の主食ですから、彼らは一日に6個も7個も食べます。地中に染みこんだ放射能を吸いこんだヤシの実の汁を飲み、果肉を食べれば、ヒバクが進むのは当然です。彼らはヤシの実だけでなく、海で捕れた魚を食べ、天水(雨水)を飲みます。それらにも高濃度の放射能が含まれていました。

 私が取材に出かけるたびに、顔を合わせる島民から「最近のオレは老けてないか」と質問されたものです。80年代になると彼らの会話の中に「cancer」( がん)、「thyroid」(甲状腺)、「radiation」(放射線)という単語が頻出するようになりました。「チーボン」(異常出産)というマーシャル語もよく耳にしたものです。

 甲状腺にがんができたり、そのがんが食道に転移したり、またお腹が異様に膨らんで黒い便をたくさん出すなどの症状で人々が次々と亡くなっていきました。離島には医師がいないため、誰も病気の診断なんてできません。人々は「きっとがんに違いない」と脅えながら戦々恐々として暮らしてきました。

放射能の恐怖と「心のヒバク」

 核爆発によって放出されるエネルギーは3種類あります。第1に爆風と衝撃波、第2に熱、第3は目に見えない放射能です。爆風と衝撃波は広島と長崎の街を破壊し、熱が壊れた街を焼き払い、生き残った人は「ケロイド」と呼ばれる大火傷を負いました。

 核爆弾が爆発すると、核分裂反応によって200種類もの放射性物質が飛び散ります。半減期(放射能量が半分まで目減りする期間)は1年や2年ではありません。

「セシウム137」の半減期は30年です。骨の中に入って白血病を引き起こす「ストロンチウム90」という物質は、29年待たなければ半減期がやってきません。

 放射能が残る場所に住み続ければ、人間は何十年もずっとヒバクし続けます。マーシャル諸島の人々のヒバクの仕方がまさにそうでした。目に見えない放射能の恐怖にさらされてきたのは、帰国した第五福竜丸の乗組員も同様です。

 私たちはこれまで原爆投下について「50年目」「60年目」「70年目」と節目となる年に注目してきました。来年は広島と長崎への原爆投下からちょうど80年目の節目であり、今年は第五福竜丸事件からちょうど70年です。

 だからといって、とりたてて「××周年」と節目を強調することに私は大きな意味を感じません。ヒバクシャの苦しみは原爆投下や水爆実験の一瞬に起きた瞬間的なものではなく、今日までずっと継続してきたからです。

 体内に蓄積された放射能は、がんや白血病などさまざまな疾患を引き起こしてきました。ヒバクシャ本人が病気にならなくても、ひょっとすると子どもや孫に放射能の影響が出るかもしれません。直接目に見える健康被害がなかったとしても、恐怖という「心のヒバク」はヒバクシャの子孫を今日も苦しめています。

 ひとたび核爆弾を使用したり、核実験を実行すれば、目に見えない放射能が人々を半永久的に恐怖にさらす。その厳然たる事実に思いを致さなければなりません。

核実験と「グローバル・ヒバクシャ」の増加

 アメリカはこれまで大気圏内で215回、地下で815回の核実験を行なってきました。旧ソ連が行なった核実験は大気圏内が219回、地下が496回です。イギリスやフランス、中国やインド、北朝鮮など世界中で行なわれた核実験は大気圏内が528回、地下は1528回、合計すると2056回にのぼります。

 核兵器について論ずるとき、人々はとかく核兵器の「数」ばかりに注目しがちです。1980年代後半に約7万発にも積み上げた世界の核兵器の数は、2023年には1万2520発まで減りました。アメリカは5244発、ロシアは5890発です。東西冷戦時代に比べて核軍縮が進んだからといって、安閑としてはいられません。

 1963年の部分的核実験禁止条約によって、アメリカとソ連とイギリスは大気圏内と水中での核実験をやめました。1996年に国連で包括的核実験禁止条約が採択されると、核保有国は地下核実験も控えるようになります。ただしそれまで繰り返してきた膨大な回数の核実験のせいで、世界中の人々がヒバクしてきました。

 核実験によってヒバクするのは、実験に参加した軍人や科学者、実験場の周辺で暮らす住民だけではありません。放射能は風に乗って世界中に飛び散ります。つまり核実験によって「グローバル・ヒバクシャ」が生まれるのです。

 第五福竜丸がヒバクした水爆実験は、実は1回きりで終わったわけではありません。1954年3月1日から5月14日にかけて、「キャッスル作戦」と呼ばれる水爆実験が、たった2カ月半の間に6回も実施されているのです。

 6回の実験は、マーシャル諸島にあるビキニ環礁とエニウェトク環礁の両方を使って行なわれました。広島型原爆の1000倍以上の威力をもつ爆発によって、放射能を浴びたサンゴは上空高く舞い上がります。放射能がついたサンゴの粉末は、風に乗って地球全体に広がっていきました。

 なぜそう言えるのかというと、当時アメリカは世界中で放射性物質を測定していたからです。広島と長崎にあったABCC(原爆傷害調査委員会/現・放射線影響研究所)の庭、さらには青森県の三沢基地や東京・多摩の横田基地、沖縄の嘉手納基地に落ちてきた放射性物質をアメリカは測定しました。すると太平洋のマーシャル諸島から日本まで放射性物質が飛んできたことがわかったのです。

 世界中に「グローバル・ヒバクシャ」を生み出す核兵器と核実験は、幾重にも罪深いと憤りを感じます。事は核保有国一国にとどまりません。これ以上「グローバル・ヒバクシャ」を生み出さないために、愚かな核実験はどの国も二度とやるべきではないのです。

核拡散防止条約と核兵器禁止条約

 1968年に核拡散防止条約(NPT)が作られました。核保有5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)以外の国への核拡散を防ぎつつ、核軍縮を進めるための枠組みです。

 インドやパキスタン、イスラエルはNPTには参加せず核保有に踏み切り、北朝鮮は2003年にNPTから脱退しました。NPTには日本を含む191カ国・地域が参加しており、5年に1度NPT再検討会議が開かれています。

 NPTとは別に、2017年に国連で核兵器禁止条約が採択されました。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)やSGI(創価学会インタナショナル)をはじめとする団体や、ヒバクシャの声を受けてできた条約です。

 画期的なことに、この条約は「核兵器の製造も貯蔵も配備も核実験も全面的に禁止する」という高邁(こうまい)な目標を掲げました。

 第6条では、核実験によって生まれたヒバクシャに「医療、リハビリテーション及び心理的な支援」を施すと掲げています。

 また「(核実験によって) 汚染された地域の環境を修復するため必要かつ適切な措置をとる」とも掲げました。老若男女の差別なく、経済的な補償を含めてヒバクシャを救済すると謳っています。

 核兵器禁止条約の締約国は現在では70カ国に達したものの、アメリカやロシアをはじめとするすべての核保有国や、これまで核実験に手を染めてきた国は条約を批准していません。アメリカの同盟国であり、核抑止力の傘の下で守られている日本は、条約を批准せず締約国会議にオブザーバー(傍聴)参加すらしてきませんでした。

 水爆実験競争が激化した1955年、物理学者のアインシュタインらが「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表しています。〈今や私たちは、とりわけビキニ実験以来、それ以前に想定されていた以上にはるかに広範囲にわたって、核爆弾による破壊がじわじわと広がっていくことを知っています〉〈もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう――瞬間的に死を迎むかえるのは少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、苦しみながら死んでいくことになります〉(日本パグウォッシュ会議の翻訳より)

 核兵器と放射能によるグローバル・ヒバクシャをこれ以上生み出さないために、日本は核兵器禁止条約へのオブザーバー参加から始めてみてはいかがでしょう。条約批准へ向けて勇気ある一歩を踏み出すために、まずはオブザーバー国として議論に参加するべきです。

原水爆禁止宣言と池田SGI提言

 1957年9月8日、創価学会の戸田城聖第二代会長は「原水爆禁止宣言」を発表しました。戸田会長は〈われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります〉と叫び、生存権について鋭い指摘をされています。

 さらに〈たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならん〉

と、戸田会長は敢えて強烈な表現を用いました。核兵器は国家対国家の国際政治の問題ではなく、人間の問題である。戸田会長はこの点を厳しく喝破したのです。

「原水爆禁止宣言」の精神を受け継いだ池田大作SGI会長は、1983年から2022年まで毎年「SGIの日」記念提言を発表してこられました。

 2022年2月にロシアがウクライナに侵攻すると緊急提言(2022年7月26日、2023年1月11日)を発表し、G7広島サミット(首脳会談)の直前(2023年4月27日)にも提言を発表されています。どの提言にも一貫して共通するポイントは、核軍縮と核廃絶です。

 広島・長崎への原爆投下から79年が経ちながら、人類の誰もが未だにヒバクシャになりうる危険にさらされています。私たちには余分な放射線を浴びない生存権があるのです。その生存権を守るため、国家の指導者は核軍縮と核廃絶に邁進しなければなりません。

 1980年代、核実験によって生まれたヒバクシャについて、アメリカで「justice」という言葉が使われるようになりました。日本語に直訳すると「正義」ですが、私は「正当性」と訳したほうが適切だと思います。放射能によるグローバル・ヒバクシャを生み出さない。それは人類にとって正当で当たり前の権利なのです。

 その生存権を守ることこそ、戸田会長と池田SGI会長の精神に賛同する私たちの使命ではないでしょうか。




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フォトジャーナリスト
豊﨑博光(とよさき・ひろみつ)
1948年神奈川県生まれ。東京写真専門学院報道写真科を卒業後、フリーに。78年からマーシャル諸島をはじめ、米ソなど世界の核実験場、ウラン鉱石採掘場、核廃棄物処理などによるヒバクシャ、また世界各地の反核運動やヒバクシャの大会を取材。著書に『写真と証言で伝える世界のヒバクシャ』(全3巻)など多数。『マーシャル諸島 核の世紀』で日本ジャーナリスト会議賞受賞。