未来アクションフェスから平和の波を起こせ(Def Tech Microさん)
2024/09/17 2024年3月24日の「未来アクションフェス」でトリを飾り、会場に集った6万6千人、ライブ配信で視聴した50万人以上を感動させたDef Tech(デフテック)のMicroさん。
平和への祈りを集めたこのフェスに込めた熱い思いを伺いました。
(月刊『パンプキン』2024年8月号の内容を転載。人物撮影=後藤さくら、取材・文=前原政之、ヘア&メイク=Yoichiro Sato、スタイリング=村田友哉)
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ずっと、平和の思いを歌い続けてきた
2024年3月24日に東京・国立競技場で開催された「未来アクションフェス」でトリ(最後の出演者)を務め、計5曲を歌って会場を沸かせたのが、Microさんだった。
Def Techはデビュー以来ずっと、平和について歌い続けてきた。このイベントのために選ばれた5曲も、タイプこそ違えど、それぞれ平和の尊さを歌い上げたものといえる。
「そうですね。たとえば1曲目に歌った『Bolero』は、2011年の東日本大震災を踏まえて、復興への願いを込めて作った曲です。一人から一人へと平和の思いと希望を世界へつなげていこうという内容ですから、このイベントにふさわしかったと思います。
2曲目の『My Way』はDef Techの最初のヒット曲ですが、聴く人を励ます応援歌であると共に、やっぱり平和への思いが根底にあります。
3曲目に歌った『Power in da Musiq』も、タイトルのとおり、音楽の力で人びとの心を結んで平和を作っていこうという歌です」
現実の世界では、ロシアとウクライナの情勢、パレスチナ・ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃が、今なお進行中だ。その中にあって、フェスに集った人びとの平和への思いは、一層切実になった。
「9・11」の災禍を目の当たりにした原点
そもそも、なぜMicroさんは平和の歌を歌い続けるようになったのだろう? その遠い原点は少年時代にあり、近い原点は大学時代の体験にある。
「僕の父はサーフショップを経営していて、生粋のサーファーでした。その影響で、僕自身も小学1年生のときからサーフィンを始めて、小学校を1、2週間休んで沖縄やハワイにサーフィンに行くことがよくあったんです。
冬でも真っ黒に日焼けしていましたし、着る服もサーフスタイルでした。そんなふうだから、小学校のクラスではすっかり浮いてしまって、いじめに遭ったんです。そのことで悩んで、『人間ってどうして自分と違う人を認められずに争うんだろう?』と、しみじみ考えたんですね。それが、僕の平和への思いの原点です」
もうひとつの、もっと大きな原点は大学3年生のとき。2001年9月に大学のゼミ合宿でニューヨークに行っていたとき、あの「9・11」――同時多発テロ事件に遭遇したのだ。
「事件の前日に友人と一緒に(テロで倒壊した)世界貿易センタービルへ見学に行ったらもう閉館していたので、次の日(9月11日)にもう一度行って昇ろうということになっていたんです。でも、寝坊して30分出かけるのが遅れて、慌てて貿易センタービルに向かったら、1キロほど手前で異変に気づきました。そして、目の前で2機目の飛行機がビルに衝突したんです」
その日、もし30分寝坊せずに貿易センタービルに昇っていたら、間違いなくテロの犠牲になっていただろう。九死に一生を得た衝撃的な体験は、Microさんの運命を変えた。
「僕は前の月に21歳になったばかりでしたが、ものすごい絶望感と無力感を感じました。20世紀は『戦争の世紀』だったけど、21世紀は『平和の世紀』になると信じていたのに、21世紀が始まった途端にまた暴力の嵐が吹き荒れたことがショックでした」
その絶望感と無力感は、日本に帰国してからも尾を引いた。
「救急車のサイレンを聞くとビクッとして飛び起きちゃうし、地下鉄に乗るのも怖かったですね。というのも、9・11後にニューヨークで、地下鉄に爆弾が仕掛けられるというデマが流れた時期があったからです。パニック障害の一歩手前のような状態でした」