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関西のさらなる発展のため、公明党が主導権を握るべき

作家で評論家の八幡和郎氏と公明党衆議院議員佐藤茂樹氏による対談では、風雲急を告げる日本政治にあって、関西が担う大きな役割について語り合っていただきました。
(月刊『潮』2024年10月号より転載)

 

関西の自立心を発展に生かせるか

佐藤 私たちは同じ膳所(ぜぜ)高校(滋賀・大津市)の出身で、八幡さんは私の8年先輩にあたります。今日は同じ大津市出身の八幡さんと、関西のポテンシャルと政治が果たすべき使命について語り合えればと思います。

八幡 よろしくお願いします。

佐藤 初めに少し関西の特色について、通俗的な話から始めようと思います。関東では建前が重視されますが、関西では本音で話をされる方が多い。地元・大阪と東京を行き来していると、いつもそのことを痛感します。

八幡 大阪を中心に見ると関西には本音の文化がありますが、私が住んでいる京都には少し「いけず」な建前の文化があります。ただ、それぞれの根底には〝自立心〟、つまり自分の力で道を切り開く気質という共通の根っこがある。関西のベンチャー企業とノーベル賞受賞者の多さは突出していますが、これは関西の自立心を象徴しているように思います。

 ただし、残念なことにその自立心は東京での成功を志向しやすい。関西人の自立心を関西自体の発展に生かしていくことができるかが、大きな課題だと思います。

佐藤 確かに関西で創業した企業が、成長を遂げて東京に本社を移した事例はたくさんありますね。

八幡 大阪にとって、企業による本社機能の東京移転は大きな打撃でした。京都の企業は本社を移さないケースが多い。我が道を行くからです。それに対して大阪の企業は日本一を志向するので、「東京に行ったらもっと儲かるぞ」となるんでしょう。江戸時代には大阪が経済の中心で、いまの中国で言う上海のような立ち位置でした。それが戦時中の統制で東京集中が進み出し、近年では、規制緩和による産業編成でますますその傾向が強まっています。

中央省庁との連携で地域を発展させる

八幡 1994年に開港した関西国際空港も関西人の自立心を象徴しています。自立心ゆえに、本来は国が負担してくれる資金も自分たちで賄った。結果的に、それが経営体力の消耗につながってしまった面もあります。

佐藤 私は関空が開港する前年に衆議院議員に初当選し、これまで長く与党関西国際空港推進議連の幹事長を務めてきました。関空は国や地方自治体と民間が出資した第三セクター方式として始まり、2016年から日本初の純民間企業による運営となりました。

 いまでは空港の民営化は主流になっていますが、少なくとも当時は時代を先取りし過ぎた部分も否めません。やはり空港のような大きなインフラ整備には、民間の力を活用しつつも適切な形で国の支援を入れるのが望ましいと思います。

八幡 当時よく言われていたのは、関空をどこかの航空会社の本拠にするべきだという話でした。私の案は、日航国際線の本拠を成田空港にして、全日空国際線の本拠を関空にするというものでした。加えて、香港返還前だったので、キャセイ航空を買収する。ある自民党議員にそんな案をぶつけて大喧嘩したこともあります。(笑)

佐藤 最近の話をすると、2018年に起きた台風21号のときには、タンカーの衝突で関空への連絡橋が不通となり、空港自体も浸水してしまいました。早期の復旧を図るため、民間の空港に対する国からの財政支援が届くよう、与党としても後押しをさせていただきました。

八幡 無理をしてでも国の支援を入れられるようにしたのはよかったと思います。

佐藤 ご存じの通り、公明党は約25年にわたって自民党と連立を組んできました。この間に実感しているのは、自治体が独自にできることには限界があるということです。やはり、中央省庁とパイプを持ち、しっかりと連携しながら一つ一つものごとを前に進めていくことが、地域の発展のためには必要なのです。

八幡 その点に関して、関西における公明党の功績はとても大きい。大阪の自民党勢力は維新の台頭以前からそこまで強くありません。公明党が国政で政権与党を担にない、かつ地方議会でもしっかりと議席を持っているからこそ、中央とスムーズに連携ができ、それが関西のふんばりと発展につながってきたんです。

佐藤 それはとてもありがたい評価です。

政治は地域の発展を阻害してはならない

佐藤 関西のインフラで私がかかわったものには、他にも2004年に国が指定した、大阪港と神戸港を「阪神港」として一体化する西日本最大の港湾の整備があります。それ以前の日本の港は国際競争力において、周辺の釜山港や上海港、香港港、シンガポール港などのアジアの他の港と比べて完全に遅れをとっていました。

 そこで、国際競争力を高めるために国土交通省として選択と集中を行い、東京・川崎・横浜の京浜港と大阪・神戸の阪神港を、国際コンテナ戦略港湾に指定したのです。私はこの事業に国交大臣政務官として携わりました。

八幡 神戸港については、阪神淡路大震災の後に被災前を超える港に整備すべきでしたが、ある自民党の大物政治家が国がやるべきはインフラの復旧までで、それ以上の計画は地元がやるべきだという方針を示し、釜山に負けてしまった。

 ところで、関西における公明党のもう一つの大きな功績は、大阪府政と京都府政を共産党から取り戻した点です。多くの人は忘れているかもしれませんが、大阪では黒田了一さんが1971年から8年間、京都では蜷川虎三さんが1950年から28年間と革新勢力、とくに最後の時期は共産党単独支持の知事でした。70年の大阪万博で出てきた良い芽が東京に流れてしまったのは、経済を軽視した黒田府政の責任が大きいように思います。いま関西が抱えている多くの課題は、その頃の共産党支配の負の遺産に起因します。

佐藤 70年の大阪万博の後に公共事業に極めて否定的であるなど非常に偏った政策を行ったことが、関西地域の発展を阻害したことについては私も同感します。したがって、2025年の大阪万博では決して同じ轍を踏んではいけない。万博を契機に、さらなる発展のための事業を進めていかないといけません。

公共事業が滞ると関西の発展が遅れる

佐藤 国と連携して進めている大阪における具体的な事業を挙げると、例えば鉄道網の整備があります。これまでの大阪市内の鉄道は環状線に頼ってきました。そこでいま、2031年春の開業を目指している「なにわ筋線」によって、新大阪駅から大阪駅・新今宮駅を経由して関空までをつなぐ南北のラインの構築が進んでいます。

 他方、道路に関しては、大阪では環状道路がまだできあがっていません。これについては海老江JCTから豊崎ICまでの「淀川左岸線(2期)」と豊崎ICから門真JCTまでの「淀川左岸延伸部」の工事が進んでいるところです。開通すれば大阪都市再生環状道路が完成します。

 さらに言えば、開通まで残り35kmとなった新名神高速道路もあります。順調にいけば2027年度には中部・関西に四車線の新たなルートが開通し、そこからさらに6車線化を進める計画となっています。

 あとはリニア中央新幹線の開業と、北陸新幹線の新大阪までの延伸です。とりわけ北陸新幹線については、私が「与党北陸新幹線敦賀・新大阪間整備委員会」の委員長代理を務めているので、しっかりと進めていこうと思います。

 新大阪駅は、広域交通結節点としての重要性が高まっています。既存の東海道新幹線と在来線を運行しながらリニアと北陸新幹線の工事を進めなければなりません。ただでさえ極めて至難な工事であるのに、途中で公共事業に反対する政治勢力が強くなってしまうと、関西の発展は大幅に遅れてしまいます。「コンクリートから人へ」という標語でさまざまな公共事業をストップさせた旧民主党政権がその象徴です。やはり現在の自公政権が安定することが大切です。

八幡 私は公明党から国交大臣が輩出されていることは日本にとってとてもいいことだと考えています。利権に振り回されることなく、必要な事業に的確に予算を配分する。なかなか見えづらい仕事ですが、公明党の国交大臣のその仕事が、大阪の交通の再編も着実に前に進めているように思います。

公明議員が国交相を務める意義とは

佐藤 過去を振り返ると、革新勢力に政治的主導権を握られてしまう背景には、保守側の利権絡みの不祥事がありました。その点、手前みそにはなりますが、公明党には結党以来、利権とはまったく無縁という伝統があります。政権を奪還し、公明党の議員が国交大臣を担うようになった2012年以降、国交省で利権絡みの大きな事件が起きていないのは、その証左だと思います。

八幡 自民党は業界団体と地元地域に支えられた政党です。業界団体にはどうしても利権が絡むし、地域代表という点ではなかなか大きなビジョンが立てられない。そうした自民党の性質を、うまく公明党が補完しています。例えば、官製談合防止法は公明党が主導して実現しましたが、これの揺り戻しがいまのところ起きていない。これは公明党から国交大臣が出ているからではないでしょうか。

佐藤 ありがとうございます。公明党は官製談合防止法に加えて、あっせん利得処罰法の成立も主導しました。いずれも従来の自民党からすれば手足を縛られるような法律ですが、ご納得いただく形で成立させることができた。これは非常に大きかったと思います。政策を前に進めることはもちろん、清潔な政治や行政を実現するためにも、公明議員が国交大臣のポストを務めることはとても重要だと自負しています。

八幡 それは政治資金規正法の改正に関しても同じことが言えます。公明党のやり方は、単に自民党に嫌がらせをすれば得点だと思っているかのような野党とは異なり、政権の中から日本の政治を浄化し、なおかつ後戻りできないようにしているわけです。

佐藤 公明党としては、いわゆる連座制の導入や政策活動費の使途などを監査する「第三者機関」の設置、パーティー券購入の公開基準の引き下げなど、あくまで現実的な改革を一歩ずつ進めてきました。そこを評価していただけるのは、とてもありがたいことです。

八幡 いまの自民党は強力なリーダーシップが機能する政党ではありません。だから、ある意味〝うるさいこと〟を言ってくれる公明党が連立のパートナーであることは、じつは自民党にとっていいことなんです。しかも小選挙区の候補者数でも閣僚数でも公明党は得票数に見合うだけのものは求めていない。だからこそ、自民党も公明党に対して誠意を持って選挙協力すべきです。

小政党ならではの議員の強み

佐藤 私はこの3年間、公明党の国対委員長を務めてきました。公明党は、選挙協力や政策の面では自民党と侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしていますが、その一方で、国会運営の部分では阿吽(あうん)の呼吸ができあがっていると私は感じています。

八幡 自公の信頼関係は、誰かが裏でパイプをつないでいるという脆弱なものではない。だからこそ、安倍晋三元首相が「風雪に耐えてきた」といったように旧民主党政権時代にも崩れなかった。

佐藤 人間である以上、個々に相性などはあるかも知れませんが、20年以上の連立の蓄積がありますからね。

八幡 規模の面では公明党は小さな政党ですから、議員一人一人がいくつもの役割を担わざるを得ない。その分、自民議員とは比にならないくらい政策の勉強やさまざまな経験を積んでおられる。

佐藤 公明党は人数が少ないので、一人で何役もやらないといけません。一方の自民党は、人数が多いので一人で一役も担わせてもらえない。その違いは確かにあるかもしれません。

 加えて、公明党の若い議員は、政策の勉強も然り、国会の委員会の担当も然り、本当に真面目に一生懸命いにやっていることを先輩として頼もしく感じています。その姿勢こそが、公明党の真骨頂だと感じています。

八幡 公明党議員は一人で多方面の政策を担っているからこそ、一つでも議席を失うことの影響は大きいのです。公明議員が一人落ちるのと、自民議員が一人落ちるのとでは、意味が違います。

関西のポテンシャルをさらに生かすために

八幡 今後の公明党には、ぜひともこれまで以上に独自の案を出していただきたい。例えば、過去に公明党の提案で実現した軽減税率は、当初こそ懐疑的な声が大きかったものの、いまでは評価する声も多い。自民党のブレーキ役や修正役として十分な働きをされているが、今後はもっと独自案も出してもらいたいと思うんです。とりわけ関西は、大きく一歩前に踏み出してほしい。道州制など公明党で主導権をとってほしい。

佐藤 一般的には国会議員と地方議員は上下関係として捉えられがちですが、我が党は違います。国会議員も地方議員も皆がフラットにやり取りをしています。その〝ネットワーク力〟を存分に生かして、今後もさまざまな政策を立案していきたいと思います。

八幡 公明党のようなネットワークは他党にはありません。共産党はありそうに見えますが、彼らはどちらかというと上意下達的で横のつながりは弱い。公明党は、能登半島地震が起きた際も、現地の地方議員が過去に震災の被害を受けた神戸や東北の議員と連携を取って経験をよく生かしていた。

佐藤 そうなんです。災害はもとよりさまざまな政策でも横の連携を密にしています。

 関西には、産業においても、観光においても、まだまだたくさんのポテンシャルがあります。それらを生かすためには、まずは先にも述べたインフラ整備をしっかりと進めていく必要があります。また、大阪や京都、神戸だけでなく、関西広域でしっかりと連携を取って、各地の魅力を発信していくことも大切でしょう。

八幡 新しい可能性に気づくためにも、インバウンドはとても大事です。外国の人たちは、私たち日本人がいままで気づかなかった魅力を見つけてくれますからね。かつては大阪が世界的な観光地になるなんて誰も思っていなかった。象徴的なのは、コロナ禍前に大阪の高島屋の売上が東京の高島屋を69年ぶりに抜いたことです。

 アジアの人たちは、東京より大阪で買い物をしたがります。値切り交渉や店員さんとの掛け合いなどが楽しいのだそうです。ともあれ、関西にはそうした可能性がまだまだありますので、さらなる発展を目指すべきです。そのために中韓とも太いパイプを持つ公明党の政治的リーダーシップに期待したいと思います。

佐藤 ありがとうございます。今後もしっかりと働いてまいります。

 

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作家、国士舘大学大学院客員教授
八幡和郎(やわた・かずお)
1951年滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業後、フランス国立行政学院留学。国土庁参事官、通産省情報管理課長などを歴任。退官後は作家・評論家として活躍。著書に『日本の政治「解体新書」』など多数。


公明党衆議院議員
佐藤茂樹(さとう・しげき)
1959年滋賀県生まれ。京都大学法学部卒業。日本IBM勤務などを経て1993年に衆議院議員に初当選、現在10期(小選挙区大阪3区)。厚生労働副大臣、衆議院文部科学委員長などを歴任。公明党国会対策委員長。