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神秘の宝庫イースター島の謎にとことん迫る!

イースター島を舞台にした小説「緑閃光」を連載中の赤神諒さんと『イースター島を行く』の著者、野村哲也さんによる対談。
(月刊『潮』2024年11月号より転載)

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島民も知らない隠された聖地

赤神 私は今、月刊『潮』にイースター島を舞台にした小説「緑閃光」を連載しています。野村さんのご著書『イースター島を行く』は、舞台であるラパヌイの歴史的、文化的背景がとてもわかりやすく整理、解説されていて、大いに参考にさせていただいています。写真が綺麗なのは当然ですが、文章も素敵ですね。

野村 ありがとうございます。あの本ではイースター島にあるすべてのモアイ像だけでなく、現地の島民でさえ知らない隠された聖地を紹介しています。

赤神 野村さんはどのようなきっかけで、イースター島に興味を持つようになったのですか。

野村 私は国連加盟国193カ国のうち155カ国を訪れていますが、20代の頃は南米にはまっていました。ある時、たまたまチリのサンティアゴからイースター島に行けることを知り、軽い気持ちで出かけてみたんです。当時はイースター島の歴史など、何も知りませんでした。島のモアイ像をほぼ撮り尽くし、時間があったのでバーでお酒を飲んでいたら、たまたま現地の人が「聖なる石」の話をしていました。その石に、すごく興味が掻き立てられたんです。

赤神 ラノ・カウ火山の一角にある、宗教的な石のことですね。

野村 現地の人からは、「島民ですら存在を知るものは少ない」「お前のような外部の人間には教えられない」と言われました。それでも食い下がってしつこく「どこにあるのか教えてほしい」と頼んだところ、おおまかな場所だけ教えてくれました。そこでラノ・カウ火山の火口の周囲を、一日中歩き回って探しました。でもそれらしいものは見つからない。翌日も探し回り、諦めかけた頃に、3m以上ある巨大な丸い石を見つけたんです。その石には創造神のマケ・マケが彫られていて、強烈なエネルギーを発していました。

赤神 あのくだりは大好きで、巨岩は小説のクライマックスにも使わせていただく予定です。限られた島民だけが知る、宗教的な場所なんですよね。

野村 この石を見た時、イースター島には、我々が知らない秘密の場所がまだあるはずだ、と確信しました。その後、そのような秘密の場所をよく知っている現地人のパトと出会い、毎年一カ所ずつ案内してもらうことになったんです。

観光資源を守る規制が必要

赤神 あの本には普通のガイドブックには載っていない、聖なるスポットが紹介されていて、読むとイースター島へ行きたくなりますよね。

野村 ただ聖なる石があるラノ・カウ火山では、私が本を出した前年に死亡事故が起き、入山が禁止となってしまいました。魅力的な場所ほど危険だったりするので、今では本で紹介している場所の半分は行けなくなっています。

赤神 私もラノ・ララクに登りたかったのですが、立ち入り禁止になっていました。

野村 私の本では、夜空の星を背景にモアイ像を写したものもあります。でも今ではそのような写真も撮れないんです。夜は道が見えにくく、神聖な祭壇に登る観光客が絶えなかったため、島の条例によって夜間のモアイ像の写真撮影が禁止されてしまったのです。現在、ペルーのマチュピチュでは厳しい入場規制をしていますが、本で紹介している聖なる山、テレバカ火山なども、いずれは観光客が登れなくなる可能性があります。

赤神 今は世界中の観光地で、オーバーツーリズムが問題になっていますよね。

野村 私が初めてマチュピチュを訪れた時、入場料は10ドルほどでした。でも現在は62ドルもします。イースター島もマチュピチュのように、もっと入島料を上げたほうがよいと思います。値段を上げれば、意識の低い観光客は来なくなるからです。そうすれば、観光客によって森が荒らされたり、洞窟に落書きをされたりするようなこともなくなるでしょう。

赤神 実際にいたずらする人もいたので、イースター島の観光資源を守るためにも、それなりの規制は仕方ないですね。

森林が崩壊した本当の理由

野村 ところで赤神さんは、どんなきっかけでイースター島に興味をもつようになったのですか。

赤神 私は20代後半で環境法を自分のライフワークにしようと決めて、大学院に入学し直しました。院の教授が必読書だと勧めてくれたのが、クライブ・ポンティングの『緑の世界史』で、人類の歴史を環境問題から振り返る本に、当時の私は大きな衝撃を受けました。この本で冒頭に出てくるのが、イースター島文明崩壊の衝撃的なエピソードです。かつてイースター島は豊かな椰子の木で覆われていたけれど、増えすぎた島民が森林を伐採し、土地が荒れ、食糧問題などが起き、戦争となった。この逸話を、現代の環境問題の教訓とすべきだといった内容です。

野村 アメリカ人作家、ジャレド・ダイアモンドが著書『文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの』で紹介した有名なエピソードですね。でも私は、この話の信憑性を疑っています。イースター島の人たちは、日本人の10倍は地球に優しい、自然と調和した暮らしをしている人たちだからです。

赤神 彼らがそんな愚かなことをするわけがないと?

野村 はい。そんな私の考えを裏付けてくれたのが、ハワイ大学のテリー・ハントとカール・リポの論文です。二人によると、イースター島の森林崩壊の原因は、ナンヨウネズミの爆発的な増加だそうです。ナンヨウネズミが椰子のタネを食べ尽くし、発芽できなくなり、森が再生されなくなったというのです。

赤神 私はダイアモンド説を前提にしていたんですが、野村さんのご著書も読んで、いろいろ調べてみると、やはり幾つも説があるんですよね。歴史の世界では、従来の定説が新たな検証によって覆されることはよくあります。例えば最近では、「桶狭間の戦いで信長は奇襲などしていない」と考える説も出されていたり。

複雑な要素によって文明崩壊が起きる

野村 モアイ像が作られたのは10世紀から17世紀です。よってイースター島自体の文化は、比較的若いものなんです。だから決して謎だらけというわけでもない。様々な調査によって、わかっていることもたくさんあります。私が『イースター島を行く』を書いたのも、現在わかっていることと、わかっていないことをきちんと整理したかったからです。

赤神 なるほど。テレビ番組的には「謎」を強調したほうが盛り上がりますものね。モアイの運搬方法もそうですが、イースター島の研究者は文明崩壊の原因を、単一に限定する傾向があるようにも感じます。でも実際には、どんな現象も、様々な要素が、偶然も含めて複雑に絡み合って引き起こされるものだと思うんです。おそらく単一の原因ではなくて、ナンヨウネズミを含む種々の原因が作用したのではないかという認識で、小説を書き進めています。

野村 そう思います。ただ原因は複合的なものだったにせよ、イースター島で食糧危機が起き、資源の争奪戦が起きたことは確かです。隣の部族の守り神のモアイを破壊し、その霊的な力を削ぐために目を粉々にくだいた。そんなフリ・モアイと呼ばれるモアイ倒し戦争が起きたことは事実のようです。ただそれは、自分たちが生き残るために他者と戦わなければならない現実があったわけで、現代の我々の価値観で断罪するのもちょっと違う気がします。

赤神 戦争が起きたり、文明が崩壊したりしたからといって、その原因が必ずしも人々が愚かだったからだとは言えないですものね。どんな時代や社会であれ、ほとんどの人が善人で賢くても、様々な事情が複雑に絡み合うことで、結果的に戦争や文明崩壊につながってしまうことは十分あると思うんです。

野村 そうですね。

赤神 現代人の多くも決して愚かではないのに、世界はイースター島がかつて直面したような危機に向かっているような気がします。執筆に当たって考えたのですが、文明が崩壊に向かう時、三つのタイプの人間がいるのかも知れません。Aタイプは何とか問題を解決し、文明を再建しようと一生懸命頑張る人。Bタイプは自分の利益だけを追求して、事態をさらに悪化させていく人。最後のCタイプは、何とかしないといけないと思いつつも、何をしていいかわからない、あるいは諦めて何もしようとしない、といった人たちです。

野村 一番多いのは、Cタイプの人たちかもしれません。

赤神 私も含めて大多数がそうだと思います。Aタイプの人は解決のための努力はするものの、その方法は一つではないので、激しく対立することさえあります。それが、今回の小説で描いた大きな対立軸なんです。Bタイプの人がそれを利用し、Cタイプの人はひたすら右往左往する。「緑閃光」ではイースター島を舞台に、そんな人間模様を描きたいんです。

モアイの製造工場ラノ・ララク

野村 「緑閃光」は3話まで読ませていただきましたが、イースター島のことを徹底的に調べて書かれていることがよくわかります。

赤神 いえいえ。私は最低限の勉強で、いかにもその題材に詳しいかのように書くことが上手なだけです(笑)。今回は野村さんのご本をバイブルにできましたし。野村さんが紹介されているスポットを含めて、イースター島で行くべき場所のほとんどを物語の舞台に盛り込む予定です。

野村 ありがとうございます。ちなみにイースター島のなかで赤神さんの一押しの場所は、どこですか。

赤神 歴史遺物だけじゃなくて、起伏に富んだ奇景もあって、素敵な場所ばかりなんですが、あえて一つだけあげれば、やはりラノ・ララクですね。

石切り場のラノ・ララクにあるモアイ像

野村 モアイ像の原材料を切り出す石切り場と、モアイ像を造形するデザイン工房を兼ね備えた、モアイ像の巨大製造工場のような場所ですね。イースター島にある約1000体のうち、9割以上がここで作られたものです。

赤神 397体ものモアイ像があるのも凄いですが、文明が突然立ち止まったように、火山の麓に製作途中のモアイ像が放置されていて、ダイナミックな景観が大好きです。

野村 私は一つあげろと言われれば、ラノ・カウ火山です。イースター島には真水がありません。あの曜変天目茶碗のような天然の水がめが、島民の生活を支えているのです。イースター島の別名「マタキテランギ」は「天を見つめる瞳」という意味なのですが、ラノ・カウ火山の水も上から見たら、天を見つめる瞳のように見えるのではないかと思います。

巨大遺跡は人力でつくられた

赤神 ところでよく「巨大なモアイ像をどうやって運んだのか」といった議論がありますよね。最近はユーチューブでも、おもしろい運び方やノウハウが紹介されています。

野村 私も大好きなネタです。バナナの皮を使って滑らしたのだろうとか、学者が真面目に議論しているのがおもしろいですよね。宇宙人の力や神秘的な要素を持ち出す人もいますが、その必要はない気がしています。単に大勢の人間が力を合わせて、長い年月をかけて動かしただけなのではないでしょうか。ピラミッドをはじめ世界中の巨大な遺跡を見るたびに、昔の人は気の遠くなるような年月をかけて、地道なことをひたすらやり続ける精神力を持っていた気がするからです。

赤神 何よりも、モアイ像や巨大遺跡を建造する人々の心の根底には、強い信仰心があったのではないでしょうか。

野村 それは絶対ありますね。信仰心がないと、大勢の人々が団結し、体力と根気のいる作業を長年続けることは不可能です。イースター島では今も、モアイ像をはじめ聖なる石、洞窟の彫刻のようなものを崇拝する人が、高齢者を中心に多くいます。日本も元来、アニミズムの国であり、精神的には相通じるものがあると思っています。

赤神 日本人がイースター島やモアイ像に親近感を抱くのは、そのような理由もあるのかもしれませんね。小説でも登場させているモアイ・トゥクトゥリは正座していますし。

神秘的な雰囲気をもつラノ・カウ火山の火口

日本人と縁が深いモアイ像

野村 日本人とモアイ像は昔から深い縁があります。1960年のチリ地震で損傷したアフ・トンガリキの15体のモアイ像を、1995年に再建したのは日本のクレーン会社です。チリ地震による津波は、宮城県の南三陸町にも被害を及ぼしました。

赤神 それが縁で南三陸町とチリは長年、友好関係にあるんですよね。

野村 そうなんです。1991年に南三陸町にモアイ像が設置され、地元の高校生がモアイ像を活用した地域活性化に取り組んでいました。でも東日本大震災の津波で、このモアイ像が流されてしまうんです。その後、南三陸町を訪れたチリのピニェラ大統領が、高校生の熱意に応えるかたちで、新しいモアイ像をイースター島で製作し、寄贈したのです。モアイ像のレプリカは世界中にありますが、イースター島の岩を使い、イースター島の石工(いしく)が作った本物のモアイは、南三陸町にしかありません。

赤神 凄いことですね。日本人は昔からモアイ像が大好きで、イースター島との絆が強い。テレビ番組でも、しょっちゅうモアイ像の謎を追う番組が放映されてきました。でも失われた30年と呼ばれる長期の不況で日本が貧しくなっていくなか、コロナ禍もあって、航空の便も悪くなる一方で、イースター島との絆が弱まってきた気もします。

野村 そうかもしれません。

赤神 そこでささやかながらも、文芸の力でイースター島との絆を取り戻すことに貢献できないか。そんな思いで「緑閃光」を書いています。舞台も現地の名所で、登場人物にモアイの名前を使ったりして、ストーリー性を持ったガイドブックのつもりです。この小説を読んだ方がイースター島に関心を持ち、現地を訪れる人が増えれば何よりです。それがイースター島の自然環境の維持や、島民の幸せにつながれば、なお嬉しいですね。

野村 ただ今の若い人は海外や未知のものへの渇望、挑戦が私たちの世代より少ないように感じます。「日本国内にいるだけで満足」という人が多いですよね。

赤神 今は映像やバーチャル空間で擬似体験できてしまうので、わざわざ現地に行こうという気が起きないのかもしれません。

野村 そうですね。でも現地の風や潮の匂い、水や土、石の肌触りなど、五感で感じないとわからないものは確実にあります。私の本や赤神さんの小説を通して、それを感じ取ってほしい。その感覚があれば、今の若者ももっと世界を旅したくなるはずです。せっかく地球に生まれてきたのだから、若い人には、もっと地球で存分に遊んでほしいと願っています。

 

作家
赤神 諒(あかがみ・りょう)
1972年、京都府生まれ。上智大学教授、法学博士、弁護士。2017年、『大友二階崩れ』で第9回日経小説大賞を受賞し、作家デビュー。23年、『はぐれ鴉』で第25回大藪春彦賞、24年、『佐渡絢爛』で第13回日本歴史時代作家協会作品賞受賞。他に著書多数。


写真家
野村哲也(のむら・てつや)
1974年、岐阜県生まれ。「地球の息吹」をテーマに、アラスカ、アンデス、南極など渡航先は155カ国に上る。南アフリカ、イースター島にも移住し、ツアーガイドやテレビ番組制作にも携わる。著書に『イースター島を行く――モアイの謎と未踏の聖地』など多数。

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