蔦屋重三郎 浮世を穿つ「眼」をもつ男 ためし読み
2024/11/052025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で描かれる江戸時代の版元・蔦屋重三郎。
蔦屋が経営する耕書堂に28枚の絵が持ち込まれたことから物語は始まる。画号は「東洲斎写楽」。写楽の正体と絵に隠された真実とは――。
潮文庫『蔦屋重三郎 浮世を穿つ「眼」をもつ男』(高橋直樹著)の一部をご紹介します。
******
第一章 写楽の眼
一
大手地本問屋(じほんとんや)が軒を連ねる江戸の日本橋通(にほんばしどおり)油町(あぶらちょう)に蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の店はあった。
寛政六年(一七九四)の初めころのことである。近ごろ蔦屋重三郎こと蔦重(つたじゅう)は地本問屋の株に併せて書物問屋の株も取得していた。これは地本問屋の出す大衆娯楽本だけではなく、書物問屋の発刊する学問書の分野への進出を目論んでのことだったが、居室にいる蔦重の視線が探っていたのは、居室に置かれた調度類だった。文机(ふづくえ)に置かれた筆の向きが少し変わっているのを見逃さない。重要書類や高額貨幣がしまってある金庫には鍵が掛けられていたが、その鍵穴に白い粉が僅かに付着しているのを見逃さなかった。蔦重が案じ顔になったとき、閉じられた障子の外から番頭の勇助(ゆすけ)の声が聞こえてきた。
「旦那様、よろしいでしょうか」
「お入り」と蔦重が応じる。
番頭の勇助が一枚の絵を抱えていた。その仕草を見て、蔦重には勇助が何を訊きに来たのかわかった。蔦重の店には絵師や戯作者(げさくしゃ)を志望する大勢の連中が昼夜を問わず詰めかける。いちいち戯作に眼を通している時間はないが、絵ならば一瞬だ。そのため絵ならば「おれの眼で判断する」と勇助にも伝えてあったのだ。
思った通り勇助は一枚の絵を、忠実な仕草で蔦重の前に進めてきた。斜めに一瞥をくれた蔦重の表情が急に変わる。
――あの男だ!
心の叫びが聞こえてきそうで、勇助も表情をあらためる。
「この絵を持参したのは、どんなやつだった」
勇助から差し出された絵を、蔦重はまじまじと見つめて問う。どうやらそこに描かれているのは、市川鰕蔵(いちかわえびぞう・五代目團十郎)らしい。役者絵だとわかったが、蔦重をとらえたのはそんなことではない。
眼だ。描かれた人物の眼だ。蔦重には、その眼に見覚えがあった。
「その絵を此処へ持ち込んだのは、代理の者だそうです。描いた本人ではない、とのこと」
「代理?」
「はい、斎藤十郎兵衛と名乗りました。持ち込んだのはその絵だけではありません。全部で二十八枚も持ち込んできました。一点だけでも買い上げてほしい、とのこと」
「やって来たのは本当に代理なのか?」
「少なくとも役者絵には暗いようです。鳥居派もわからなければ勝川春章(かつかわしゅんしょう)という名も聞いたこともないようです」
「その代理の者が持ち込んだという他の絵はどうした」
「わたしが預かっています」
勇助が答える。
「代理を名乗る者が、最初にその絵を薦めたのは、有名な役者を描いたものであり、一番売れそうだと思ったからでありましょう」と続けた。
「なるほど」
うなずいた蔦重が、勇助に命じる。
「おまえが預かっているという残りの絵も此処へ持ってきなさい」
「かしこまりました」
残り二十七枚の絵を抱えて戻ってきた勇助が告げる。
「三日後に、斎藤十郎兵衛と名乗った代理の方が、首尾を聞きにもう一度訪ねてくるそうです」
「その斎藤殿が訪ねてきたなら、すぐにわたしの部屋に通しなさい」
蔦重が命じながら、勇助から受け取った残り二十七枚に眼を通しだす。
「間違いない、あの男だ」
今度は声に出して言った。勇助は聞こえぬふりをしたが、蔦重の心拍を聞いたように、表情を緊張させた。
二
三日後、約束通り斎藤十郎兵衛が蔦重の店を訪ねてきた。三日前に面接した勇助が、今度は店の奥へと案内する。いきなり蔦重に出迎えられ、斎藤十郎兵衛は面食らった様子で蔦重の顔つきをうかがった。
「二十八点、全ていただきます」
そう蔦重が言った。言っただけではない。大手両替商の名が墨書された二十五両包みを斎藤十郎兵衛に進めて続けた。
「これは半金です。斎藤様は代理だとうかがっております。残りの半金は代理の方ではなく、絵師の方にお渡しするのが規則でございます」
「ええと、これは」と斎藤十郎兵衛が、蔦重から進められた二十五両包みを、確かめるように示す。
「これは頂戴していって構わない、ということですか」
「さようです。残りの半金も絵師の方を連れてきていただければ、すぐにお渡しいたします」
蔦重が強調したいのは、残りの半金が欲しければ絵師を連れてこい、というところだったが、肝心の斎藤十郎兵衛は二十五両包みを懐にしまったとたん、早々に退散してしまった。後を追いかけるように勇助が版木の所有権を明記した文書を渡したが、斎藤十郎兵衛の興味は手渡した二十五両包みにしかないようだ。その二十五両包みが確かに蔦重から自分に渡ったとわかるや、安堵の吐息を漏らして立ち去っていった。
「勇助を呼んでくれ」
斎藤十郎兵衛の持ち込んだ二十八枚に眼を通した蔦重が、店の表に呼ばわる。手代か丁稚が飛んでくると思ったのに、意外にも姿を現したのは、火の番をしている召し使いだった。もう老人といってもいい歳で、彼の店では一番の年長者だ。とにかく火の始末に慎重な者で、他に取柄はないが、この江戸で最も恐ろしいのは火事である。
うっかり失火でも出そうものなら、無事では済まない。だから火の始末がいい飯炊きや風呂番は有難い存在で、その老人もかつては吉原の大手妓楼にいた。しかし給金が高くとも妓楼で老体に鞭打つのはしんどいと訴えるので、かつては不寝番(ねずのばん)もしていたことがあるという経歴にひかれて、蔦重が自分の店で雇ったのだ。不寝番は広い妓楼のあちこちに火を灯したり、消したりする仕事で、どこに火が灯っているか一晩中把握しておかねばならず、ずいぶん気骨がいった。
蔦重が、現れた老人に声をかける。
「番頭を呼んでくれますか」
「かしこまりました」と一礼して引き下がる老人の後ろ姿を、さりげなく蔦重が見送る。急いでやって来た勇助に尋ねた。
「そこで火の番をしている老人に会わなかったかい」
「いえ、本日はまだ利兵衛さんに会っておりませんが」
火の番をしている老人の名が利兵衛である。
「そうか」
簡単に話を打ち切って、本題に入る。
「例の斎藤十郎兵衛、絵師を連れてきたかい」と尋ねる。「いいえ」との返答を聞きながら、勇助に言う。
「あの斎藤十郎兵衛なる御仁、阿州(あしゅう)侯(徳島藩主)お抱えの能役者だそうだ」
「さようでございましたか」
うなずいた勇助が、蔦重の次の言葉を待つ。
「すまんがこれから下谷の朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)さんのところへ行って、それが事実かどうか確かめてくれんか」
朋誠堂喜三二は戯作者としての名で、本名は平沢常富という。彼は留守居役筆頭の重職にある秋田藩士だ。徳島と秋田とでは離れ過ぎているような気がするが、蔦重は斎藤十郎兵衛なる者が阿州侯の召し抱えかどうか、朋誠堂喜三二に問い合わせるよう命じた。
「それから次にうちが出す浮世絵だがな。例の斎藤十郎兵衛が持ち込んだ二十八点を一気に出す。それも黒雲母摺(くろきらず)りの大判だ」
さすがに勇助も驚いたろうが、顔色も変えずに一礼する。蔦重が続けた。
「すぐに月行事のところへ行って、極印(きわめいん)をもらってきてくれ」
「画号はいかがなさいますか。またその絵師の住所はどういたしましょうか」
「住所はうちでいい。画号は東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)にしよう」
なぜ画号が「東洲斎写楽」なのか、勇助は敢えて尋ねようとはしなかった。
三
あれはもう三十年ちかくも前のことだ。
当時、蔦重は吉原遊郭の何でも屋だった。妓楼の若い衆もやれば、四郎兵衛(しろべえ)会所に詰めて女郎の足抜けも見張り、街の治安維持に当たる用心棒も務めた。
その夜、蔦重は夜鳴きそば屋に扮して、屋台を揚屋町(あげやちょう)に出していた。
先ほど仲之町で四ツが鳴ったのを聞く。四ツはたいてい午後十時くらいを指すが、この吉原では午前零時前後のことだ。その時間までは新規の客を入れるのである。
華やかな光に満ちた妓楼街と違って、この揚屋町は吉原遊郭の内にありながら一軒の妓楼もなく、真っ暗に静まり返っている。
だから眼を付けられやすいのだ。吉原の妓楼街に落ちる莫大な金を狙った夜盗たちに。盗賊たちはこの揚屋町に火を放ったうえで、注意が其方に向いた隙を狙って、金がたんまりある妓楼に押し入ろうというのだ。
吉原は自治の街である。吉原大門の面番所には町奉行所の同心が詰めているとはいえ、押し込み強盗を捕縛するのに彼らの手を借りたとあっては、自治の街の名折れである。
また、吉原の火事というと、足抜け女郎の放火が有名だが、吉原の自治を守る連中が気を付けているのは、女郎の放火の方ではない。
いま、夜鳴きそば屋に扮した蔦重が見張っているのも、女郎たちではなく、夜盗を疑われる不審な人影の方だった。
猟犬のように吉原遊郭を嗅ぎまわる一団があった。彼らと夜鳴きそば屋に扮した蔦重は連携しており、もし一団が嗅ぎつけた不審者が揚屋町に逃げ込んだなら、素早く蔦重が対処する手筈になっていた。
いまも一団が不審者と睨にらんだ男が一人、揚屋町に追い込まれてきたが、夜鳴きそば屋に扮した蔦重が、彼らに向かって大きく首を横に振ってみせる。
違う、という意味だ。まだ蔦重は若かったが、その眼力には定評があり、吉原の用心棒たちも一目置いていた。蔦重が首を振るや、それまで身構えていた用心棒の一団は安堵した様子で退散し、あとに蔦重と件(くだん)の男だけが残った。
――なんと吉原の似合わない男だ。
あらためて男を眼で追った蔦重は、おかしくなる。
浅黄裏(あさぎうら・上京してきた各藩の勤番士)や半纏者(はんてんもの・大工など半纏を着た職人)は、決して通人とは見られないが、彼らもこの男ほど野暮ったくはあるまい。
何としたことか、その野暮天が、夜鳴きそば屋に扮した蔦重の方へやってくるではないか。蔦重がその野暮天に声をかける。
「気に入りの花魁の道中でも見物したのかい」
冗談めかして声をかけると、その野暮天はいたって真剣に応じてきた。
「花魁?」
さすがの蔦重もびっくりした。
――こいつ、花魁を知らんのか。
するとその野暮天は、ハタと手を打って答えた。
「ああ、あのやたらと簪を髪の毛にぶっ刺してハリネズミみたいな頭になった、ド派手な着物の姐ちゃんのことか」
そうには違いないが、この男が言うと、なにやらおかしく聞こえる。
「まぁ一杯食っていきなよ」
蔦重がドンブリのそばを勧めたところ、男は「銭がない」と首を横に振った。
「銭はいらねぇよ」
なぜそう言ったのかは、蔦重にもわからない。
「味噌や塩で食わせるそばとは違う。カツオ、醤油、砂糖で出汁を取ってあるんだ。うまいぜ」
夜鳴きそば屋に化けて屋台を担いでいるとはいえ、そば屋としての蔦重はなかなか堂に入っている。出汁を張ってそばを入れたドンブリを渡したところ、男が応じた。
「おれは乞食じゃねぇ。こいつはそば賃の代わりだ」
そう言って男はいきなり蔦重の懐に手を伸ばした。男は蔦重が懐にたばさんだ冊子に気づいて、それを手に取ろうとしたのだ。その冊子は『吉原細見(さいけん)』だったが、件の男はどうやら『吉原細見』も知らないらしい。
「剣呑だねぇ」
男の口調が変わったのは、その冊子が『吉原細見』だったからではない。冊子の下に蔦重が着ていた鎖帷子(くさりかたびら)に気づいたからだ。男の指先が鎖帷子に触れたのに蔦重も気づいたが、何とも応じずに冊子を手に取る男を眺めた。
男は興味なげに『吉原細見』を、パラパラとめくっていたが、ようやく余白を見つけると、今度は蔦重の腰から矢立の筆を取った。もう一度蔦重の顔を見やると、さらさらと蔦重の顔を描き始めた。
「あんた、絵師かい」
蔦重が尋ねても、男は返事をしなかった。
「絵師ならば画号も頼むぜ」
蔦重が声をかけると、蔦重の顔を描いていた男は、その横に画号らしきものを記した。蔦重がのぞき見したところ、『東洲斎写楽』と読めた。その写楽が蔦重に細見を投げ返す。細見の余白に描かれた似顔絵を見て蔦重が言う。
「おれ、こんな顔をしてるかい」
「あんた、おれに似ているよ」
写楽がそう返してきたので、あらためて余白に描かれた似顔絵に眼を落とす。
「すげぇな、あんた」
褒めて言ったつもりはない。ただ、ほかに言いようがなかった。
「画号はどういう意味だい?」
「別に意味はない。ただ、あんたの似顔絵を描くうち、思い浮かんだだけだ」
そう答えてカラになったドンブリを返すと、後ろ姿を見せて去っていった。
(ためし読み本文ここまで)
******
あの男の絵は「眼」が違う・・・!
全ては吉原遊郭から始まった。蔦重と東洲斎写楽――
稀代の版元と不世出の絵師の運命の邂逅!
寛政6年、江戸日本橋にて蔦屋重三郎が経営する耕書堂に、絵師の代理を名乗る男・斎藤十郎兵衛から28枚の絵が持ち込まれた。
その1枚を手に取った蔦重はひと目で見抜く。「間違いない、あの男だ」画号はなかったが、蔦重は迷いなく印字した。東洲斎写楽とーー。
いつしか蔦重は、30年近く前のことを思い返していた。あれは、蔦重が吉原遊郭の便利屋だった頃・・・。
潮文庫『蔦屋重三郎 浮世を穿つ「眼」をもつ男』の購入はコチラ
作家
髙橋直樹(たかはし・なおき)
1960年東京生まれ。92年「尼子悲話」で第72回オール讀物新人賞を受賞。95年「異形の寵児」で第114回直木賞候補。97年『鎌倉擾乱』で中山義秀文学賞受賞。『軍師 黒田官兵衛』『五代友厚 蒼海を越えた異端児』『直虎 乱世に咲いた紅き花』『駿風の人』『北条義時 我、鎌倉にて天運を待つ』倭寇 わが天地は外海にあり(いずれも小社刊)など著書多数。