プレビューモード

2030年への羅針盤――「若き日の日記」を読む

作家の佐藤優さんが『信心の糧となる「命の書」』と語る「若き日の日記」。
月刊『潮』2024年12月号からは『大白蓮華』連載中の「若き日の日記〈選集〉」を佐藤優さんと読み解く、新連載『2030年への羅針盤――「若き日の日記」を読む』がスタート。
連載第1回を特別公開します。

******

信心の糧となる「命の書」

 池田大作創価学会第三代会長が逝去されてから、もうすぐ1年になる。全世界の創価学会員は、この悲しみを力に変えて、世界広宣流布の道を歩んでいる。

 創価学会の機関誌『大白蓮華』は、今年5月号から池田氏の「若き日の日記〈選集〉」を連載している。その意義について「聖教新聞」は、こう説明している。

池田先生の「若き日の日記」(選集)が、「大白蓮華」5月号から新連載としてスタートする。

 学会創立100周年の2030年を目指して連載していく予定である。「若き日の日記」は、75年前の1949年(昭和24年)5月31日から始まる。

 同日の日記には、こうつづられている。

「『今日の使命を果たすべし』これ、将来に光りあらしめる所以なり」

 この年の1月から、池田先生は戸田先生が経営する日本正学館で働き始めた。若き池田先生は病魔と闘いながら、恩師の事業を懸命に支えた。広宣流布の闘争にあっては、師の構想実現のため、各地で弘教拡大の突破口を開いていった。

 日記には、未来を見つめて今世の使命を果たしゆかんとする日々の激闘と、青年らしい率直な熱情が書きとどめられている。

 師弟に生き抜く青春の記録は、世界青年学会の構築へ進む青年世代をはじめ、多くの同志にとって大いなる勝利の力となるに違いない〉(2024年4月2日「聖教新聞」)

「若き日の日記」は『池田大作全集』第36巻と第37巻に収録されているが、今回、新たな編纂による連載が開始されたことには特別の意味があると筆者は認識している。

 創価学会は生きた宗教だ。現在、国際情勢も日本社会も大きく変動している。その中で、創価学会の生命力を強化し、世界広宣流布に向けた動きを加速していくために、戸田城聖創価学会第二代会長の信心を継承し、発展させる基盤を形成した時期の池田大作青年の宗教的エトス(倫理・信頼)とパトス(情熱)から学ぶことが重要になる。全集に収録されている「若き日の日記」から、21世紀に生きるわれわれに役立つテキストを抽出することが必要になるのだ。「若き日の日記」は、単なる書物ではなく、信心の糧となる「命の書」なのだ。

『大白蓮華』はなぜ創刊されたのか

 ところで、『大白蓮華』は、今年7月に創刊75年の嘉節を迎えた。この機関誌が持つ意味についての原田星一郎SGI(創価学会インタナショナル)教学部長の解説が興味深い。

〈「大白蓮華」の創刊は1949年(昭和24年)7月。戦後、戸田城聖先生を中心に学会再建の緒について間もない時、「御書全集」「聖教新聞」に先駆けて誕生しました。

"戦時中の弾圧で幹部が退転したのは「教学」がなかったから"――そう洞察された戸田先生は、一人一人に「教学」の柱を打ち立てるため、「御書全集」と「大白蓮華」の発刊を構想されたのです〉(『大白蓮華』2024年7月号)

 太平洋戦争後、創価学会の再建に着手した戸田氏は、『大白蓮華』の前にも「価値創造」という機関紙を通じて教学の強化を図っていた。

戦後、学会の機関紙であった「価値創造」は、謄写版刷りの十数ページのパンフレットだった。/その後、会員の増加によって、謄写版刷りでは対応できず、活版印刷への移行が決定する。その際、戸田先生は本格的な宗教機関誌の発刊を構想し、「大白蓮華」の創刊へ踏み切った。/終戦後、学会の再建に立ち上がった戸田先生は、会員一人一人の胸中に「信心」の柱を打ち立てようとした。/戦時中の弾圧で、会員のみならず、幹部までが退転したのは、教学がなかったからだと、恩師は痛感していた。そのため、恩師が最も重視したのが「教学」である。「大白蓮華」は教学の理論誌であり、実践誌であった〉(3月29日「聖教新聞」)。

 教学を重視する姿勢は、戸田氏から池田氏に継承され、それが創価学会が世界宗教に発展する基盤を構成したのである。キリスト教が、ユダヤ教の枠組みを突破して世界宗教に発展する過程においても、初代教父らによる神学の形成が死活的に重要だったことと似ている。教学や神学を持たない世界宗教は存在しないのである。

「師弟の言論」という不滅の原点

 原田氏は『大白蓮華』創刊号と第2号の教学的意義についてこう記す。

〈「大白蓮華」の創刊号には、池田先生も校正作業で携わり、同年6月1日の「若き日の日記」に、「広宣流布の、先陣である『大白蓮華』の発展こそ、私達の真に願うところである」と綴られています。

 戸田先生は、獄中で会得された三世永遠の生命観に基づき、歴史的な論文「生命論」を創刊号に寄稿。

 そして、その恩師の師子吼に深い感銘を受けた池田先生は、感動を一詩「若人に期す」に託し、第2号に寄稿されました。

生命の本質を明証し/宇宙の本源をあかした――/日蓮大聖人の大哲学にこそ/若人よ わたしは身を投じよう

若人よ、眼を開け/若人こそ大哲学を受持して/進む情熱と力があるのだ」と。

「師弟」の編纂、「師弟」の言論という不滅の原点に始まり、「大白蓮華」は創刊以来、「教学の理論誌」「師弟の言論誌」として確かな歩みを進めてきたのです。〈参照「『大白蓮華』の主な歩み」42ページ〉〉(前掲『大白蓮華』)

 池田氏の詩「若人に期す」にある「日蓮大聖人の大哲学にこそ/若人よ わたしは身を投じよう」という言葉は、キリスト教神学の用語を用いると「信仰告白」に相当する。池田氏は文字通り、一身を日蓮大聖人の大哲学に投じたのである。また『大白蓮華』の創刊号で池田氏が校正作業に携わったという事実も重要だ。校正なくして雑誌は成立しない。『大白蓮華』の存在自体が、戸田氏と池田氏の師弟不二の関係を示しているのである。

「御書根本」と「日蓮大聖人直結」

 原田氏は、『大白蓮華』が言論戦において果たしてきた意義についてこう記す。

「大白蓮華」を舞台に、言論戦の「先陣」を切ってこられたのは、まぎれもなく池田先生でした。

 創価学会が「魂の独立」を果たした後、「人間のための宗教」として、世界宗教へと飛翔した一つの転機。それが1995年(平成7年)2月号から連載された「法華経の智慧」です。以来、先生は毎月のように講義を続けてくださり、その連載回数は、300回以上におよびました。

 講義を通して、「御書根本」「日蓮大聖人直結」の立場から、大聖人の仏法に基づいた「創価学会の教学」が形成され、学会が「仏法の人間主義の系譜」に連なることが示されていったのです〉(同前)

 ここで重要なのは、創価学会の教学が「御書根本」と「日蓮大聖人直結」という原則に立っていることだ。

創価学会では、日蓮大聖人の著作や書状を「御書」と尊称し、信仰のあり方や姿勢が説かれた根本の聖典として学び、「御書根本」の実践を貫いています。

 日蓮大聖人は人々を教え導くため、生涯にわたって数多くの著作や書状を残しました。それらは今日、「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」等の法門書や弟子・門下たちへの消息文(手紙)など四百数十編が伝えられています。

 日蓮大聖人の在世当時、仏教の論書は漢文体が普通でした。しかし、日蓮大聖人の消息文は多くの場合、庶民に分かりやすい仮名交じり文を、時には読み仮名も添えて記しています。門下からの供養や手紙に対しても、すぐに返事の筆を執り、譬喩や故事を織り交ぜながら、法門の内容を示しました。

 創価学会では、第2代会長・戸田城聖先生の発願により、1952年に『日蓮大聖人御書全集』を刊行。漢文体で残されたものを書き下しにするなど、より広く現代に普及することを目指しました。

 さらに、2021年11月には池田大作先生監修による『日蓮大聖人御書全集 新版』を刊行。漢字や仮名遣い等を現代表記に改め、改行や句読点、振り仮名を多く施すなど、より読みやすい内容となっています。

 御書は現在、英語、中国語、スペイン語、韓国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語など10言語以上に翻訳・出版され、世界中の会員が日蓮大聖人の仏法を学び実践に励んでいます〉(創価学会公式サイト)

創価学会は「新宗教」ではない

 筆者も池田氏監修による新版「御書」の通読中だ。自宅では一巻本、外出するときは四分冊本の一冊を持ち歩くようにしている。現在、四分冊の第四巻を読んでいる。池田氏の一周忌である11月15日までに読了するつもりだ。

 宗門(日蓮正宗)が一切関与していない独自の「御書」を持ったことは、創価学会が世界宗教に発展する上で画期的な出来事だったと筆者は考えている。

「日蓮大聖人直結」について、創価学会はこう説明する。

創価学会の教義の基本は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱えることにあります。大聖人は、御書において、根本の法である南無妙法蓮華経を度々「法華経の肝心」と御教示されており、それを御本尊としてあらわされました。

 ゆえに「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」に南無し、深く報恩感謝申し上げ、御本尊根本の信心を誓います。

 また、御本尊をあらわされた日蓮大聖人を「末法の御本仏」と仰ぎ報恩感謝申し上げ、大聖人直結の信心を誓います〉(創価学会公式サイト)

 筆者は、創価学会を新宗教に区分するのは、適切でないと考える。キリスト教も仏教もイスラム教も、当初はすべて新宗教だったのだ。創価学会は日蓮仏法を正統に継承する仏教の中心をなす教団だ。創価学会からすれば、宗門(日蓮正宗)が、日蓮大聖人、日興上人の系譜に立つ正しい仏法から離脱したのである。

 原田氏が述べるように池田氏の講義を通して、「御書根本」「日蓮大聖人直結」に立脚する大聖人の仏法に基づいた「創価学会の教学」が形成されたのである。

「真実を尊しとしてゆかねばならぬ」

 それでは、池田氏の日記の読み解きを始めよう。日記は1949年5月31日から始まる。

五月三十一日(火) 小雨
 真実を尊しとしてゆかねばならぬ。特に青年は。一生、真実を追求しゆく人は、偉大なる人だ。

 戸田先生の会社に、お世話になって、早、半年。実に、波乱激流の月日であった。あらゆる苦悩に莞爾と精進しゆくのみ。生涯の師匠、否、永遠の師の下に、大曙光を目指し、信念を忘却せず前進せん。

 少年雑誌『冒険少年』七月号でき上がる。自分の処女作となる。純情なる少年を相手に、文化の先端を進む、編集を、自分の親友と念(おも)い、恋人の如く思うて、力の限り、向上発展をさせよう。

「今日の使命を果たすべし」

 これ、将来に光りあらしめる所以なり。

 若人は、豊かな心を、作り上げねばならぬ。寛大な生命を、持たねばならぬ。信心にて〉(『大白蓮華』2024年5月号)

「真実を尊しとしてゆかねばならぬ」という姿勢を池田氏は生涯を通じて貫いた。それ故に大阪事件、「言論問題」、二度にわたる宗門事件などさまざまな難に池田氏は直面することになった。その難を克服する過程で、創価学会はより強くなっていった。

全人類に通じる普遍的価値観

「真実を尊しとしてゆかねばならぬ」という言葉が、今回、「若き日の日記」〈選集〉の冒頭に記されたことには特別の意味がある。真実の追求こそが創価学会員に常に求められている。この価値観は、対象を創価学会員に限らない全人類に通じる普遍的価値観だ。

 筆者はプロテスタントのキリスト教徒であるが、「真実を尊しとしてゆかねばならぬ」という池田氏の指導を忘れずに、ときには戦いも恐れずに言論活動に従事していきたい。

(2024年10月17日脱稿)

編集部より=本連載では『大白蓮華』連載中の「若き日の日記〈選集〉」をテキストとして使用いたします。

******

作家・元外務省主任分析官
佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。2002年背任容疑で逮捕。05年、『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)で作家デビュー。著書多数。最新刊は『対決!日本史5 第一次世界大戦篇』(安部龍太郎氏との共著、小社刊)。

こちらの記事も読まれています