一人の声を届けて子どもたちが輝く未来を
2025/01/27今年行われる東京都議会議員選挙に豊島区から初挑戦する谷きみよさん。
底抜けに明るい笑顔に、周りの人を心から思いやる誠実さ、信念を貫くバイタリティはまさに"都議会公明党の新しい顔"にぴったり。そんな谷さんの半生を辿りました。
(月刊『パンプキン』2025年2月号より転載。取材・文=増沢京子 撮影=雨宮 薫)
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困っている人を放っておけない
谷きみよさんは、豊島区で輸入雑貨卸売の会社を経営する父、仕事と地域の活動でいつ寝ているのかわからないくらい忙しい母と、妹の4人家族で育った。
「父はとても人を大切にする人で、若い社員や地域の後輩を自宅に招いて、ご飯を食べさせてあげていました。
母は優しいけれどしつけには厳しかったですね。でも私や妹が"これが食べたい"と言うと、次の日には必ずその料理を作って私たちを喜ばせてくれました」
幼稚園の昼食時、母が作ってくれたお弁当がおいしすぎて、時間も気にせず一人になっても食べ続けていたという谷さん。のんびりとした穏やかな性格の子だった。
だがその後、父の会社が倒産。経済苦が長く続いた。
「父の事業が傾く前は、家族のために、必ずどこかへ連れていってくれました。
そういうとき、父は自分の子だけじゃなくいつも親戚の子とか近所の子を一緒に連れていくんです。だから家族写真には必ずだれか知らない人が写っていました(笑)」
"困っている人を見ると助けずにいられない"という両親の強い思いは、幼い谷さんにしっかりと伝わっていった。
社内で最年少の女性管理職に登用
池田大作先生が創立された学校に行きたいと、創価女子短期大学に入学。卒業後は大手オフィス家具メーカー「イトーキ」に入社した。営業部のアシスタントとして、フジテレビが新宿からお台場の新社屋に移転するときに、報道センターを造るプロジェクトチームに参加する。
毎晩遅くまで懸命に働く谷さん。その姿をジッと見ていた取締役から、「創価女子短大生を採用して間違いないと思っているよ」と声をかけられ、その年、優秀社員として表彰された。そして転機は7年後にやってきた。
「当時、父が肺がんを患っていて、その闘病体験を部長にお話ししたら、"ぜひその話を朝礼でしてほしい"と言われたんです」。
当時、会社は3期連続赤字。ボーナスはわずかで士気も上がらないという苦しい状況が続いていた。谷さんはなんとしてもみんなを元気にしたいと、父の体験と共に、月刊誌「潮」に掲載されていたロベルト・バッジョ選手の対談から「勝利は苦しみを通じてのみ、得られる」という言葉を紹介。
自分が創価女子短大の卒業生であること、「創価女子短大生は必ず社会で役に立っていくように」と送り出してくださった創立者の期待に応え、どんなに厳しい状況でも会社のためにがんばりたいと朝礼でスピーチした。
その直後に大口の商談が決まり、次々結果が出て、その年は黒字で締めくくることができた。そして谷さんは業務推進室の室長という社内で最年少の女性管理職に登用された。会社では管理職、地域でも中心者として必死に挑戦していた2004年5月、池田先生がスピーチで谷さんの活躍を紹介し、それが生涯の原点となった。

背中を押してくれた息子の一言
結婚し、出産と同時に退職。現在は、夫と中学2年生の息子さん、実母と愛犬チャロと暮らす谷さん。
「ペットの力ってすごいですね! 息子が、兄弟がいなくて寂しいというので犬を飼ったんですが、夫は最初ちょっと引き気味で(笑)。でも今はいちばんかわいがっています。チャロが来てから、家族がとても変わりました。チャロを中心に家族が温かくつながったというのかな」
息子さんが小学校に上がると、谷さんは文京保健所で派遣社員として働き始めた。だが当時は、コロナ禍真っただ中。保健所はまさに殺人的な忙しさだった。
「20代の若い職員の皆さんが多かったんですが、休憩時間もままならないなかで文句ひとつ言わず一生懸命まじめに働いている姿を見て、今の若い人たちは仕事への姿勢が素晴らしいなと感動しました。私、保健所で仕事をしてすごく変わりました」と熱く語る。
ところで今回の都議選出馬にご自身、ご家族はどんな気持ちだったのだろう。
「家族で話し合いました。51歳でこれから新しいことに挑戦するのは、体力的に勇気がいることで、なかなか腹が決まりませんでした。最後は夫と息子に話をして、夫は"君がどういう答えを出しても、全力で応援する"と言ってくれました。また、中2の思春期で普段はあまりしゃべらない息子の言葉にびっくり!
"ポスターなどが街中に貼られても平気?"って聞いたら、"ママ、新しい挑戦だね。新しい友だちがいっぱいできるよ"って。その言葉にいちばん勇気づけられ、それが支えになって"挑戦させていただこう"という気持ちになりました」
一人の悩みを聴き 一人の幸せを実現
「前回の都議選のとき、情緒障がいのお子さんがいる友人から、進学問題の悩みを聞きました。豊島区で公明党の区議団の要望で実現した小学校の"けやき学級"という自閉症・情緒障害特別支援学級に通学していますが、中学校になると通常学級を選択することになる。
今までは少人数のクラスで先生方が丁寧に対応して下さっていたのですが、卒業して通常学級に入ると、うまくコミュニケーションがとれず、次第に不登校になってしまうと言うのです」
谷さんはすぐ公明党の区議に相談。すると即座に現状を調べ、友人に会ったとき"なんでこのことに気づかなかったのか、本当に申し訳わけありませんでした"と謝り、すぐ区に要望書を出してくれた。谷さんが友人の声をつなげたことで、豊島区内の中学校に初めて自閉症・情緒障害特別支援学級ができた。
「先日初めて視察に行き、いろんな課題がわかりました。障がいのあるお子さんを支援する先生が人手不足なんです。都の職員として担任の先生というのは一人しか出せず、あとは支援者、つまり指導員とか免許はもっているけど区から来ている会計年度任用職員で、お給料が安いんです。だからなり手が少ないし、あまりにも大変なので続かない。これからの課題です」
中学校の支援学級ができたことで、本当に一人の声が実現するんだと実感した谷さんは、今度は自らが「一人の悩んでいる声を聞きとり、一人の人の幸せを築き上げていく。これが公明党の使命です」と瞳を輝かせる。
豊島区の教育・子育て支援政策
保育園では早朝や夜の預りサービスがあるが、小学校にはそれがなく、小さな子どもが一人で登下校することに。これが「小1の壁」だ。谷さんは実際に校門前で開門を待つ児童に出会い、早急な対策が必要と区長に要望。今年1月から区立清和小学校と駒込小学校で早朝の居場所づくりと夕方の見送りが試験的に実施され、2025年度からは全区立小学校での実施を検討している。
子育て世帯の多くが区外に転出していることを受け、「子育てファミリー世帯家賃補助」の助成金額の拡充を検討。またこれまで世帯所得などの条件が厳しく、「利用したくてもできない」との声が上がっていた対象所得要件の緩和も考えている。
公明党豊島総支部青年局が、政治家にもっと気軽に要望や思いを届けられる機会をつくりたいと立ち上げたアンケート企画「OurVoiceプロジェクト」。みんなの本音を政治に届けるこのプロジェクトリーダーは谷きみよさんだ。
この5年間で区立小中学校の不登校児童・生徒数が倍増。そこで2025年度は「校内までは行けるが、クラスに入れない」という生徒のための居場所「校内教育支援センター」を全区立中学校に拡大。さらに不登校生徒のペースに合わせた時間割が可能な東京型不登校特例校「チャレンジクラス」の導入も検討している。
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谷 きみよ(たに・きみよ)
1973年東京都豊島区生まれ。創価女子短期大学経営学科を卒業し、株式会社イトーキに入社。業務推進室の室長として社内で最年少の女性管理職に。その後、文京保健所や私立大学奨学金受付で勤務。公明党東京都本部女性局次長、豊島総支部副女性部長。