アウシュヴィッツの教訓を今こそ若者たちに知ってもらいたい
2025/02/07収容所解放から80年。この地で起きた悲劇を繰り返さないために。
アウシュヴィッツ博物館公式ガイドの中谷剛さんにお話を伺った。
(月刊『潮』2025年3月号より転載)
● 他国の歴史を学ぶべき理由は、感情移入しすぎることなく「客観的に歴史と対峙する」経験ができる点にある。
● 世界では「戦争の悲惨さを描く」時代を経て、自分たちの親や祖父母の世代が犯してきた加害の歴史と向き合う潮流が起きている。
アウシュヴィッツ収容所解放80年
戦時中、ナチ・ドイツはポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所で110万人ものユダヤ人や政治犯を大量虐殺しました。1945年1月27日、ソ連軍によって収容所が解放されてから今年でちょうど80年です。
収容所の跡地は、1947年にポーランドの国立博物館になりました。世界中から毎年200万人以上が訪れます。私は1991年にポーランドに移住し、96年から28年間、アウシュヴィッツ博物館で日本語ガイドを務めています。
アウシュヴィッツ博物館が設立された目的は二つあります。一つは、虐殺によって亡くなった犠牲者を追悼すること。もう一つは「ここで起きたことを二度と繰り返してはいけない」という教訓を後世に伝え、戦争のない平和な世界を構築することです。
現在もロシア・ウクライナ戦争が続いています。また、パレスチナ自治政府ガザ地区では、仲介国カタールでの協議を受けて、1月19日から6週間の停戦合意が実現したものの、これまでの犠牲者は4万6000人を超えました。しかし、アウシュヴィッツ博物館は政治的な論争をするための場所ではありません。現在進行中の国際紛争について政治的論争をすることは避け、収容所で犠牲になった人たちを弔い敬うことを博物館の主眼に掲げています。
収容所解放から80年となり、生還者は一番若い方でも80歳を超えています。毎年1月27日に開かれる解放記念式典では、生還者の方々に参加をしていただいていますが、彼らの証言を直接聞ける機会は、これから次第に少なくなっていくでしょう。悲惨な歴史を二度と繰り返さないため、生還者の証言と歴史を後世に継承していく。それが私たちに課された使命だと考えています。

しかしながら、現在の世界情勢は非常に不安定です。私が暮らすヨーロッパでは各国で極右政党が台頭し、民族至上主義と自国中心主義の傾向が強まっています。
私の立場としては、これまで取り組んできた活動の成果が上がっていないことを痛感し、非常に残念な気持ちでいます。「思想や宗教が異なる他者と共生、共存していこう」という融和的な考え方を、今こそさらに世界中に広めていくべきだと強く感じています。
新型コロナウイルスのパンデミックが起きる前は、年間3万5000人の日本人がアウシュヴィッツ博物館を訪れていましたが、コロナによるロックダウン(都市封鎖)を経て、日本人を含むアジアからの来訪者は以前より人数が減っているのが現状です。アウシュヴィッツ収容所とビルケナウ収容所の跡地はバスで10分ほど離れた場所にあり、来訪者と一緒に二つの収容所を3時間がかりで回ります。2024年は、400回ほどガイドの仕事をしました。
最近印象深かった出来事は、日本からやってきた修学旅行生の家族との交流です。男子校で学ぶ高校生を案内してから2~3カ月経ったころ、その子のお母さんから「私と娘もアウシュヴィッツを見学したい」とメールで連絡をいただきました。
そのお母さんは「アウシュヴィッツから帰ってきて以来息子が変わった」「今まで話したことがない言葉を発するようになった」とおっしゃるのです。収容所の跡地を3時間がかりで歩きながら自分の頭で考え、帰国してからも真剣に考え続けてくれたのでしょう。その後、お母さんと娘さんが二人でアウシュヴィッツまで見学にいらっしゃいました。
人間の尊厳を守る収容所の中での授業
虐殺が行われていた当時、収容所では「学校の先生」がとても重要な役割を果たしていたそうです。いつ殺されるかわからない極限状況の中でも、人間としての尊厳を失わないために、先生方は暗記していた詩などを、青年たちに朗読する授業を行っていました。
その授業を受けていた生徒の一人が、ホロコースト(大虐殺)を生き延び、35年間にわたってアウシュヴィッツ博物館の館長を務められたカジミエシュ・スモレンさんです。
収容所に入れられた人たちは、ナチ・ドイツから人間以下の扱いを受け、その多くが虐殺されました。人間はいかに残酷になれるのかを目撃してきた人たちが、「それでも人間は尊厳を失ってはならないのだ」と教育してくれる人に出会う。人間の残酷さと奥深さを両方知るスモレンさんの人間像は、決して忘れることができません。生還者の方々の言葉や振る舞いから「人間は何を大切にすべきか」ということを深く学べたことは、大変名誉なことであり、私にとって何にも代えがたい財産です。
アウシュヴィッツ博物館を訪れる人々の反応は千差万別です。生存者の証言に触れてホロコーストをストレートに忌み憎む人もいれば、なかなか感情移入して受け取れない人もいるでしょう。

アウシュヴィッツ ビルケナウ強制収容所の 15 人の囚人の殉教の場所を記念する銘板
世界には196もの国があります。それぞれの国がもつ歴史、民族や宗教、言語の違いによって、ホロコーストの受け止め方に温度差が生じるのは当然です。
広島平和記念資料館を訪れる広島出身者と広島以外の出身者、また日本人と外国人では、原爆投下についての見方に違いがあります。「原爆を投下しなければ戦争はいつまでも終わらなかった」と主張して、原爆投下を正当化する人も中にはいるでしょう。そういう人たちも含めて展示を見ていただき、最終的に「悲惨な歴史を繰り返してはいけない」という共通項へと達することが大事です。
アウシュヴィッツ博物館のあり方も、今申し上げたことと同じだと思います。ホロコーストへのアプローチの仕方は人によって異なれど、最終的に「こうした悲惨な歴史を二度と繰り返してはいけない」という原則に皆で一致して立ち返ることが重要です。
客観的に歴史と対峙する
収容所内部で起きた出来事は、ホロコースト生還者でなければ生の声でリアルに語ることはできません。しかし、私のように直接の体験がない人間だからこそ、歴史に感情移入しすぎず、「こうしたことを繰り返さないために我々はどうすればいいのだろうか」と冷静な視点で熟考できると感じています。他国の歴史を学ぶべき理由は、この「客観的に歴史と対峙する」経験ができる点にあると考えています。
アウシュヴィッツ博物館には、ユダヤ人もドイツ人も訪れます。彼らが傷ついた悲惨な歴史を、私のような外国人が伝えてもいいのかという気持ちは常に持っています。ただ彼らが過去の歴史を背負い、和解し合いながら未来を築き上げていく姿を、身近にそして客観的に見ることは、歴史との向き合い方を日本人に伝える私にとって、非常に勉強になっています。
アウシュヴィッツ博物館は広島平和記念資料館や沖縄のひめゆり平和祈念資料館とも交流しており、当館の展示の方針が日本にも影響を与えていると聞きました。
国際情勢と社会情勢は混迷の一途をたどり、分断と対立を煽る言説が大手を振る世の中です。「相手が武器をもって戦う準備をしているのだから、こちらも同等かそれ以上の武器を準備しなければならない」という好戦的な言説も語られます。
「力をもったほうが正義だ」と政治家と民衆が信じる時代になれば、世の中は大変なことになり、再び悲惨な歴史を繰り返すことになるかもしれません。そういう世の中にならないようにするために、アウシュヴィッツ博物館や広島平和記念資料館、ひめゆり平和祈念資料館のような場所が今よりいっそう重要になってくるのだと強く感じています。
ヒトラーを生んだ傍観者の加害性
国家のあるべき姿について、世界共通のフォーマットがあるわけではありません。日本が加盟しているG7(主要7カ国)と西側諸国は、言論の自由に支えられた民主主義、法の支配、人権の尊重という価値観を掲げています。
世界の国々が、これらの価値観を共通して掲げているわけではありません。民主主義を否定する軍事独裁国家はたくさんあります。私たちのような民主主義的な価値観をもっている人々は、世界的に見れば少数派なのかもしれません。
言論の自由と民主主義、法の支配、人権の尊重という価値観をかなぐり捨てた先に、何が起きるのか。ホロコーストという歴史のサンプルに何度でも立ち返りながら、人類が向かっていくべき羅針盤を見極めていくべきです。
ドイツでは、戦後すぐに自分たちの加害性と真摯に向き合ったわけではありません。ヨーロッパはホロコーストの責任をドイツ一国だけに押しつけ、ドイツはドイツでヒトラーという一人の政治家だけに責任を押しつける時代がずいぶん長く続いてきました。
しかし、東西ドイツ統合前、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領(当時)は1985年に〈過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです〉という有名な演説をします。
信じがたい規模で虐殺が遂行されながらも、当時のドイツ国民の多くはホロコーストに対する認識が乏しく、否定や無関心が広がっていました。ドイツに占領されたヨーロッパ諸国の中で、ユダヤ人追放に協力した人もいます。ドイツ人であろうが非ドイツ人であろうが、多かれ少なかれホロコーストへの加害性を背負っている側面があるのです。
ヴァイツゼッカー大統領はその点に着目し、「ヒトラーにばかり責任を押しつけるべきではない。私たちも責任を負うべきだ」と訴え、その結果ドイツ人はホロコーストについての考えを改めていきました。歴史認識のアップデートが進んできたのです。
もちろん日本も第二次世界大戦に参加しています。最近ではヨーロッパに留学する日本人学生が多く見学に来てくれるのですが、母国である日本の戦時中の歴史、特に日本軍が進めた侵略戦争の加害性について知識不足であることにショックを受ける学生も少なくありません。この点は、日本人にのしかかる大きな課題です。
若い青年たちが戦争とホロコーストの歴史に目を閉ざさず、自分たちがこれから歩むべき道を未来志向で考えていくことがとても大切なのです。
戦後80年の記録を伸ばし続けるために
2023年に「関心領域」と「オッペンハイマー」という映画が世界中で高い評価を受けました。
二つの映画に共通するのは、戦争の被害者ではなく加害者を描いている点です。「関心領域」は、アウシュヴィッツ強制収容所のすぐ隣で暮らす、所長とその家族の日常を描きます。「オッペンハイマー」では、戦時中に原子爆弾開発の秘密プロジェクト「マンハッタン計画」を進めた物理学者の姿が描かれます。
「関心領域」にはガス室で殺されていく人たちの姿は映されず、「オッペンハイマー」には原爆投下によって死んでいった被爆者の様子はまったく描かれません。二つの映画の共通点は「加害者の目に被害者の姿はまったく映っていない」という冷厳な事実です。大学で高い教育を受けたはずの人間が、自分の手で大量殺戮に加担していることを意に介さない。二つの映画は、異常な状況が常態化すれば、誰もが加害者になりうることを示しています。
世界では「戦争の悲惨さを真正面から描く」という時代を経て、自分たちの親や祖父母の世代が犯してきた加害の歴史と真剣に向き合おうとする潮流が起きています。
多数決で決まった方針が、常に正しい判断だとは限りません。ヒトラーとナチは選挙によって有権者から選ばれ、国家を誤った方向へ牽引していきました。多数派の意見が正しいとは限らず、大衆に迎合するのが誤りだということもあるのです。
自分たちが間違った方向へ進み始めているときには、間違いに気づいた人が早い段階で過ちを訂正し、自分たちが進むべき道を軌道修正しなければなりません。そのためにも、自国の歴史、他国の歴史を様々な角度から学び、善悪を正しく見極めるための判断材料を集めていくことが何よりも重要になってきます。
戦争や紛争は世界中で起き続けてきたものの、幸い第三次世界大戦は戦後80年間勃発しませんでした。この記録を81年、85年、90年、100年と伸ばしていくために、私たちは歴史と向き合う不断の努力を重ねていきたいと願っています。
******
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館公式ガイド、通訳、翻訳家
中谷 剛(なかたに・たけし)
1966年兵庫県生まれ。91年よりポーランド居住。97年にポーランド国立アウシュヴィッツ博物館の公式通訳の資格を取得。現在同博物館唯一の日本人公式ガイド。オシフィエンチム市在住。著書に『アウシュヴィッツ博物館案内』『ホロコーストを次世代に伝えるアウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして』など。