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やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯 ためし読み

NHK朝ドラ「あんぱん」で話題! 「アンパンマン」の作者と夫婦の愛を描いた「やなせたかしの素顔」の冒頭部分をご紹介します。

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第一章 朴ノ木のぼく


 ぼくには才能がない。

 嵩(たかし)さんは常々そう言っている。木に例えるなら地味な朴ノ木(ほおのき)で、檜にはどう頑張ってもなれない凡才だと。

 だけど捨てたものじゃない。

 天才でなくても構わない。凡才、大いに結構。コケッコー。ぼくらはみんな生きている。

 出会ったのは終戦間もない頃だ。

 一九四六(昭和二十一)年六月の昼前だったろうか。

 梅雨に入ったばかりで空はどんよりと暗く、蒸し蒸しと暑かった。今にも雨が降りそうで降らない。まあ、こんな日には気持ちが腐ってしまうのもわかる。

 だからといって、人のものを盗むのは許せない。

 暢(のぶ)は走った。

「こら待てー!」

 赤信号で立っていたら、いきなり背後からショルダーバッグをむしり取られた。振り向くと、ランニングを着た痩せた背中が二つ駆けていく。

 たぶん小学生くらいの男の子だ。九歳と六歳くらいだろうか。兄弟かもしれない。背の高さは凸と凹だが、痩せた体つきが似通っていた。

 ショルダーバッグを抱えているのは兄のほう。弟は手ぶらだ。

 平日だからか高知駅前は人が少なかった。歩いているのは御用聞きの酒屋さんや、乳飲み子をおんぶしたお母さんくらい。そうした人たちはスーツにパンプスで走る暢を見て、目を丸くした。

 杖をついて横道から出てきた老夫婦に、危うくぶつかりそうになる。

 おっと。咄嗟に脇へよけ、衝突を避けた。

「ごめんなさい!」

 足を止め、驚かせた詫びを言う。二人がうなずいたのを見て、ふたたび走り出す。

「……何じゃ、あの娘」

 呆気に取られたふうのお爺さんのつぶやきに、お婆さんが答える。

「はちきんじゃ」

 そう聞こえた。

 高知の言葉で男勝りという意味らしい。こっちで暮らすようになってから、何度も言われるうちに覚えてしまった。

 タイトスカートにヒールのついた靴で走っているせいだろう。

 行儀がよくないのは自分でも承知しているが仕方ない。大事な仕事道具を盗まれたのだ。あの中には取材記事が入っている。どうしても取り返さないといけない。

 脚力には自信がある。子ども時代には男の子より足が速く、運動会では常に一等だった。パンプスでも余裕で追いつくはずだったのに、一瞬足を止めた隙に子どもたちを見失ってしまった。

 はりまや橋の前で立ち尽くす。

 駅前大通りの左右の商店街は入り組んでおり、どっちへ逃げたのかわからない。

 焦るな、焦るな。

 まだ近くにいるはずだ。落ち着いて考えよう。

 わたしならどこへ隠れる? 子どもといっても二人いる。うち一人はせいぜい小学一年生程度、そんなに早く走れないだろう。だとしたら脇道だ。店と店の間の路地に姿をひそめているのに違いない。

 そう思って当たりをつけたら、いた。

 うどん店と駄菓子屋に挟まれた細い通りの奥に、痩せた後姿が見えた。凸と凹の身長差。さっきの子たちだ。

 今だ。

 捕まえてやろうと一歩足を踏み出だ したとき、

「これ、もしかしてあんたが?」

 駄菓子屋のおばさんが出てきて、暢を見た。

 ショルダーバッグをこちらへ差し出している。

「そうです」

「だと思ったんよ。すぐそこに落ちとったんじゃけどな、こがな洒落た鞄、この近所じゃ持っちゅー人おらんきのう」

 はい、と手渡され、ありがたく受け取った。

「ちゃんと中を確かめてな。のうなっちゅうもんがあったら、交番に届けんさい」

「――全部あります」

 バッグを開けてみると、取材記事は無事だった。財布もある。中身を抜き取られた様子もない。

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

 礼を言って駄菓子屋を出た後、路地を覗いたら、まだ子どもたちはいた。

 暢に気づいた様子はない。傍らにリヤカーを引いた男の人がいた。

 二十八の暢と同年代だろう。

 日焼けで黒光りした顔をして、首から手拭いをかけている。ぶかぶかの白いシャツに白い軍手をつけ、路地をふさぐ格好でリヤカーを置き、子どもたちと話をしている。暢は彼らに見つからないよう、そっと通りの陰に隠れて様子を窺った。

 おそらく戦争帰りの軍人さんだ。職がなくて廃品回収をして日銭を稼いでいるのか。市内を歩いていると、ときおり似たような人に出くわすことがある。

 その人は軍手を外すと、ズボンのポケットから紙でくるんだパンを出した。

「食うか」

 ぽってりと丸く、お腹のところが指で押したみたいに凹んだパンだ。

 お兄ちゃんとおぼしき男の子が、返事もせずにパンを摑んだ。さっとパンを二つに割り、片方を弟に差し出す。

 パンにかぶりついたのは弟が先だった。よほど飢えていたのか、ろくに嚙まず吞み込むように平らげてしまう。

「ほら」

 弟が食べ終わると、兄は自分のパンをちぎって弟に与えた。

「いいの?」

 上目遣づかいで弟が問う。

「いいよ。おいらは腹が空いちょらんのや」

 誰が聞いても噓とわかることを言って、兄は弟の手にパンを握らせる。

 弟はすぐにパンを食べなかった。小さな子どもでも兄が強がりを言っていることはわかるのだろう。泣きそうな顔をして、パンを眺めている。

 しばらくして弟はもらったパンを二つにちぎり、兄に差し出した。

「半分こ」

「全部食うてえいき」

 兄がパンを押し返そうとしても、弟は受け取らない。

「いかん。半分こ」

 強情に言い張り、いやいやとかぶりを振る。頑固な子だ。

 兄がおずおず手を伸ばすと、弟はこけた頰に笑窪を浮かべた。半分のさらに半分だから、ほんの一口でなくなりそうな大きさのパンを、幼い兄弟は分け合って食べた。薄い肩をくっつけ、にこにこと笑い合って、大事そうにゆっくり嚙みしめている。

 胸がしんとする光景だった。

 捕まえたら問答無用で交番に突き出すつもりだった。けれど、今の二人を見たら、もう何も言えなくなってしまった。

「ありがとうございました」

 パンを平らげると、兄弟は声を揃えて礼を言い、手をつないで駆けていった。

 盗みを働くのはもちろん悪い。いくら子どもでも、いや子どもだからこそ、きちんと罰を与えて正しい道を示すのが大人の役目だと考えていた。でも今になり、それが本当に正しいのかわからなくなる。

 ぐう、と気の抜けた音がした。男の人が情けない顔でお腹をさすっている。兄弟が食べている間は堪えていたのだろう。

 親切な人。

 おそらくあのパンが彼の昼食だったのだろう。ひょっとすると夕食も兼ねているかもしれない。パンの代わりに水でも飲んで飢えをしのぐのだろうか。

「あの」

 我知らず、暢は声をかけた。

 くるりと振り返った彼は泣いていた。

 削げた頰にだらだらと涙をこぼし、口をへの字に結んでいる。

 暢と目が合うと、声をかけられるのを避けるように下を向き、リヤカーを引いて路地の先へ去っていった。名前を訊く隙もなかった。

 それが嵩さんだ。

 しばらく後に再会を果たした。

 一目見て、リヤカーの人だとすぐにわかった。あの日と違い、丸眼鏡をかけていたが、黒光りした顔と痩せた体格はそのままだ。

 嵩さんは暢の勤める高知新聞社に採用され、同僚としてあらわれたのだ。社会部配属で記者をするという。

 背広姿の嵩さんは、暢のいる『月刊高知』編集室にも挨拶に来た。

「初めまして。柳瀬嵩です」

 律儀に頭を下げる。嵩さんは暢を憶えていなかった。

 丸眼鏡の奥の目を覗き込むと、嵩さんは不思議そうに首を傾げた。なんだ。本当に憶えていないみたい。

「小松です」

 暢は澄まし顔を作り、初対面をよそおった。初日に交わした言葉はそれだけだ。

 なんだ。

 もう一度、思った。

 涙を見られたのが決まり悪くて、とぼけているわけでもなさそうだ。肩透かしを食らった気分だった。

 親しく口を利くようになったのは、嵩さんが『月刊高知』編集室に異動してきてからだ。同じ島の真正面で仕事をすることになり、おのずと話す機会が増えた。

 ――ぼくの一目惚れだったんです。

 後に嵩さんはインタビューで、暢との馴れ初めについてそう語っている。

 ――毎日こんな綺麗な人の顔を見ながら仕事ができるなんて、いい会社だと思った。

 おかげで暢は美人の奥方ということになっているけれど。

 本当は暢が先に見つけたことを、嵩さんはいまだに知らない。

 あれから約半世紀が過ぎた。

 今、嵩さんは病室の枕もとにいる。

 備え付けの丸椅子に腰かけ、暢の顔を見ている。

 七十五の老妻の顔を眺めたところで何が楽しいのかと思うが、忙がしい時間をやり繰りし、連日通ってきては飽きもせず眺めている。おおかた担当医に「もって、あと数日」とでも宣告されたのだろう。

「どこか痛いところはないかい?」

 見舞いにくるたび、嵩さんは決まって同じことを訊ねる。

「大丈夫。お薬が効いているから。どこも痛くないわ」

「そうか」

 ちっとも信じていない顔でつぶやき、目をしばたたくのもいつものこと。

 暢の命は消えようとしている。

 癌で余命三カ月と宣告を受けたのは一昨年だから、ずいぶん頑張ったほうだ。嵩さんが一九九一(令和三)年に文化庁より勲四等瑞宝章を受章した際には、治療中の身ながら着物で夫婦揃って勲章伝達式に出席することが叶かなったのだが。

 あれから二年。

 いくつかの波を経て病状が悪化し、とうとう死期が迫ってきた。

 もう少し頑張れる気がしていたのだけど、どうも無理みたいだ。今は十一月。来年の桜は難しくとも、お正月を迎えるまでは。そう思いながら、病室の壁に掛かるカレンダーを睨んできたけれど、十二月までもつかどうか。

 嵩さんはベッド脇の丸椅子に腰かけている。

 半白の眉を曇らせ、泣き笑いの面持ちで、わたしの手をずっと握りしめている。

 こんなに早く逝かれるとは思わなかった。

 困るよ、ぼくは家のことが何もできないんだから、と顔に書いてある。正直な人だけに、思っていることが全部顔に出るのだ。

 世の亭主の常として、嵩さんも自分のほうが早く死ぬと決めてかかっていたらしい。

 おあいくにくさま。そう都合良くいかないのが人生だと、この歳まで生きてればわかっているでしょうに。

「何か面白い話をしてくれる? 入院暮らしは退屈なの」

 先のことを考えるのは暢も辛い。

 自分の体は自分が一番よくわかるというのは本当だ。

 暢はじきに死ぬ。医者に教えてもらわずとも、ちゃんと体が教えてくれる。

 こういう状況に置かれた夫婦は、いったいどんな話をするのだろう。何だかんだ言って、やはりお金の話か。

 しかし、暢は入院前に書き置きをした。嵩さんは世の夫の常で、家の中のことは何も知らない。どの銀行にいくら預けてあって、通帳はどこにしまってあるのか。暢がいなくなっても困らないよう、保険や証券といった諸々について一覧にまとめてきた。

 だから、ここでお金の話はしなくてよし。

 そんなことより面白い話が聞きたい。覚悟を決めたつもりでも、気を抜くとすぐに暗い気持ちになるのが病人だ。残り少ない日々ならせめて笑って過ごしたい。

「仕事の話は嫌いやよ。体力が落ちているせいかしら、難しい話を聞くと眠くなるの」

 牽制すると、嵩さんは白髪交じりの眉を下げた。

「好都合じゃないか。眠れなくて困っているんだろう?」

「昼寝をしたら、ますます夜に眠れなくなるでしょう。だから仕事の話は駄目。楽しい夢を見られるような話がいいわ」

 未来の話をするのが辛いというのが本音だが、それは言わないでおく。

「うーん。難しい注文だね」

 腕組みをして、嵩さんは考える面持ちになった。

「悩むことはないでしょう。年寄りのする面白い話といえば、昔話に決まっているじゃない。子ども時代のことを聞かせてほしいわ。うんと小さい頃の」

「ふうん、昔話か。あまり面白くないんじゃないかな」

「あら、どうして」

「ぼくは鈍くさい子どもだったからね。格好悪い話ばかりだけどいいかい」

「そういう話が聞きたいのよ。とっておきの失敗談を披露して、笑わせてちょうだい」

「意地悪だなあ」

 嵩さんはぼやき、ちょっと頭を搔いた。

 数年前、白内障の手術をして良くなった目の中を覗くと、すっかり肉の落ちたお婆さんが映っていた。一瞬、誰の顔かと思うほどの変わりようだ。見舞いにくるたびこの顔を見せられては、さぞや辛いだろう。死ぬのも死なれるのも楽ではない。

 看病する側にも気を休める時間が要る。そのための愉快な昔話だ。

「さ、聞かせてちょうだいな」

 たとえ現実逃避でも、二人で笑っていられるほうがいい。

「できるだけ昔の話にしてね。学生時代より前がいいわ。物心ついたばかりの可愛いぼくちゃん時代の話なんてどう?」

「ぼくは可愛くなかったよ」

「あらま」

「弟は可愛かったけどね。丸顔に丸い目で、ふくふくして」

「アンパンみたいねえ」

「うん。よく似ていたなあ。顔もそうだし、気持ちの優しいところも」

「会ってみたかったわ。丸顔で丸い目の小さなアンパンマン。やっぱり産声は『ぱーぴぷーぺぽー』だったの?」

「そりゃ、ばいきんまんだ」

 嵩さんは目尻にくしゃりと皺を寄せた。

 良かった。やっと笑ってくれた。

「ぼくとは二つ違いだからね。あいつが産まれた日のことは憶えていないよ。当時は上海にいたはずなんだけど」

「帰国子女ね」

「格好いいだろ。といっても、中国語は喋れないけど」

「ニイハオ」

「それくらいはわかるよ」

 耳に心地良い声がゆったり語りかけてくる。

 一九一九(大正八)年二月六日。

 嵩さんの生まれ故郷は、高知県香美郡在所村朴ノ木(現・高知県香美市香北町朴ノ木)だ。

 物部川の流れる、草深い鄙(ひな)びた村だという。お墓は高い山を登ったところにあり、お参りするにも一苦労だ。

 柳瀬家の墓石には、柳瀬快蔵宗武とある。

 もとは武家で、当主の冶太郎と妻の貞衛の間には七人の子があった。

 長女の由衛を筆頭に、長男が寛、次男は清、次女が喜美代で三女が澄、四女が繁以、三男が正周で末っ子。三男四女と両親の計九人が、在所村の本家で暮らしていた。

 父親の清は柳瀬家の次男坊で母は登喜子。

 夫婦の長男として、嵩さんはこの世に生を受けた。

 地名についている朴ノ木は、在所村のそこかしこに生えている。輪生状(りんせいじょう)に三十センチほどの大きな葉をつけ、樹高三十メートルにも及ぶ。桐や檜のような高値はつかないかもしれないが、おおらかな立ち姿は眺めていて心地よい。下駄の歯として使われるか、まな板になるか。柔らかくて扱いやすく、まな板にしたとき、包丁に刃こぼれさせることがないのが取柄だという。

「まるで、ぼくみたいだろう」

 ひとしきり朴ノ木をけなした後、嵩さんはそう言って自嘲した。

「当たりの柔らかいところが?」

「地味なところだよ」

「謙遜もし過ぎると嫌味よ。勲四等瑞宝章をいただいたでしょう」

「あれは『頑張ったで賞』だよ。ぼくみたいな凡才が七十を過ぎても懸命にやってるから、国がねぎらってくれたんだ」

「敬老の日の肩たたき券みたいな言い方をして。罰当たりな人ねえ」

 長年の不遇時代の積み重ねか、嵩さんは中々自分を褒めない。

 若い頃、身近にいた天才たちを思い浮かべているのか、嵩さんは遠い目をした。そのまま不遇の漫画家時代の話に流れそうで、暢は横よこやり槍を入れた。

「駄目よ」

「え?」

「今、頭に手塚さんを思い浮かべたでしょう」

「思い浮かべてないよ」

「じゃあ、横山隆一先生ね」

「……違うって」

 だとしても、有名な漫画家と引き比べ、目立たなかった若い頃を思い出していたに決まっている。

「言ったでしょう、わたしが聞きたいのはもっと昔の話なの。売れない時代の苦労談はいったん脇へ置いてちょうだい。浪花節を聞きたい気分じゃないのよ」

「厳しいなあ、おぶちゃんは」

 口を尖らせ、文句を言う。

 暢ちゃんが派生して、おぶちゃん。

 外では格好つけて「カミさん」と亭主関白ぶっているものの、家の中の嵩さんはいまだに恋人時代の愛称で暢を呼ぶ。

 朴ノ木みたいな人だというのは、暢も認める。

 嵩さんは控えめな人だ。国から表彰されても驕らず、自分は凡才と言い続けている。でも、朴ノ木を地味と称することは承服できない。人の都合で勝手につけた値で木の価値を測るのはおかしい。

 初夏になると、朴ノ木は香りのいいクリーム色の花をつける。

 ぽってりとした肉厚の花びらは直径二十センチほどもあり、遠目にも白く輝く。

 毎年五月の初めに朴ノ木が咲くと、香美の人たちは今年も夏が来たと、白い花を見上げる。いい木じゃないの、と暢は思う。

「わたしが聞きたいのは可愛い子ども時代の話なの。面白いのをお願い」

「そうだったね。じゃあ、父さんの葬式のときのことを話すよ」

 まったく。

 面白い話が聞きたいと頼んでいるのに、そんなことを言い出す。困った夫だ。

 内心苦笑していると、嵩さんも気づいたようで、ふたたび半白の頭を搔いた。

「しまった。おぶちゃんが聞きたいのは面白い話だったね。葬式の話じゃ笑えないかもしれないな。でもまあ、可愛い弟も出てくるからいいだろ」

「それでいいわ。聞かせて」

「わかった」

 うなずくと、嵩さんは昔話を始めた。

 

〈本文試し読みここまで〉

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『やなせたかしの素顔 のぶと歩んだ生涯』伊多波碧著、定価:990円、発行年月:2025年3月、判型/造本:文庫/256ページ

やなせたかし と 妻・小松暢は、戦後間もない頃に出会いやがて結ばれる。そして漫画家を目指すやなせたかしの挑戦が始まる――。ふたりの歩んだ生涯を描いた書き下ろし小説。
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作家
伊多波 碧(いたば・みどり)
新潟県生まれ。信州大学卒業。2001年、作家デビュー。05年、文庫書き下ろし小説『紫陽花寺』を刊行。23年、「名残の飯」シリーズで第12回日本歴史時代作家協会賞シリーズ賞を受賞。著書に『恋は曲者 もののけ若様探索帖』『うそうそどき』『リスタート!』『父のおともで文楽へ』『裁判官 三淵嘉子の生涯』『生活安全課防犯係 喫茶ひまわり』など多数。