プレビューモード

アジア的価値観でウクライナ情勢を見直してみる

ウクライナとロシアの停戦は実現するのか。評論家・塩原俊彦氏が、アジア的価値観を通して戦争の行方を分析し、和平の可能性を探る。情報の偏りや国際社会の動向を踏まえ、戦争終結への道筋を考察する。
(月刊『潮』2025年4月号より転載)

******

戦争当事国の情報は鵜呑みにできない

 トランプ大統領の誕生により、ウクライナ戦争の終結、和平に注目が集まっている。私はこの戦争の勝負は既に決まっていて、もはやウクライナに勝ち目はないのではないかと考えている。そうであるなら、これ以上、犠牲者を増やさないためにも、ウクライナは今すぐ和平交渉を進めるべきである。

 しかし今のところ、ゼレンスキー大統領がこの戦争を終わらせようとしているとは思えない。また、そんなゼレンスキーを批判する声も、日本のマスメディアからは聞こえてこない。それはマスメディアを含めた日本人のほとんどが、プーチンのロシア=悪、ゼレンスキーのウクライナ=善という単純な図式でこの戦争を見ており、ゼレンスキーやウクライナ側の情報を鵜呑みにしているからだ。

 もちろんプーチンやロシア側からの情報も鵜呑みにはできない。戦争となれば、どの国も自分たちに有利なように情報を制限し、操作するのは当然である。ロシアもウクライナも、自分たちにとって都合の悪いことは公表しない。ロシア側の情報をそのまま信じることが危険なら、ウクライナ側の情報やゼレンスキーが主張していることを、そのまま鵜呑みにするのも危険である。

 残念ながら日本のマスメディアの報道は、ウクライナ側からの情報に偏りすぎている。そのため日本人の多くは、この戦争の背景や戦況を正しく認識できていないのだ。

両国に戦争維持派がいることに注意

 ウクライナ戦争が終わらないのは、ウクライナにもロシアにも、戦争を継続させたい人がいるからだ。和平を考えるうえでは、両国に戦争維持派と和平派がいることを頭に入れておかなくてはならない。それぞれの国で、戦争維持派と和平派が何をしているのか。何を隠しているのか。どんな情報操作をしているのかを、しっかり考える必要がある。

 日本のマスメディアの報道には、そのような視点がない。プーチン=悪、ゼレンスキー=善という単純な図式のもと、ウクライナ側の発表をそのまま垂れ流しているだけである。ヨーロッパも状況は似たようなものだ。ヨーロッパの人々はウクライナと距離が近く、大きな脅威を感じている。そこでなおさら、何がなんでもゼレンスキーを応援するという、単純な思考に傾きがちなのだ。

 しかしこのような状況では、いつまで経ってもこの戦争は終わらない。大事なことは、毎日のようにロシアとウクライナの国民の命が失われていく状況を、一日も早く終わらせることである。そのためには、ロシアやウクライナが発信している情報を鵜呑みにせず、現地の正しい状況を見極める必要がある。

 では、どうすればいいのか。私は誠実で信頼できるジャーナリストの発信をチェックするようにしている。例えばロシア人ジャーナリストで、プーチンの独裁性を痛烈に批判しているユーリヤ・ラティニナの記事だ。

 2024年12月26日に、亡命ロシア人がつくったメディア「ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ」に公表した彼女の記事によると、ポクロフスクの戦闘により、ウクライナは国内の冶金産業の需要の半分を賄っていた石炭鉱山を占領されたという。ウクライナの鉄鋼産業、経済が大きなダメージを受けたことは間違いなく、ウクライナは劣勢であると考えざるをえない。

 この時、炭鉱がある地域を防衛するために、フランスで数カ月の訓練を受けた第155旅団が派遣された。しかしこの部隊はほとんど戦わず、石炭鉱山は占領されてしまったという。旅団の半分以上が動員されたばかりの兵士で、前線に到着する前に1000人が逃亡したというのだ。

 第155旅団については、英国のビジネス誌『ザ・エコノミスト』も「旅団の約3分の1に当たる1700人が無断欠勤し(一部は元の部隊に戻った)、50人がフランスで脱走した」と報じている。

深刻な兵員不足が悩みのウクライナ

 今、ウクライナは深刻な兵員不足に悩まされている。そのためTCC(軍登録・入隊局)の将校によって、街頭で男性が拘束され、軍隊に送り込まれるような非道なことも行われている。兵員が足りない陸軍に、空軍から約5000人の兵を移籍させるような、無茶なこともしている。これまで動員対象から外してきた重要企業の従業員や国家公務員を動員し、兵員を増強するための閣議決定も行った。

 AP通信によると、22年2月のロシアの侵攻以降、ウクライナでは10万人以上の兵士が脱走罪で起訴されている。検察や軍は無断欠勤した兵士は起訴せず、軍への復帰を説得できない場合だけ起訴する。よって実際の脱走兵の数は、もっと多いだろう。AP通信は、ウクライナの脱走兵は20万人にのぼる可能性があるとの推定も報じている。

 このことは何を意味するのか。もはや多くのウクライナ国民は、ウクライナがこの戦争に勝てるとは思っていないのだろう。どんなに自分が命がけで戦っても、ウクライナはロシアに勝てない。無駄死にするだけである。であるならば、国民が兵役から逃げるのは当然である。なんとか兵役から逃げ続けていれば、いずれ和平が訪れるのだから。

 ゼレンスキーが今、やっていることは、勝ち目のない戦争に多くの若者を送り出し、無駄死にさせた太平洋戦争時の日本の指導者と同じである。唯一、当時と違うのは、現代社会にはネットやSNSがあることである。そのため、かつてのような完全な言論統制ができないことだ。

 ウクライナの国民の多くが、ゼレンスキーら戦争維持派の虚言に気づいている。ウクライナが敗色濃厚であることに気づき始めている。いっぽう太平洋戦争の時代の日本国民は、指導者の嘘に気づけなかった。大本営発表を信じ、日本が負けるはずがないと、自決覚悟で戦ったのだ。いずれにしろ愚かな指導者の誤った判断により、多くの貴重な命が失われる点は同じである。

ゼレンスキーを批判したトランプ

 かつての日本の指導者同様に、国のために多くの尊い命を犠牲にしているゼレンスキーを、日本のマスメディアが批判しないことが、私は不思議でならない。国民の命を守ることがリーダーの責務であるという当たり前の感覚があるのなら、ゼレンスキーは今すぐにでもロシアと和平を結ぶべきである。それをしないのは、彼が戦争の敗北の責任を追及されたくないからだと考えざるをえない。

 ちなみにトランプ大統領は、ゼレンスキーのことを明確に批判している。FOXニュースのインタビューで、彼はゼレンスキーについて「ヒー・イズ・ノー・エンジェル(彼は天使じゃない)」と語っている。アメリカ大統領のトランプは、ゼレンスキーを「善」や「正義」ではないと認識しているのだ。このことは極めて重要だが、なぜか日本のマスメディアは報道していない。

 ちなみにこのようにゼレンスキーを批判すると、必ずSNSなどで私を「親ロシア派」だと決めつけ、誹謗中傷してくる人がいる。そこで断っておくが、私は親ロシア派ではない。『プーチン3・0』という本で、プーチンの悪辣さについて触れ、批判している。しかも16年2月20日に、FSB連邦保安局に拉致された経験すらある。そんな私が親ロシア派であるわけがない。

 プーチンが強権的で、とんでもない人間であることは分かりきったことである。日本人の多くはそう思っているし、プーチンの行動を肯定する知識人やマスコミ人など皆無と言っていいだろう。だからことさら、私が声を荒らげてプーチンを批判する必要などない。逆にゼレンスキーを批判する論調は、日本ではあまりにも少ない。そこであえて、ゼレンスキーを厳しく批判しているのだ。

大統領としての正統性が問われる

 ちなみにゼレンスキーの大統領としての任期は、24年5月20日で切れている。しかし戒厳令下では、大統領選挙や議会選挙を行うことができない。そのため後任の大統領を選ぶことができずにいるのだ。

 ウクライナの憲法では、戒厳令が発令されている間に大統領の権限が失効した場合の明確な規定がない。それをいいことに、今もゼレンスキーは大統領として振る舞っている。ところがウクライナの憲法をきちんと読むと、大統領の権限が早期に終了した場合、国会議長が大統領代行として全権を持つべきと解釈できる。ゼレンスキーの大統領としてのレジティマシー(正統性、合法性)に疑問を呈する人は、少なくないのだ。

 プーチンも以前から、このことを指摘している。ゼレンスキーがこのような状況下で大統領職に留まっていることが、憲法の観点から正しいのかどうか。ウクライナの憲法裁判所に判断してもらうべきだと提案している。もっともな意見である。ウクライナ国民にも、このような考えを持つ人は少なくない。

 しかしゼレンスキーは、自分に不利な判断が出ることを恐れてか、憲法裁判所に審議を求めていない。この問題を無視し続けてきた。彼は法的には国の指導者としてあいまいな立場におり、本当は何の権限もないかもしれないのに、いまだ多くの若者を戦場に送り続けているのだ。

 22年9月30日、「プーチン大統領との交渉が不可能であることを表明すること」を含むウクライナ国家安全保障・国防評議会の決定を、ゼレンスキーは大統領令で承認している。ウクライナ政府はプーチンと交渉を行わないことを正式に決定し、徹底抗戦する意志を示しているのだ。

 つまり法律によってゼレンスキーとプーチンは交渉ができない状態になっており、それが和平を難しくしている。

戦争終結のための計画と合意内容

 ウクライナのメディア「ストラナー」が1月26日に報道した「100日間和平計画」というものがある。トランプ大統領とそのチームが、100日以内に戦争を終結させるために作成したとされている。この計画の真偽は確認できておらず、ウクライナ大統領府のアンドリー・イェルマーク長官はその存在を否定したという。しかしその内容は、今後のウクライナ戦争の締結と和平の道筋を考えるうえで興味深い。

 この計画では以下のような手順を踏む。
①ゼレンスキーがプーチンとの交渉を禁止する法律を取り消す。
②トランプ、ゼレンスキー、プーチンの三者会談を開催。
③復活祭に合わせて前線全体で停戦を宣言し、すべてのウクライナ軍をクルスク地方から撤退させる。
④国際平和会議を開き、アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国、グローバル・サウスの仲介のもと、ウクライナとロシア連邦の間で戦争を終結させるための合意を確定。
⑤「オール・フォア・オール」方式で捕虜を交換。
⑥国際平和会議が、合意に基づいてウクライナでの戦争の終結を宣言。
⑦ウクライナは戒厳令体制と動員を延長せず、大統領選挙、議会選挙と地方選挙を実施する。

 このような計画を実現する前提の合意として、以下があげられている。
①ウクライナはNATOに加盟せず、中立を宣言。ウクライナの加盟を禁止する決定は、NATO首脳会議で承認されなければならない。
②ウクライナは2030年までにEUに加盟。EUはウクライナの戦後復興を約束する。
③ウクライナは軍の規模を縮小しない。米国はウクライナ軍の近代化のために継続的な支援を約束する。
④ウクライナは軍事的・外交的な占領地返還の試みを拒否する。しかし占領地に対するロシア連邦の主権を公式には認める。
⑤対ロ制裁の一部は和平合意締結後、直ちに解除される。
⑥ロシア語の擁護とロシアとの平和共存を主張する政党が、ウクライナの選挙に参加できるようにする。
⑦欧州平和維持部隊に関して、すべての当事者間で協議する。

 実際の和平の形がどうなるかはわからないが、このような内容に近い交渉が準備されていることは、間違いないだろう。

アメリカの外交戦略 リベラルデモクラシー

 最後にウクライナ戦争やイスラエルのガザ侵攻など、現在の国際秩序の危機の根底にあるアメリカの覇権主義について解説した自著『帝国主義アメリカの野望』について触れておきたい。この本は副題に「リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ」とあるように、今や現代社会を支配しているといっていい「リベラルデモクラシー」を批判した本である。

 1989年、アメリカ国務省の元政策局次長だったフランシス・フクヤマは『歴史の終わり?』という論文で、「リベラルデモクラシーより優れた普遍的なイデオロギーは存在しない」と主張した。『帝国主義アメリカの野望』では、この主張を真っ向から批判している。

 アメリカがリベラルデモクラシーを外交戦略にし、それを世界に輸出することで覇権を強めてきたことはいうまでもない。民主党政権だろうと、共和党政権だろうとそれは変わらない。その根底にあるのはキリスト教神学的な価値観、宣教師的な信念である。

 それは、わかりやすくいえば、いわゆる大航海時代、ポルトガルやスペインの宣教師がキリスト教(カトリック)を布教しつつ、植民地化をはかったのと同じように、アメリカは宣教師的熱意によって民主主義の輸出をはかりつつ、英米法とテクノロジーを世界中に広げることで、帝国主義に基づく資本による世界支配をつづけようとしているのだ。

 しかし世界の多くの国々は、キリスト教神学的な価値観とは異なる価値観を持っている。よってアメリカが世界に押し付けてきたリベラルデモクラシー政策への反発や綻びが、現在の多くの国際紛争の火種になっているのだ。

今こそ重要なアジア的価値観

 本年1月、『帝国主義アメリカの野望』に対して、岡倉天心記念賞をいただいた。実際には『ウクライナ3・0』をはじめとした一連の著作が評価されての受賞だとうかがっている。

 長年、権力とその腐敗について研究してきた。美術の世界が言説的な権力闘争の場であることを自覚し、西洋画派と戦った岡倉天心のことを、心から尊敬している。彼はインドの思想にも造詣が深く、アジア的な価値観をとても大事にしていた人物だ。

 私の著述活動の根底には、キリスト教神学的な価値観が世界を席巻していることへの批判がある。私たち日本人はもっと東洋的、アジア的な価値観を大事にするべきだ。尊敬する思想家の柄谷行人(からたにこうじん)が世界的に評価されているのは、彼が西洋だけでなく、中国や韓国、日本の江戸時代の思想家についても深い見識を持ったうえで、独自の普遍的な思想を生み出したからだと思う。

 アジア的価値観といった意味で感銘を受けた本がある。仙台藩の儒学者、芦東山(あしとうざん)の人生を描いた小説『むけいびと』(熊谷達也著、小社刊)だ。芦東山は当時、主流だった犯罪への報復としての刑罰に対し、犯罪者を更正させるための教育刑を唱え、近代刑法論の先駆けとなった『無刑録』を著した。現代の日本の人文学、社会科学は西洋的価値観に完全に席巻されているが、アジア的な価値観をもとに思索を深め、普遍的な理論を打ち出した人物が江戸時代にいた。そのことを我々は知るべきであるし、誇りを持つべきだ。
(文中敬称略)

 

******

評論家
塩原俊彦(しおばら・としひこ)
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。朝日新聞モスクワ特派員、高知大学准教授を経て今に至る。『帝国主義アメリカの野望』で、2024年度岡倉天心記念賞を受賞。著書に『なぜ「官僚」は腐敗するのか』、『知られざる地政学(上)(下)』など多数。