師弟というのは師がいなくなったときに試される【書籍セレクション】
2025/05/02「青年の熱と力が新しい世紀を創る」――戸田城聖の法華経講義に触れた森田康夫。のちに初代少年部長となった彼は、池田大作との師弟の情熱を胸に、未来部のリーダー育成に奔走する。
『民衆こそ王者 池田大作とその時代』21巻から一部を抜粋してご紹介します。
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1953年(昭和28年)から2年半にわたり戸田城聖は東京大学の学生らに法華経を講義した。
池田大作は小説『人間革命』に、最後の講義での戸田の言葉を書き記している。
「もし、これから先、わからないことがあったら、この伸一(山本伸一=池田をモデルにした人物)に聞きなさい」
講義に参加したある青年は、後に創価学会の初代少年部長となる。
池田はこの青年に、子どもたちの心をキャンバスに例えて言葉を贈り、後継の育成を託すのだった。
「青年の熱と力」が新しい世紀を創る
森田康夫は小学生のころ、えこひいきが大嫌いだった。
〈小学5、6年のころ、担任の先生はひいきをすることで生徒からひんしゅくをかっていた。いま考えてみると「ひいきされた生徒」はいずれも軍人の息子であったが、つねに組の中で上位を占めていた〉(森田康夫の手記)
1943年(昭和18年)、太平洋戦争の最中である。成績を底上げされている軍人の子どもに、負けてたまるか。そう心に決めて、成績も徐々に上がっていった。
国民学校の初等科を卒業した翌年、日本は戦争に負けた。食べ物の値段が跳ね上がった。森田の父の鶴吉は、長く都電の車庫主任を務めた。妻のイトと四人の子を抱えた暮らしを、敗戦直後の混乱が直撃した。
〈頼るべき田舎とてない私の家は、深刻な食糧難に見舞われた。さっそく付近の焼け跡を片づけて、ささやかながら家庭菜園を始めた〉(同)
勉強を重ね、東京大学に進む。敗戦から5年。日本は連合国軍の占領下である。理不尽な出来事が次々と起こっていた。
〈社会を見てみると、あまりにも虚偽と虚栄に満ちていることに、私は大きな反発を感ずるのだった。……学生に対する警官の悪辣な行為は、私の権力に対する憤りをいやがうえにもかりたてた〉(同)
そのころ東大生の中でも大乗仏教への関心が芽生え始めていた。
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〈6月17日、GHQ(連合国軍総司令部)の方針を受け、文部省は学生の集会・デモ禁止を全国の大学に通達した。
この直後の6月25日、朝鮮戦争(韓国戦争)が勃発し、最悪の事態へと時局は突入した。GHQは、共産主義者への弾圧をますます強化し、報道関係や共産党、労働組合の幹部のレッド・パージ(赤狩り)が始まった。レッド・パージは、順次、各界に及び、映画や電力関係、官庁にまで進み、九月になると、各大学の教授も俎上にのぼった。
東大教養学部自治会も、9月22日、教授のレッド・パージに反対する決議を行い、その闘争として試験をボイコットする挙に出た。さらに、裏切りを警戒してピケラインを張り、警官隊に対抗して気勢をあげていった〉(小説『人間革命』第8巻「学徒」の章)
「9月の試験では、大学の校門にピケラインが張られ、機動隊と対峙し、中に入れないわけです。仕方がないから生け垣をよじのぼってなんとか構内に入り、試験を受けました」(森田康夫)
暴力革命ではない、非暴力の、本物の社会運動はないものか。そのころ、ガンジー主義の非暴力を標榜するグループがあることを知り、一緒に運動を始めた。本郷キャンパスの工学部の応用化学科に進み、学びながら考える日々が続いた。実験室で隣同士になるクラスメイトに、渡部一郎(のちに公明党衆議院議員)や青木亨(のちに創価学会理事長)がいた。
実験の合間や製図をしながら、渡部が熱心に話す日蓮仏法の話を聞いた。むきになって反論し、ときには実験の白衣のまま屋上へ行って星々のまたたく下で議論を重ねた。森田は悩み、「真っ暗な穴に飛び込む思いで」創価学会に入る。
学内の皆で「とにかく毎日会う」と申し合わせた。「毎日正午に文学部事務室脇の食堂で落ち合いました。会えない時に伝言を残せるよう、食堂の入り口に小さな黒板を用意しました。図書館前の広場や、三四郎池を望む藤棚の下のベンチで語り合うこともありました」(同)。
やがて、心をとらえて離さない一節にめぐりあった。
〈新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である〉――戸田城聖(創価学会第二代会長)の「青年訓」である。
「聞く耳があるのなら私が教えてあげよう」
戸田城聖は1953年(昭和28年)から2年半にわたって、彼ら東大生に法華経を講義した。教材は「御義口伝」(日蓮による法華経講義)。講義を受ける学生の中に、「おんぎくでん」と正確に読める者は一人もいなかった。その始まりの様子を、池田は克明に記している。
〈「法華経を勉強するといったって、ただ読んで解釈するだけなら、砂文字を読むと同じことだ。何も残らず、はかなく消えてしまうだけだよ。その砂文字を掘り起こし、その下にある法華経の真実をとらえなくてはならない。しかし、実は、それが難しいのだ。今、日本で法華経を真に読み切れるのは、不肖、戸田城聖一人しかいないと思っている。それで、私は、奮闘しているんだよ」
渡と藤原は、メガネの上の戸田の広い額を仰いだ。すると、意外な言葉が返ってきた。
「どうだ、君たち、聞く耳があるなら、私が教えてあげよう」
「お願いします」
「ぜひ、お願いします」
戸田は、にこやかに笑った。
「東大の学生で、法華経の講義を聴きたいという人があったら、誰でも構わない、みんな集めなさい」〉(前掲「学徒」の章)
「戸田先生の東大生への講義は、5人から始まりました。市ケ谷ビルの急な階段を上って右手の分室です。さまざまな学会員さんと面談されながら私たちを招き入れ、面談が終わるや『さあ、始めよう』と。西日の差す部屋でした。私が池田先生と初めて会ったのは、この法華経講義の場でした。何度か参加されていたのです」(森田康夫)

講義は「序品第一」から始まった。
たとえば冒頭の、
「如是我聞」(このように仏から私は聞いた)
という一言について(御書709㌻、新986㌻)。戸田は理屈屋の学生たちに、仏法で説かれる「聞く」とは「信ずる」ことだ、という〝読み方の根本〟から教えた。
「やかましいことを言っているようだが、この経文の本質は、昔話を聞くとか、世間のうわさなどを聞くのと同じではないぞ、と(日蓮大聖人は)おっしゃっている。不信の者は、まず駄目、法華経を行ずる者が如是の本体を聞くことができる。
……是の如きというのは信順のことであり、ここに師弟の道が成ずるのだ」(前掲「学徒」の章)
池田は、この「聞くことは信ずること」「聞くことは行動すること」という戸田の教えを繰り返し語ってきた。
――「如是我聞ということは、ただ単に聞いたというような簡単な言葉ではない。もっとずっと強い主張が込められています。
天台大師は『法華文句』で『我聞とは能持の人』であると述べている。つまり『仏法の教えの真髄はこうだと私は確信する。したがって、この経文のとおりに仏法を実践し、身をもってこの経文を証明していきます』といった決意が込められた言葉です」(「諸法実相抄」講義、『池田大作全集』第24巻)
「師弟というのは、師がいなくなったときに試される」
――「『その通りに聞く(如是我聞)』とは、『信心』です。『師弟』です。師匠に対する弟子の『信』によってのみ、仏の智慧の世界に入ることができる。『仏法は海の如し唯信のみ能く入る』と、天台の『摩訶止観』にある通りです」
――「全人格としての『我』が聞くのであって、たんに『耳』が聞くのではない」
――「自分の外に置いて読むのではない。すべて『我が身の上の法門』であり、『我が生命の法』であると聞くべきなのです」(普及版『法華経の智慧』〔上〕「序品」88-89㌻)
――「経典の冒頭にある『如是我聞(是の如きを我れ聞きき)』とは、『わが人生を変えた師の言葉をたしかに聞きました』という仏弟子の感動の言葉です。そして、時を超え空間を超えて、この法を万人に伝えたいという師弟の願いを込めて、文字の経典が残されたのです」(『御書の世界』第1巻、「立正安国」(上)、前掲全集第32巻)
仏法のカギは、師匠に対する弟子の「信」にあり─この点について池田は訴える。
次元は異なるが、一般にも、本当に民衆を思う強い一念は、その人が亡くなった後でも人々の心を動かしていく。
マハトマ・ガンジーは、こう遺言したと伝えられている。
「もし私の精神が世界の光明でありうるなら、私は墓の中からでも語り続けよう!」(ガンジー記念館副議長のパンディ博士が講演で紹介)と。
そして、未来の人類まで救おうという師匠の一念を「不二」で分かちもつ弟子の戦いによって、現実に人は救われていく。現実に「法」が、慈悲の働きをおよぼしていくわけです。師匠がいる間は、まだ、いいかもしれない。師弟というのは、それが本物であるか否か、師がいなくなったときに試されるのです。仏法は厳しい。
釈尊が入滅して、皆が嘆き悲しんでいたとき、一人の老僧がもらしたという。
「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者からうまく解放された。〈このことはしてもよい。このことはしてはならない〉といって、われわれは悩まされていたが、今これからは、われわれは何でもやりたいことをしよう。またやりたくないことをしないようにしよう」(『ブッダ最後の旅』中村元訳、岩波文庫)と。
この老僧を、諸君は、とんでもない人間だと思うだろう。しかし、現実に人の心というのは、こういうものなのです。21世紀のリーダーである諸君の使命は重大です。
(前掲『法華経の智慧』〔上〕91㌻)
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※当記事は『民衆こそ王者 池田大作とその時代』21巻から抜粋をしたものです。
続きが気になった方はこちらもご覧ください。
「21世紀をすべて君たちに託したい」――
子どもたちの未来を見据え、その土台になろうとした池田SGI会長の願いを描く!
『民衆こそ王者 池田大作とその時代21 大いなる希望――未来部へのエール篇』「池田大作とその時代」編纂委員会著、定価:1265円、発行年月:2025年5月、判型/頁数:四六並製/256ページ
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【目次】
第1章 いじめた側が100%悪い――『希望対話』
第2章「僕は根っこになる」――「大いなる希望」①
第3章 悩みに直面した時こそ――「大いなる希望」②
第4章 彼らを戦争に巻き込むな――少年少女部の誕生
第5章「子どもは大人の父である」――信仰の継承
第6章「自らの宿命と戦え」――「未来会」の日々①
第7章「羊千匹より獅子一匹」――「未来会」の日々②
第8章「冬の太陽となって」――「未来会」の日々③
識者の声