母を語る Micro(Def Tech/ミュージシャン)
2025/05/09Def Tech(デフテック)のMicroさんの生き方も、また音楽も、母・トモ子さんから多大な影響を受けています。"生きるために大切なことを教えてくれた母に、言葉の花束を贈る"──そんな趣のインタビューになりました。
(パンプキン2025年5月号より転載。取材・文=前原政之、写真=後藤さくら、ヘア&メイク=白井ユリ、スタイリング=村田友哉)
「心こそ大切」と教えてくれた母
Def TechのMicroさんは、伝説的なサーファーである父・西宮秀幸さんと、ボディボードが趣味だった母・トモ子さんの間に生まれた。海が二人を結びつけたのだ。
「父は1970年代初頭に、日本で最初にサーフィンを始めたグループの中の一人なんです。当時の日本ではまだ、米軍基地の人たちくらいしかサーフィンをやっていなくて、父はその人たちにボードを借りてサーフィンを始めたそうです。
僕が生まれたころにはもう、父は(東京・大田区の) 蒲田の環八通り沿いにサーフショップを開いていました。平日は店の切り盛りで忙しいし、土日は若い子たちを連れてサーフィンに行ってしまうしで、父は店のことにかかりきりでしたね。
だから、ひとりっ子の僕は母と2人で家にいる時間がすごく長くて、幼少期はまるで母子家庭のようでした」
そのころお母さんから教えられたことは、一言でいえば「心の大切さ」だったという。
「僕は母から、『勉強しなさい』と言われたことは一度もないんです。それに、人の目がどうだとか、世間体を盾にして叱られたこともありません。
母から叱られたのは、人を傷つけるような言葉を使ったときでした。『佑ちゃん、そういう言い方はダメよ。あなただって、だれかにそう言われたら嫌な思いになるでしょ?』とか……。相手の気持ちになって考えることの大切さを、幼いころから繰り返し教えられました」
まだ幼稚園時代から、お母さんは「レディファーストの精神」を教えた。
「家族でハワイに行ったりすると、スーパーマーケットのドアが重いんです。向こうの男性は女性のためにドアをスマートに開けてあげている。そんなとき、『佑ちゃんもドアを開けて、女の子を先に入れてあげるのよ』とかね。おかげで、僕は今でもレディファーストの振る舞いがごく自然にできますし、そのことは、ミュージシャンとして海外に行くときに役立っています。
僕は法政大学時代、田嶋陽子先生のフェミニズムの授業を取って楽しく学びました。フェミニズムに共鳴できるのも、母から受けた教育が土台にあるからだと思います」
実は、Microさんが幼いころの一時期、ご両親の間に夫婦ゲンカがよくあったという。
「今思えば、サーフショップが軌道に乗るまでの、父が店のことしか考えられなかった時期だったんでしょうね。母にしてみれば、家に取り残された感じで寂しくて、その思いを父にぶつけてケンカになったのでしょう。
もちろん仲がいいときもありましたけど、子どもって、親がケンカすると、そのことばかり印象に残っちゃうじゃないですか? だから、そのころには、『早く僕が強くなって、ママを守らなきゃ』と思っていて、それで空手を習い始めたんです(笑)。兄弟がいたらまた違ったんでしょうけど、ひとりっ子だから思いつめてしまって……」
そんな時期も経て、今のご両親はとても仲がいいという。
「ほぼ毎日、午前中に夫婦二人でプールに行っては、一緒に泳いで、ランチを食べて帰ってくるんです。結婚してからの年月で、今がいちばん仲がいいと思います」
母の言葉をもとにして生まれた"命の名曲"
Microさんには、子どものころにお母さんから繰り返し言われた、忘れられない言葉がある。