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保守VSリベラル それぞれの「正義」を超えた議論を

「論破」の応酬では社会の課題は解けない。コンサルタント・倉本圭造と元『Hanada』編集者・梶原麻衣子が、保守VSリベラルの“正義”を超え、立場の違いを認め合う「メタ正義感覚」と現場志向の対話で分断克服の処方箋を提言。
(月刊『潮』2025年7月号より転載。撮影=富本真之

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先鋭化しすぎた右派と左派の論調

倉本 『潮』の創刊は1960(昭和35)年と伺いました。当時は、安保闘争で社会が大混乱していましたが、私は世界に分断が広がる現在の国際情勢にも、非常に似た雰囲気を感じます。

梶原 私が倉本さんのことを初めて知った2013、4年頃も、安保法制などをめぐって右派と左派が激しく対立していました。

倉本 今の緊迫した世界情勢からあの頃の議論を見てみれば、いかにも現実と遊離した、紋切り型のスジ論のぶつけ合いしかできていなかったことが明らかになってきてしまいましたね。

梶原 当時私は、『潮』の読者にとっては過激な印象がありそうな右派の雑誌、『月刊Hanada』の編集部で働いていました。特に安倍晋三政権時代に先鋭的になっていく左右の論調の中に、「どちらもアメリカに対する想いをこじらせているのでは」という共通点を見つけたのです。

 そんな時、倉本さんの著書『日本がアメリカに勝つ方法』を読んで、すごく感銘を受けました。

倉本 あの本はアメリカ的なものから日本が精神的に自立し、自分たちの良さを発揮して経済発展するための戦略を書いたものです。僕はもともと経営コンサルタントで、論壇とは縁遠い人間です。梶原さんと出会うまで『Hanada』という雑誌も知りませんでした。ただマッキンゼーという外資系コンサル会社で働いているうちに、アメリカ型資本主義やグローバリズムをそのまま日本の中小企業に押し付けるような仕事に、強い違和感を抱くようになったんです。

梶原 そこでマッキンゼーを退職され、肉体労働をしたり、ブラック企業で働いたり……。

倉本 ええ。外資系エリートの世界からは見えない日本社会の実情を知りたかったんです。その後、船井総研で中小企業の支援をした後、独立しました。以来、アメリカ型資本主義やグローバリズムと、ローカルな共同体との関係の折り合いをつけ、より良いものにしていくことが最大の関心ごとになりました。

梶原 倉本さんが日韓関係について書かれたブログも、「これだ!」と思ったんですよ。「保守側にとって、日本のメディアが韓国に一方的に味方しているように見えることが問題をこじらせている」といった趣旨の記事で、ここまで保守側の言い分や、主張が尖るメカニズムを理解している人がいたのかと驚きました。

倉本 僕はコンサルなので、常にどうすれば価値観や文化の異なる人々が協力して問題を解決できるのか、を考えています。だからいわゆる「論壇の議論」的な、スジ論をぶつけ合っているタイプの話はピンと来ない。現実に起きている課題をどう解決するかという議論をもっとやれるようにしたいですね。

立場が変われば「正義」も変わる

梶原 日本の左右の分断が最も顕著だったのは、やはり安倍政権期です。左派の政権批判は苛烈で、それを押し返すかたちで右派の論調も過激化し、最後は罵り合いになっていきました。

 倉本さんが近著『論破という病』で言われているような、相手を論破すること自体が目的化し、何の問題解決にもつながらない罵倒ばかりが増えていきました。

 その当時の言論状況について、昨年秋に刊行した『「"右翼"雑誌」の舞台裏』にも書きましたが、私自身の精神もだいぶ摩耗しました(笑)。

倉本 人は立場が違えば見える世界、掲げる「正義」も異なります。そんな立場の違う者同士が協力するには、相手の存在意義を否定せず、認めたうえで、発展的な議論をする発想、僕が「メタ正義感覚」と呼ぶものが必要だと思っています。

 とくに左派や改革派の一番良くないところは、保守派や守旧派が大切にしているものを尊重せず、時には馬鹿にして、「自分たちの理想こそ正しい」と上から目線で押し付ける姿勢です。

梶原 右派の側にも問題はあります。南京事件や慰安婦問題などの歴史認識問題が紛糾した根底には、「自分たちの意見や心情を少しはわかってほしい」といった思いがありました。が、思い先行で事実を軽視したり、誤解を招く言い方になっていったのも確か。

 保守派だって多くの人は、戦時中の日本にまったく問題がなかったなどとは考えていませんが、連合国が100%正義で、日本が100%悪だったなんてこともない。左派やリベラル派の論調を、「戦前日本の全否定」と感じて反発した保守派の人も多かったんです。

倉本 結局、多極化で人類社会全体の中での欧米という特権階級のプレゼンスが下がり、欧米的な「正しさ」を押し込むだけでは納得されない時代になってきていることが大きいですね。歴史認識においても、過去にもてはやされてきた、ドイツ式の歴史反省法のようなドグマティック(教条的)な世界観が、今パレスチナで起きている巨大な暴力に対して適切な対応をできなくさせている現実に、しっかり向き合う必要がある。

 日本も含めて世界中の「非欧米のローカル社会側」にも意地やメンツがあることを是認したうえで、いかに理想を受け入れて"いただく"かという発想が、欧米側にも必要になっているわけです。

夫婦別姓の議論はなぜ長引いているのか

梶原 私もそう思います。ところで今、保守側がこだわっている議論として、夫婦別姓の問題があります。この問題について倉本さんはどのように考えていますか。

倉本 今や旧姓で働いている女性が多数派ですから、たとえば戸籍の問題のような、この件に関する「保守派側の懸念」に丁寧に向き合った議論ができれば、いずれ容認されると思います。

梶原 そうですね。私も旧姓使用の必要性は自分ごととしても理解する一方、夫婦別姓に反対する人に対して、「うちの家族の問題なんだから口出ししないで」と対話をシャットアウトするような意見には違和感を抱きます。

 国家は同じルールのなかで生きている人々の共同体であり、自分の家族のことだからといって、すべて自分で自由に決めてよいというものでもない。その行きつく先は自己責任論であり、究極、社会保障制度も否定されかねません。

倉本 まさにそれで、「非欧米のローカル社会側の意地やメンツや歴史的経緯」を、大上段から理想論だけでは押しつぶすことができない時代になっていることを直視する必要がある。その部分で「多極化時代の相互尊重のモード」が足りていないことが、いま議論が紛糾している原因だと思います。

理想や理念とともに「現場」も大事

梶原 もう一つ、今、メディアで話題になっている埼玉県川口市のクルド人問題(クルド人コミュニティと地域住民との間の軋轢)に関してはいかがですか。私は移民受け入れに批判的な過激な保守派の動きの兆候が見えてきた時点で、保守側から差別にさせない文脈でアプローチすべきだったという忸怩たる思いがあります。

倉本 まあ、それができれば理想的ですが、実際には難しいでしょうね。であれば、今起きている現実を踏まえ、問題解決を目指すしかない。

 今まで自分が安心して暮らしていた地域に外国人が急激に増えたら、不安に思って当然です。文化の違いによるトラブルも起きるでしょう。まずはそんな当事者の気持ちに寄り添い、話を丁寧に聞き、一つひとつのトラブルを具体的に解決していくしかない。

梶原 本人は純粋な問題提起のつもりでも、無責任にこの問題をSNSなどで騒ぎ立てられると、本当に困っている地元の人が「差別主義者だと思われてしまうから」と声をあげられなくなります。

倉本 外国人が増えれば当然「トラブル」は起きるので、その解決を求める地元住民の声を無視してはいけない。そういう具体的なニーズに対して一緒くたに「差別主義者め!」と糾弾して、良いことを言った気分に浸ひたるタイプのリベラルは、結局のところ排外主義デモをやっている右翼さんと「同レベル」でしかないという発想が大事です。

 移民問題で先行する欧米では、単に「素人のリベラル」が想像する話よりもかなり踏み込んで「共生策」が必要だという認識が高まっています。日本も、移民をいつまでも"腫れ物"扱いしないで、欧米の共生策のような知見を利用して真剣に対処することが今こそ必要だという話に、右も左も関係ありません。

梶原 倉本さんが保守派の意見「も」重視するのは、不毛な議論ではなくフェアに「実」を取る形での問題解決を重視しているからですよね。保守派の多くの人は"理想"や"理念"を否定しがちですが、その実は日本の伝統や文化、日本人らしさなどの"現場"観を大切にしたいだけでもある。

倉本 よくわかります。ただ僕はリベラル派が掲げる"理想"や"理念"を否定しているわけではありません。それはそれで非常に大切です。グローバリズムやアメリカ的な合理主義にもメリットはあるし、部分的には日本はそれらをもっと取り入れるべきだと考えています。

 ただ日本は欧米とは歴史も文化も国民性も違うのだから、それをそのまま導入してもうまくいくわけがない。欧米のリベラルな思想や合理主義の良い部分を日本に取り入れ、日本の悪いところを変えるためにも、まずは日本の現場で奮闘している人たちの意見を聞き、尊重すべきです。

梶原 左だけでなく右にも、小泉純一郎政権による新自由主義的な構造改革が、日本の良さや伝統を破壊したとみる意見もあります。

倉本 確かにあの路線をその後も進めていたら、今の日本にはラストベルト(錆びた工業地帯)のような荒廃した地域がたくさん生まれ、アメリカのような分断社会になっていたでしょう。それを防いだのがアベノミクスで、金融緩和と円安政策によって地方の製造業を守り、雇用も増やしました。

 目指していた経済成長はできませんでしたが、今の日本社会が欧米と比べてそれなりに安定しているのは、アベノミクスの功績だと思います。

梶原 一方で分断や格差が広がったアメリカでは第二次トランプ政権が誕生し、めちゃくちゃなことを行っています。ヨーロッパでもポピュリズム政党や極右政党が台頭し、大混乱しています。

倉本 これだけ混乱した国際情勢のなかで、政治が比較的安定していることは日本の大きなアドバンテージです。

 またトランプ氏が「アメリカファースト」の政策を進めるなか、反米保守や反米左派が悲願としていた自主路線や等距離外交を真剣に考えなくてはならない時代になってきました。もはやこれまでの議論の前提がくつがえり、右派と左派が喧嘩する理由はなくなりつつあります。

これからのメディアの使命とは?

梶原 とはいえ論壇や政治の場では、まだまだ議論が横断的になっていません。市民レベルでは、そのような議論に愛想をつかして、自分の現場で多様な人と力を合わせて問題解決を目指す人が増えてきていませんか。

倉本 そんな現場力こそが日本の一番の強みです。僕はインテリより、一般の日本人の現実的なバランス感覚を信頼しています。政治的に日韓関係が最悪の時も、市民レベルでの交流は活発でした。最近、日本に旅行に来るロシア人が増えているのも、日本人はロシア人だからといってあからさまに嫌悪感を示さないからのようです。

梶原 ロシアの一般市民にプーチン氏と同等の戦争責任があるわけではないですからね。イスラエル・パレスチナの件なども、日本人が単純な二元論で善悪をはっきりさせない傾向が、良いほうに影響するかもしれません。

倉本 個人が確立しておらず、あいまいで、空気でものごとを決める――そんな左派やリベラル派から散々批判されてきた日本人の気質が、今となっては美徳とも思えます。観念的な理想をもとに、自分が悪と考えるものを糾弾する欧米的な発想が、世界にこれだけ分断をもたらしたわけですから。

 もちろん欧米的な価値観や理念にも良い面はあります。ただそれを上から目線で押し付けられることに反発や不満をもつ国も多いからこそ、数々の紛争につながってきた面があるわけです。敗戦国の日本には、欧米に反発する中国やグローバルサウスの気持ちもわかる。そのような国々の気持ちに寄り添ったうえで、欧米と連携しながら、現実的な中道の解決策を世界に示していく。それこそが、これからの国際社会における日本の大事な役割だと思います。

梶原 私もそう思います。

 ところで、メディアに携わってきた人間として、今や報道機関やメディアも、批判や問題提起だけでは済まない時代になってきているのではないかと感じます。

倉本 確かに、何か拳を振り上げて叫びたいだけの批判や問題提起は限界ですね。一方でそういう議論がネットに溢れているからこそ、中立的で事実の検証をしっかりする議論が既存メディアには求められている側面もあると思います。

梶原 ネットは閲覧数が収益につながるアテンションエコノミーの世界なので、コンテンツが過激化していく傾向があります。

倉本 アメリカはそれが行くところまで行っていますが、日本は既存メディアが完全に死んでいないことが防波堤になっている面もありますね。その分日本では、梶原さんも含めて、不毛な党派争いを超えたメタ正義的議論を求める声も出てきている。

梶原 今日の対談も10年前だったらありえなかったですしね(笑)。『潮』さんをはじめ、雑誌にはネットや動画とは違う役割があります。活字派としてはやはり活字で議論や対話の磁場を形成していきたいですね。

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経営コンサルタント・思想家
倉本圭造(くらもと・けいぞう)
1978年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。その後、肉体労働の現場やホストクラブ
などで働いたのち、船井総研を経て独立。『日本人のための議論と対話の教科書』『論破という病』など著書多数。


編集者・ライター
梶原麻衣子(かじわら・まいこ)
1980年埼玉県生まれ。中央大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。IT企業勤務後、『月刊WiLL』、『月刊Hanada』編集部を経て、現在はフリーの編集者・ライター。著書に『「“右翼”雑誌」の舞台裏』がある。