それでも核兵器廃絶を諦めてはいけない――池田平和提言に学ぶ智慧
2025/07/22ウクライナ戦争で核抑止論が台頭する今、日本は核禁条約の議論から逃げてよいのか。池田大作平和提言が訴えるのは、敵味方を超えた対話と民衆の“諦めない力”。朝日新聞・副島英樹がゴルバチョフとレーガンの教訓を引き、オブザーバー参加の意義と核廃絶への現実的ロードマップを提示する。
(月刊『潮』2025年7月号より転載)
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ウクライナ戦争で一変した空気感
私は『潮』の昨年の4月号で、ゴルバチョフ元ソ連大統領と池田大作SGI会長の平和闘争を通じて「核兵器廃絶はシニシズム(冷笑主義)との永遠の戦い」だと述べました。ところが、ウクライナ戦争の影響もあって、国際社会ではますます核兵器による抑止を支持する声が高まっているのが現状です。
日本ではおそらく、ウクライナ戦争を突然始まったものとして受け止めている方がほとんどだと思います。これまで戦争が起きても、それが核戦争にまで発展する可能性など、大半の人は想定していなかった。しかし、一方の当事国であるロシアは核大国です。その現実を受けて、それまで安心しきっていた空気が一変し、核抑止を支持したり、核保有の必要性を訴えたりする人たちが出てきたのが現状だと思います。
広島で被爆体験の伝承活動を行う方に話を聞くと、ウクライナ戦争以降は教育旅行で広島を訪れる生徒・児童や教員らの目の色が変わったそうです。皆、真剣に話を聞き、展示などを観ていると。
私が特に懸念しているのは、ヨーロッパが好戦的になっている点です。象徴的なのは、本年3月に行われたフランスのマクロン大統領の演説でした。フランスが保有する核兵器の抑止力を、ヨーロッパに拡大する検討を始めると明言したのです。ヨーロッパはこれまでロシアによる核の威嚇などを批判してきたわけですが、マクロン大統領の方針はロシアと同じ土俵に乗ることを意味します。

ロシアと同じ土俵とは何か。そのことを説明するためには歴史的な経緯に触れなければなりません。ソ連のゴルバチョフ共産党書記長(当時)と、アメリカのレーガン大統領(当時)によるジュネーブ会談が行われたのは1985年11月。そこで合意された"核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない"との方針は、中距離核戦力(INF)全廃条約や第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)の発効、さらには89年の冷戦終結や90年の東西ドイツの統一につながっています。
ロシアからすれば、冷戦終結や東西ドイツの統一は"西側の勝利"ではなく、共同作業による結果です。また、当時のベイカー米国務長官はNATO(北大西洋条約機構)を東に拡大しないと発言しましたが、結果的には、その通りにはなっていません。当時は16カ国だった加盟国は、現在は32カ国まで増えているのです。
その最後のレッドラインはジョージアとウクライナだったわけですが、いよいよNATOの東方拡大はウクライナに及びます。ロシアとしてはギリギリまで条約の締結などを模索しましたが、NATO側がレッドラインを超えたと判断してウクライナに侵攻しました。そうしてウクライナ戦争が勃発してしまったわけです。
核抑止論は本当に現実主義なのか
戦争が起きる際には、双方の国が自らの正義を主張しますが、その行き着くところは民衆の死です。だから戦争は起こしてはいけないし、ひとたび起こってしまったならば早期に停戦するべきなのです。
それにもかかわらず、ヨーロッパはむしろ戦争を煽るような方向に進んでしまっています。トランプ大統領はそうしたヨーロッパに警鐘を鳴らしていますが、多くの人々がトランプのほうが間違っていると考えているようです。
巷間には核抑止論は現実主義で、核廃絶は理想主義だとする見方がありますが、果たしてそれは本当でしょうか。そもそも、核抑止は核のボタンを握っている指導者が理性的な行動をすること、あるいは相手方が核を脅威と感じることが前提となっています。それはどちらかというと理想的な話で、現実には指導者が理性を失ったり、相手国の指導者が聖戦と捉えて自らが潰えることも辞さないと考えたりする可能性は十分にあり得るでしょう。
さらに言えば、核抑止は野蛮な発想で非人道的であり、常に事故のリスクと隣り合わせです。互いのこめかみに銃口を押し付けて、引き金に指を掛けた状態で保たれている平和を、果たして本当の平和と呼べるのでしょうか。

また、アメリカのウィリアム・ペリー元国防長官は、過去に誤って核ミサイルが撃たれそうになったことが少なくとも三度あると証言しています。いつ事故や間違ったシグナルによる核の誤使用が起きてもおかしくない状況下で、長崎への原爆投下以降、一度も核兵器が使用されなかったのは、核抑止が働いていたからだとは私は考えていません。一つは、被爆者をはじめとした民衆が、絶えずその悲惨さを訴え続けてきたから。もう一つは、偶然です。
そもそも核抑止の効力については、専門家も立証不能だと言っています。それはウクライナ戦争においても同じです。アメリカがウクライナに必要以上の兵器を提供しなかったのはロシアの核抑止が利いているからだとする見方もできますが、だとしたらなぜウクライナはあそこまでロシアに反転攻勢できたのかという話になります。ロシアの核攻撃を恐れていたら、あそこまでの反撃はできなかっただろうと。
実現されなかったオブザーバー参加
本年3月には、ニューヨークで核兵器禁止条約の第3回締約国会議が開催されました。過去の会議にオブザーバーとして参加したオランダやベルギーなどが、今回は参加を見送ったのは、やはりヨーロッパの好戦的な流れによるものと私は見ています。
日本では、これまで以上に検討が行われたようですが、最終的には参加しませんでした。これは、核兵器禁止条約から目を逸らしていると、国際社会に見られても仕方のないことだったと思います。
第3回会議の議長国はカザフスタンでした。同国には旧ソ連の核実験場があり、実験段階で多くのヒバクシャを出しています。こうした国が議論をリードしたわけですが、戦争被爆国である日本はオブザーバーとしても参加しなかったわけです。同盟国であるアメリカでトランプ政権が再び誕生し、出方が見通せないという不安定な環境だったことは確かです。それでも、やはりオブザーバー参加はするべきでした。二度も原爆の惨禍を被った戦争被爆国として、自分たちの足で立って考えていくことが必要です。
与党である公明党は、政府に対してオブザーバー参加を訴えていました。斉藤鉄夫代表が副代表時代、2021年に行われた衆議院選挙に挑戦する前にインタビューをさせていただいたのですが、そのときは「最後の壁は菅総理(当時)で、なんとしても乗り越えたい」と言っていました。実際にはなかなか壁が厚かったのでしょう。
とはいえ、核禁条約の署名・批准は広島や長崎の各自治体はもちろん、平和首長会議などの総意です。今後、人類が二度と同じ被害を受けないように、署名・批准を目指していくべきだと思います。
教訓が詰まった池田会長の言葉
本年1月に刊行された池田会長の『未来をひらく選択――池田大作 平和提言選集』(小社刊)には、核廃絶を目指す上での重要な教訓が詰まっています。いくつかを取り上げて、私なりのコメントを付してみようと思います。
敵と味方を明確に分けて、自分たちの陣営から物事を判断する。そうした考え方が、停戦ではなくむしろ戦争を煽ってしまいます。そんな最近の風潮を乗り越える智慧が、池田会長の言葉にはあります。例えば、次のような部分です。
〈冷戦時代から中国やソ連などの社会主義国を訪問し、緊張緩和と相互理解のための交流に努め、さまざまな文明や宗教的背景を持つ世界の人々と対話を重ねて、国境を超えた友情の輪を広げてきたのも、「平和と共生の地球社会」を築く基盤はあくまでも一人一人の心の変革にあり、それは"互いの魂を触発し合う一対一の対話"からしか生まれないとの信念からだったのです〉(『未来をひらく選択』所収、以下同)
〈核兵器と無人機攻撃は、いずれも人道や人権の精神に反するだけではありません。その根底には、いったん敵とみなせば、どんな人間であろうと生かしておく余地はなく、いかなる手段をとろうと、どんな犠牲が生じても構わないという、「究極の排除」の思想が横たわっています〉
〈自分の側に「善」を置き、自分が敵視する人々をおしなべて「悪」とみなす思想は、イデオロギー対立が世界を分断した東西冷戦が終結した後も、さまざまに形を変えて多くの問題を引き起こしています〉
〈冷戦対立が激化した時代に、反対や批判を押し切ってソ連を初訪問した際(1974年9月)、私の胸にあったのは、「ソ連が怖いのではない。ソ連を知らないことが怖いのだ」との信念でした〉
特にこの部分を読んだときには、私も何度もインタビューをしている作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏の言葉を思い出しました。自分が理解できない"敵"にも、相手なりの内在的論理がある。それを分かろうとしない限り、あらゆる対立は解決できない――と。
ウクライナ戦争が始まった際、そうした考え方をする人は日本にも西側諸国にも少なかったように思います。象徴的だったのは、2022年8月の広島や長崎の平和式典にロシアやベラルーシを招待しなかったことです。
絶対に核廃絶を諦めない姿勢
もう一つ池田会長の重要なメッセージを挙げるとすると、絶対に諦めない姿勢があります。それは次のようにまとめられます。
――現代の軍拡競争の問題は、あまりに複雑で巨大になっていることから、現実を"動かしがたいもの"とするあきらめを生み、人間の生き方や未来にまで影響を与えかねない。核兵器禁止条約が世界中の民衆の声によって実現したことを踏まえ、いかなる事態にあっても決してあきらめる必要はないことを世界の青年に呼びかけている。(要旨)
ここでも佐藤優氏の言葉が頭に浮かびました。氏は、私が行った朝日新聞のインタビューでこう語っていました。
「シニシズム(冷笑主義)に陥ってはいけない。それこそ、冷戦時代に米ソが中距離核戦力(INF)全廃条約を結んだ時も、できるはずないとみんな言っていたわけですから。あるタイミングで、すっとできる時がある。(中略)核禁条約の根っこにあるのはヒューマニズムです。そこがシニカルだったらだめなんです」(朝日新聞、2020年12月30日)
池田会長は、核廃絶におけるシニシズムや諦めの本質にも言及しているように思います。
〈この考察から半世紀が経った今なお、核抑止を積極的に支持しないまでも、安全保障のためにはやむを得ないと考える人々は、核保有国や核依存国の中に少なくありません〉(『未来をひらく選択』)
「安全保障のためにはやむをえない」という言葉にこそ、シニシズムや諦めが凝縮しているのです。これは"安全保障のジレンマ"とも言えます。安全保障のために軍備の増強もやむをえないと考える人が少なくありませんが、本当の意味で戦争を回避するためには相手国との信頼を醸成する以外にありません。ゴルバチョフとレーガンの対話はまさに信頼醸成でした。
ウクライナ戦争は、まさに安全保障のジレンマだと思います。というのも、独仏も加わったウクライナ東部の停戦協定であるミンスク合意について、ドイツのメルケル元首相はウクライナの軍事力を増強するための時間稼ぎだったとの趣旨の発言をしています。端から合意を守るつもりはなかったことになります。もちろんロシアによる一方的な侵攻は許されないものですが、そこに至るまでの経緯はきちんと検証するべきでしょう。私は戦争が勃発する状況に追い込んだ冷戦後の世界体制にも責任があると考えています。
日本にも、万が一のときには勇敢に戦うべきだと考えている人が少なくありませんが、戦争の本質を知っているのか疑問です。私は政治家の最大の仕事は戦争に巻き込まれないようにすることだと考えています。そのためには天秤外交もしなければなりませんし、知恵を絞らないといけません。
民衆の声こそが核使用の歯止め
ウクライナ戦争が始まったあとの池田会長は「核兵器の先制不使用」や「核兵器の威嚇と使用の防止」などを繰り返し強調されています。また、戦争が始まる直前には、先述のレーガン・ゴルバチョフ会談で打ち出された"核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない"との方針に改めて着目し、これを核時代に終止符を打つための時代転換の出発点にするべきだと主張されています。
ゴルバチョフは、対話と協調、政治の非軍事化を掲げた「新思考外交」で冷戦終結を実現しました。じつは、その新思考外交の源流は、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言と、63年に行われたケネディ米大統領のアメリカン大学での演説だと本人が著書のなかで述べています。
本年の7月9日には、ラッセル・アインシュタイン宣言が発表されて70年の節目を迎えます。宣言には次のような文章があります。
〈私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、即すなわち"ヒト"という"種"の一員としてである……一方の陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないように心がけよう〉
本年11月には広島で科学者の国際会議であるパグウォッシュ会議の世界大会が開かれます。同会議はラッセル・アインシュタイン宣言をもとに設立されました。核抑止を支持する声が高まっているなかで、広島で同会議の世界大会が開催されることに大きな意味を感じています。
ゴルバチョフは「ナロード(民衆)」という言葉を、池田会長も「民衆」という言葉を強調しています。私は無名の庶民の声こそが、核兵器を使用させない一番の歯止めになっていると考えています。政治家やメディアはもちろん、民衆の一人一人が核兵器廃絶を諦めないこと、そして核廃絶に向けて知恵を絞り、語り続けることが、核使用への最大の抵抗だと思います。
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朝日新聞編集委員
副島英樹(そえじま・ひでき)
1962年兵庫県生まれ。東京大学文学部卒業。朝日新聞広島支局などを経て、モスクワ特派員、モスクワ支局長を務める。エリツィン、プーチン、メドベージェフ歴代政権を取材。2019年にはゴルバチョフ元ソ連大統領と単独会見。著書『ウクライナ戦争は問いかける~NATO東方拡大・核・広島』、訳書『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』など。