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平和への道は、自分の責任を果たして希望のバトンをつなぐリレーの闘いです

80年前、沖縄の慶良間諸島にアメリカ軍が上陸して沖縄戦が始まった、3月26日と重なる意義深い日、駐日ジャマイカ大使ショーナ-ケイ・M・リチャーズ氏が、沖縄県恩納村にある創価学会の沖縄研修道場を訪れた。
さらに、地上戦で、多くの民間人が犠牲となった沖縄本島南部への訪問は、世界の軍縮を推進してきた大使が、SGI(創価学会インタナショナル)の平和活動への理解を深め、共に平和への道を進む連帯を強くするものとなった。
(月刊『パンプキン』2025年7月号より転載。取材・文=鳥越一枝)

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人間が起こした愚かさを、決して忘れてはいけない

 沖縄研修道場には、アメリカ軍の核ミサイル「メースB」の発射台跡が残っている。この発射台跡は1983年、池田大作SGI会長が、人類が戦争という愚かなことをした証拠として「永遠に残そう」と提案したことから、核の脅威があった史実を後世に伝え、平和を誓う場所、「世界平和の碑」として生まれ変わった。
 
 歴史的価値から、8個の発射口の1つを当時の形状のまま保存・整備し、一般にも公開。今年3月には、シアターなどを新設しリニューアルされた。
 
 大使は、かつてのミサイル跡地や沖縄戦体験者が描いた「沖縄戦の絵」など、道場内の展示を見学。「メースBの発射台を残し、人間が起こした愚かさを、決して忘れてはいけないという池田先生の知恵と先見の明を、深く胸にとどめました」と感慨深げに語り、池田SGI会長の構想の重要性に言及した。

「この場に立ち、こういうものを建ててまで、何を成し遂げようとしていたのか、という疑問を抱きました。争いではなく、対話を通して問題を解決し、差異を乗り越えるのだということ、戦争ではなく平和が必要なのだということを、訪れる方たちも強く感じるのではないでしょうか。

 また、研修道場は、その名のとおり、心を開いて、視野を広げ、平和のためにできることを考える"訓練を受ける場"でもあると思います。ですから、戦争の基地が、平和を広めるための場所へと転換したことは、非常に意義深いことです」

創価学会沖縄研修道場「世界平和の碑」
奥に見えるのはかつてのミサイル発射台 

 
 大使はこれまで、軍縮の専門家として2005年に初めて広島や長崎を訪問し、そのときの被爆者との出会いから、核廃絶への誓いを立て、活動を続けてきた。2021年1月22日に発効された、核兵器を「非人道兵器」として、開発、保有、使用、使用の威嚇を含むあらゆる活動を禁止した国際条約である核兵器禁止条約(TPNW)の制定にも尽力している。

 今回の沖縄訪問で新たに"歴史の真実を知る機会を得た"と、平和推進への思いを強くした。
 
 カリブ海に浮かぶ島しょ国であるジャマイカは、美しい自然とレゲエ音楽で知られ、訪問した沖縄とは自然、地形、気候などたくさんの共通点がある。
 
 滞在中に、大使自ら沖縄県立博物館や首里城を訪れ、琉球の歴史と文化について学んだという。

「第一に魅力を感じたのは"人"でした。非常にフレンドリーで温かく、オープンで元気な印象です。エネルギーにあふれた音楽とダンスが好きなところは、ジャマイカと共通しています」
 
 昨年は、日本とジャマイカの国交60周年の記念の年でもあり、両国の絆を深めるイベントも首都キングストンで開催され、沖縄民謡とレゲエ音楽とのコラボレーションで文化交流を深めた。
 
 その後も、メンバーとの交流が続き、今回の沖縄訪問では、手作りの歓迎セレモニーが開かれ、地域の高校生や小学生が琉球の音楽や踊り、空手を披露。大使も即興で太鼓を叩き、会場を盛り上げた。

 少年が三線を奏で披露した"木遣り歌"に涙を浮かべ、聴き入る場面も。

「琉球王国から続く歴史を非常に大事にしていることを感じます。ジャマイカでも自分たちのアイデンティティ、文化を非常に誇りに思っています。これからもジャマイカと沖縄の都市が姉妹都市となって、さらにその関係を深めていくことを願っています」
 
 ジャマイカと沖縄は自然や地理的要素以外に、他国に統治、支配されていた歴史をもつ点も類似しているという。

「ジャマイカは長い間、スペインとイギリスの植民地でした。それ以上に、奴隷制度があったという歴史もあります。ジャマイカでは、黒人民族主義の指導者であり、国民的英雄でもあるマーカス・ガーベイが先駆者として黒人の権利を主張し、現在も人権を奪われた人びとの闘いが続いています」
 
 植民地時代には、1250万ものアフリカ人が奴隷として働かされていたともいわれている。差別をなくす闘いの中で人びとを支えていたのは音楽だった。

「ジャマイカで最も有名なミュージシャン、ボブ・マーリーの「Get Up, Stand Up」という曲は、立ち上がれ、闘いを諦めるなと訴えています。愛情や連帯を、音楽を通して発信しています。音楽は、言葉が通じなくても世界共通のものだと思うので、私も音楽を通して平和を語っています」
 
 大使は、未来を担う若い世代との懇談の折、最後にボブ・マーリーの音楽をかけて、一緒に歌おうと呼びかけた。隣の青年の手を取ってリズムをとる。その輪が2人、3人と広がり、最後は全員が手を取ってひとつの輪に。太陽のように明るい大使の笑顔が、会場の参加者に広がり、心が打ち解けていく。そのアクションは、音楽が言葉を超えて連帯をつくる証といえるだろう。

小さい国だからこそ、信念をもった外交を 

 強い信念を抱き行動を続ける大使の胸には、小学生のころから毎日学校で暗唱していた、ジャマイカの国家公約がある。加えて、父親との手紙のエピソードを紹介してくれた。

「父は、人間として最も崇高な資質は、揺るがぬ決心である、とのメッセージを送ってくれました。条件がどんなに限られていたとしても、断固とした決意があれば、必ず道は開かれていくことを、私も確信しています。また父は、私が外交官として成功することを信じてくれていました。外交官になったら、謙虚であること、辛抱強くあること、努力をすること、思いやりをもつことを心に留めておくようにと、手紙に書き残していたのです」
 
 子どものころから正義感を育み、努力と情熱でまい進してきた大使。読書好きで、世界史を学ぶ中で、国際社会の力学や悲惨な戦争の歴史があることを知った。


 
 ジャマイカには、"we likkle but we tallawah"ということわざがある。「私たちは小さいけれど、熱意と献身と懸命な努力によって成せることは無限だ」というこの英知の言葉は、さまざまな交渉の場や話し合いの中で、自身の意見を活発に発言し、粘り強く訴えてきた大使の行動に通じている。
 
 ジャマイカは人口290万人という小さな国であっても、世界に貢献することができるという確信の外交を進める大使は、"ひとつの仕事を始めたら、終わるまで諦めてはいけない。どんなに小さなことでも、やるからには最後まで全力を尽くして、よい結果を残すという、強い思いが大事"だと、熱く語った。

平和のために、希望のリレーを

 国際情勢はより複雑になり、紛争も絶えることはない。青年たちとの懇談会では、平和のことを訴えて友人に話をしても、関心をもってくれないと涙を流した学生がいた。

「私も世界で起きている状況を見て、重苦しさや絶望、無力感を感じることもあります。平和とは単に戦争がないことではありません。紛争や戦争の原因が何かということを考えなければなりません」
 
 大使は、そう寄り添うように励まし、経済格差や根源的な問題が紛争につながっていること、国際社会の舞台では、軍縮や差別、貧困など多国間の問題解決のために辛抱強く交渉を重ねていくことが求められると、自身の立場にも、粘り強い活動があることを語った。
 
 たとえ無関心な友人や考えの違う人であっても、そこに向き合い、理解や寛容を深めるために、解決の方途を模索し努力を続ける行動こそが、平和を築く過程なのだと、そして「皆さんはすでに創価学会の活動の中で学んでいると思います」と、微笑んだ。
 
 大使は国連で活動中に多数の市民団体の研究報告を学ぶ機会があったという。その折にSGIの理念や多彩な活動を知り、その後も関西創価学園や大学での講演、民主音楽協会との文化交流を進めることで理解を深めてきた。池田SGI会長が教育、文化、対話を通して平和の道を切り開いてきたことは、偉業であり、その平和活動から、「開かれた心」を学んだと語る。
 
 SGIでは、多くの女性たちが平和への思いを胸に、地域で草の根の活動を広げてきた。

「女性は人を中心に物事を見ているので、日々の生活から苦しみを取り除こうという視点をもっています。国や組織の立場で争うのではなく、育む力や対話を通して問題を解決していこうとする姿勢は、世界の平和のために大きな役割を果たすことは確かです」
 
 女性の重要性を強調すると、「今後は、女性が決断する立場に携わって、意思決定者になっていくことが不可欠です」と、言葉を重ねた。
 
 世界平和への道のりを、マラソンだけではなく、自分の責任を果たして、その次の人にバトンを渡す「リレーのレース」にたとえる大使。

「打ちひしがれそうになるときや諦めそうになるときに、希望をもち、闘い続けるためには、互いに励まし合うネットワークが重要です。一人ひとりの平和への努力、闘いがつながっていくところに、平和への道が開けていく。創価学会のネットワークは平和の連帯を広げ、共感を広げ、世界中の志を同じくする人たちの希望の存在です」と、一層の連帯を呼びかけてエールを送った。

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駐日ジャマイカ大使
ショーナ-ケイ・M・リチャーズ
1994年よりジャマイカ外務省に勤務。2012~2016年ニューヨークにて、国際連合ジャマイカ政府代表部代表代理を務め、核兵器禁止条約の制定に携わった。米国ジョージ・ワシントン大学エリオット国際情勢研究科より、国際政策・慣行における修士号取得。西インド諸島大学より学士号取得。2024年5月には、ミドルベリー国際大学院モントレー校の卒業式(学位授与式)でスピーチを行い、名誉人文学博士号が授与された。現在、駐日ジャマイカ大使のほか、オーストラリア、インドネシア、フィリピン、韓国、ニュージーランドも兼轄している。