【潮9月号の読みどころ】民衆こそ王者――池田大作とその時代

「遺訓とすべき第一のものを発表したい」 その日――横浜の三ツ沢公園は早朝から人の波であふれた。陸上競技場に向かった人の数は5万人を超えた。創価学会の「第四回東日本体育大会」である（1957年9月8日）。前日は雨だった。 〈静かに目をつぶると、あのときの光景が鮮やかに浮かんでくる。その日は台風一過の素晴らしい秋空であった。若人の多彩な競技が終わって、閉会式のさい、戸田先生は強い、しかも肺腑にしみ入るような語調で「諸君らに今後、遺訓とすべき第一のものを発表したい」と言われたのであった〉（『私の履歴書』聖教ワイド文庫）。 その遺訓は、〈人間の心、内なる世界にひそむ魔性が権力という装いをもって核兵器の使用に走らせるという、人間生命の深層を鋭く看破した〉ものだった。 「朝の勤行を終え、皆で三ツ沢方面へ歩き、浅間下（せんげんした）の交差点まで来ると、いつもとは全く異なる風景にびっくりしました。横浜駅方面や平沼駅方面から、大勢の人が連なって歩いていたのです。途中には男子部の整理班の方が立ち、元気よく『おはようございます』と声をかけていました。明るい笑顔で、輝かしい姿は今でも忘れられません」（猪瀬雅夫、当時11歳） 唐鎌ヨシ子は千葉から参加した。朝の3時に起きて勤行し、おにぎりを作り、夫とともに貸し切りバスに乗った。「グラウンドの周りには、ピンク色の夾竹桃の花が咲いていて、その陰に腰を下ろして観戦することにしました」。 「両親に連れられ三ツ沢競技場の土手に行きました。西日がまぶしく、夾竹桃のピンクがとても鮮やかだった印象があります」（藤巻保子、当時9歳） 夾竹桃は「広島市の花」でもある。〈75年間草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました〉（広島市のホームページから）。 「横浜駅から歩いて三ツ沢の競技場へ向かいました。グラウンドには、彼岸花が咲いていたのを覚えています」（勝俣正江、当時12歳） 「母は信心強盛でしたが、露天商を営む父は、入会こそしていたものの、ほとんど信心から離れてしまっていました。その父から『行くぞ』と言われたので、父の機嫌を取る意味も含めて参加しました」（長塩喜弘、当時12歳） 「わが家は文京支部の選手・役員の宿泊所でした。……（前日は）庭の外釜で、ご飯を炊いて、みそ汁をつくり、役員の方々と生卵や野菜を運びました。当日は、たくさんのおにぎりを4、5人で握り、グラウンドに届けました。あんなにバスが集まったのは見たことがありませんでした」（渋谷朋美、当時13歳） 「体育大会」は、のちに国境を越えて行われることになる「文化祭」の原型ともいえる行事である。 参加した5万人の誰も、この日、戸田が‶遺訓の第一″を発表することを知らなかった。 「競技の途中あたりで『今日、会合の中で重大発表があるらしいぞ』と人づてで、伝言ゲームのように、それとなく広がっていきました。マイクでそういう発表があったわけではありません。ただ、昼の休憩時間の頃に自然と参加者内でワーッと、うわさ話のように広がっていきました」（飛田健治、当時25歳） 「『もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります』。当時の細かな指導は覚えていませんが、この言葉だけは、今でもはっきりと覚えています」（平間富雄、当時24歳） 辻恒夫は20歳だった。運営役員として張り切っていたが、戸田の宣言を耳にして「何事かとびっくりしました」と述懐する。 その一瞬、グラウンドの参加者のみならず、運営役員たちの動きも止まった。大きな拍手が起こった。 「『勝者でも敗者でも死刑にすべきである』という宣言が強烈に耳から離れませんでした」 「ある意味でセンセーショナルな表現には、学会が世界に向けて、それくらい戦争をしてはいけないという平和思想を、青年たちの力で浸透させていくのだ、という強烈なメッセージだったと受け止めています」（飛田健治） 「体育大会の様子は、役員に徹していたため、あまり分かりませんでしたが、原水爆禁止宣言を発表されている時の戸田先生の声は、しっかりと聞こえてきました。原水爆は絶対にいけない――その魂の叫びに触れ、鳥肌が立ったことを、今もはっきりと覚えています。この宣言を聞いてから、私は戦争の愚かさを伝えていく使命があるのだと深く感じました。というのも、私自身が幼いころに、戦争を体験したからです。戦時中は、兵隊が目の前を通るだけで、震え上がるくらい恐かったことを覚えています。その状況下では、軍部権力に従ってしまうのは当然だと思いました。しかし、牧口先生と戸田先生は毅然と立ち向かい、平和を訴えて牢獄に入られたのです」（大正初子、当時15歳）（P.166-169） 原水爆を「絶対悪」と断じた宣言 ここまで言い切らなければ、「魔」を「魔」と見破れない――戸田の思いが、多くの参加者に伝わっていった。 「宣言に震える思いがしたことは、今でも忘れられません」（鈴木きよ子、当時25歳） 「（人類の生存権を脅かす存在は「魔もの」である、という一言に）ただならぬ気迫を感じました」（飛田光江、当時13歳） 「‶それを使用したものは、ことごとく死刑に″と、明確に原爆というものが‶悪″であると言い切られたことに、大きな衝撃を受けた記憶が残っています。この時、平和のために自分ができることは、信心に一生懸命取り組み、折伏をやることだ、と決意することができました」（堺京子、当時20歳） 「子どもながら、その気迫に身震いする思いでした」（相馬公子、当時10歳） 「命の底から絞り出すような声で宣言を発表してくださいました。なかでも『死刑』との言葉に衝撃が走り、戸田先生が再び警察に捕らえられるようなことがあってはならない、と瞬時に思いを巡らせました」（唐鎌ヨシ子、当時30歳） 「戸田先生の原水爆に対する『魔もの』『怪物』という強烈な言葉に非常に驚いた。と同時に、本当の悲惨さを知らない中学生であったため、『なぜ、そこまで強く言われるのだろう？』と疑問に感じたことも覚えております」「その後、青年となって池田先生と共に学会活動に励む中で、この戸田先生のお言葉は、今も変わらない、学会の広宣流布の根底にある、平和思想の原点であると確信しました」（石井康雄、当時15歳） 「‶核兵器と戦争は絶対にいけない″ということが原点となり、教育の道を志すようになりました。……『平和の心を育むのは教育』であるとの信念を貫き、長年にわたって保育士として、教育現場で奮闘しました」（田畑良江、当時8歳） 「体調を崩した部員さんの介抱をしていたため、残念ながら戸田先生の原水爆禁止宣言をじっくりと聞くことはできませんでした。それでも、確かに戸田先生の気迫あふれる声を耳にして、胸が熱くなったことは覚えています」（角井容子、当時17歳） 大木トシ子は23歳だった。「当時、原爆がどういうものか、分かりませんでした。戦時中に広島と長崎に新しい爆弾が落ちた、ケロイドになってしまう、などの話は聞いていましたが、実際にどんな状況で、どんな被害があったかは知るすべがなかったのです」「戸田先生が言われた原水爆禁止宣言は衝撃的でした。原爆が、いかにひどく恐ろしいものなのかを初めて知りました」「平和のため、ひたすら折伏に歩きました。電話はなかったため、会合連絡は電報や手紙で行いました」。 当時、「原爆は絶対に悪だ」と公言することに、どれほどの社会的意義があったのか。その一端を浮き彫りにする証言がある。高崎隆治は、戦争と文学、ジャーナリズムをめぐって優れた研究を残した（単行本『民衆こそ王者』第19巻に詳述）。横浜の高校で教えていた時の出来事を書き残している。 〈1957年の秋、横浜・三ツ沢の陸上競技場で創価学会の体育大会があり、会長の戸田城聖が「原水爆禁止宣言」を発表したという話が、私の勤務する学校にまで伝わってきた。三ツ沢の陸上競技場は、車なら十分とはかからない距離だから、たぶんそれは一日か二日後のことだったろう。職員室はなんとなく解放感が漂った感じだった。 というのは、前の年の秋、私の勤務校の学園祭で、社会研究会というクラブが、「原爆とは何か」というテーマで展示を行ったところ、突然、校長から中止命令が出たのである。展示の中の模造紙一枚をはずさなければ教室を閉鎖するというのである。説明文に原爆投下を非難する数行があったのだ。原爆の話は校内でタブーになっているのを、新人のその社会科の教師は知らなかったのである。だれかがどこかで「原水爆は魔の産物だ」と言ってくれるのを待つ以外にないほど、私たちは非力だったのである。 私はその学校の30人足らずの教員組合の6選の委員長だったが、日教組とも総評とも無縁の組合だった。上部組織をもたない弱小の組合は、単独で生きるしかなかったのである。たとえ有名無実でも組合をつくりさえすれば、革新を名乗る政党や革命的とか戦闘的とか言われる大組織のどこかが、仲間として迎えてくれるだろうと思ったのは、とんでもない大まちがいだった。足手まといになる吹けば飛ぶような組合など、彼等にはどうでもよかったのである〉（『戸田城聖 １９４０年の決断』第三文明社）（P.170-172） ｢救出の原理｣を受け継いだ弟子 戸田の宣言から1年後、池田は聖教新聞に一文を寄せた。タイトルは、 〈火宅を出ずる道 原水爆宣言に思う〉 それは、今は亡き恩師の命が乗り移ったかのような内容だった。 〈原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する〉 〈法華経に曰く、「三界は安きこと無し、猶火宅の如し。衆苦充満して、甚だ怖畏すべし」〉（1958年9月26日付「聖教新聞」） ――「三車火宅」の譬えは、譬喩品第三に説かれる。燃え盛る家の中で遊び回る子どもたち。このままでは焼け死ぬ。父親は外に出るよう告げるが、耳を貸さずに遊び続けている。どうすれば助け出せるのか――。 家を焼く「炎」は、人間の「煩悩」である。「家」は「この世界」そのものである。 「『人生は火宅の如し』。一日一日を、何も考えず享楽的に生きる人生の危険を、強烈なイメージで焼きつけることに成功している。 法華経は、人生の苦しみを非常にリアルにとらえている経典です。そこに法華経が文学的にも高く評価されてきた一つの理由があると思う。魯迅も火宅の炎を素材に『死火』という文章を書いている」（普及版『法華経の智慧』〔上〕、244ページ） 「火宅」の譬えは、敦煌の莫高窟をはじめ、絵画、詩、小説、演劇、映画など、無数の芸術作品を通して広く知られてきた。池田は、この「法華経」で最も知られる譬えを選び、筆を進めた。 〈……第二次世界大戦においての広島、長崎投下の、原爆の魔力は、断じて忘れることは出来ぬ。一瞬にして、幾十万の尊き生命を殺傷した、地獄の使いたる原爆の使用は、絶対に禁止しなければならない〉 〈いくら、平和運動を起こしても、激流に流されてしまう。いくら平和塔を建てても、犠牲者を救うことは出来ない。又、政治的運動を起こしても、そんな小才では、最後の願望をば望めるわけが無い。又、感傷的な叫びをいくら叫んでも、大国を相手に何が響こうか、何が動こうか。心ある人々は、皆、原水爆の使用や、核実験を禁止することは、当然のことと考えている。だが、いくら観念をめぐらしても、口だけで正義を叫んでも、解決の出来ぬ時代である。権力と武力と財力の時代なのだ〉 〈この問題は武力と武力との拡大に依って解決出来る問題でも無い。政治的解決を願っても、一時的なものに過ぎない。唯一つ……〉 ただ一つ──日蓮仏法によって〈日本も世界も救出する以外に道が無くなっている〉。 池田は、仏法の眼で見れば戸田は〈大将軍〉（乙御前御消息、御書1219ページ、新1688ページ） であり、〈賢王〉（観心本尊抄、御書254ページ、新145ページ） である、〈未曾有の世界の難関を救出せんとして、その救出の原理たる仏法を弘めきって逝かれたのである〉と綴った。 後を継ぐのは誰か。人類の「火宅を出ずる道」を開くのは誰か。この池田の叫びは、後年、核廃絶を求める青年部1000万人の署名となり、100冊を超えて続く反戦出版となり、「女たちの太平洋戦争展」や‶核の脅威展″などの取り組みとなり、多彩な平和運動の原動力となっていく。 「法華経」は‶一切衆生に大慈悲心あり″と説く（法師品第十の「衣座室（えざしつ）の三軌」など）。戸田の宣言は、核兵器が拡散していく危機に直面して、「一切衆生の大慈悲心」を引き出そうとする一念の結晶だった。それは、すべてが無意味だとうそぶくニヒリズム（虚無主義）や、理想、誠実さを嘲笑うシニシズム（冷笑主義）との闘争宣言でもある。 「核兵器の廃絶など、想像もしていなかったため、すぐには理解できませんでした。ただ、生命尊厳を訴えられてきた戸田先生が『死刑』という言葉を使っていたことがとても印象に残りました。後から宣言を学ぶ中で、人間の心の奥にひそむ魔性と戦う戸田先生の強い信念を感じ取れるようになりました」 「今日まで宣言が語り継がれているのは、ただひとえに、池田先生という本物の弟子がいたからだと強く感じています」（宮代明信、当時21歳） 「近年、『平和』という言葉を耳にするたび、つくづく思うことがあります。それは、一貫して、社会に、世界に、平和の道を切り開いてこられた人こそ、牧口先生、戸田先生、そして池田先生であるということです。青年部の皆さんには、この学会伝統の平和への情熱と、悪を破折する心を絶対に忘れないでいただきたい」（大立二枝、当時35歳）（P.173-176）

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