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「310万人の女性」が日本の働き方を変えていく

「年収の壁」の誤解や家事育児と仕事の負担のために"働きたくても働けない"女性の活躍を支援する官民連携の挑戦。
(月刊『潮』2025年9月号より転載)

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「年収の壁」の内側に留まるのは損⁉

田原 矢田さんは2016年から22年まで参議院議員を務められ、23年9月から25年3月までは内閣総理大臣補佐官でいらっしゃった。ですが、もともとは松下電器産業(現・パナソニック)労働組合のご出身ですね。

矢田 そうです。男女雇用機会均等法が制定される前年の1984年に入社し、2000年に労働組合の中央執行委員になりました。

田原 十数年も働いてから、どうして組合の委員になったんですか。

矢田 均等法ができてから、遅ればせながら松下でも女性を管理職に登用しようという動きが進んでいきます。一方で組合のほうは長く男性社会がつづいていました。私は社内で人事部だったので、まさに女性登用に関する社内制度づくりを担当していました。そこで組合の方に「次は組合で、これまでの経験を生かした役割を果たしてほしい」と声をかけていただき、委員になりました。

田原 組合では具体的にどういう活動をおやりになったんですか。

矢田 最初にやったのは広報でした。その後、賃金や労働協約、福祉などありとあらゆる分野の仕事に、16年にわたって携わりました。

田原 そして16年7月の参院選に出馬し、国会議員に当選します(民進党、全国比例区)。なぜ政治家に転身したんですか。

矢田 中村正男さんや平野博文さんなど、松下電器労組では長年にわたって国会議員を輩出してきました。松下だけでなく、日立、富士通、東芝など電機産業の労働者が加盟する電機連合(全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会)には、50万人以上の組合員がおり、電機産業で働く方々の代表を参議院に送り出してきたわけです。

 16年に前任の加藤敏幸さんが参議院議員を引退することになり、誰がバトンを引き継ぐのかといったときに私に白羽の矢が立ったのです。

 電機連合は過去に一人も女性の国会議員を出したことがなく、私が第1号でした。

田原 2022年の参院選で2選を目指したものの、矢田さんは惜しくも落選してしまいます。しかし、野党出身者でありながら、23年9月に岸田文雄首相(当時)から内閣総理大臣補佐官(賃金・雇用担当)に抜擢されました。

矢田 私は松下電器、パナソニックの組合10万人の代表として、会社との賃上げ交渉を担ってきた経験がありますが、こうした経験をもつ元国会議員はなかなかいないと思います。岸田首相から「その経験をぜひ官邸でも生かしてください。何でも言ってください」と言っていただき、直接進言してきました。

田原 矢田さんはいまの日本で何が一番の問題だと考えますか。

矢田 たくさんの人的リソース(資産)が眠ったままでいることです。多くの人々が労働市場に出ることなく活躍できていないのです。私が官邸で座長を務めた、厚生労働省「女性の職業生活における活躍推進プロジェクトチーム」の報告書では「働きたいけど働けない」という女性は約310万人もいます。この女性たちは、制度・仕組みが整えば今すぐにでも働ける方々なのです。

働く女性たち

田原 なんでそんなにたくさんの女性が働けていないんですか。

矢田 いわゆる「年収の壁」の影響があると思います。つまり、「扶養控除や配偶者控除を受けられる範囲で働きたい」「社会保険に加入せずに済む範囲で働きたい」ということです。そのために「年収を103万円以下に抑えたい」とか「年収130万円を超えられない」と考える女性が多いのです。

田原 ようするに控除や社会保険料をいろいろ考えて「年収100万円くらいに抑えるのが『お得』だ」「働きすぎると『損』だ」と思っているわけですね。だから、「働きたいけど働けない」。

矢田 そうです。しかし、じつはその「お得」というのは"思い込み"だったのです。先のプロジェクトチームで試算したところ、「年収の壁」を超えて働いたほうが、生涯の可処分所得が大幅に増えることが明確になりました。

田原 具体的にどのくらい増えるんですか。

矢田 年収150万円分働けば、給与所得が増えるだけでなく退職後の年金所得も増えて、年収100万円で働くよりも生涯可処分所得が1200万円も増えるのです。年収200万円分働けば、生涯可処分所得は2200万円も増えます。

田原 労働時間を調整して年収を100万円に抑えている人なら、セーブせず働けば無理なく150万円に届くでしょう。「たくさん働いたら控除がなくなって損だ」と思っていたけれど、逆にセーブするせいで損しているんですね。

矢田 「年収の壁」についての誤解は「お得に働く方法」として、長らく女性向け雑誌を中心に世間に広まってきました。政府もPRしていた時期があったし、労働組合も後押しする風潮がありました。ですが、今回試算したように配偶者控除や扶養控除の恩恵は、長い目で見れば微々たるものなのです。

結婚・出産で女性が退職する理由

田原 日本企業ではずっと「女性社員は結婚/出産したら退職するべきだ」という考えがまかり通ってきました。それが今では女性活躍が叫ばれています。いつごろ「女性は働くな」から「働いてほしい」に変わったのでしょうか。

矢田 最近の転換点は「女性活躍推進法」ができた2015年ですね。背景にあったのは10年代に労働力不足が進んできたこと。そして、「ジェンダー・ギャップ指数」などの国際比較で、日本の経済的な男女格差の大きさが明らかになったことです。

 また、出産後も働きつづける認識が広まる端緒となったのは育児・介護休業法が施行された1992年だと思います。育児休業制度が創設され、「産後には職場に戻ってきてください」と言われるようになりました。

田原 育休の創設から30年以上が経ちますが、一般化するまでに結構時間がかかったように感じます。どうしてでしょうか。

矢田 男女雇用機会均等法も同様でしたが、日本の法律はまず理念的なところから入るんですよね。育児・介護休業法には努力義務しか書かれておらず罰則規定がなかったため、育休を取得する男性は1%以下しかいませんでした。

田原 法的拘束力がないことには徹底されていかないんですね。ただ、ようやく男性も家事や育児に参加するようになりました。

矢田 女性活躍が進むなかで、育児・家事を含めた女性の負担がとても重くなっていますからね。たとえば、OECD(経済協力開発機構)が2014年に公表した調査によると、日本の女性の平均睡眠時間は7時間36分と最も短いことがわかりました。最も長いスウェーデンは9時間以上あり、日本とは1時間半も差があります。

田原 6歳未満の子どもを持つ日本の世帯が家事に費やす時間は、夫が毎日平均1時間54分なのに対して、妻は7時間28分だそうです。(2021年のデータ、総務省「社会生活基本調査」)

矢田 いま日本の女性は働きながら育児も家事も全部担っているわけです。私も夫があちこちで単身赴任をしていたため、完全ワンオペの子育てを体験しました。保育園に子どもを預けてから昼間働き、子どもを迎えに行ってから子どもの世話も家事も全部こなすわけです。「こんなに辛くては無理やわ」と仕事をリタイアしてしまう女性がいるのも当然でしょう。

 それで短時間勤務制度など、いろいろな制度・仕組みがつくられるようになり、ようやく男性の育休取得率が伸びてきました。いま取得率が30.1%まできていて、政府は2030年までに女性と同等の85%までもっていこうとしています。

なぜ長時間労働が減らないのか

田原 僕はいま91歳ですが、40、50代のころは「男はとにかく働くんだ」という雰囲気がありました。いまは「男も働きすぎてはいけない」がスタンダードですね。何が変わったのでしょうか。

矢田 特に大きかったのが、2015年に起きた電通の新入社員の女性が過労の末に自死した事件です。この事件を経て18年に働き方改革関連法案が成立し、時間外労働時間の上限規制などが設けられることになりました。

 ただ、労働組合は30年前から「年間総実労働時間1800時間」と訴えてきたものの、正社員の多くは今も年間2000時間以上働いています。

田原 すると、今でも女性が男性と同等の働き方をすると、家事育児込みで大変な負担を強いられかねませんね。

矢田 私も補佐官時代に「もう少し法規制を強めたほうがいい」と主張しました。働き方改革関連法案によって、勤務終了後から次の勤務開始までに11時間の猶予を設ける「勤務間インターバル制度」が始まりました。ただ、これも努力義務だけで罰則がないため、導入した企業はわずか約6%です。

田原 ようするに男性の社員や経営者に反対する人が多いんじゃないでしょうか。長時間労働のほうが良いって。

矢田 1989年に「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのキャッチコピーが流行語になりました。当時あった「長時間働くことが会社に対する奉仕精神と忠誠心の表れだ」という文化が未だに残っているのかもしれません。

田原 なるほど。僕はもっと素朴に「男は働くべきだ」「長く働いたほうが満たされる」みたいな感情的な要素があるように思います。

女性をデジタル人材に 官民連携の団体

田原 7月7日、矢田さんが発起人となって「官民連携DX女性活躍コンソーシアム」が発足しました。SAPなどのIT企業や、スタートアップ企業と連携し、女性のデジタル人材育成とDX化(デジタル技術による業務変革)を進める取り組みだそうですね。どうしてこれを始めたんですか。

矢田 補佐官の時より、労働市場において、デジタル人材の不足と男女の賃金格差が大きな課題と考えてきました。その対策の一助となる取り組みを行いたいと始めたのがこのコンソーシアムです。

 たとえば、いまの大学進学率は男女でほとんど変わりませんが、配偶者がいる大卒女性(35〜44歳)の年収は、200万円未満が36%を占め、同じ条件の男性よりもはるかに多いんです(男性は2%)。優秀な女性がその能力を生かしていない現状はあまりにもったいない。まさに「眠れる資産」です。

 そこで私は石破茂首相に「短時間正社員制度」の導入などを提案しました。「短時間イコール非正規労働」という考え方自体が間違っています、と。首相は「やりましょう」と言っていました。

田原 つまり、従来の男性社員のように長時間働かなくても、正社員として働ける制度ですね。

矢田 そうです。正社員として雇用し、賃金も社会保険料もきちんと支払う。育児中、介護中の社員は1時間なり2時間なり、自分で勤務時間を設定して、そのなかで成果をアウトプットする。そして業務時間ではなく成果物で仕事を評価するわけです。

 この「時間管理から成果管理へ」という転換のトリガー(引き金)になるのがデジタル化とDX推進というわけです。

女性活躍と地方創生を大きく進める

田原 もう少し訊きたい。デジタル技術でどうやって女性の雇用を生み出していくのですか。

矢田 日本はデジタル分野で働く人が新たに230万人も必要になるとも推定されます。デジタル人材の育成が急務であり、そこで働きたくても働けない「310万人の女性」に注目したんです。

 じつは沖縄県糸満市や長野県佐久市では、すでに「でじたる女子プロジェクト」(女性DX人材育成・就労支援事業)が始まっています。政府の補助金を利用して、スタートアップ企業に研修を行ってもらい、応募者は自宅でオンライン授業を160時間程度受け、修了後に認定資格を取得します。希望すれば東京の大手IT企業などから在宅勤務できるIT関連の仕事を請け負うことが可能となる、という取り組みです。

 これによって、あるスタートアップ企業では、デジタルの仕事に長けた女性人材が、3000人規模で育ってきました。なかには、仕事を請け負うだけでなく、自ら起業したり、地域の中小企業に在宅のデジタル人材として就職したりするなど、プロジェクトから「独立」して仕事をする人たちもたくさん出てきました。

 こうした一連の動きを、官民連携で組織として支援できれば、「女性活躍」も「地方創生」も大きく進んでいくのではないかと考えています。各地方の大学やNPO、地場の企業など地域のステークホルダーとも連携し、女性のデジタル人材の育成と就労支援をしていきたいと考えています。

田原 「官民連携DX女性活躍コンソーシアム」は発足したばかりですが、何年後を目標に女性のデジタル人材を育成しますか。

矢田 詳細な目標は体制を整えてからになりますが、生成AIの活用など、DXはさらに加速度的に進化しますので、まずは5年をメドに目標数値を置いて取り組みたいと思っています。

田原 体制を整えるよりも、まずはコンソーシアムの発足を早急に発表しようとしたんですね。

矢田 そうです。いま参加しているのは小さなスタートアップ企業がほとんどですが、大きな企業からのオファーもきています。発足をアピールすることで、さらに多くの企業やNPOを糾合していきたいと思います。

田原 それにしても、矢田さんのキャリアは自由自在ですね。高卒で松下電器に入社して、社内改革を進めたあと労組の委員になり、国会議員へ。選挙で敗れた後、総理補佐官として官邸に飛び込んで、退任したらすぐに官民連携の取り組みを起こすわけですから。

矢田 よく「"やたわか"は人生の山谷(やまたに)がすごいね」と言われます。(笑)

田原 だからおもしろい発想がどんどん生まれるんでしょう。眠れる女性の人材が活躍できるよう心から応援しています。


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前内閣総理大臣補佐官
矢田稚子(やた・わかこ)
1984年に松下電器産業(現・パナソニック)に入社。2000年より、同労働組合中央執行委員に就任。以降、パナソニックグループ労働組合連合会副中央執行委員長、電機連合男女平等政策委員長を歴任。16年に参議院議員に当選し、22年任期満了。23年9月から25年3月まで内閣総理大臣補佐官を務める。


ジャーナリスト
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て独立。「朝まで生テレビ!」「激論! クロスファイア」に出演中。『日本を変える! 若手論客20の提言』(小社刊)ほか、著書多数