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「生活保護バッシング」はいつかあなたの生存権を脅かす

最高裁が下した「生活保護費引き下げ」の違法判決から日本社会の課題について考える
(月刊『潮』2025年10月号より転載)

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生活保護支給額の引き下げは違法

 今年6月に最高裁判所は、国が2013年から生活保護の支給額を段階的に引き下げたことを違法とする判決を下しました。

 厚生労働省は2013年から3年間にわたって、物価の下落などを理由に生活保護支給額を最大で10%引き下げており、これまでに全国各地の受給者が取り消しを求める訴えを30件あまり起こしていました。高等裁判所の判断では、これまでに違法とする判決が7件、違法ではないとする判決が5件、それぞれ下されていましたが、今般の最高裁の判決によって統一的な判断が示された形になります。

 これは、憲法にも定められている生存権の観点から至極真っ当な判決です。その上で、本稿ではまず、国が生活保護の支給額を引き下げるに至った経緯を振り返っておきたいと思います。

 2008年に起きたリーマン・ショックによって、日本でも非正規雇用の人々が失業し、とりわけ若者の貧困がかなり増えました。したがって、2009年に民主党政権になって以降は、若者を中心に生活保護受給者が増えます。最低限の生活を保障するのは、生存権の観点で重要なことですので、生活困窮者に対して生活保護を支給することは何も問題ではありません。

 ところが、政権を取り返すことを重視した自民党は、民主党政権に対する政策評価として生活保護受給者が急増したことを指摘し、2012年末の総選挙で生活保護基準額の10%引き下げを公約に掲げました。背景には財務省からの財源に関するプレッシャーもあったと思いますが、自民党はこの問題を政争の具として「福祉から労働へ」といった方向性を打ち出し、「生活保護は恥だ」「働かずに受給して生活するなんてズルい」といった"生活保護バッシング"を助長したのです。

 もちろん「福祉から労働へ」といったメッセージは一理あるものの、当時は働きたくても働けない状況の人が多数いました。その現状に真正面から向き合わず、生活保護受給者をスケープゴート(生贄)としてしまったのです。そして、先述の公約を掲げた自民党が選挙に勝ったため、厚生労働省としてはそれに合わせた政策をつくらざるを得なかったのでしょう。実際に引き下げが行われた当時の受給者は、およそ200万人に上ります。

 先ごろの参議院選挙では、在日外国人をスケープゴートとして躍進した政党がありましたが、社会的弱者を標的とする点では、当時の自民党がその先駆けだったとも言えます。

専門的な知識と整合性を欠いた判断

 先般の最高裁判決において、第三小法廷の宇賀克也裁判長は「厚生労働大臣の判断には専門的な知識と整合性を欠くところがあり、その手続きは誤りで、違法だった」と指摘しています。「専門的な知識と整合性を欠く」という部分については、具体的には厚労省の有識者会議である「生活保護基準部会」において検討が行われたわけですが、政治主導によって専門家の意見は聞き入れられなかったのです。

 そのひとつの証左として、部会長代理を務めた日本女子大学の岩田正美名誉教授は、裁判で原告側の証人として、基準額の引き下げを容認していない旨を証言されました。政府の決定を支えた有識者会議の委員が、国を相手取った裁判で原告側の証人になるのは異例のことです。きっと、専門家としての矜持がそうさせたのでしょう。

 政府の側は、政権与党の公約である以上は、専門家が何を言おうと、無茶苦茶な論理であったとしても、引き下げるしかなかったのだと思います。ただし、その実態は、生存権の不当な抑圧と言われても仕方がないものでした。

 今回の最高裁判決は、国が生活保護受給者の生存権を保障していなかったことを認めたものです。それにもかかわらず、厚労大臣は、専門家の会議を設けて今後のあり方を検討する方針を打ち出しただけで、本稿執筆時(8月15日時点)では原告らに謝罪をしていません。

 専門家による検討は当然進めていただくものとして、まずは原告らと誠実に向き合い、国として謝罪をするべきです。

生活保護の捕捉率はたった2割程度

 自民党はいまなお生活保護が持つ生存権保障の意味をよく理解していない面があります。また、『潮』の読者や公明党支持者は別として、多くの一般の人々も生活保護のことをよく理解できていない人が少なくありません。ここでは、制度の意義や課題について確認していきたいと思います。

 多くの人は、生活保護を「困っている人を助ける制度」と思っているはずです。もちろん、それも生活保護の機能ではあるのですが、あくまで一側面に過ぎません。では、その根本的な機能は何かというと、ある地域で暮らす際の生活水準とそれにかかるお金の基準を示すことなのです。

 先進諸国では、さまざまな方法でその基準が定められており、日本も専門家を中心にして1カ月にどのくらいのお金を使えれば人間らしい暮らしができるのかという基準を理論的に定めています。したがって、生存権の観点からすれば、それが賃金だろうが、年金だろうが、生活保護だろうが、人間らしい暮らしができるということが最重要事項なのです。

 他方、生活保護にはナショナル・ミニマムとしての機能も備わっています。ナショナル・ミニマムとは、国が国民に対して保障する最低限度の生活水準のことです。これには生活保護以外に、最低賃金や正社員の給与、納税額の算定上限などが含まれます。

 このナショナル・ミニマムの観点からすると、生活保護の基準額を引き下げるというのは、国民の暮らしを豊かにするどころか、貧しくしてしまう施策です。生存権の最低基準を引き下げてしまえば、地盤沈下が起きてしまい、果ては賃金も上がりにくい社会になり、中間層の暮らしも下降してしまうわけです。むしろ、生活保護の基準額が上がったほうが、賃金なども上げていこうという流れになっていきます。

 生活保護といえば不正受給ばかりに衆目が集まりますが、不正をするごく一部の人々を糾弾するよりも、年金や賃金などのナショナル・ミニマムを上げるために、国民として連帯したほうが、暮らしはよくなるはずです。そもそも、2021年の厚労省のデータでは、不正受給の割合は金額ベースでみると、たった0.3%しかないのです。

 課題としては、やはり生活保護バッシングへの対策が挙げられます。「不正受給なのではないか」といった疑念が蔓延すると、本当に必要な人々が保障を受けられなくなってしまいます。実際に、生活保護の捕捉率(給付対象となる資格がある人のうち、実際に生活保護を受けている人の割合)は低く、2割程度となっています。

 捕捉率の低さは悪循環を生み出します。本来は受給すべき人が受け取らないことで「自分は生涯年金だけで暮らしているのに」「私はアルバイトだけで頑張っているのに」といった負の感情が生まれ、さらなる生活保護バッシングにつながってしまうのです。苦しい立場にいる人が、他者をたたくことほど悲惨な状況はありません。そして、我慢して暮らしている人たちの不満や鬱憤が、また政治利用されてしまいかねないのです。

 特にシングルマザーの世帯は深刻で、例えば東京都内で子どもが2人いる方で手取りが18万円くらいだと、生活保護の受給資格に該当するケースがよくあります。そうした人は基準額に足りない分だけ、受給すればいいわけです。働いていても対象に該当する場合は不足分を受給できることはもっと知られてよいと思います。

お金ではなくサービスを配る

 各党の社会保障に関する政策を見比べたところ、公明党のそれは至極真っ当です。その点、7月の参院選において社会全体で支え合うことを目指した政党が議席を減らしたことは非常に残念でした。

 社会保障に関しては、例えば現役世代の手取りを増やせば、高齢者の医療費などを削らなければならないといった議論になりがちです。仮に高齢者の医療費や社会保障費が削られれば、結果的に子どもが仕送りなどをして負担する必要が出てきたりするわけで、一部の利益を追求すれば必ず歪みが出てしまいます。ゆえに、公明党が掲げ、推し進めている全世代型社会保障が重要になるわけです。財源に関しては、大企業の富裕層に課税するべきと考える政党もあれば、消費税を増税するべきと考える政党もあります。それは今後、しっかりと議論を進めていくべきだと思います。

 私はお金を配るベーシック・インカムではなく、医療・介護・保育・教育・住宅などを低負担化・無償化するベーシック・サービスが必要だと考えています。これまで特に見落とされてきたのは住宅です。住宅を商品にすることなく、低賃金・低年金でも暮らせる仕組みにしなければなりません。

 公明党はかねてより教育の無償化を着々と前に進めてくれています。住宅の低負担化・無償化も、ぜひ推進していただきたいと思います。

政治家は問題に真正面から向き合え

「貧すれば鈍する」との言葉のとおり、人は貧困に陥ると正常な判断ができなくなります。政治家には、スケープゴートをつくって貧しい人々の心理に訴えかけるような醜悪な政治手法を取らずに、真正面から問題に向き合っていただきたい。まともな政治家が増えることを願っています。

 そのためにも、公明党には全世代型の社会保障には意義があるということを、引き続き粘り強く訴えていただきたいと思います。支持を得られるときもあれば、得られないときもある。私自身も諦めずに共に行動していきます。

 人々は生活苦によって不安を抱え、政治家が極端な主張で人々を煽り立てる。慶應義塾大学の井手英策教授は、そんな状況を"緩やかなファシズム"と指摘されておりましたが、私も同感です。私たちの社会は戦前のドイツのようになってしまってはいけません。

 先の参院選で危うかったのは、社会保険料や税金を減らすことが是(ぜ)とされてしまった点です。それらを減らせば、医療や介護を必要とする人々の負担が増えますし、サービスの質が下がってしまいます。あるいは、医師や看護師、介護士、保育士などのエッセンシャル・ワーカーの給料も下がってしまう。現時点で日本のエッセンシャル・ワーカーの給料は、欧米各国に比べて低いので、むしろ上げていかなければいけません。

 社会保険料や税金に関しては、いまのところ自公が踏ん張っています。また、既存政党にも立法能力の高さなど、評価できる点はあります。一時の風に惑わされることなく、有権者の皆さまにはどうか正視眼で政治を見てほしいと願っています。


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特定非営利活動法人ほっとプラス理事
藤田孝典(ふじた・たかのり)
1982年茨城県生まれ。反貧困ネットワーク埼玉代表などを務め、ホームレスや生活困窮者支援の活動に従事する。社会福祉士。聖学院大学客員准教授。著書に『貧困クライシス』(毎日新聞出版)、『脱・下流老人』(NHK出版)など多数。