朝日の中で新聞を開く風景──「核家族的抒情」とノスタルジー
2025/09/26フランス文学者・鹿島茂が、すでに失われてしまったかもしれない「核家族的叙情」を振り返り、21世紀的な光を当てることを試みる新連載「あの頃、心を潤す詩と」
第1回は丸山薫の「朝」を題材に、戦後の朝食風景に見る〈核家族的叙情〉と現在に至る家族の変容を解説します。
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もう18年も前になりますが、私たち団塊の世代(1947─49年生まれ)が中学生のとき(つまり昭和30年代後半)に読んだ国語教科書の詩を集めて、アンソロジーを編んだことがあります。『あの頃、あの詩を』(文春新書)というタイトルでした。
編者が国語教科書の詩に込めた、平和の願いと、核家族の抒情の尊さ
編纂の動機については要約すれば次のようになります。
①昭和30年代の国語教科書の実際の編者たちは大正生まれで、団塊世代の親の世代だった。青春期が十五年戦争と重なったこともあり、彼らが選んだ詩は親から子へのメッセージの代わりとなるものだった。
②選ばれた詩は、編者の世代が親しんでいた詩誌『四季』の同人、すなわち丸山薫、千家元麿、山村暮鳥、大木実、田中冬二、河井酔茗らの作品が多かった。
③では、編者たちは彼らの作品に何を見出だし、何を子世代である団塊の世代に伝えたかったのかというと、それは「二度と戦争をしてはならない」というメッセージであることはもちろんだが、さらに突き詰めていえば、核家族(父・母・子供)の生活感情がこの世で最も大切なものと捉えられていたことである。言い換えると、十五年戦争に青春を奪われた編者たちにとって核家族的な抒情こそが至高の価値を持つものであり、その価値観を後続世代に伝えたかったということになる。
さて、いきなり理屈っぽくなってしまいましたが、私がこの連載で試みようとするのは、もしかするとすでに失われてしまったかもしれないこの「核家族的抒情」を作品の中から抽出し、それに改めて21世紀的な光を当ててみることです。果たして、「核家族的抒情」はもう古臭くて捨ててしまっていいものなのか、それとも21世紀的にブラッシュ・アップしてもう一度価値を見出すべきものなのか、その点を考えてみたいと思います。
というわけで、最初に四季派の代表的詩人・丸山薫の「朝」をとりあげてみましょう。
朝
丸山 薫
お父さんが新聞をひらくと
新聞紙いつぱいに
ぱつと朝日が射した
朝日の中で
刷りたての活字の匂いがする
活字の匂いはいいな
ぼくにはよく言えないが
ジヤムのような
パンのような
食べたくなる匂いだ
―――『青い黒板』より
新興の都市生活者が読む"新聞"は、文化と知性と経済力の象徴だった
まずいえることは、この「朝」という詩の登場人物は語り手の「ぼく」と「お父さん」の二人だということです。お母さんはどこにいるかといえば、台所で朝食の支度をしているにちがいありません。たぶん、この家庭には伝統的な日本の家庭のような「お爺さん」や「お婆さん」はいないのでしょう。
大正期に上京して学歴を得た地方出身の次男・三男である「お父さん」が大都市で就職して結婚し、「お母さん」とともにつくりあげた昭和の核家族の「朝」のイメージといってさしつかえないと思います。少しモダンな家庭なら、ぼくとお父さんは「テーブル」で朝ごはんを食べていたことでしょう。
しかしこの風景の中で中心になっているのはテーブルではなく、そこでお父さんが開こうとしている「新聞」です。
「お父さんが新聞をひらくと
新聞紙いつぱいに
ぱつと 朝日が射した」
朝の光が当たって強調されている「新聞」はこの核家族の経済的・文化的ステータスの記号となっているのです。
文化史家によれば、日本で新聞が一般家庭で定期購読されるようになったのは明治20年代からだといわれています。日清戦争を契機に「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」が拡販競争を開始したことがきっかけとなりました。その拡販の原動力となったのが広告の導入です。それまで定期購読料の高さゆえに一部の特権階級しか読むことのできなかった新聞は、フランスの新聞王ジラルダンが発明した「広告導入→定期購読料の引き下げ→定期購読者の増加→さらなる広告収入の増加→さらなる定期購読料の引き下げ→さらなる定期購読者の増加」というスパイラルによって、一般家庭にも入り込むようになりました。
しかし、いくら新聞の定期購読料が下がっても、それを読む購読者のリテラシー(文化的読み書き能力)が低ければ、それほどに部数拡大につながることはなかったでしょう。大きかったのは、明治32年から連続的に発せられた中学校令、高等女学校令、専門学校令、大学令などの教育関連法案によって日本の教育の裾野が一気に拡大したことです。教育の普及により日本人のリテラシーは飛躍的に高まり、新聞の発行部数の拡大の下支えとなりました。
つまり、この「朝」という詩で「お父さん」が朝に食卓で新聞を開くとそこに朝日が当たるという家庭情景は、大正・昭和期に確立された比較的新しい習慣にすぎないのですが、逆にいうと、「新聞」は学歴の獲得によって階級上昇を遂げようとする新興市民階級の精神(ガイスト)の象徴として、核家族の朝の食卓に現れたのです。
ですから、朝に「新聞」を開く「お父さん」を見つめる「ぼく」の気持ちには、文化とインテリジェンスと経済力を兼ね備えた若くてたくましい父親に対する誇らしさのようなものが感じられます。
新聞の活字・パン・ジャムの匂いは、新しい"核家族"の朝食風景を表していた
そうした誇らしさは、まだ新聞を読む年齢には達していない「ぼく」にとっては、新聞が発する文化的な「匂い」として感知されています。
「朝日の中で
刷りたての活字の匂いがする」
正確には「刷りたての活字の」インクの匂いが新聞紙の匂いとまじりあったあの独特の匂いですが、それが
「ジヤムのような
パンのような
食べたくなる匂いだ」
と感じられるとしたところにこの詩の新しさがあります。というのも、「刷りたての活字の匂い」の比喩として挙げられた「パン」や「ジヤム」もまた新興の核家族が生活の中にもたらした新しい食文化だからです。
それまで、日本人の朝食の基本は「みそ汁」に「納豆」と「ご飯」、それに、せいぜい前夜の残りものの魚でした。この事実を踏まえると、「ぼく」が「刷りたての活字の匂い」を譬えるのに「パン」や「ジヤム」を挙げているのは注目に値いします。
「ぼく」を中心とするこの家族が新興の都市生活者、それも核家族であることの紛れもない証拠となっているからです。
時が過ぎ、家族の朝の風景はスマホの無臭の画面に変わっていく
さて、以上の解説を踏まえたうえで、「朝」をもう一度読み返してみるとどうなるでしょう。
今度は、不思議なことに、過去が夢見た理想の未来がすでに過去となり、潰え去ろうとしていることに対する、ある種の哀惜の感情のようなものが湧いてくるのではないでしょうか?
なぜなら、21世紀の日本人の若い核家族の朝の風景には「お父さん」が誇らしげに開く「新聞」はもうありませんし、また「ジヤムのような」「パンのような」活字の匂いもありません。あるのは、「お父さん」も「お母さん」もそして「ぼく」も起きると同時に、それぞれ勝手に眺め始めるスマホの無臭の画面だけです。
そう、「朝日の中で」「刷りたての活字の匂いがする」とされたあの「新聞」はいまや私たちの記憶の中にしか存在しないノスタルジーになりつつあるのですが、だからといって、「新聞」が象徴していた核家族の生活感情を過去のものとして葬り、忘れさってしまうわけにはいかないような気もします。なぜなら、それは、現実には存在しなくなっても、「かくあるべきもの」としてわれわれ日本人の無意識をいまだに成り立たせている共同幻想であり、結局のところ、21世紀の今日(こんにち)でも、それを外したらわれわれが拠って立つべき原点はないように思えるからなのです。
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元明治大学国際日本学部教授
鹿島茂(かしま・しげる)
専門は19世紀フランス文学。1949年神奈川県横浜市生まれ。73年東京大学仏文科卒業。78年同大学大学院人文科学研究科博士課程 単位習得満期退学。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞、その他、数多くの賞を受賞。2022年に共同書店「PASSAGE」を神田神保町に開設。著書に『最強の女』、『渋沢栄一』、『幸福の条件 新道徳論』など多数。