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人はなぜ"書かずにはいられない"のでしょうか

人はなぜ〈書かずにはいられない〉のか――俳優・作家の中江有里と芥川賞作家・上田岳弘が、手紙やメールに宿る深い対話、欠落が創作を促す「不在」の力、SNS時代における言葉の居場所を語り合う。
(月刊『潮』2025年11月号より転載)

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自分ならここはこう書くのに

中江 上田さんが自分で文章というものを意識して書き始めたのは、いつ頃ですか。

上田 最初に小説を書こうと思ったのは、おそらく中学生くらいだと思います。でも結局、作品らしきものは書けませんでした。

中江 好きな作家や作品と出会ったなど、書きたいと思うきっかけがあったのですか。

上田 ぼくは四人きょうだいの末っ子で、割と早い時期から自分の仕事を持って、家から独立しなくてはならないといった自覚があったんです。ちょうどその頃、テレビ番組で本の週間ランキングが発表されたりしていて、本がけっこう売れていたんです。

 我が家は家族が多い分、家に本がたくさんありました。家にある本を読んでいるうちに、これくらいなら自分でも書けるんじゃないかと思ったんです。(笑)

中江 私も幼い時から活字中毒で、文章を書くことも好きでした。中学時代にテレビドラマをよく見るようになると、脚本を書いてみたいと思うようになりました。

上田 ぼくは国語の教科書に載っている小説にライバル意識を持っていましたね。芥川龍之介の『トロッコ』を読んで「自分ならここはこう書くのに」なんて生意気なことを考えていました。

中江 わかります(笑)。私にも本を読んでいて、「自分だったらここはこう書きたい」といった意識がありましたね。私は高校生の時に芸能界デビューして、ドラマや映画の仕事をするようになりました。脚本をもらって読むと、「ここはもっとこういうセリフのほうがいいんじゃないかな」なんて思うようになりました。ただ自分で脚本を書くようになった今は、そんな風には思いません。たとえセリフに違和感を抱いても、「自分が演技を深めれば、このセリフでしっくりくるのかもしれない」と思うようになりました。

書きたい思いだけでは書けない

上田 ぼくは3年ほど前に、高橋一生さんの一人舞台の脚本を書きました。その時、演じる側のリアリティーと、書き手のリアリティーには若干のズレがあることを感じました。だからぼくの場合、演者からのフィードバックがあるとありがたいですね。中江さんは両方のリアリティーを知っているので問題ないでしょうけど……。

中江 確かに私にとって書くことと演じることは、それほど差がない、同じ作業のような気がします。ただ演技というか肉体は、自分が頭で考えたことや心のありようを裏切っていくところがあります。その場の共演者との関係のなかで、自分が想定もしていなかった演技になることがあるんです。だから演じることのリアリティーというものは、自分でも正直よくわからないところがあります。

上田 小説のリアリティーも、肉体と無縁ではありません。毎日、何時から何時までと時間を決めて、ランニングでもするように執筆をしたほうが、きちんと作品ができあがる面もあります。締切もないなかで観念的に頭だけで考えても、なかなか執筆は進みません。

中江 文章というものは、書きたいという思いだけでは書けないものですよね。私は中学生の頃から何か書きたいとの思いはあったのですが、なかなか書けませんでした。最初に作品らしきものが書けたのは20代の終わりになってから。書こうと思ってから13年ほどかかり、ようやくラジオドラマの脚本を書くことができたんです。

自分を見つめ吐露する手紙

上田 そもそも脚本家や小説家を目指していた中江さんが、俳優になられたのは、何故なんですか。

中江 たまたまスカウトされたからなんです。ただもともと創作をしたいという夢があったので、東京の事務所から誘われて、今いる場所から抜け出して夢を追いかけるチャンスだと思いました。俳優をしていれば、いつか自分の脚本を書ける機会もあるかもしれないとの思いもありました。むしろその夢が、俳優業を続けるモチベーションでした。

 ただ脚本を書くようになると、俳優業を長年やってきたことは強みになりました。台本のセリフをどう受け止めるかなど、演じ手の気持ちがよくわかるからです。

上田 なるほど。ところで中江さんの文庫の新作『水の月』は、幼くして離ればなれになった姉妹の手紙とメールのやり取りだけで構成される小説です。ぼくはこの作品を読んで、人はなぜメールや手紙、小説といった文章をわざわざ書くのだろう、といったことを考え、解説にもそのような内容のことを書かせていただきました。

中江 私は宮本輝さんの『錦繡』や三浦しをんさんの『ののはな通信』など、手紙をモチーフにしたり、書簡形式で物語が進んだりする小説が好きでした。そこで今回、この作品で挑戦してみたんです。実際に書いてみて、手紙やメールというものは、相手のために書いているようで、結局は自分の内面を見つめ、吐露しているものであることに気づきました。そのことを指摘している上田さんの解説を読んで、見透かされているなと思いました。(笑)

上田 そこが書簡体小説の面白さですからね。手紙やメールなどの文章は、面と向かっては言えないこと、聞けないことも伝えることができます。よってメールや手紙のほうが実際に会って話すより、深い対話ができることもあります。

不在感こそが創作を誘う

中江 とくにこの作品の姉妹は家族でありながら、親の離婚によって長い間、離れて暮らしています。家族としての時間を過ごしておらず、相手のことをよく知らない。相手のことを知りたいからこそ、自分のことも語らなくてはならない。自分で言うのもなんですが、自分のことを吐露しやすい設定だと思いました。(笑)

上田 この小説は不在と存在という表裏一体のものがテーマになっています。この姉妹は街中で家族連れを見かける度に、本当だったら隣にいたかもしれない姉妹の存在を意識したはずです。二人はそれぞれ不在としてあり続けていたからこそ、何十年ぶりにつながった後、何度もメールのやり取りをすることになる。不在だった相手に出会ってしまった以上、不在の答えあわせをしなくてはならないのです。そこがこの作品を駆動させていくエンジンになっています。

中江 私は上田さんが解説で書かれていた「不在だった存在が自分の一部にすらなっている」との言葉にドキッとしました。私も両親が離婚していて、実の父とは長年、会っていません。でも不在だけど、自分の一部として存在しているという感覚は、ずっと持っていました。

上田 不在の存在を思うことは、自分のなかの大事な部分を引き出すきっかけになるのではないかと思います。本来ならあったはずのもの、求めていたものがない。そのような不在感は、ぼくにもあります。むしろそれこそが、ぼくを創作に向かわせている気がします。

欠落があるから人は文章を書く

中江 やはり何か欠落しているものがないと、人はわざわざ文章を書こうとは思わないですよね。私は記憶を言語化すること、文章化することも大事なことだと思っています。実は『水の月』の姉妹の母親は、私の母をモデルにしています。

 私の母のがんが発覚した時、私は混乱し、冷静にならなくてはと思い、母の病気のことを文章にしようと考えたんです。そんな時、この小説の依頼をいただき、この作品で母のことを書くことにしました。ただ、今この作品を読み返すと、あんなにつらい出来事だったのに、細かなことを忘れていることが多くて驚きます。

上田 ぼくも小説を通してものごとを記録しておきたいとの思いがあって、『旅のない』というコロナ禍の出来事を、書き方としては日記のように綴った短編集を書きました。その作品をあらためて読んで、ぼくも人間というものは、つくづく忘れるものだと思いましたね。

中江 私は母の病気について書くことで、つらい気持ちを吐き出したいとの気持ちもありました。文章として吐き出さないと、不安や恐怖といった感情に、自分が呑み込まれそうな気がしたんです。文章にすることで母の病気を客観的に、俯瞰したかったんです。

上田 そんな風に自分を救済するために小説を書く作家は少なくないと思います。

中江 そんな一人に、『いのちの初夜』を書いた北條民雄がいます。彼はハンセン病を患い、施設に隔離されていました。彼の作品には不治の病にかかった絶望のなかで、わずかな希望を見出していこうとする心の逡巡が見事に描かれています。

 作家になる前の北條は川端康成に、自分の作品を読んでほしいと手紙を送ります。川端は忙しい人なので、すぐには返信できません。北條は不安になって、何度も手紙を出しました。そのかいあって、最終的に川端が北條の作品のすごさを認め、彼の作品は世に出るのです。

上田 手紙が一人の偉大な作家を生み出したわけですね。

SNS時代のメールの意味

中江 上田さんは手紙やメールで、誰かと深いやり取りをした経験はありますか。

上田 学生の頃は友人と熱いメールのやり取りをしていた時期もあります。でも年を取ってくると、だんだんそのようなことは恥ずかしくなってきますね。プロの作家となってからは書きたい欲求が満たされているため、プライベートで深い手紙やメールを書く機会はすっかり減りました。

中江 最近はLINEなどでの短いメッセージのやり取りが主流ですよね。『水の月』を書きながら、今どきこんな長いメールのやり取りをする人間なんていないだろうと自分でつっこんでいましたが(笑)、これくらいの長さがないとやはりこの物語は進まない。あくまで創作ですしね。

上田 LINEやSNSの時代だからこそ、逆に手紙や長文のメールが文学として成立する側面もあると思います。

中江 今は誰とでもすぐにLINEを交換してつながれるようになったけど、その後、まったく連絡しないアカウントも多いですよね。人間関係は以前より、浅くなった気がします。『水の月』のような長いメールをやり取りする深い関係性は、なかなか築けません。

上田 SNSが人々の生きづらさや無力感を加速させている面は確実にあると思います。だからこそ、手紙や長いメールによる深いコミュニケーションが見直されるべきだとも思います。

依頼がないのに書くのは難しい

中江 上田さんは『水の月』の文庫の解説で、発表するあてがあるわけでもない新人賞応募作を書いていた時の心境を綴られています。私も最初の脚本は、本当に形になるのかどうか、さっぱりわからないまま書いていました。

上田 デビュー作は基本的に、何の依頼もない状態で書くものです。依頼がないものを書くことは、実はすごく難しいものです。

中江 普通の仕事は依頼されてから行うものですからね。小説は手順通りに作業をすればできあがるものではないし、ものすごく労力も時間もかかります。精神的な負担も大きい。誰でも挑戦はできるけど、一つの作品を完成させることは本当に難しい。それが本となり、人々に読んでもらえることは、ほとんど奇跡に近いと思います。

上田 ぼくは今小説の新人賞の選考委員も行っているのですが、その賞には毎回、3000作品ほどの応募があります。そのなかから賞に選ばれるのは至難の業です。落選するのが普通です。落選し続けても書き続けられる人しか、作家にはなれません。

中江 上田さんは何回くらい新人賞に応募されたのですか。

上田 8回から10回くらいだったと思います。

中江 小説を書き続けるモチベーションは、どこから生まれていたのですか。

上田 若さゆえの勘違いかもしれませんが、自分は絶対に作家にならなくてはいけないとの妙な使命感がありました。(笑)

書くことで癒される

中江 私の場合、文章による創作は子どもの頃からの夢でしたが、俳優をしていた私に誰もそんなことを期待していません。それでも書きたい、書かざるをえなかったんですね。

上田 ぼくも文筆業以外にも収入を得る仕事は他にあるのですが、書きたい、書かずにいられないといった思いは今もあります。

中江 先ほど北條民雄の話をしましたが、私も文章を書くことで癒されることは多いです。たとえば母親が亡な くなった後、「今、なくなっているもの」をテーマにエッセーを依頼されました。

 ちょうどそんな時、母の再婚相手である現在の父から、ロケットペンダントを作って欲しいと言われたんです。母の写真を入れて肌身離さず身につけていたいからと。そのことを題材にエッセーを書きながら、父がこんなに母のことを愛していたのかと嬉しくなり、母を亡くした悲しみから癒されました。

上田 よくわかります。ただぼくは最近、創作活動は自己治癒の行為であるいっぽう、自傷行為でもあると感じることが増えました。

中江 小説を書くことは、自分の内面をえぐるようなところがありますからね。私も『水の月』を書いていて、自分のなかの触れたくない部分を掘り下げていかざるをえず、つらい時期もありました。

上田 そこは気をつけなくてはならないと思います。ぼくも小説を書いていて、たまにすごく疲労することがあります。そんな時は、自傷行為のほうが増えているんだなと思い、バランスを取るよう心がけています。

中江 自分を傷つけながらも、同時に癒していかないといけないわけですね。

上田 そのような行為によってできあがったワクチンを読者に届けることこそが、ものを書くということなのではないか。最近、そう思うようになりました。

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親の離婚によって離ればなれになった姉妹が30年の時を経て心を通わせようとする。途切れた時間は再びつながるのか。
「私たちは、ふと空を見上げればそこに在る月にでも話しかけるようなつもりで、まるで鈍化された祈りのように、言葉をつづるのかもしれない。あるいは最後にはそんな境地に戻っていくために、人生はあるのかもしれない。本書を読ん、そんなことを思った。」

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俳優・作家・歌手
中江有里(なかえ・ゆり)
大阪府生まれ。法政大学卒業。1989年、芸能界デビューし、多くのTVドラマ、映画に出演。2002年、「納豆ウドン」で第23回NHK大阪ラジオドラマ脚本懸賞最高賞受賞。文化庁文化審議会委員。19年に歌手活動を再開。著書に『残りものには、過去がある』『愛するということは』など。


作家
上田岳弘(うえだ・たかひろ)
兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。2013年、「太陽」で新潮新人賞を受賞しデビュー。15年、「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞を受賞。18年、『塔と重力』で第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞、19年、「ニム
ロッド」で第160回芥川龍之介賞、22年、「旅のない」で第46回川端康成文学賞、24年、『最愛の』で第30回島清恋愛文学賞を受賞。