直木賞作家・西條奈加さんが描く江戸の痛快時代劇『姥玉みっつ』(潮出版社刊)がこのたび文庫化! 発売たちまち大重版が決定するなど、好評を博しています。本書の刊行を記念して、西條奈加さんが俳優の高島礼子さんと本書の魅力について語った対談を期間限定公開します。
(月刊『潮』2022年1月号に掲載された対談を一部抜粋して転載)
『姥玉みっつ』に込めた思い
高島 『パンプキン』で連載中の小説『姥玉みっつ』(注:現在は同タイトルで文庫化)について伺います。タイトルは、和歌の枕詞「うばたま(烏羽玉)の」と、老女を意味する「姥」を掛けているんですね。
西條 はい。あと、江戸時代からある和菓子に「烏羽玉」というものがありまして、そこにも掛けています。だから「三人」ではなく「みっつ」なんです。
高島 なるほど。タイトルのとおり、幼なじみで仲のよい三人の老女……というかシニア女性が、江戸の「おはぎ長屋」で一緒に暮らし始めるという物語ですね。どういうところから着想されたんですか?
西條 まず一つは、『パンプキン』が、婦人誌のなかでは比較的読者の年齢層が高くて、シニア女性の読者も多いと聞いたことですね。「それなら、主人公がシニア女性でもいいのではないか」と考えました。あとは、私自身が一人暮らしで、年齢的にもシニア層に近くなっているので、他人事ではなかったんです。
高島 西條さんは時代小説を書くときにも、現代のニュースなどから発想することが多いと前回(注:対談の前編)おっしゃっていましたが、『姥玉みっつ』も、一人暮らしのシニア女性が増えているという現代の問題を、時代小説を通して描いたものと言えそうですね。
西條 ええ。それは独身女性だけの問題ではないんですよね。平均寿命は一貫して女性のほうが高いわけで、既婚者も多くの場合は夫に先立たれて一人になるのですから……。
高島 西條さんと同い年の私にとっても他人事ではなくて、わが身に重ね合わせて読みました。じつは私も、仲のよい友人たちと、「老後は、共同で家を建てて一緒に住もうね」なんて、冗談半分でよく話しているんですよね。(笑)
これが現代のマンションで三人のシニア女性が共同生活する話だったら、生々しすぎて読むのがつらかったかもしれません。江戸時代の長屋の話だからこそ、すんなり読めて、しかも感情移入できるんでしょうね。
西條 はい。深刻な話も生々しくならずに表現できるのが、時代小説の大きな美点だと私は思っています。
女性同士の無駄話には大きな効用が
高島 お麓・お菅・お修という、幼なじみのシニア女性三人のキャラクターがそれぞれ異なっていて、そのぶつかり合いが楽しいですね。
西條 たぶん、女性読者の方は三人のうちの誰かに近いでしょうから、感情移入できるキャラクターを見つけやすいと思うんです。
高島 私はお菅かなあ。
西條 あ、そうですか。ちょっと意外な気もします。
高島 ただ、「この人はこういうキャラなんだ」と思って読み進めていくと、そのキャラの意外な一面がパッと描かれたりして、多面性が見えてくるのが面白いですね。西條さんの人間の描き方が、単純ではなく深みがあるからだと思いますが……。
西條 ありがとうございます。
高島 現実の人間ってそうだと思うんです。誰しもいろんな面を持っているし、接する相手によって見せる顔も変わってきます。「この人はこういう人なんだ」と一面的に決めつけてしまうのは浅薄だし、もったいない。
その点、『姥玉みっつ』は、三人の何気ない会話のやりとりから、一人のキャラクターに多面的に光を当てているあたりが、大きな読みどころだと思いました。
西條 私がずっと書いているのは、時代小説のなかの「市井もの」というジャンルです。市井ものは、ストーリーとは直接関係ない、ご飯を食べたり、おしゃべりしたりといった日常生活の描写を、わりと自由にたくさん入れられるんですね。私はそういうどうでもいいことを書くのが好きで(笑)、だからこそ市井ものが得意だという面もあります。
高島 『姥玉みっつ』は、ほのぼのとした"江戸の日常ストーリー"かと思いきや、途中から急にミステリーのような展開になっていきますね。
大ケガをして倒れていた女性とその娘を三人が助けたものの、女性は亡くなって娘だけが残される。聾唖者(ろうあしゃ)らしいその娘を「お萩」と名付けて、三人は育てようとする。でも、武家の娘らしいお萩の素性も、母親が倒れていた理由もわからない……先の見えない、とても気になる展開です。
西條 そうですね。『パンプキン』の連載は一回が(400字詰め原稿用紙換算で)15枚なんですが、これは私が普段書いている小説誌の連載に比べて短いんです。小説誌は一回分が30~40枚あるので。15枚という短い分量のなかで「ヤマ場」を作って落着させるのがけっこう難しくて、読者の関心を引っ張るためにミステリー的要素を加えた面があります。
高島 なるほど。でも、ストーリーの一部に謎めいた緊迫感も出てきた一方で、三人のシニア女性のやりとりは相変わらずユーモラスでほのぼのとしています。お萩をどうしたらいいのかを話し合っていたのに、途中から話がどんどんずれていくとか、あのあたりはとてもリアルです。(笑)
西條 そうですね。女性同士のおしゃべりって、しゃべること自体がストレス発散になるので、内容がなくても構わないところがありますから。
高島 わかります。「女子会」って基本的にそういうものですよね。一晩楽しく会話しても、内容はどんどんずれていって、話に目的とかテーマはないんです。
西條 次の日になると、何を話したかはもうほとんど覚えていなくて、それでも「楽しかった」という気分だけが残っていたりして(笑)。でも、女性たちにとってはそれで十分なんですよね。
男性はそうではないような気がします。「せっかく集まるんだから、実のある話をしよう」と考えたりして、議論などをしたがる。男性って無駄話が苦手なんですね。でも、女性同士の無駄話は、精神衛生上とてもいいと思うんですよ。
高島 わかります。とくに「姥玉みっつ」の三人の場合、幼なじみで、お互い何でも本音で言い合える関係だからいいですね。私は読んでいて、三人が言いたい放題の様子がうらやましくなりました。
西條 私も一人だけ、何でも本音で言い合える親友がいて、家族にさえも言えないようなことを、彼女にだけは言えるんです。そいういう人って、かけがえのない存在だと思います。
高島 その方との関係が、『姥玉みっつ』の三人の関係にも投影されているんですね。
西條 とくに意識していませんでしたが、そうかもしれません。
私はどちらかといえば毒舌家なので、若いころには本音を言って関係が悪くなってしまった失敗が山ほどあるんです。それで、いまは親友の彼女以外にはめったに本音を言わないように、一生懸命ガマンしているんです。(笑)
高島 全然そうは見えませんけど、毒舌なんですか?
西條 ええ。私にかぎらず、小説家は本心の部分では毒舌家が多いと思います。何しろ、「物事を斜めから見ること」が、ある意味では小説家の仕事ですから。(笑)
