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「政治と宗教」をめぐる一問一答(下)

社会における宗教の役割、信教の自由、信仰継承とは――。月刊『潮』編集部からの問いに、一人の信仰者として答える。「政治と宗教」をめぐる一問一答。(『潮』2022年11月号より転載、全2回の2回目)

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――いわゆる「宗教二世」の問題がクローズアップされています。「認知力・判断力が育っていない子どもには、信仰を継承すべきではなく、大人になってから自分で判断させるべき」との主張についてどのようにお考えですか?

 そういう主張には賛成しかねます。この質問に関しても、私自身の体験に即して説明します。私の父は、臨済宗妙心寺派に帰属しているとの意識がありました。父の父方の祖母が福島県の臨済宗妙心寺派の僧侶の娘だったことが関係していると思います。

 私の母親は沖縄の久米島出身で、那覇市の女学校で学んでいた14歳のときに沖縄戦に遭遇しました。母は陸軍第六二師団の軍属となり、日本軍とともに行動し、九死に一生を得ました。戦争中の価値観が崩壊し、魂が飢餓感を覚えていたときに、母は日本基督教団の宣教師から洗礼を受けてプロテスタント教徒になりました。

 なぜか母は私が同志社大学神学部に入学し、19歳のときに洗礼を受けるまで、自分が洗礼を受けている事実について語りませんでした。母の信仰は強かったのですが、中産階級の知識人を中心とした日本のプロテスタント教会の体質と、沖縄戦でこの世の地獄を体験した母の魂が、なかなか一致しなかったのだと思います。

 母は私にはいつも「お母さんは求道中なの」と言っていました。求道とは洗礼に向けた準備をしている人のことです。しかし私は子どもの頃から母に手を引かれて教会によく行きました。教会のサマーキャンプにも参加するように母に勧められました。小学校5年生からは、教会で牧師から英語を勉強する環境を準備してくれました。洗礼を受けろと母から言われたことは一度もありません。

 また私がマルクス主義の無神論に関心を持って、高校2年生のときに社会党系の日本社会主義青年同盟(社青同)の同盟員になったときも反対しませんでした。ただし、私が同志社大学神学部に合格したときと、その年(1979年)のクリスマスに洗礼を受けたとき、母はほんとうに喜んでいました。

 母から伝えられたキリスト教的価値観がなければ、私はソ連崩壊前後の厳しい状況のなかで、時には生命の危険を感じつつも外交官の仕事を続けることができなかったと思います。また鈴木宗男事件に連座して、東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所の独房に512日間拘留されたときに筋を通すこともできなかったと思います。私は母の信仰を継承した「宗教二世」であることを誇りにしています。

 ところで、キリスト教では、カトリック、プロテスタント、正教のいずれにおいてもイエス・キリストは処女から生殖行為を行わずに生まれ、死後に復活したと信じています。これは自然科学的にありえないことです。

 このような非科学的側面を持つ信仰を認知力・判断力が育っていない子どもに伝えるべきでないという理由で、旧ソ連では家庭内で信仰を継承することに圧力が加えられていました。社会主義時代のアルバニアでキリスト教会やイスラム教のモスクが閉鎖され、宗教活動が家庭内を含め、一切禁止されました。

 現在でも北朝鮮ではキリスト教徒に圧力が加えられ、家庭内での信仰の継承が難しくなっています。自由で民主的な社会である日本に、このような社会主義国のような価値観を持ち込むべきではないと思います。

 愛情を持って子どもを育てる親は、自らにとって重要な価値である信仰を継承させたいと考えます。しかし、子どもに自らの信仰を強要するようなことはしません。強要された信仰がほんものでないことをわかっているからです。


――2022年7月21日、日本共産党は「旧統一協会問題追及チーム」を立ち上げました。「高額献金や違法勧誘の実態解明」に取り組むようですが、共産党の目的をどのようにお考えでしょうか。また、党綱領で「政教分離の原則の徹底をはかる」と記している共産党の宗教観とは、どのようなものでしょうか?

 日本共産党の危険な体質は、その宗教観にも表れています。日本国憲法は、国家と宗教の関係について第20条でこう定めています。

〈①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。/②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。/③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない〉。

 ここで定められた政教分離原則では、国家が特定の宗教を優遇、忌避することが禁止されているのであり、宗教団体が自らの判断で政治活動を行うことは禁止されていません。

 2020年1月の日本共産党第28回大会では同党綱領の一部が改正されました。綱領13節で〈信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる〉と記されています。

 ここで言う政教分離が、日本国憲法で定められた宗教団体の政治活動を認めるものであるか、あるいは旧ソ連や現在の北朝鮮のような宗教団体の政治活動を認めないマルクス・レーニン主義型の政教分離であるかが綱領からだけでは読み取れません。

 現在も日本共産党の公式HPに掲げられている以下の「しんぶん赤旗」の記事(2007年6月30日)からこの党の政教分離観を知ることができます。

《日本共産党第4回中央委員会総会(4中総、今年5月17日)で志位和夫委員長は、公明党が悪政推進の役割をはたしていることを批判するとともに、「公明党と創価学会の『政教一体』ぶりが、いよいよ羽目がはずれたものになっている」ことを解明し、創価学会と一体の公明党が与党として政権に加わっていることについて「日本の民主主義の前途に重大な危険をもたらしかねないものであります。こうした異常な集団と一体の関係にある政党の政権参加の是非、そしてそれと連立を組んでいる自民党の姿勢が、いまきびしく問われています」と報告しました。/(中略)

宗教団体が靖国神社国営化反対運動など広い意味での政治参加の権利をもつことは当然ですが、宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して信者に強要することは、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことを意味し、許されてはならないことです。これは労働組合などによる候補者の推薦および選挙活動についても同様ですが、宗教団体の場合は、宗教的権威をもって信者に特定政党とその候補者への支持を押し付けることになりますから、とくにきびしく批判されなければなりません》

 この記事から明らかなように、日本共産党の政教分離理解は旧ソ連型に近いと言えます。日本共産党の政策が実現するようになれば、創価学会だけでなく神道政治連盟、佛所護念会教団、立正佼成会などの宗教団体の政治活動も厳しくなります。

 宗教団体の樹種的な政治活動が規制されるのみならず、北朝鮮の朝鮮基督教徒連盟や朝鮮仏教徒連盟のように、社会主義政権の政策を礼賛する政治活動が宗教団体に強要される危険性があります。

 なお日本共産党綱領16節では〈さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される〉と定められています。この保障の対象から「信教の自由」が外されているのは偶然でないと思います。


――旧統一教会と政治家との関わりが明らかになるにつれて、「宗教は政治に関わるべきではない」という論調が目立つようになりましたが、はたして宗教が政治と無関係でいることは可能なのでしょうか?

 宗教団体(宗教法人として認可された団体もそうでない団体も含む)には二通りの形態があります。第一は宗教を人間の内面的問題と考え、政治や社会の問題から距離を置く団体です。第二は宗教が人間の全生活を律すると考える団体です。第二の世界観型の信仰を持つ宗教団体にとって、宗教活動から政治的領域を排除することはできません。世界観型の宗教団体は濃淡の差はあれ政治に関与することになります。

 世界観型の宗教の場合、宗教団体が自らの価値観に基づいて政党に働きかけるのは、必然的な現象です。その結果、ある政策が実現したとしても、それが国民の利益に合致するならば「政治が宗教にからめとられる」ということにはなりません。たとえば、小中学校の教科書無償化は創価学会を支持基盤とする公明党の尽力によるものです。この政策は国民の利益に適うものだから実現したのです。

 民主主義を担保するには、法的な規制や権力分立だけでは不十分です。私的利益(おもに営利)を追求する人々による結社、国家の下請け機関とは本質的に異なる、私的利益と国家の間に立つ「中間団体」が果たす役割が重要です。

 日本医師会や農協のような業界団体、学校法人などとともに、宗教団体などの中間団体は、民主主義を担保する上で不可欠です。神道政治連盟、佛所護念会教団、立正佼成会、創価学会などが政治活動を行っていますが、こういった宗教団体が自らの価値観を政治に反映させるために積極的に活動し、切磋琢磨することが民主主義の多元性、寛容性を維持する上でとても重要と考えます。

 宗教者がたいせつと考える価値観を社会に実現する上で、政治を無視することはできません。宗教者が政治に参与することで権力を監視するとともに、民衆の幸福の実現に貢献する可能性が生まれるからです。


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作家・元外務省主任分析官
佐藤優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、専門職員として外務省に入省。在イギリス大使館勤務、在ロシア大使館勤務を経て、外務省国際情報局で主任分析官として活躍。『自壊する帝国』『国家の罠』『池田大作研究』など著書多数。第68回菊池寛賞受賞。

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