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村上祥子80代! がんばらない料理ノートエッセー②

人気料理研究家・村上祥子先生のエッセーを特別掲載!食のプロが語る言葉は、日常の食への意識を変えてくれます。
「村上祥子80代!がんばらない料理ノート リアル80代の今、本当に伝えたいこと 第2回」
(『パンプキン』2023年2月号より転載)
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 人生は思いもかけない出会いがあります。
 私が料理の先生になったきっかけは、アンさんというアメリカ人女性と知り合ったことです。夫の後輩(アンさんの夫)に、「うちのかみさんはおせち料理をはりきって作るので、大晦日にご夫婦で来ませんか? みんなで楽しく過ごしましょう!」と、夫が声をかけたのが始まりです。その半年後、中野坂上に新築となった社宅に一緒に住むことになり、尋ねられれば卵焼きを教えたり、山芋のとろろをお裾分けしたり、という間柄になりました。

 そしてアンさんがアメリカンクラブで「こんな人がいるのよ!」と私のことを話したことがきっかけで、アメリカ人女性12人に日本の家庭料理を教える教室を始めることになりました。1969年のことです。

 ボランティアですが、先生と呼ばれるからには真剣勝負。ご主人たちに奥様たちに習ってもらいたい料理についてのアンケートをとりました。答えは、米のとぎ方、味噌汁のだしのとり方、白菜漬け、ひじきの煮物、さばの味噌煮など、日本の家庭料理基礎編でした。

主婦から生涯の仕事・料理研究家へ

 料理教室の開催日は、我が家の3人(3歳、2歳、0歳)の子どもたちの面倒を見ることができません。同じ社宅に3人目のお子さんがもうすぐ生まれるピアノの先生がおりました。「子どもの預かりっこをしませんか?」。「ちょうど、ベビーシッターを探していたところ」と、交渉が成立です。子どもたちはどちらも3人だからウィンウィンの関係です。

 ピアノのレッスン日は、私が先方のお子さんたちを預かります。週1回、我が家の子どもたちと合わせて6人の保育園を開きます。料理教室の日は、逆に我が家の子どもたちを預かってもらいました。

 学生から主婦、そして、いきなり27歳で料理の先生に。亭主の傘の下でぬくぬくと過ごしていた主婦はいっぺんに目が覚めました。

 「ちゃんと食べてちゃんと生きる」「食べ力」®を伝えると肝に銘じ、こうして生涯の仕事の入り口に立ちました。

 何度も夫の転勤で転居を繰り返し、そのたびにゼロから仕事を構築し、新しいやり方を編み出しました。そして何より「料理=食」の仕事は時代と共に移ろいます。

50年間に蓄積したレシピは50万点
4トントラック2台分

 その後、母校で研究生となり、病態栄養指導講座講師の職を得て、地元、西日本新聞で「村上祥子のきょうの一品」の連載が開始、現在まで42年間も続くことになりました。

 また、私が50年間にわたり収集した食の情報、編み出したレシピなどを福岡女子大学に寄贈することが決定しました。2200冊を大学に4トントラック2台で運び込みました。大学内の図書館にある「村上祥子料理研究資料文庫」の広大な本棚に、2日間かけて私とスタッフ3人で並べて完了。現在は検索ツールシステムも構築され、外部からも検索できるシステム作りがスタートしています。本年開催予定の開学100周年記念事業国際フードスタディセンターの柱にもなりました。

 母校に50万点の料理レシピ、資料を寄贈し、目録を作成する作業の中で、データだけでは伝えきれない、おいしさの何かが私の体の中にあることに気づきました。

 思いがけず世界中がパンデミックに見舞われ、一時、料理教室はすべてキャンセルすることになりました。ようやく明るいきざしが見え始めた2022年、健康志向の高まりを背景に再開した村上祥子料理教室の生徒さんたちの熱意は、並々ならぬものがあります。

 かつてのアンさんとの出会いから始まった料理教室。日本の家庭料理を一生懸命学んでくださったアメリカ人女性12人が、私の原点でした。時間を作って来てくださる生徒の皆さんに、データだけでは伝えきれないおいしさをお伝えすることに、50年以上の時を経た今も意欲を燃やしています。

◆連載 第3回目はコチラからチェック

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料理研究家、管理栄養士
村上祥子(むらかみ・さちこ)
公立大学法人福岡女子大学客員教授。
治療食の開発で、油控えめで一人分でも短時間においしく調理できる電子レンジに着目。
出版した著書は『80歳、村上祥子さんの元気の秘訣は超かんたんレンチンごはんだった!』『村上祥子さんの食べると生きる人生最高のレシピ』など500冊を超える。
福岡女子大学内には「村上祥子料理研究資料文庫」が設置、公開されている。

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