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〝宗教二世問題〟と子どもの権利(上)

 2023年4月、いよいよ「こども家庭庁」が発足。日本の子ども政策の大きな転換点を迎えました。子どもたちの明るい未来を考えるうえで、大切な視野とは。「子どもの声をどう政治に反映させるか――。宗教二世問題と子どもの権利について」(末冨芳氏)を転載します。(『潮』2022年11月号より、全2回の1回目)

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子ども政策の大転換を牽引した公明党

 6月に閉会した通常国会で、「こども家庭庁設置法」と「こども基本法」が成立しました。来年4月から正式に施行され、本格的な運用が始まります。これらの法律は、日本の子ども政策の大きな転換を意味します。 少子化や虐待、いじめ、不登校、貧困問題など、現在、子どもたちを取り巻く環境は厳しさを増しています。

このたび設置が決まったこども家庭庁は、そうした子どもを取り巻く諸問題解決のために、これまで複数の省庁にまたがっていた子ども政策を一元化させ、子どもに関する福祉行政を担う〝子ども政策の司令塔〟としての役割が期待されています。

 一方、こども基本法は、国が子ども政策を推進するうえで基盤となる重要な法律です。国際条約である「子どもの権利条約」に定められた「生命・生存・発達の権利」「子どもの最善の利益」「子どもの意見の尊重」「差別の禁止」の4原則が基本法にも記され、今後日本の子ども政策は、これらの原則のもとに実施されることが明確に位置づけられました。

 今回のポイントは、設置法だけでなく基本法も同時に成立したことです。こども家庭庁は、「子どもたちの最善の利益を優先して考慮すること」を基本理念に掲げており、首相直属機関として、各省庁に取り組みの改善を求める勧告権をもちます。しかし、基本法がなければ、勧告権を行使するにも、根本的な指針やアプローチの仕方を他の省庁・行政機関と共有できません。

 たとえば児童虐待が発覚した場合に、児童相談所や自治体は、まずは子どもを守ることを最優先しなければなりせん。親の都合や支援はその次です。しかし現状では、子どもが親や家族と一緒にいることが重視されるあまり、被虐待児の保護が遅れ、命を落とすケースが後を絶ちません。親へのサポートも不可欠ですが、まずは子どもの命と安全を優先する。こうした子どもたちの最善の利益を守る原則が確立したことは、関係省庁間に横串を刺したという意味で、各現場で実務を遂行するうえでも、非常に大きな意味をもっています。

 先に触れた子どもの権利条約が国連で採択されたのは、1989年。日本は94年に同条約に批准しましたが、子どもの権利について定めた国内の法律をもたなかったため、国連から法整備を行うよう、何度も勧告を受けてきました。その後も国内法の整備は遅れに遅れ、条約の批准から28年後の今年になってようやく、こども基本法が成立したのです。

 なぜ28年もの歳月が必要だったのでしょうか。最大の理由は、大人たちによるイデオロギー対立です。自民党と共産党・旧民主党系勢力等が前向きな対話をすることができず、子どもたちの権利をめぐる議論が後回しにされてきたのです。その間も日本は少子化が進み、出生数も過去最少を更新するなど、子ども政策は待ったなしの状況が続きました。

そんななか唯一、イデオロギーに囚われることなく、こども基本法の成立とこども家庭庁の設置へ、イニシアチブを取り、国会に繋げたのが公明党でした。今回、法案を提出したのは自民・公明両党ではありますが、与野党を挙げての議論を実現できたのは公明党の熱心な取り組みがあったからです。

 私も参加した有識者らによる「こども基本法の成立を求めるPT」では、長らく同法の成立に向けて、働きかけを続けてきました。そんな私たちが真っ先にこの問題を相談したのが、公明党の古屋範子・副代表でした。なぜ最初に相談したのかというと、コロナ禍をめぐる同党の取り組みを評価してのことでした。

 2020年2月の一斉休校の際、自民党は困窮世帯への対応が鈍く、子どもの貧困対策に取り組む支援団体は、大きな危機感を抱いていました。親子の心中、家庭内の虐待、子どもの自殺などが増えるのではないかと、緊迫した状況にかつてない焦りを感じていたのです。

その時に動いてくれたのが公明党の古屋副代表や山本香苗・参議院議員、浮島智子・衆議院議員らでした。今は党派で対立している場合ではない、とにかく支援を急ぐべきだと10万円給付の実現や高等教育の無償化による学生緊急支援を力強く推進されました。政治家としてのあるべき姿を示した同党の取り組みを受け、支援団体で活動する人々の間で、「子どもたちを守るこども基本法が、今こそ必要だ。私たちが相談するべきは公明党だ」という考えが共有されていったのです。

 私たちの声を受け、公明党は党派を超えた議論の実現へ、迅速に動いてくださいました。同党の尽力がなければ、自民党は重い腰を上げなかったはずです。私も目の当たりにしましたが、当初、自民党の保守系議員の多くは反対の立場を取っていました。それが、公明党議員らの粘り強い交渉を受けて、最終的には子どもの権利を熱く語るまでに変化していったのです。

 こども家庭庁設立準備室のある方がおっしゃっていた言葉が印象的でした。「かつて与野党を挙げて子どものことをこんなに議論した国会はなかった。今回は〝こども国会〟だった」と。その背景には、子どもや女性、障がい者など、困難な立場にある方々につねに寄り添ってきた公明党の存在があったからこそと私は感じています。

子どもが大切、人間が大切――。そして人々の幸せの根幹には民主主義があるとの大きな思想に支えられた同党のヒューマニズム(人間主義)の実践を、私たちは正当に評価すべきではないでしょうか。

 今回、党派を超えて子ども政策の重要性が共有されることになったおかげで、とりわけ若い官僚らの意識も変わったように思います。支援者たちがかねて主張してきた〝こどもまんなか社会〟の実現に向けて、ようやく具体的な動きが始まりました。これまで蓋をされてきた問題が噴出する一方で、解決に向けて各省庁が力を合わせやすい環境が生まれ、少しずつ花を咲かせ始めているのは、大変喜ばしいことです。

 

子どもの死を防ぐ取り組みを急げ

 こども家庭庁の設置に伴い急がれるのは「日本版DBS(前歴開示および前歴者就業制限機構)」と「CDR(子どもの死亡検証)」の導入です。DBSとはイギリスが導入している仕組みで、個人の犯罪歴などのデータを管理し、就業の際に証明書を提出させるというもの。

こども家庭庁は今回、小児性犯罪防止のために、子どもに関わる職業に限定してその導入を目指しています。学校における小児性犯罪の防止には、浮島議員の尽力で21年に成立した「わいせつ教員対策法」がありますが、教員以外にも、ベビーシッターや塾講師、スボーツクラブの指導者など、子どもたちに関わる職業は多岐にわたるため、日本版DBSの速やかな導入が求められます。

日本の法制度では、憲法上の職業選択の自由など、犯罪者の権利保護との整合性を模索する必要があるため、新たな憲法解釈を導き出せるかどうかが、今後の焦点となるでしょう。

 他方、CDRとは、子どもが事故などで死亡した場合に、その経緯を検証し、再発防止に繋げる仕組みです。先日も幼稚園バスの中で園児が死亡する痛ましい事故が起こりましたが、子どもの死亡事例に関してはこれまで、医療機関をはじめ、学校、保健所、警察、児童相談所など、複数の機関がバラバラに対応してきたため、再発防止の取り組みなどは不十分でした。CDRではそれらの情報を一括して共有し、専門家による徹底した検証と予防策の検討を行います。  

 私が特に注目しているのは、子どもの自殺防止への活用です。コロナ禍のなか、子どもの自殺は過去最多を更新しています。自殺に関する統計は警察庁や厚生労働省、文部科学省が発表していますが、丁寧な検証がなされるケースはごくわずかで、自殺の原因についてはほぼ究明されていません。

自殺防止へ有効な対策を打つためには、まずは正確な現状認識から始める必要があります。背景に虐待や性暴力、いじめの問題などがあるのならば、具体的な対策を講じる必要があります。

 加えてこども家庭庁には性暴力・性虐待を防止するための若者向けシェルターや、子ども・若者のワンストップ窓口の設置による相談・保護体制の拡充にも取り組んでいただきたいと思っています。若者向けのシェルターがないために、家族から虐待を受けている学生が、アルバイトで稼いだお金で年末年始を安いホテルで過ごすケースもありました。性産業に身を投じる若者もいれば、なかには自死を選んでしまう人もいるはずです。

 かつて大阪には子どもも駆け込める公的施設がありましたが、橋下府政の時に閉鎖されたのは有名な話です。若者の困難から目を背け、自己責任であるかのように扱ってきた大人の残酷さを象徴する失政だと思います。自死ではなく、他人を巻き込むかたちでの事件も起きていますが、若者が安心して寝られてご飯が食べられ、相談に繋がる場所があれば、そうした事件も防げるかもしれません。これらの取り組みにはしっかりと税金を投じていくべきです。

 

 子どもの声を聞く政治とは?

  日本社会ではこれまで、子どもの意見に大人がほとんど耳を傾けてきませんでした。その象徴的な例として、今政治の場でも議論されている共同親権の問題があります。

日本では離婚後は父母の一方が親権をもつ単独親権が採用されており、ここに父母双方が親権をもつ共同親権を導入するか否かが議論されています。単独親権のままでは、子どもは親権をもたない親には原則、会いたくても会えません。逆に、完全に共同親権になれば、子どもは会いたくない親にも会わなければなりません。

子どもの「最善の利益」を考慮すれば、まず、子どもの声を聞く制度や体制、子どもの人生を支える養育費確保策を充実させつつ、単独親権も維持しながら、共同親権も選択できるように検討を進めることが現時点での最適解だと私は考えています。女性のDV被害などを考慮しても、共同親権を強いられれば、さらなる悲劇が生じる可能性も否定できません。

 ところが、「家族を分断させてはならない」といったイデオロギーから、共同親権のみの採用を強硬に主張する保守系議員がいます。先の法制審議会では当初予定していた中間とりまとめを見送りました。親権の議論に重点が置かれるなかで、子どもの生きる権利を支える養育費確保や子どもの声や意見を尊重する仕組みづくりが遅れている状況が生じているのです。

また、父母が親権や面会交流権を争う離婚調停の間など、子どもは別居親に会いたくても会うことができません。これらは明らかに子どもの権利を侵害しています。大人ファーストで進む親権の議論は、容認できません。

 子どもの声を社会に反映させる取り組みとして現在、学校校則の見直しがクローズアップされています。とても大切なことですが、それだけではまだ不十分です。教育の理念や方向性を定める文科省の教育振興基本計画や学校運営協議会などにも、子どもたちの声を反映させる必要があると個人的には考えています。

国際的に見て、日本の子どもたちは自己肯定感が低いと指摘されていますが、これは子どもたちの意見が尊重され、具体的なかたちとして実現される機会が極端に少ないことにも起因しているのではないでしょうか。

 また、家庭においても子どもの声が蔑ろにされるケースは少なくありません。両親の離婚や家族からの虐待に悩んでいる時、子どもたちが誰かに相談できる体制はあまりにも脆弱です。自分たちが生きていく環境・社会をより良くするために、子ども自身が声を上げることができるか。助けを求めることができるか。そして、社会の側はその声をきちんと拾い上げることができるのか。求められているのは、子ども・大人双方の声を尊重できる仕組みづくりです。

山形県遊佐町では、03年から中高生による「少年議会」という取り組みを行っています。独自予算も確保されており、中高生たちが1年を通して政策立案を行うのです。子どもの社会への参画は、学校や地方自治体のレベルから国まで、さまざまな視点でできることがあるはずです。

 以前、栃木県の小学生が考案した「さんぽセル」(ランドセルにキャスターをつけて手軽に持ち運べるようにした商品)が議論を呼びましたが、社会の課題解決において子どもたちの発想はとても自由で、示唆に富んでいます。超少子化の時代、この国を元気で豊かにするためには、子どもを大人の付属物扱いするのではなく、一緒にこの国を良くしていく仲間としてその声を十分に受け止め、政治に反映させていくことが欠かせません。今後、新しい柔軟な発想で挑戦する人が増えれば、日本社会の停滞を打破する原動力にもなるはずです。

 

〝宗教二世問題〟と子どもの権利(下)はコチラから

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教育学者、日本大学教授

末冨 芳(すえとみ・かおり)
1974年山口県生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(学術・神戸大学大学院)。専門は教育行政学、教育財政学。内閣府子どもの貧困に関する有識者会議構成員等を歴任。著書に『教育費の政治経済学』、共著に『子育て罰「親子に冷たい日本」を変えるには』など。

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