プレビューモード

「論破文化」と歴史修正主義に共通する落とし穴。(上)

研究によって明らかになった現代ネットメディア文化の特性について、創価大学倉橋准教授にお話を伺いました。
(『潮』2023年7月号より転載。全2回中の1回目。)

記事のポイント

  • 昨今の日本のネットメディアを考える上で大きなポイントは、ネットユーザーの高齢化。特に男性が多い点に着目する必要がある。
  • 論破したがる人と歴史修正主義者はともに、科学的な事実や研究と個人の見解や俗説とを「等価」として扱い議論したがる。
  • 議論への関心が高まっていることはポジティブに受け止めた上で、議論する意味を俯瞰して考えることも大切ではないだろうか。

 

ネットは二極化しやすいメディア

 21世紀にかけてインターネットメディアは世界中で急速に普及し、現在ではニュースサイト、SNSをはじめネット独自の言論文化が形成されている。近年、ネットメディア文化の研究も進展し、その特性も明らかになってきている。

 議論の前提として、インターネットは人々の意見を二極化・分断化しやすいメディアだということは明らかだ。例えば、アメリカにおける排外主義的な一部の共和党支持者と、それを批判する民主党支持者のやり取りなどは典型的だろう。

 またアメリカには、フェイスブックのユーザーがシェアするニュースの傾向についての研究もある。それによると、大手メディアのニュースをシェアする人はそればかりを、フェイクニュースをシェアする人もまたそればかりを共有する傾向があることが分かっている。一般的にネット言論というと、分断・対立して常に言い争いをしているようなイメージがあるが、二極化に適したメディアであることが、データからも実証されている。

 とはいえ、二極化が必ずしも悪とも言い切れない。二極化が起こっても特段、大きな社会問題にならないようなテーマも当然あるからだ。ではどのようなテーマや意見が二極化すると社会問題となってしまうのか――私たちがこれから文化的に考えなければならないのはむしろその点ではないか。

 もう一つ、昨今の日本のネットメディアを考える上で大きなポイントは、ネットユーザーの高齢化だ。今年の1月に『ネット右翼になった父』という新書が発売され、話題になった。著者であるルポライターの鈴木大介氏が、亡くなった父親がネット右翼になった理由と自身との関係を模索する内容で大変興味深かったが、読みながらテレビや雑誌のみならず今やネットまでもが高齢者文化になったことをつくづく感じた。

調べてみると日本の年齢中央値は48歳で、世界的にはモナコに次いで2位だ。日本の次に高いのはドイツで、アメリカは38歳。
1億人以上の人口がある国で日本ほど高い国はなく、世界全体の年齢中央値は約30歳となっている。

 
©Freepik

高齢化するネットユーザー

 もちろん、ネットが高齢者文化になりつつあること自体に問題があるわけではないが、私自身の共著で発表した調査によると、ネット上に排外主義的なコメントを書くネット右翼は〝50代の男性〟がメインであることが明らかになっている。日本ではネットメディアというと「若者文化」というイメージがあり、ネットの炎上や排外主義的主張、陰謀論などの問題も若者に連なるもののように捉えがちだが、そうした問題の主体は今や中高年男性なのだ。ネットが普及し始めた1990年代の若者らが時間の経過とともに高齢化しているだけとも言えるだろう。

 実際、日本ではヤフーコメントを書き込む人もフェイスブックの利用者も、一番多いのは中高年世代だという。ゆえに現代のネット文化を研究することは、もはや中高年の文化を研究することなのだが、研究者もメディアもまだ若者文化のイメージから切り替わっていないように思える。また、そうしたネット上の誹謗中傷や悪質なコメントなどの問題は、高齢化のみならず、男性に多いという点も着目する必要がある。

 今の50代といえば「第二次ベビーブーム」や「団塊ジュニア」と称される世代だ。そうした人口ピラミッド上のボリュームゾーンがネットの勃興期に若者だったため、今なおネット上で影響力を持っている。そう考えると、90年代の若者文化の流行が、今もメディア文化として温存されていることも理にかなっている。

 

論破文化の起源を探る

 現代の日本のメディア文化における流行のひとつに「論破」というものがある。私は2018年に『歴史修正主義とサブカルチャー』を上梓し、90年代の保守言説のメディア文化について論じた。以来、新聞や雑誌から本書のなかで言及した「論破文化」について取材を受ける機会が増えた。私自身は論破文化の専門家というわけではないのだが、むしろ新聞や雑誌メディアが「論破」に高い関心を抱いていることを興味深く受け止めている。

 著名な元実業家や元政治家などが、ネットやテレビで相手を言い負かす様やそのテクニックが人気を集めている。それになぜ人気が集まっているのかは単純な理由だろう。それを気持ち良いと思って見る人がいるからだ。しかしその一方で、「論破」をあまり快く思わない人が多くいることも、そうしたメディアの依頼から窺える。

 そもそもそうした現代の文化としての「論破」はいつから始まったのか。特定するのは難しいものの、ネットからというよりは90年代に出てきたディベートや説得力に重きを置いた自己啓発本のブーム、そして討論系のテレビ番組の流れからではないかと私は考えている。そうした番組で専門家ではないコメンテーターなどが議論に参加し、政治家や専門家をたじろがせる様子が視聴者に〝ウケた〟のだ。今も続く討論番組「朝まで生テレビ!」の進行役である田原総一朗氏も自伝のなかで〝生放送という逃げ場がない空間を作り、現役の大臣がやっつけられる。そういう番組を作りたかった〟という趣旨のことを述懐している。それらの討論番組が80年代末に生まれ、その後ネット時代になって、出演者が今人気のある元実業家や元政治家らに変わったという流れがあるのだと思う。

 
©Freepik

ネット上の女性蔑視

 今の生番組や動画の討論を見ていると、同じ時期に流行ったラップのMCバトルを彷彿とさせる。

そこではビートに合わせて互いに即興の歌詞で相手を〝ディスる〟(けなす)わけだが、オーディエンス(観客)は論理だけではなく、その場の即興性に惹かれるという点で、類似性があるように思う。そうしたいわゆる〝ノリ〟が90年代からずっと続いており、かつて若者だったオーディエンスがそのまま先述の通り高齢化し現在に至るのだろう。

 先に「ネット文化は中高年男性が主な担い手」と述べたが、いわゆる「論破力」があると持て囃される著名人も圧倒的に男性消費者に支えられている印象を受ける。

 私はここに、ネット上に根強く残るミソジニー(女性蔑視)の大きな要因があると考えている。

 最近のネットの炎上の事例を見ていると、話の本題よりもミソジニーによって女性を叩いているような光景が見受けられる。これは私の想像だが、私が大学生だった2000年初頭に、ジェンダーの授業が講座化されたので、私よりも上の世代は、ジェンダーの理論を授業という形では学んでいない。そのため、日本のジェンダーに対する意識もその辺りを境に世代的な断絶があるのではないか。

ジェンダー意識の希薄な世代の男性たちが、昨今、女性の発言力が増してきているところを攻撃している。ネット上でのミソジニーを見るたびに、私はそうした構造を思い浮かべるのだ。

 私の想像が当たっているとすれば、これは何も新しい社会問題ではない。むしろ、古くから連綿と続く問題であり、単にそれが新しいメディア空間で行われているだけなのだ。変化したことを挙げれば、前述したようにネットは二極化しやすいため、問題が顕在化しやすい面があるという点だ。ネットの登場によって、ミソジニーや排外主義的な発言が以前よりも目に付きやすくなったということは言えるかもしれない。

 

「論破文化」と歴史修正主義に共通する落とし穴。(下)はコチラから

 

******

創価大学文学部准教授
倉橋耕平(くらはし・こうへい)
1982年愛知県生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専攻は社会学・メディア文化論・ジェンダー論。立命館大学非常勤講師などを経て現職。著書に『歴史修正主義とサブカルチャー』など。

こちらの記事も読まれています